| 黙 祷 | 【前奏】 | 啓示 | 着席 |
| 讃 美 歌 | 6 つくりぬしを賛美します | 応答 | 起立 |
| 招 詞 | 詩編 90篇 17節a | 啓示 | 起立 |
| 信 仰 告 白 | 使徒信条 (カードケース、93−4B) | 応答 | 起立 |
| 讃 美 歌 | 382 力に満ちたる | 応答 | 起立 |
| 祈 祷 | 【各自でお祈りください】 | 応答 | 着席 |
| 聖 書 |
テサロニケの信徒への手紙一 4章 13〜14節 (新約p.377) |
啓示 | 着席 |
| 성 경 | 데살로니가전서 4장 13〜14절 | ||
| New Testament | The First Letter of the Thessalonians 4:13-14 | ||
| 圣 经 | 帖撒罗尼迦前书 4章 13〜14段 | ||
| 讃 美 歌 | 108 眠れ、主にありて | 応答 | 着席 |
| 説 教 |
『主と共にいる』 沖村 裕史 牧師 |
啓示 | 着席 |
| 祈 祷 | 応答 | 着席 | |
| 奉 献 | 応答 | 着席 | |
| 主の祈り | (カードケース、93−5B) | 応答 | 着席 |
| 報 告 | 【ご報告欄参照】 | 応答 | 着席 |
| 讃 美 歌 | 385 花彩る春を | 応答 | 起立 |
| 祝 祷 |
沖村 裕史 牧師 |
啓示 | 起立 |
| 後 奏 | 啓示 | 着席 |
【説 教】 牧師 沖村 裕史
■生と死の距離
京都・東山の一角に日本バプテスト病院というキリスト教系の病院があり、神学部の学生たちのための臨床牧会訓練の場を提供してくださっています。そこでの学びの体験を記した、こんな一文があります。
クラスの最初の時間、わたしたちは病院の中を見学した。総合病院なので、外科や内科などのいろいろな医療部門と設備、病棟などを見てまわる。新生児室では、生まれたばかりの赤ん坊を看護師さんがわざわざ抱いて見せてくれた。外来患者の待合所では、年齢も病状もさまざまな男性や女性が出入りするその様子を見ることもできた。
さらに続きます。
病院の中心的な建物を一通り見学した後、わたしたちは外に連れていかれ、すぐそばにある平屋立ての粗末な建物に入った。そこには六畳くらいの部屋が二つ並んでいた。最初の部屋は霊安室だった。その時、遺体は置かれていなかったが、ベッドがあり、枕元に十字架があり、周りは黒い布で覆われていた。ドアひとつを隔てた次の部屋にも、同じくベッドが置かれていたが、全体として白っぽい部屋で、周囲には洗面器のようなもの、ホウロウ製の大小さまざまな器、細かい器具が置かれていた。そこは解剖室だった。しばらく前に解剖した人の脳や臓器などをホルマリンで漬けた容器があり、実際にそのいくつかを見せてもらった。人間の脳は豆腐のように柔らかいので、保存する時には液体の中に浮かせるのだという説明を聞きながら、病院とは病気やけがを治すだけでなく、死とも関わる場所なのだということにはっきりと気づかされた。
そして、こう結ばれます。
小さな建物から外に出て、上を見ると四階建ての病院本部の建物が目の前にあった。その建物の新生児室では、さっき生まれたばかりの赤ん坊のしわくちゃの顔を見たばかりだった。そして解剖室の中でも、しわだらけの人間の脳を見た。距離にすればわずか数十メートル、時間にしても一分と離れていない距離の中に生と死が存在する。その現実を真昼の空の下で実感した日だった、と。
人間はそれぞれに異なる人格を持ち、それぞれの人生を送るのですが、二つだけすべての人に共通する事実があります。一つは「誰もがいつかどこかで生まれてきた」という事実、そしてもう一つは「誰もがやがていつかどこかで死んでいく」という事実です。この二つの事実こそが、わたしたちすべてのものに共通する根本的な現実です。わたしたちの人生とは、誕生と死によって区切られた時間の間に展開する出来事なのです。
ところがその一方で、現代社会に生きるわたしたちにこうした生と死の現実が見えにくくなってきている、ということも事実です。より正確に言えば、見えにくくされている、意識的にまた無意識のうちに、この大切な問題がわたしたちの生活から遠ざけられ、隠されています。
今日、多くの人は自宅で死ぬことなく、病院や施設の中で生涯を終えるようになりました。そうした中、幼い子どもたちが実際に人が死ぬ場面に直面することはほとんどありません。大人でさえ、そういう実感を覚える間もなく、病院や葬儀社、そして僧侶や牧師によって、愛する者の死がきわめてスムーズに処理されていく状況に立ち会うことになります。死というものが、昔よりもはるかに「きれいごと」として、すばやく処理されていくシステムが整えられているのです。
死はマイナスの価値しか持たず、日常とは切り離された異次元のこと、異常なこととして取り扱われる傾向が強くなっています。他方、「長寿」「健康」といったことがプラスの価値であり、日常生活の理想であり、幸福のシンボルであるかのように信じられているのが、わたしたちの社会です。
しかし、そうした特定の価値だけを認め、これに当てはまらないものは「見まい、聞くまい、かかわるまい」とする世界は、やはり問題があるといわなければなりません。なぜなら、先ほども言ったように、わたしたち人間はもともと「死すべき者」として造られている、という根本的な真理が見失われてしまうからです。
■メメント・モリ(死を覚えよ)
今、わたしたちは天に召された兄弟姉妹を覚えてこの礼拝を守っています。ご家族、ご友人、この教会で共に信仰生活を送った方など、さまざまな交わりとつながりの中で、みなさんは今、この場に集っておられます。召天された方々の名前を記した名簿を目にしながら、わたしたちはそれぞれの懐かしさと寂しさ、さまざまな胸に迫る思いをもって、神のみもとに召された方々のことを想い起こしています。
しかしまた、今日、わたしたちはそのように召された人々のことを記念するだけでなく、もう一つ、何よりもわたしたち自身にとって重要なことがらを覚えたいと思います。それは、今、わたしたちは「生きている者の側」から、「こちら側」からこの礼拝を守っているわけですが、やがていつの日かわたしたちもまた「向こう側」から、「召された者の側」からこうして礼拝を守る時がやって来るということです。「永眠者」名簿の中に、わたしたちの名前が記される日が必ずやって来るのです。
その意味で言えば、この礼拝は、召された方々を想い起こすと共に、わたしたち自身の死を覚え、そしてその死に至るまでのわたしたちの生、わたしたちの生き方を顧みる時でもあります。
「死を覚える」ということについていえば、中世の修道士たちは日々の挨拶として、「メメント・モリ」という言葉を絶えず言い交わしていたということをご存じでしょうか。「メメント・モリ」、これはラテン語で、「死を覚えよ」という意味です。一日の始まりから終わりに至るまで、日々刻々、自分のいのちに終わりがあることを覚え、だからこそ、今を生きることの大切さを自覚し、神に従って生きる人生を志すという、クリスチャンとしての原点を確認する挨拶、それが「メメント・モリ」でした。
これと似た修行が仏教にもあります。「観骨行」といいます。人と会う時、肉親であれ異性であれ、肉眼で見るその人の顔かたちにとらわれることなく、その皮膚や肉を剥ぎ取っていった後に残るであろう骨を、心の中で想像する修行です。そうすることで、相手に対する世俗的な愛や憎しみの思いを断ち、利己的な執着の念を乗り越えていこうとする訓練の一つであるといいます。
わたしもときどき、目を閉じて自分の顔の骨に触ってみることがあります。目の穴の周辺をなぞったり、上顎と下顎の接合する部分、口を開け閉めするとガクガクするような部分を触ったりしていると、「ああ、なるほど自分の顔は骸骨、されこうべなんだ」という実感がわきます。他の人からは怪しげに見られるかもしれませんが、わたしにとっては死と生の不思議を確認する、わたしなりの「メメント・モリ」「観骨行」であると思っています。
やり方はともあれ、こうした「メメント・モリ」の試みは、現代こそ、より深く考えてみる必要のある、とても大切なことではないでしょうか。
四〇年以上も前のこと、アメリカに行った友人からこんな話を聞きました。
ある教会に行ったとき、教会の玄関を入ってすぐの所に大きな大理石の壁があって、そこに縦横数十センチくらいの四角の線がいくつも切ってあり、それが引出しのようになっていた。その教会の牧師が「これを何だと思う」と聞くので「分からない」と答えると、彼はニコッと笑いながら、それが教会員の遺骨を納めるための場所であり、彼のアイディアで作ったのだと教えてくれた、といいます。
中世の教会では、死者を教会の床下に葬る習慣があったと聞いたことがあります。また教会の一角に納骨堂を設けている教会は今でも多くあります。しかし、教会の玄関を入ってすぐの場所、教会を訪れる人の誰もがまず最初に立つ場所、しかもとても明るく開放的な場所に、遺骨が納められているのを見ることはなかなかありません。
この世にあった時に、教会の親しい友であり、また働き手として教会を支えていた人々が、死後もまた文字どおり、友として、働き手として今も教会を支える「壁」として立ち、人々は礼拝に集うたびにこの壁を目にし、生と死の現実を、そしてそれを越えて結ばれる信仰の交わりを確認するのです。壁は、その存在自体が「メメント・モリ」を語る壁です。そしてそれは、クリスチャンとしての生と死とは何かを雄弁に語り、教会員をいのちの神秘へと導く、声なき声そのものです。
方法や形式はどうあれ、教会、そして礼拝というものは、つねにどこかで「死を覚えよ」というメッセージを告げるものでなければなりません。なぜならキリスト教は、「すべての人は死に定められている」という、一見、何の希望も喜びもないところ、文字どおり「どんづまり」のところから「生きる」ということを考え、教えようとするものだからです。言い換えれば、聖書の信仰とは、「死から生を見る」「終わりから今この時を見つめ直す」ことを通して、わたしたちの人生の意味を発見しようとするものです。
■死と復活のいのち
ヘンリ・ナウェンの記した『闇への道、光への道』(こぐま社)の中に、アシャー・レヴというユダヤ人画家が子どもの時に体験した、父親とのこんな会話が出てきます。
「家のそばの歩道に横たわっている小鳥を見ている父の様子を…わたしは描いた。
『死んでる、パパ?』そのときわたしは六歳で、自分ではとてもそれを見る気になれなかった。
『うん』父の声は悲しそうで、遠くから伝わってくるかのようだった。
『なぜ死んだの?』
『生きているものはみんな死ななければならないのだよ』
『みんな?』
『そうだ』
『パパも?ママも?』
『そうだ』
『ぼくも?』
『そうだ』そして父はイーディシュ語でつけくわえた。『だが、願わくは、お前は長い、うつくしい一生の後に死を迎えることになるように、アシャー』
わたしにはその意味がわからなかった。見たくなかったけれども、小鳥を見た。生きているものはみんないつかこの小鳥のように動かなくなってしまうのだろうか。
『どうして?』
『永遠の主(リボノ・シェル・オロム)はそのように世界をお造りになったのだ、アシャー』
『なぜ?』
『命を貴いものとするためにだよ、アシャー。いつまでも自分のものにしておけるようなものは、けっして貴くないのだ』」
不思議な言葉です。
「いつまでも自分のものにしておけるようなものは、けっして貴くないのだ」
死をマイナスの価値と見なし、「自分のものが奪われること」としか考えない社会の中では、死によって「命の貴さ」が確認される、という考え方は異質のものかもしれません。しかし、「神が与え、神が取られるのだ。神はほむべきかな」と叫んだヨブの言葉に表されるような、ユダヤ・キリスト教の伝統では、死でさえも、神の量り知れないご計画のもとで、生を意味あるものとし、この世界を意味あるものとするための出来事なのです。
神ご自身がいのちを限りあるものとされたということは、神秘の、神の領域に属することがらだといわなければなりません。死そのものが何であるか、死者に何が待っているか。そうした問いを問い求めすぎることは、わたしたちには禁じられているのです。カルヴァンもこう言います。
「神がわれわれに知ることを許されたことを越えた未知のことにまで詮議をすすめることは、愚かでありまた僭越である。聖書は、キリストが彼らとともにおられ、彼らが慰めを受ける天国に迎えて下さり、捨てらるべき者の魂は、彼らにふさわしい苦痛を受けるということを言明するだけで、それ以上には何もいっていない」(カルヴァン『キリスト教綱要抄』新教出版社)
もっとも肝心なことは、ここでカルヴァンが記しているように、キリストが彼ら彼女らと共にいてくださる、ということでしょう。このことは初期教会において、パウロがテサロニケの教会の信徒たちに語ったことでもありました。パウロは次のように記しています。
「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」(四・一四)
イエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストと同じように復活する。イエス・キリストにあって死んだ者は、イエス・キリストと同じように、死にとどめおかれることはないというのです。
イエス・キリストは、死という最後の力を打ち破り、絶望と虚無の中から新しい復活のいのち、新しい真に意味ある生へとわたしたちを導き出してくださる方です。今この時、この世にあって神を信じ、イエス・キリストに従う生を選び取ることは、それによってわたしたちがすでにこの復活のいのちへ、新しい真に意味ある生へと招き入れられているということにほかなりません。
この世の生と死の距離はわずか数メートル、数十メートルにすぎず、わたしたちはつねに「メメント・モリ」の現実の中に置かれているとしても、その世界の中でわたしたちが喜び感謝することができるのは、まさにこの復活のキリストとの交わりに結ばれているからです。
そしてこの交わりは、今ここにいるわたしたちと天に召された兄弟姉妹を結ぶ交わりでもあります。主にあって死を迎えるわたしたちには、絶対的な絶望はありません。死は絶対の終わりではなく、死を越えて結ばれる交わりをわたしたちは信じているからです。
この恵み、この祝福を覚えながら、今日、この「永眠者記念礼拝」に、天にいる兄弟姉妹と共に感謝の祈りをささげ、賛美の歌声を挙げようではありませんか。
