小倉日明教会

『泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。』

マタイによる福音書 2章 13〜23節

午後7時00分〜

2025年12月24日 クリスマス燭火礼拝

マタイによる福音書 2章 13〜23節<br />

『泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。』

【奨励】 川辺 正直 役員

黙   祷 【前奏】 啓示  着席
讃 美 歌 54 聖霊みちびく神のことばは 応答 起立
招   詞 エレミヤ書 31章 15〜17節 啓示 起立
信 仰 告 白 使徒信条 (カードケース、93−4B) 応答 起立
讃 美 歌 250(1〜3) 主にある人々 応答 起立
祈   祷  【各自でお祈りください】       応答 着席
聖   書

マタイによる福音書 2章 13〜23節

                                                (新約p.2)

啓示 着席
성  경 마태복음 2장 13절〜23절
New Testament The Gospel According to Matthew 2:13-23
圣  经 马太福音 2章 13〜23段
讃 美 歌 250(4〜6) 主にある人々 応答 着席
奨   励

『泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。』

       川辺 正直 役員

啓示 着席
祈   祷 応答 着席
奉   献 応答 着席
主の祈り (カードケース、93−5B)  応答 着席
報   告 【ご報告欄参照】 応答 着席
讃 美 歌 259 いそぎ来たれ、主にある民 応答 起立
祝   祷

平和の挨拶

司式者:人の思いと願いを超えたキリストの平和が、あなたがたと共にありますように。

会衆:また、あなたと共にありますように。アーメン。
啓示 起立
後   奏 啓示 着席

【奨 励】                        役員 川辺 正直

■ベートーヴェンとカール・アメンダ

 おはようございます。ベートーヴェン(1770年〜1827年)は、耳が聞こえない作曲家であったということをご存じの方は多いかと思います。しかし、いつ頃から耳が聞こえなくなったのかということをご存じの方は多くないかと思います。ベートーヴェンの聴力は、26歳ぐらいから、どんどん低下してゆくのです。ピアノソナタ8番が書かれたのが1798年ですので、ベートヴェンが28歳の時です。ピアノソナタ8番が書いたときから、翌年にかけて急激に聴力が落ちて行くのです。音楽家として最も大切な五感の一つである聴力がどんどん失われてゆくという、その時の心境で、ピアノ・ソナタのタイトルを『悲愴』にしたのです。ベートヴェンのすべての作品を合わせますと、全部で138になるのですが、138の作品の中で、ピアノ・ソナタは32曲あるのですが、耳が正常な状態で作ることができた曲というのは、ピアノ・ソナタの1番だけなのです。

 ベートーヴェンは、20歳の時にお母さんを失い、しかも、アルコール中毒のお父さんがいたのです。彼はお父さんに禁治産の宜告を下し、弟たちの養育責任を引き受けたのです。22歳でウィーンへ向かって以降、故郷を再び見ることもなく、生涯、家族も持たなかったのです。彼は常に病気がちで、成人してからは聴覚障害者となり、少なくとも人生の最後の十年間は、まったく耳が聞こえなかったのです。

 そのような過酷な人生を歩んだベートーヴェンが、自分の聴力はどんどん失われているのだということを、初めて打ち明けた相手という人がいるのです。カール・アメンダという人物なのです。聴覚障害が明らかになってからは、人に弱みを見せたくなくて、人付きあいをさけるようになったベートーヴェンが、どうしてこの人物にだけは心開いたかといいますと、カール・アメンダという人は、牧師であり、哲学者でもあり、同時に超一流のバイオリニストでもあったのです。ベートーヴェンは彼のためにも、曲を書いているのです。つまり、ベートーヴェンの信仰的なことや内面的なことだけではなく、ベートーヴェンの芸術についても深い理解と共感を示すことができる人だったのです。それで自分の音楽上の問題や悩みについて、アメンダに何でもぶっつけて行くのです。そして、時には『涙ながらに君に言うよ、僕は何度か自分のいのちを絶とうとした』と、弱音を吐いたり、神様に対する怒りのようなことまでも、アメンダには信頼して、ぶつけたりすることができたのだそうです。そして、ベートーヴェンの怒りや苦悩を聞かされても、アメンダは、説教がましいことは、一度も言うことなく、『僕も君の心と同じで、胸が張り裂けそうだ』と言うことで、しっかりとベートーヴェンを受け止めたのです。完全失聴や聴覚障害を患った作曲家にウィリアム・ボイスやガブリエル・フォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、善意の聞き手であるアメンダが、音楽家としての悩みの深刻さもよく理解したうえで、受け止めたからこそ、ベートーヴェンは途中で人生を投げることもなく、多くの重要な作品を書くことができたのだと思います。

 本日の聖書の箇所も、主イエスの降誕物語として非常によく知られている箇所です。本日の聖書の箇所では、ヘロデ王によって、ユダヤのベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子が一人残らず殺されるという悲惨な事件が起きています。神様は、殺された男の子たちの魂と、子どもを喪ったお母さんたちの悲しみとをどのように受け止めされたのかということを考えながら、本日の聖書の箇所を読んでゆきたいと思います。

■子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい

 本日の聖書の箇所のマタイによる福音書2章13〜15節を見ますと、『占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。』とあります。ここで、『占星術の学者たちが帰って行くと、』とありますことから、前回お話しました東方の占星術の学者たちが、幼子イエスへの訪問を終えて、帰って行った時のことだということです。

 この聖書の記事は、呑気にのんびりと読むことはできない箇所だと思います。というのは、もう刻々と事態が変化しているのです。一刻を争う時なのです。その時に、再び天使が夢に現れて、ヨセフに告げるのです。何て告げたかというと、『起きて、』逃げなさいと言うのです。誰を連れてと天使は言っているのかと言いますと、『子供とその母親を連れて、』と言うのです。天使は、なぜあなたの息子を連れてと言わないのでしょうか。ヨセフと主イエスの関係は何かと言いますと、ヨセフは主イエスにとっては義理のお父さんになるのです。ですから、『子供とその母親』という記述になっているのです。次のポイントは、『子供とその母親』ということです。その母親とは誰のことかと言いますと、マリアのことなのです。『子供とその母親』、どちらが先に書かれていますかと言いますと、主イエスが先になっています。従って、この物語の中心にいるのはマリアではなくて、幼子イエスであるということが分かります。主イエスの命を奪うかどうかというドラマが、今ここで進展しているからです。

 天使は、どこに逃げろと言ったのでしょうか。『エジプトへ逃げ』るように言ったのです。ベツレヘムからエジプトの例えば首都であったアレクサンドリア(現在のカイロ)までは約690kmの距離があります。北九州市の小倉駅から新幹線で690kmと言いますと、静岡県の掛川駅が676km、静岡駅が725kmですので、掛川駅と静岡駅の中間くらいの距離となります。一言で、逃げると言っても、簡単な距離ではないことが分かるかと思います。主イエスの時代の記録に基づくと、アレクサンドリアの総人口は約50万人から60万人とされており、そのうちの約3分の1がユダヤ人であったと考えられています。従って、約20万人のユダヤ人がアレクサンドリアにいたわけですから、ユダヤ人共同体もあり、その中に紛れて同胞と共に安心して住むことができた、そういう逃れの地になっていたのです。

 ヨセフは、天使の言葉に対して、『ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、』(14節)とありますように、もう急いで行動に移しているのです。クリスマス物語の中での天使の言葉に対するヨセフの応答を見ていますと、マリアは精霊によって身ごもったのだよという話を聞いた時も、すぐにマリアを家に引き取っています、そして、本日の聖書の箇所でも、『子供とその母親』という血が繋がっていないことを思い知らされるような言い方をされても、そして、エジプトまでの逃避行が大変であっても、ヨセフは天使の言葉に従順に従って、すぐに行動を起こしています。ヨセフの信仰が語られることは少ないかと思いますが、ヨセフは本当に信仰の人であったと思います。

 この2章13〜15節の物語の結論が、15節の後半です。15節の後半には、『それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。』とあります。この箇所を読みますと、皆さんも疑問に思われたかと思います。今日の聖書の箇所で、主イエスはエジプトに入ったわけなのに、福音記者マタイは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と書き記しているのです。入ったことが、なぜ呼び出したことになっているのかということを考えたいと思います。この箇所で、マタイが引用しているのはホセア書の11章1節なのです。ここで注目しなくてはいけないのは、ホセア書の11章1節というのは予言ですらないのです。ホセア書の文脈で、何が語られているかと言いますと、神様が、イスラエルの民をどれくらい愛されたかと言いますと、神様は出エジプトの出来事によって、イスラエルへの愛をたっぷり表現されたのです。イスラエルは私の子なのだと言うことです。それなのに、イスラエルは神様に対する背信の民だというのが、預言者ホセアのイスラエルの民に対する神様からのメッセージになっているのです。

 ここでマタイがやっていることは、主イエスがエジプトに行ったという歴史的事件を取り上げて、そして出エジプトの事件と関係があるよと言っているのです。この2つの事件の間には、型と、オリジナルの関係があるのです。型というのは、派生したタイプということです。そして、オリジナルというのは、元々の本体ということなのです。それはどういうことかと言いますと、出エジプトの出来事は派生した型なのだ、元々のオリジナルは主イエスの方にあるということを言っているのです。出エジプト記で、エジプトから逃れ出てきた民は、神の子たちです。主イエスは、神の子の中の神の子です。だから、イスラエルの歴史の中で起こった出エジプトという出来事は、型であって、元々のオリジナルは主イエスのこのヘロデの企みからの脱出にあるのだと、マタイは言っているのです。そうするとだんだん分かってくるのは、出エジプトの出来事がなければ、イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態の中で殺されていた。出エジプトによって、彼らが助かったように、神の中の神の子である主イエスはヘロデの脅威から、助かったのは、ちょうどイスラエルの民がエジプトから救出されたのと同じことが、ここで起こったのだ。だから、この方は神の子の中の神の子メシアなのだよというのが、マタイがこの箇所で展開している論理なのです。

■激しく嘆き悲しむ声

 それでは、主イエスがエジプトに逃れた後、ヘロデはどうしたのでしょうか。次に、本日の聖書の箇所の16〜18節を見ますと、『さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」』とあります。ここで、『さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。』とありますが、占星術の学者たちは神様の言葉に従っただけで、ヘロデを騙した訳ではありません。しかし、ヘロデは騙されたと思ったのです。そして、ヘロデは『ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた』のです。当時、ベツレヘムの人口がどれくらいで、2歳以下の男の子は、どれくらいなのだろうかと言いますと、当時のベツレヘムは非常に小さな村(集落)で、人口は約300人〜1,000人程度であったと考えられています。従って、2歳以下の男の子の数は、約6〜20人前後ではなかったかと考えられています。周辺一帯を含めたとしても、多くて20〜30人程度であったというのが、現代の歴史的な定説となっています。

 20〜30人くらいの幼い子どもが殺されたことの結論が、17〜18節です。『こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」』とあります。ここで、福音記者マタイがやっていることは実際の歴史的出来事を取り上げてその中に、類似点が一つでもあればそれが成就したという言い方をしているのです。この箇所で、マタイはエレミア書31章15節を引用しています。このラマという地名ですが、これはエルサレムの北9kmにあるベニヤミン族の領地の町です。北イスラエルとユダの境界線に位置しています。この『ラマ』はやがてエルサレムの民であるユダヤ人の息子たちがバビロンに捕囚として連行されていくときの集合地となった場所です。そして、そこからバビロンに向かうのです。息子たちが連行されていく後を、母親たちがついてきています。彼らは嘆いています、泣いています、その、嘆いている姿を、ラケルが泣いているという様に表現したのです。ラケルという女性の名前は、イスラエルのお母さんたちの象徴です。なぜかと言いますと、ラケルは大変悲しい思いをしたことがあるからなのです。

 ラケルはヤコブの最愛の妻です。だれの目にも美しく愛らしい女性であったようです。しかし、その結婚生活は必ずしも幸せとは言えないものだったのです。それは夫のヤコブにもう一人の妻(自分の姉レア)がいたからです。夫のヤコブはラケルを愛し、優しかったのですが、当時のユダヤにおける妻としての実力という点では、明らかに姉のレアの方が勝っていました。それは、レアは多くの子(男子)を産んでいたからです。ラケルはその意味で、家庭での立場は苦しいものだったのです。レアが6人の息子と1人の娘を産んだあとに、ラケルははじめて息子のヨセフを産んでいます。ヤコブにとっては、11番目の子どもでした。ヨセフという名前は母ラケルが付けた名前です。その名前は、『主がもうひとりの子を加えてくださるように』という意味で、願いを込めてつけられた名前です。ラケルの祈りは聞かれて、もうひとりの息子(ヤコブにとっては最後の息子)が生まれるのです。ところが、その息子の出産は大変な難産でした。子どもは無事に生まれましたが、ラケルはそのお産によって命を落とすことになるのです。

 祈りが聞かれて与えられた子は、お母さんの肌のぬくもりも、顔も知ることなく生きて行かなければならないことを思ったとき、それだけでもラケルは胸が締めつけられる悲しみを覚えたと思います。それ故、ラケルはその子を『ベン・オニ』(悲しみの子)と名付けたのです。ラケルの気持ちのすべてが、その子どもの名前に表されているのです。ところがヤコブは、縁起でもないと思ったのか、その子の名前を『ベニヤミン』(右の手)と改名してしまうのです。しかし、ラケルの遺言はどこまでも『悲しみの子、ベン・オニ』なのです。生まれたばかりの子を残して悲嘆のうちにこの世を去らなければならなかったラケルの心の痛みを、だれよりも深く理解した人物がいました。この人物こそ預言者エレミヤなのです。ここにラケルとエレミヤとのつながりがあります。エレミヤはバビロンに連行されかけますが、このラマで釈放されています(エレミヤ書40章1節)。バビロンによってユダ王国の首都エルサレムと神殿が崩壊し、多くの民たちがバビロンの地へ捕囚となる現実が近づきつつある頃に、エレミヤが語ったのが、エレミヤ書31章15節の言葉である『主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。』であったのです。

 『ラマ』は神の民が経験した想像を超えた悲しみの象徴的な場所なのです。そして、やがてバビロンへと捕囚の運命にある同胞の痛恨の声に、死の床で生まれたばかりの子との離別を強いられた母ラケルの痛恨の声とが入り混じった声―その声をエレミヤは聞いたのです。まさに、『ラケル』は自分の子を失い、自分の国を失い、心の支えを喪失したすべての者の象徴的な存在なのです。

 ここで、本日の聖書の箇所で、『ベツレヘム』で起きたことと、『ラマ』で起きたこととの違いを見てみたいと思います。まず、場所が違います。エレミアの時代は『ラマ』ですね。主イエスの時代は、『ベツレヘム』です。また、エレミヤの時代はバビロン捕囚ですが、主イエスの時代はヘロデによる殺害なのです。このように、『ラマ』で起きたことと、『ベツレヘム』で起きたこととは異なっているのです。しかし、共通している点は何かと言いますと、息子を失い、2度と会えないという意味で、1つの点だけ類似点があるのです。それを、マタイは取り上げて、今日の聖書の箇所でベツレヘムのお母さんたちが嘆き、悲しんだ、このことはイスラエルの歴史でいうと、ラマでラケルが、そして、イスラエルのお母さんたちが泣いた、この出来事と同じなのだよと言っているのです。このように聖書では、預言的な啓示は、神様の歴史において何度も繰り返され、最終的な成就を示唆しているのです。それでは、ベツレヘムでのお母さんたちの悲しみと、ラマでのラケルとイスラエルのお母さんたちの悲しみは、何によって癒やされるのでしょうか。そのことを次に考えてみたいと思います。

■娘の宿題

 学校の宿題で話題となり、『きみはいい子』という映画でも取り上げられ、一部ではかなりの物議も醸した賛否両論の宿題があります。それは『家の人に抱っこしてもらう。』という宿題なのです。この『家の人に抱っこしてもらう。』という宿題について、次のような話があります。

 小学1年生の娘さんが家に帰って来ます。たまたまお父さんが早番で帰ってきていて、『おかえり。宿題何かあったの』と尋ねます。そうすると娘は、『うん。今日の宿題、とっても楽しい宿題なの。家の人たちみんなに抱っこしてもらうというのが宿題なの』と言うのです。それで、お父さんは、『おお、そうか。じゃあまず父さんが抱っこしてあげよう』と言って、抱っこをします。次に、お母さんが抱っこして、おじいさんが抱っこして、ひいおばあさんが抱っこして、そして彼女の2人のお姉さんも抱っこしてくれたのです。

 次の日、また娘さんが学校から帰ってきたので、お父さんは、『こんなに楽しい宿題だったら、みんなやってきただろう』と尋ねたのです。このお父さんの質問に娘さんは、『うん。でも一人やってこなかった子がいるの。わたしはね、クラスの中で一番たくさんの人に抱っこしてもらったということだったのだけど、でももっとわたしがうらやましいなと思う子が一人いたのよ。家に帰っても、誰にも抱っこしてくれる家族がいなかったという子がいたら、先生は怒るかなと思ったの。そしたら、先生はその子のところに行って、何回も何回も何回も抱っこするので、わたしはうらやましかった』と言ったというのです。

 なぜ先生は、宿題を守れなかった子どもを何度も抱っこしたのでしょうか。この先生は、不幸な家族であればあるほどその子の心の傷を埋めたいと思ったのだと思います。それでは、ベツレヘムでのお母さんたちの悲しみと、ラマでのラケルとイスラエルのお母さんたちの悲しみは、何によって癒やされるのかと、聖書は伝えているのでしょうか。

■泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。

 先程、お読みしましたエレミヤ書31章15節の言葉は、それだけで完結するものではないのです。それに続く、エレミヤ書31章の16、17節が記されていることを見落としてはならないと思います。16、17節を見ますと、『主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る』とあります。ここでエレミヤは、悲嘆にくれ、安易な慰めを拒んでいる同時代のイスラエルのお母さんたち(霊的なラケル)に、目の涙を拭いて、希望を持って生きることを力強く語っているのです。主イエスの出現によって殉教した幼子たちの死、そこにも多くの母ラケルがいたのです。そのラケルたち(母たち)の涙を拭くことのできる方は、エジプトからもう一度、イスラエルの歴史を踏み直してくださる主イエスなのです。主なる神様は、嘆き悲しむ全ての時代の霊的なラケルであるお母さんたちに、『泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい』と語りかけていると言うのです。連れ去られた息子たちは敵の国から帰って来る、だからあなたの未来には希望がある、と告げておられるのです。子どもたちを殺された母親たちの、慰めをも拒む深い悲しみ嘆きに対しても、主なる神様がこのような救いと希望を告げておられることをマタイは示そうとしているのです。

 しかし、この救いと希望は、本日の聖書の箇所の時点ではまだ実現していません。今目に見える形であるのは、慰めをも拒むような深い悲しみ嘆きの現実です。救いと希望はまだ隠されているのです。それが実現するのは、ヘロデ王の死後、エジプトから帰還し、ナザレの町で育ち、『ナザレのイエス』と呼ばれるようになった主イエス・キリストが、神の国、神の恵みのご支配の到来を告げて下さり、様々なみ業によってそれを示して下さり、そして十字架にかかって死んで下さったことによってなのです。ヘロデがまことの王として生まれた主イエスを抹殺しようとしたように、自分の人生に於いて小さなヘロデであろうとする私たちも、主イエスを王として迎えることを拒み、自分が王であり続けようとしています。その私たちの罪のゆえに、主イエスは十字架につけられて殺されたのです。つまり私たちの罪が主イエスを殺したのでもあるのです。しかし、父なる神様は主イエスの死を、私たちの罪を全て贖う、贖いの死として下さいました。そして、主イエスを復活させ、永遠の命を与えて下さったことによって、私たちの罪を赦し、私たちをも神の子として、復活と永遠の命を与えると約束して下さったのです。主イエスの十字架と復活によってこそ、神様による救いと希望は実現したのです。『泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの未来には希望がある』という神様のメッセージは、主イエスの十字架と復活によってこそ実現したのです。そして、その救いと希望は、主イエスがこの世に来られたことによって始まったのです。私たちは、ヘロデ王の陰謀から逃れ、エジプトから帰還した主イエスを今日のクリスマスで心よりお迎えしたいと思います。

 それでは、お祈り致します。