| 黙 祷 | 【前奏】 | 啓示 | 着席 |
| 讃 美 歌 | 7 ほめたたえよ、力強き主を | 応答 | 起立 |
| 招 詞 | アモス書 9章 13〜15節 | 啓示 | 起立 |
| 信 仰 告 白 | 使徒信条 (カードケース、93−4B) | 応答 | 起立 |
| 讃 美 歌 | 334(1〜3) よみがえりの日に | 応答 | 起立 |
| 祈 祷 | 【各自でお祈りください】 | 応答 | 着席 |
| 聖 書 |
ルカによる福音書 24章 28〜35節 (新約p.161) |
啓示 | 着席 |
| 성 경 | 누가 복음 24장 28〜35절 | ||
| New Testament | The Gospel According to Luke 24:28-35 | ||
| 圣 经 | 路加福音 24章 28〜35段 | ||
| 讃 美 歌 | 334(4〜6) よみがえりの日に | 応答 | 着席 |
| 奨 励 |
『エマオへの途上にて(2)-わたしたちの心は燃えていたのではないか』 川辺 正直 役員 |
啓示 | 着席 |
| 祈 祷 | 応答 | 着席 | |
| 奉 献 | 応答 | 着席 | |
| 主の祈り | (カードケース、93−5B) | 応答 | 着席 |
| 報 告 | 【ご報告欄参照】 | 応答 | 着席 |
| 讃 美 歌 | 517 神の民よ | 応答 | 起立 |
| 祝 祷 |
平和の挨拶 司式者:人の思いと願いを超えたキリストの平和が、あなたがたと共にありますように。 会衆:また、あなたと共にありますように。アーメン。 |
啓示 | 起立 |
| 後 奏 | 啓示 | 着席 |
【奨 励】 役員 川辺 正直
■スティーブン・スピルバーグの父親
おはようございます。有名な映画監督のスティーブン・スピルバーグは皆さんよくご存知のことと思いますが、彼の作品には、ある一つの特徴があるのです。それは何かと言いますと、『未知との遭遇』、『E.T.』、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『宇宙戦争』など多くの映画でお父さんの不在やお父さんと息子の確執が描かれているのです。そして、スピルバーグの映画に登場するお父さんというのは、どちらかと言えば、注目もされず、大した男ではない、というように描かれているケースが多いのです。なぜそのような描き方になっているのでしょうか。
スピルバークのお父さんはコンピューターの開発を行う電気技師で、RCA、GE、バローズ社といった会社を渡り歩いた人で、無口で、仕事一本の人であったのでした。そのため、引っ越しが多かったのです。スピルバーグはユダヤ人であったほかに、ディスレクシアと呼ばれる学習障害の一種である失読症もしくは難読症を抱えていたために、同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このためいじめも受けてもいたのです。家族はスピルバーグが17歳のとき、お父さんの仕事のために、アリゾナからカリフォルニアに引っ越しするのですが、そのことをきっかけにお母さんは精神的に不安定になり、別居を宣言するのです。ところが、そのお母さんの行動を、お父さんは黙って受け止めるのです。両親が別居した当時、スピルバーグ自身も兄弟姉妹もその詳細を知らなかったのです。そして、スピルバーグが19歳のとき、両親はついに離婚します。スピルバーグは、両親の関係の破綻をお父さんのせいだと考え、15年間も口をきかなかなくなるのです。スピルバーグは、『父に怒っているとは一度も言ったことがなく、口喧嘩もしたことがなかった。でも、疎遠になったのは私が作ったものだった』と語っています。
スピルバーグの両親の不和の原因は何であったかと言いますと、それはお母さんの不倫であったのです。アリゾナからカリフォルニアに引っ越して、お母さんが精神的に不安定になったのは、アリゾナ時代、お母さんがお父さんの親友であり、お父さんの助手もしていた人で、スピルバーグと3人の妹たちにとっても叔父さんのような存在であった人と不倫関係にあり、そして、お父さんがカリフォルニアに連れて行かなかったからなのです。しかし、実はスピルバーグ自身、お母さんの不倫については、両親が離婚する3年前の16歳のときに知っていたのです。スピルバーグは、『それは人生のほとんどの間、私たち二人が共有していた秘密でした』と語っています。スピルバーグが、お母さんの不倫を知りながら、お父さんと不仲になって、15年間も口を聞かなかったのはなぜでしょうか。それは、お父さんがお母さんを子どもの養育権も認めることなく、離婚を決め、家から追い出したと思い込んだからなのです。
それでは、本当のところはどうであったのでしょうか。スピルバーグのお父さんは、2013年のドキュメンタリー映画『スピルバーグ』の中でのインタビューで、お父さんは子供たちに、自分がお母さんと離婚したと思い込ませたのではなく、その逆だったと語っています。そして、『彼女は脆いから守っていたんだ。そして今もそうだ…私はまだ彼女を愛していた。』と言っているのです。お父さんは、お母さんをかばい、思春期の子どもたちに与えるショックをできるだけ小さくするために、悪者役を一人で背負っていたのです。
お父さんは、子どもたちからは、無口な変人だと思われている、愛情の欠片もないような人に見えている、そのお父さんが実は途方もなく大きな苦難を背負って、子どもたちを見守っていてくれたのだということを、15年間の不仲の果てに、スピルバーグは知るのです。本日の聖書の箇所で、『一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。』(30〜31節)という記述が出てきます。何か、あまりにも唐突で、伝説上の出来事のように思えるかと思いますが、スピルバーグとお父さんのエピソードを考えますときに、毎日、顔を合わせていても気がつかず、認識が変えられて、ある日突然見えてくるということはあるのではないでしょうか。本日も前回に引き続き、『エマオ途上』の場面を読みます。前回は、24章の27節までを読みました。前回の箇所を振り返りつつ、本日は28節以下を読み進めたいと思います。エマオへの道で、主イエスと出会ったこの2人の弟子たちの中では、何が起きているのか、ということを考えながら、本日の聖書の箇所を読んでゆきたいと思います。
■神の救いから離れて行く
前回の聖書の箇所のルカによる福音書24章13〜14節では、2人の弟子が、エルサレムからエマオという村へ向かって歩いて行きました。エマオという村ですが、エルサレムから北西、約60スタディオン離れているとあります。現在のキロメーターに換算すると、約11kmになり、大人の男性の歩く速さを考えると、3時間くらいの道のりだと思います。主イエスと一緒に3時間位歩いたということを考えますと、かなりの内容の話ができたかと思います。
この2人の弟子が、エルサレムから離れて行くのです。理由は書かれていません。なぜなのかは分かりませんが、おおよそのことは想像できるのではないでしょうか。彼らは、失望しているのです。エマオへ向かう二人の弟子の気持ちが、21節の言葉によく表れています。『わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります』とあります。『あの方』とは主イエスのことです。彼らは、主イエスこそがイスラエルと自分たちをローマの支配から解放してくださる、と望みをかけて、主イエスに従って来たのです。しかし、主イエスは十字架につけられて死なれました。彼らの望みは打ち砕かれたのです。『しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります』とも言われています。ユダヤ人は、人は死んだ後、しばらく魂は遺体の傍に留まっていると考えていました。しかし、死なれてから3日目になったということは、魂は遺体から離れ去り、完全に死んだということを意味することから、もう何の望みもない、ということなのです。主イエスの十字架の死によって、彼らは希望を打ち砕かれ、何の望みもないように思える現実の中にいたのです。22〜23節で語られているように、彼らは、婦人たちから主イエスの遺体を納めた墓が空になっていたことや、天使が『イエスは生きておられる』と告げたことを聞いていましたし、仲間が空の墓を確認したことも知っていました。しかし、それでもこの2人の弟子は主イエスの復活を信じることができなかったのです。それどころかエルサレムに留まることもせず、その日の内にエルサレムから離れ去り、エマオへ向かったのです。それほど彼らの絶望は深かったのです。福音書記者ルカにとって、エルサレムは主イエス・キリストが十字架で死なれ、墓に葬られ、復活され、天に上げられることを通して、神様の救いのみ業が実現する場所です。ですから2人の弟子が、エルサレムから離れて行こうとすることは、ルカの視点からすると、神様の救いのみ業の実現から遠ざかろうとすること、つまり神様の救いから離れて行くことなのだと思います。
■共に歩みながら
そのようにエルサレムから離れ、神様の救いから離れて行こうとする2人の弟子に、復活された主イエスご自身のほうから近づいて来てくださり、一緒に歩き始めてくださいました。しかし、2人の弟子は、一緒に歩き始めた人が復活の主イエスだとは気づかないのです。16節に『しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。』とありますように、目が遮られていたからです。『(目は) 遮られていて、』と訳されているギリシャ語は『クラテオー』の受動態未完了形です。『クラテオー』の名詞は『クラトス』という言葉で、『力、支配力、統治力、強さ』を表す言葉なのです。ですから、ルカはここで『ある力によって支配され』、その状態がずっと継続していることを意味する『未完了形』を使うことによって、神様の敵であるサタンの霊的な力によって支配され続けている状態を書き記そうとしたのだと思います。それ故、2人の弟子は『イエスだと分からなかった』(16節)と、ルカは書き記しているのです。そのことを、使徒パウロの言葉を借りて表すならば、『わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。』(コリントの信徒への手紙二4章3〜4節)ということを意味しているのです。
それでも主イエスは、目が遮られ、主イエスを目の前にしながら、なお何の望みもないように思える現実の中を歩み続ける2人の弟子に寄り添って、共に歩んでくださり、語りかけてくださり、2人の話を聞いて、その心の内に抱えていた気持ちを受けとめて下さったのです。その上で、主イエスは2人の弟子にこのように言われました。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』(25節)。主イエスは彼らに対して、物分かりが悪く、心が鈍い、と言われます。ですから、彼らはモーセとすべての預言者たちの言ったこと、つまり旧約聖書全体が告げていることを信じられないのです。旧約聖書の様々な箇所で、メシア(救い主)が苦しみを受けて栄光に入ると告げられているのに、それを読んでも、あるいは聞いても、心が鈍くて信じられないのです。しかし、主イエスはそのような2人をなお見限ることはなかったのです。27節にありますように、『モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。』のです。旧約聖書全体から、ご自分について書かれているみ言葉について説き明かしてくださった。主イエスご自身が説教をしてくださったというところまでが、前回の聖書の箇所の内容であったのです。そして、2人の弟子の霊の目が開かれるのかというのが、本日の聖書の箇所なのです。
■一緒にお泊まりください
そして、本日の聖書の箇所の28〜29節を見ますと、『一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。』とあります。いよいよ目的の村に近づきました。彼らは目的の村の近くに来ましたが、主イエスはもっと先まで行きそうな様子であったのです。彼らが一緒にお泊まり下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日もすでに傾いていますからと言って、強く引き止めたので、主イエスは彼らと共に泊まるために家に中に入られたのです。
普通、招かれない限り、無理やり他の人の家に入ることはしないと思います。家を心と置き換えても同じかと思います。私たちが心を開いて、主イエスをお迎えしない限りは、無理やり主イエスが私たちの心に入ってくることはないのだと思います。ですから信仰によって救われるという体験が重要なのだと思います。福音を信じるということ、主イエス・キリストを救い主として信じるということは、私たちの心を開いて、主イエス・キリストを私たちの心の中にお迎えすることなのだと思います。
ここでこの二人は主イエスを無理に引き止めたのです。強く勧めたということです。そろそろ夕方になります。日も傾いてきました。暗くなると旅は危険です。お腹も空いてきました、村につけば家には食事と宿が用意されています。どうぞ一緒に、入ってください。一緒にお泊まりください、と彼らは願ったのです。主イエスは彼らの招きに応じて家に入ったのです。食事を共にするというのは、ユダヤ的には信頼関係があるということを示しています。親しい関係であることの表現であるのです。
■目が開け、イエスだと分かった
次に、本日の聖書の箇所の30〜31節を見ますと、『一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。』とあります。彼らの霊的な目が、開かれたのです。ここでの主イエスは、主人、ホストの役割を果たしておられます。そのことはパンをとって、それを裂いて彼らに渡したという行為に現れています。主イエスはパンを取って、神様を誉め讃え、つまり神様の御名を祝福したのです。よく私たちはパンを祝福するとか、食事を祝福するとかという言い方をしますが、ユダヤ的にはパンを与えて下さった神様を讃えているのです。神様の御名を祝福しているのです。そして、主イエスはパンを裂いて、2人に渡されたのです。その時に、2人の目が開かれて、主イエスだと分かったというのです。2人は、あっと思ったと思います。
さて、前々回、空の墓に訪れた婦人たちが、輝く衣を着た二人の天使たちと出会って、最初の復活の証人となったということを、お話した聖書の箇所で、2つの重要なキーワード、『必ず』という言葉と『思い出す』という言葉があるということをお話しました。『人の子は必ず、』というのは、必ず、十字架で死に、3日目に復活するということなのです。『必ず』ということは、ここに強調点があるということが分かります。そして、もう一つのキーワードである『思い出す』という言葉で、何を思い出すべきなのかと言いますと、それは『まだガリラヤにおられたころ、(主イエスが)お話になったこと』です。その話の具体的内容は、『人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている』ということです。このことを婦人たちは『思い出した』のです。主イエスが十字架につけられたのちに、『必ず』、『復活する』ということを思い出したということは、復活した主イエスの姿は見えてはいないけれども、主イエスが復活されたということが事実なのだということを、ガリラヤから来た婦人たちは確信できたということなのです。
それでは、本日の聖書の箇所のキーワードは何なのでしょうか?それは、『目が開け』と『心は燃えていた』の2つの言葉であると思います。2人は、なぜ『目が開け』、主イエスであるということが分かったのでしょうか。主イエスが、パンを裂く仕草で分かったのでしょうか。彼らは主イエスが、5000人の給食で、パンの奇跡を行った時の、あのパンを裂く仕草を覚えていて、思い出して、『目が開け』たのでしょうか。あるいはパンを裂く時に、主イエスの両手の袖が下がったのを見て、主イエスの手首に十字架につけられたときの釘の跡を見たからなのでしょうか。ルカがそのような目撃証言についての記述を残していないということは、これらのいずれもがきっかけであったかもしれませんが、それらは決定的な出来事ではないということを示していると思います
■心は燃えていた
本日の聖書の箇所の32〜35節を見ると、『二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。』とあります。32節で、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と、2人は語り合っているのです。この2人の弟子は、感動したのです。2人は、何に感動したのでしょうか。『人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている』ということの必然性を、主イエスが旧約聖書全体を通して、説き明かされたということなのです。『人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている』ということの必然性を、旧約聖書によって説き明かすということを、この2人の弟子たちはそれまで聞いたことがなかったのかもしれません。主イエスは、旧約聖書に記されているメシア予言に関する箇所を次々と引用しながら、しかも、それらを密接に関連づけながら、神様のご計画の秘密を説き明かしたのだと思います。それまでバラバラであった聖書の知識が一つの糸を紡ぐように結び合わされたのだと思います。みことばが説き明かされるということは、そのような意味なのです。みことばが説き明かされることによって、2人の弟子は『心は燃えていた』という経験をしたのだと思います。ですから、2人の弟子たちは感動をして、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と、語り合うことが出来たのです。それでは、現代を生きる私たちの心も燃えるということが起きるのでしょうか。そのことを次に考えてみたいと思います。
■ジョン・ウェスレーの回心
プロテスタント教会の中のメソジスト派のルーツとなったイギリス人に、ジョン・ウェスレーという人がいます。ジョン・ウェスレーは1703年に、英国国教会の司祭(牧師)をしていたサミュエル・ウェスレーの子どもとして生まれました。そして、オックスフォード大学で、古典学、論理学、神学を講じつつ学生指導に当たる有望な大学教師として、教鞭を取っていました。そして、社会に出ていって生きる望みを失いかけている隣人に奉仕し、キリストの恵みを伝える『ホーリー・クラブ』を立ち上げるのです。ジョン・ウェスレーは、 あらゆる点でエリート中のエリートであったと言うことができると思います。 しかし、『ホーリー・クラブ』の活動が活発になると、学内で反発が広がり、理事や役員、そして教授たちから退職処分にする旨を申し渡されてしまうのです。そのようなときに、米国のジョージア州の総督オグレソープ将軍より、現地の先住民たちに福音を伝えるべき宣教師を送ってほしいという話があり、ウェスレー兄弟は1735年、大きな志を抱いてアメリカのジョージアに宣教師として渡航したのです。しかし、ビスケー湾に船が差しかかったとき、突然嵐に見舞われたのです。船はその激しい嵐によって大混乱に陥りました。しかし、その混沌とした中で歌声が聞こえてきたのです。それはドイツのモラヴィア兄弟団というクリスチャンの一団が、船が木の葉のように揺れている中で、胸まで水につかりながら賛美を歌う声で、彼らは信じられないほど平穏であったのです。驚いたウェスレーは、自分には何か足りないものがあると強く感じたのでした。
米国のジョージア州で、ウェスレーは現地の先住民たちへ熱心に伝道をしますが、ある日先住民の暴徒に襲われ、袋叩きにされてしまうのです。この時、通りかかったのがサヴァナの長官コーストンの姪に当たるホプキィという令嬢で、彼女の心を込めた手当てと慰めに心が癒やされたウェスレーは、彼女とたびたび会ううちに、ある時求婚したのでした。しかし、実はこの女性は別の青年と婚約を交わしていながら、ウェスレーをいいように弄んで(もてあそんで)いたのでした。さらに、上品な外見とは似つかずに、彼女はあちこちでウェスレーの悪口や、あることないことをふれ回ったので、町の人々は彼がとんでもない悪徳牧師と非難を始めてしまうのです。そして、ついには法廷にまで引き出されるに至って、ついにオグレソープ将軍はウェスレーをこれ以上現地に留めておけず、ウェスレーは辞任して、失意の中にイギリスに帰国することになるのです。ウェスレーは自信を喪失し、『自分には福音を語る資格があるのだろうか』、『自分は本当に救われているのだろうか』と思い悩む日々を過ごすのです。
そうした中、ウェスレーは或る日、ロンドンのアルダスゲート街で開かれた小さな集会に出席します。救いの確信を持てなかったウェスレーでしたが、重い心を引きずるようにして会場に着くと、『われ深き淵より汝を呼べり』というテーマのもとに、あの宗教改革者マルティン・ルターによって書かれた『ローマの信徒への手紙の序文』が司会者によって朗読されている時、彼の心は『不思議に熱くなるのを感じた』のです。その時の様子を、ウェスレーは日記に次のように記しています。
『夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、オルダアスゲイト街における集まりに行ったところ、そこで或る人が、ルタアのローマ人への手紙の序文を読んでいた。九時十五分ごろ、キリストを信じる信仰によって神が人心に働いて起こしたもう変化について、彼が述べていた時、私は自分の心があやしくも熱くなるのを覚えた。そしてキリストを、只ひとりの救い主であるキリストを信じた、と感じた。また彼は、私の罪を、私の罪をさえも取り去り給うて、私を罪と死との律法から救って下さったとの確証が、私に与えられた』。
このように記しているのです。この出来事によってそれまでウェスレーが自分自身の行為によって義と認められ得ると誤認していた救いの順序がついに逆転し、ルターが再発見した福音主義的な信仰義認への回心を体験し、これまで彼が望んできた『まことの宗教』を生き始めるスタートを切ることができたのです。そしてこの大いなる喜びを、一人でも多くの人々と共に分かち合いたいという願いに突き動かされ、再び大胆に伝道する者とされたのです。これが1738年5月24日、『ウェスレー回心記念日』と呼ばれる日に起きた出来事であったのです。そして、この後、メソジスト教会は大きな発展を遂げることになるのです。アルダスゲートの集会でのウェスレーの心は、本日の聖書の箇所の2人の弟子たちと同じ様に『燃えていた』のだと思います。
■神様との親しい交わり
前回お話ししましたように、主イエスによる聖書の説き明かしを聞いたことは、この2人の弟子にとって、真の信仰に至る上で、とても大切な体験となったと思います。主イエスによる聖書の説き明かしを聞いたことによって、それまでバラバラであった聖書知識が一つの糸を紡ぐように結び合わされたのだと思います。み言葉が説き明かされるということは、そのようなことが起きて来るような出来事だと思うのです。それ故、み言葉が説き明かされることによって、聞く人々の中に『心は燃えていた』という経験が起きてくるのだと思います。ですから、二人の弟子たちは感動をもって、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語ることが出来たのだと思います。
2人の弟子は『心は燃えていた』という経験をしたので、自分たちの目的地に着いても、さらに、より深く、もっと主イエスの話を聞きたいと思い、主イエスを自分たちの家に『一緒にお泊まりください』と無理に引き止めたのでした。主イエスは『なおも先へ行こうとされる様子だった』(28節)とありますのは、主イエスはこの2人に選択を問うているのです。もし、この2人の弟子たちの福音に対する関心が希薄であれば、それまでのことで、主イエスは去って行かれたと思います。しかし、2人の弟子たちは、自ら聖書が言わんとすることをより正しく理解しようとして、神様に尋ね求めようとして、主イエスの聖書の説き明かしに応答する時、遮れていた『目が開け』るのです。このことは神様の奇蹟的な業だと思います。
2人の弟子たちは主イエスに『一緒にお泊まりください。』と無理に引き止めました。原文では『私たちと共に泊まって下さい』となっています。ここで重要なことは弟子たちが自発に主イエスに『一緒にお泊まりください。』ということを願ったということです。『泊まる』という言葉は『とどまる、つながる』という言い方で用いられる言葉です。ギリシア語では、『メノー』という動詞で、新約聖書の中で118回使われ、その内67回がヨハネ文書に登場し、さらに40回がヨハネによる福音書で使われているのです。まさにヨハネによる福音書のキーワードと言うことができる言葉なのです。この言葉は、『自分の本来のあり方を見いだしたところにとどまる』ということを意味していて、神様との親しい関わりを持つことを示しています。ヨハネによる福音書15章5節には、『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。』とあります。み言葉が説き明かされて、『心は燃えていた』という経験は聖霊のみ業だと思います。私たちは、主イエスによって説き明かされた聖書の言葉にとどまって、歩んで行きたいと思います。
それでは、お祈り致します。
