小倉日明教会

『キリスト・イエスの僕』

ローマの信徒への手紙 1章 1〜7節

午前10時30分〜

2026年1月18日 降誕節第4主日礼拝

ローマの信徒への手紙 1章 1〜7節<br />

『キリスト・イエスの僕』

【奨励】 川辺 正直 役員

黙   祷 【前奏】 啓示  着席
讃 美 歌 12 とうときわが神よ 応答 起立
招   詞 イザヤ書 49章 1〜3節 啓示 起立
信 仰 告 白 使徒信条 (カードケース、93−4B) 応答 起立
讃 美 歌 300 十字架のもとに 応答 起立
祈   祷  【各自でお祈りください】       応答 着席
聖   書

ローマの信徒への手紙 1章 1〜7節

                                        (新約p.273)

啓示 着席
성  경 로마서 1장 1절〜7절
New Testament The Letter of Paul to the Romans 1:1-7
圣  经 罗马书 1章 1〜7段
讃 美 歌 401 しもべらよ、み声きけ 応答 着席
奨   励

『キリスト・イエスの僕』

       川辺 正直 役員

啓示 着席
祈   祷 応答 着席
奉   献 応答 着席
主の祈り (カードケース、93−5B)  応答 着席
報   告 【ご報告欄参照】 応答 着席
讃 美 歌 507 主に従うことは 応答 起立
祝   祷

平和の挨拶

司式者:人の思いと願いを超えたキリストの平和が、あなたがたと共にありますように。

会衆:また、あなたと共にありますように。アーメン。

啓示 起立
後   奏 啓示 着席

【奨 励】                      役員 川辺 正直

■ジェームズ・キャメロン監督を動かした手紙

 おはようございます。『ターミネーター』や『アバター』などの世界的に大ヒットしたシリーズの映画監督として有名なジェームズ・キャメロン監督が、現在、製作準備を進めている新作映画は広島・長崎への原爆投下を題材とする『Ghosts of Hiroshima(原題)』という映画なのです。原作は、アメリカ人作家チャールズ・R・ペレグリノによる『The Last Train From Hiroshima: The Survivors Look Back』およびその改訂第2版の『To Hell and Back: The Last Train From Hiroshima』という日本への原子爆弾投下直前、投下中、投下後の広島と長崎での生活を描いた本なのです。物語は、日本政府によって両方の攻撃のピカドン(閃光弾)を生き延びた唯一の人物であると確認された被爆者(爆発の被害者)である山口彊(やまぐち・つとむ)さんなど個人に焦点を当てています。

 原作の本に登場する三菱重工業の社員であった山口彊さんは、1945年8月6日、広島の三菱重工業の造船所に設計技師として出張していたのです。Bー29爆撃機エノラ・ゲイがリトルボーイというコードネームの原子爆弾を投下した時、山口さんは職場への通勤途中であり、爆心地から約3.2キロメートルの広島電鉄江波線江波電停にいたところで、被爆したのです。この被爆で、山口さんは左鼓膜が破れ、左上半身に大やけどを負ったのです。街の壊滅的な状況の中、一夜を過ごした後、山口さんは他の多くの被爆者と共に、国鉄山陽本線己斐駅から翌日の救援列車に乗って、妻と子どもの待つ故郷の長崎に戻って行ったのです。そして、8月9日、三菱重工業長崎造船所の事務所で、山口さんは、再び被爆するのです。山口さんは2度にわたる被爆後、急性白血病となり、原爆の後遺症に苦しめられますが、被爆に対する偏見や差別などから、自分が被爆者であることを長らく隠していました。しかし、自分はいったいなぜ生きながらえているのか?自分がここに存在しているのはいったい何のためなのかを考えるようになります。そして、それはこの核の恐ろしさを世界に訴えるためではないかと、自分が二重被爆者であることを公表するわけです。そして、1999年8月に趣味の短歌で、第37回原爆忌文芸大会の長崎県知事賞を受賞します。2006年、記録映画『二重被爆』(監督:青木亮)に出演します。この映画は山口さんの提案により海外上映が行われ、ニューヨークの国連本部とコロンビア大学で上映が行われました。この上映にあわせて、90歳の山口さんも自ら渡米し、国連本部で核兵器廃絶と世界平和について訴えたのです。

 それから山口さんは被爆をテーマにした映画を観てみたいと、『アバター』で有名な映画監督のジェームズ・キャメロンに手紙を書き送るのです。すると2008年12月22日に、がんで長崎の病院に入院していた山口さんのもとに、何とジェームズ・キャメロン監督がやって来て、やがて核廃絶をテーマにした映画を作ると約束したのです。その映画が最初にお話しました『Ghosts of Hiroshima(原題)』で、この山口さんの体験が重要な部分を占めている映画なのです。90歳を過ぎてから、国連で訴え、ジェームズ・キャメロン監督に手紙を書き送るということをした、山口さんの知恵と力はどこから来たのでしょうか。それは、自分が生きているのはこのためであるという使命感からなのだと思います。

 さて、長らく読み続けてきたルカによる福音書は、先週までで読み終え、本日からはローマの信徒への手紙を読んで行きたいと思います。ローマの信徒への手紙は、新約聖書に収められている書簡の中で最大のものであり、内容的にも最も重要なものの一つであると思います。そのように内容の重要さのゆえに、この手紙は時として神学書のように扱われることも多いかと思います。しかし、このローマの信徒への手紙は、先ず第1に『手紙』なのです。従って、私たちはこのローマの信徒への手紙を読むのにあたって、この手紙を執筆するのにあたって、パウロとローマ教会の人々が置かれていた歴史的な状況に即して、緊迫した状況の中で、パウロが情熱を込めて語る福音の真理とは何かということを考えながら、本日の聖書の箇所を読んでゆきたいと思います。

■著者パウロ

 さて、本日の聖書の箇所の内容に入って行きたいと思いますが、このローマの信徒への手紙は、先程も申しましたように、一つの『手紙』である、ということを覚えておきたいと思います。つまり、この手紙は広く一般の読者のために書かれたのではなくて、特定の人、ローマの教会の信徒たちへ、特定の状況の中で、使徒パウロによって書かれたものなのです。ですからこの手紙を理解するためには、先ず、この手紙が誰によって、どのような状況の下で、何のために書かれたのかを知ることが必要です。

 この手紙を書いた人は使徒パウロです。ここで、使徒パウロという人の誕生からこの手紙を書くまでの流れを、ざっと確認してみたいと思います。まず、パウロはどこで生まれ育ったかということですが、生まれたのは小アジアのキリキアのタルソスというところなのです。小アジアのキリキアのタルソスというところで生まれたユダヤ人なのです。このキリキアという地方は当時、ローマ帝国に編入されていて、そこの住民がローマの市民として認められ、当時の社会指導層であったパウロの先祖も市民権を与えられたと伝えられているのです。この時代に、ローマ市民権を持っているということは、市民として地位が高く、ローマから様々な特権を受けていることを意味していました。参政権と投票権、そして法廷で起訴できる権利、皇帝が主管するローマの最高法廷に抗訴する権利が与えられていたのです。このほかにも鞭や十字架のような拷問を伴う刑罰を免れることができ、反逆罪でない限り死刑宣告も避けることができたのです。

 使徒言行録22章24〜29節を見ますと、『千人隊長はパウロを兵営に入れるように命じ、人々がどうしてこれほどパウロに対してわめき立てるのかを知るため、鞭で打ちたたいて調べるようにと言った。パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」 これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところへ行って報告した。「どうなさいますか。あの男はローマ帝国の市民です。」 千人隊長はパウロのところへ来て言った。「あなたはローマ帝国の市民なのか。わたしに言いなさい。」パウロは、「そうです」と言った。千人隊長が、「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と言うと、パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。』とあります。このことからも分かりますように。パウロが、生まれた時からローマの市民権を持っていたということは、後にパウロの宣教活動の上で、大きなアドバンテージになって行くのです。

 また、パウロはユダヤ人であったということは、イスラエルの12部族のいずれかに属していたと考えられます。パウロが何部族であったかと言いますと、ベニヤミン族です。ベニヤミン族と言いますと、イスラエルの初代の王のサウル王がベニヤミン族であったのです。しかも、当時のユダヤ教の中では、パウロはファリサイ派に属していました。つまり律法について、一番厳格な人物でもあったのです。これらのことから見えてくるパウロの姿というのは、離散のユダヤ人として、タルソで、生まれ育ってローマの市民権を持ちつつ家系としてはイスラエル12部族の中のベニヤミン族であることを誇りとし、同時にモーセの律法に厳格に生きようとするファリサイ派の人間であったということです。そして、学業に優れていたパウロは、エルサレムに上り、1世紀最高のラビであるガマリエル1世の下で学んだのです(フィリピの信徒への手紙3章5節)。ですから、パウロはユダヤ教にあっては、エリート中のエリートであったということが分かります。従って、パウロは神様がイスラエルの民に与えて下さった律法を守ることによってこそ、神様の前に正しい者、義なる者となって救いを得ることができる、という信仰に堅く立っていたのです。その頃のパウロにとっては、十字架につけられた主イエスを救い主と信じることによって救われると言っているキリスト教徒は赦し難い異端者でした。そのような教えは撲滅しなければならないと考え、先頭に立って教会を迫害していたのです。

 そのパウロの人生が180度ひっくり返ることになる転機を体験します。それが、ダマスコ途上での回心と言われるものです。使徒言行録の9章の1〜9節を見ますと、『さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。』とあります。そして、パウロは、主イエスを信じるアナニアという弟子によって、たちまち目からうろこのようなものが落ち、元どおり見えるようになったのです。そこで、身を起こして洗礼を受け、その後、パウロは直ちにダマスコで伝道を開始したと聖書には書かれています。このローマの信徒への手紙を書く、パウロの活動というのはこのダマスコ途上での回心体験の延長線上にあるのです。

■ローマの教会

 このローマの信徒への手紙は、『手紙』であるということから、誰が書いたのかということの次に、大切なポイントは、誰宛てに書かれた『手紙』なのかということになります。ローマの信徒への手紙の1章7節の前半を見ますと、『神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。』とありますことから、ローマの教会に宛てて書かれた手紙であることが分かります。ローマの教会と言いましても、パウロがこの手紙を書いた当時、ローマの教会には会堂などはなく、いくつかの小さなグループがあって、こうしたいくつかの家の教会から成り立っていたと考えられています(ローマの信徒への手紙16章5節)。この手紙は、この手紙の15章22節に、『こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。』とありますように、まだ会ったことのない信徒たちに向けて書かれています。そこに、彼が書いた他の多くの手紙 との大きな違いがあります。パウロの書いた手紙が新約聖書にはいくつも収められていますが、それらの多くは、パウロ自身の伝道によって誕生した教会に宛てて書かれたものであって、彼はその教会の人々も、また教会の事情をもよく知っているのです。しかし、このローマの信徒への手紙は、まだ行ったことのない教会への手紙なのです。よく知っている教会の人々に書くのであるなら、『近々、あなたがたの所を訪ねるので、その節はよろしく協力をお願いしたい』と書くだけで済んだことと思います。しかし、ローマの教会に対してはそういうわけにはいかないのです。パウロは、先ずこれから訪ねようとしている自分のことを知ってもらう必要があったのです。つまりこの手紙は、初めて訪問しようとしているローマの教会の人々に向けて、前もって自己紹介をするために書かれたものなのです。パウロの自己紹介の手紙、それがローマの信徒への手紙なのです。

 それでは、パウロはいつ頃このローマの信徒への手紙を書いたのでしょうか。多くの聖書学者が伝えておりますように、紀元57年〜58年頃、パウロの第3回伝道旅行の終わり頃、マケドニア州とアカイヤ州のキリスト者の献金を携えて、エルサレムに向かおうとして(ローマの信徒への手紙15章25〜26節)、コリントに3ヶ月滞在したときと考えられています(使徒言行録20章2〜3節)。この時、パウロは異邦人教会の献金によって、エルサレム母教会の援助を行うことにより、教会の一致と和解を進めようとしていたのです。パウロはローマに行きたいのです。しかし、まずはエルサレムに献金を届けに行かなくてはいけないのです。その直前に、この手紙を書いているのです。ところが、パウロの第三回伝道旅行はエルサレムで終わるのです。そして、エルサレムで捕らえられ、投獄されてしまうのです。それからパウロの願い通り、ローマに送られるのですが、ローマに行った時には自由人としてではなくて、囚人としてローマに行ったのです。それが紀元60年のことで、この手紙を書いてから2〜3年後のことなのです。紀元60年のことですので、このローマの信徒への手紙は、主イエス・キリストの十字架での死と復活から、わずか30年以内に書かれており、しかも、エルサレムが滅びる10年位前という、そういう時代の流れの中で書かれている手紙なのです。

■ローマの信徒への手紙が書かれた理由

 それでは、パウロはなぜこのローマの信徒への手紙を書いたのでしょうか?いくつかの理由が考えられますが、その1つ目の理由としては、パウロはこの時点までの自分の神学をまとめようとしたのだと思います。パウロは地中海の東側の地域の宣教をこのときまでに全て終えていたのです。パウロは、これからはもっと西の方にまで足を伸ばして伝道したい、と願っているのです。そして、自分の伝道者生涯の総まとめとして、地中海の西の果てのイスパニア(現在のスペイン)に行こうとしているのです。パウロ自身のそれまでの伝道者としての歩みを考えますと、約25年間も走り続けてきたのです。それで、走り続けて、活動してきたそれまでの過去の宣教を振り返り、パウロが真に伝えてきた福音をまとめ上げる必要性を感じたのだと思います。そのことが、この手紙を書こうとした大きな動機であったと思いますが、パウロが本当にもっと膨大な組織神学の書物を著そうとしていたとしたら、決定的に欠落しているものがあるのです。それは何かと言いますと、所謂(いわゆる)、キリスト論がありません。教会論もありません。終末論もないのです。従って、パウロは神学的なまとめをこの手紙で書き記しているのですが、キリスト論、教会論、終末論が抜けているのはなぜなのかと言いますと、次のこの手紙が書かれた2つ目の理由と関係しているのだと思います。

 その2つ目の理由が何かと言いますと、パウロは、イスパニア伝道を支援してくれる教会を求めていたのです。それまでのパウロの伝道活動を支えた教会は、シリアのアンティオケアにあるアンティオケア教会であったのです。しかし、シリアのアンティオケアは地中海の一番東にあるのです。従って、イスパニア伝道を支援するには遠すぎることから、もっと近いローマ教会からの支援が不可欠だと、パウロは考えたのです。そこで、パウロはこの手紙で、それまで教会の中で論争の的となって来たこと、また、パウロ自身が疑われもしてきたことについて書き記すことによって、彼自身が信頼できる人間であるということを証明する内容の手紙をローマ教会に書き送る必要があると、パウロは考えていたと思います。ですから、神学的なまとめをする。そして、イスパニア伝道の支援を求めるということをパウロはこの手紙で行っているのです。

 そして、パウロがこの手紙を書いた3つ目の理由は、このローマの信徒への手紙の14章、15章で取り上げられているローマの教会が直面していた具体的な問題を解決することであったと思います。ローマ教会は、クラウディウス帝のユダヤ人追放令などによって、異邦人キリスト者が多い教会として成長しておりましたが、食物や日の規定を巡って、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の対立が深刻な問題となっていたのです。この異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の対立を何とかしたいと思って、この手紙を書いたというのが、パウロがこの手紙を書いた3つ目の理由なのです。

 つまり、パウロがこの手紙を書いた理由というのは、1つ目が神学的なまとめを行うこと、2つ目がイスパニア伝道の支援を求めること、3つ目が異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の対立を解決すること、これらの理由のために、パウロはこの手紙を書いたのです。さて、先程、このローマの信徒への手紙は、パウロがまだ行ったことのない教会へ宛てた手紙であるということをお話ししました。それでは、パウロはまだ行ったことのない教会に宛てた手紙をどのような言葉で書き始めたのでしょうか。

■キリスト・イエスの僕

 次に、本日の聖書の箇所の1節を見ますと、『キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、』とあります。原文の語順を見てみますと、『①パウロス(パウロは) ②ドゥーロス(僕は) ③クリストゥー(キリストの) ④イエィスー(イエスの)、⑤クレィトス(召し出された[者は]) ⑥アポストロス(使徒は) ⑦アフォゥリスメノス(区別された[者は]) ⑧エイス(〜の為に) ⑨ユーアンゲリオン(福音に) ⑩ゼウー(神の)』となります。そして、この原文を見ますと、ローマの信徒への手紙の1番最初に出てくる言葉は何かと言いますと、実は『パウロ』という言葉が最初なのです。そして、2番目に出てくる言葉が、『僕』という言葉なのです。この『僕』という言葉に、『キリスト・イエスの』という修飾語が乗っけられているのです。その次に3番目に出てくる言葉が、『召し出された』という言葉です。この『召し出された』という言葉に、『使徒として』という修飾語が乗っけられています。それから、4番目に出てくる言葉が『選び出され』であり、修飾語が『神の福音のために』となっています。このように『パウロ』という言葉を説明する3つのキーワードが、1つ目が『僕』であり、2つ目が『召し出された』、3つ目が『選び出された』となっているというのが、この1章1節の構造なのです。

 まず、最初に出てくる『パウロ』という名前の意味ですが、皆さんはパウロの名前について、次のような説明を聞いたことがあるのではないでしょうか。それは、パウロはもともとの名前はサウロと言ったのですが、これはユダヤ人としての名前で、パウロというのはキリスト者になってからの名前だという説明です。しかし、この説明はヘブル的な文脈では、正しくないのです。離散のユダヤ人、パレスチナの地から世界中に散らされて行ったユダヤ人というのは、通常2つの名前を持っていたのです。ヘブル名はサウロです。ヘブライ語でシャウーと言います。これは、好ましい、大きいと訳される意味の言葉です。それから、サウロのもう一つの名前がラテン語の名前で、これはローマ名とも考えることができるのです。ラテン語というのはローマの言語だからです。そして、ラテン語の名前はパウロです。ギリシア語ではパウロス、言葉は小さいという意味となります。従って、パウロという名はクリスチャン名ではないのです。新約聖書の中で、サウロという名前がパウロという名前に変わるのがいつからのことかと言いますと、使徒言行録13章9節で、『パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、』と記されている箇所からなのです。従って、サウロとう名前がパウロという名前に変わったと書かれていないということがよく分かるかと思います。なぜ、この聖書の箇所から、サウロという名前からパウロという名前の表記になったのかと言いますと、パウロの異邦人伝道がこのときから正式に始まったという言うことなのです。

 次に、2番目に出てくる『僕』という言葉ですが、ギリシア語で『ドゥーロス』と言います。世界各地を回って、福音を伝えている船にドゥーロス号という船がありますが、これは日本語に直すと奴隷船となります。しかし、この奴隷船という名前の船に、みんな喜んで乗っているのです。それはなぜかと言いますと、ヘブル的には奴隷には2種類あったのです。1つ目は、嫌々奴隷になっている人のことです。2つ目は、自分の意志で喜んで奴隷になっている人のことです。ここに、パウロが自分を何者だと思っているかが、最も端的に示されていると思います。パウロは自分が『キリスト・イエスの僕』であると言っています。パウロは自分のことを、最初に『キリスト・イエスの奴隷である』と言っているのです。まだ会ったことのないローマの教会の人々に自己紹介をするためにパウロが真っ先に語ったのは、『私は奴隷である』ということだったのです。それは奴隷のように卑しい、取るに足りない者だ、という謙遜のための比喩ではないのです。パウロは文字通り、自分は僕、奴隷だと思っているのです。奴隷であるということは、主人に完全に所有されている、ということです。自分の全ては、自分の人生は、もはや自分自身のものではない、自分を所有している主人のものだ、ということです。その主人こそキリスト・イエスなのだと言っているのです。。

■召されて使徒となった

 この『僕』という言葉に続いて語られているのは、『召されて使徒となった』という言葉です。『使徒』という言葉は、ギリシャ語で『アポストロス』と言います。アポストロスある使命を与えられて遣わされた人という意味です。パウロは神様に召され、使命を与えられて遣わされていると言っているのです。パウロがわざわざ『召されて』という言葉を使う必要があったのは、パウロが使徒であることを疑う人が多かったのです。なぜかというと、かつてパウロはキリストの教会を迫害した。いつまでもそのことがついて回ったのです。従って、パウロは当たり前のように、この1節を書き始めているように見えて、心に痛みを覚えながら、容易ならぬ高い壁を越えてゆくような思いで、この1節を書いているのだと思います。

 その次に出てくるのは、『選び出され』という言葉です。そこでは、『召されて』と同じことを言っています。『選び出され』も『召されて』も、いずれも神様のみ心によることであって、パウロが自分の意志で、自分の思いによって生きているのではないことを示しています。神様がパウロを選び、召して、使命をお与えになったのです。その召しに従い、使命に生きているのが、『僕』であるということです。そしてその使命とは何かを語っているのが、1節の最後にある『神の福音のために』ということなのです。『福音』とは、『良い知らせ』という意味の言葉ですが、それは『キリストによる救いの知らせ』ということです。そして、この言葉は『福音を告げ知らせる』という動詞が名詞になったもので、『福音を告げ知らせること』と直訳することができる、動きのある言葉だと言うことができます。ですから、『神の福音のために』とは、『神の福音を告げ知らせるために』ということです。つまり、パウロはこの1節で、自分は神様の福音、つまり神様による救いの喜ばしい知らせを告げるという使命のために選ばれ、召され、遣わされた、キリスト・イエスの僕、奴隷であると言っているのです。

 キリスト・イエスの奴隷であることはパウロにとってつらいことや苦しいことではなくて喜びだと言っているのです。むしろそのことこそが、パウロが告げ知らせている福音、喜ばしい救いの知らせの中心なのだと思います。パウロはローマの教会の人々にこの手紙を書き送ることによって、彼らも自分と共に神様に選ばれ、召された者であり、キリスト・イエスの僕、奴隷とされている、その福音、喜びの知らせを、そこにある真実の慰めを共有しようとしているのです。私たちは、これからローマの信徒への手紙を読み進めて行く中で、神様が恵みによって、私たちを選び出し、召して下さって、キリスト・イエスの僕として下さっていることに、私たちの救いを見出して行きたいと思います。

 それでは、お祈り致します。