【説 教】 牧師 沖村 裕史
■今や、新しいことを
冒頭一節、
「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた」
サムエルはこのとき、イスラエルの王となっていたサウルのことで心を痛めていました。神の御言葉によって自らが油を注ぎ、王として立てたサウルに、「主なる神は、神の御言葉に従わなかったあなたをイスラエルの王位から退けられた」と告げざるを得なかったからです(15:26)。サムエルはサウルが神の御言葉に従わなかったことを怒ってはいましたが、それでもサウル王が魅力的で、背も高く、容姿も美しい、さらには知恵も力もある人であることを知っていました。彼のような素晴らしい王を失うことが残念でならなかったのです。それはサウル王のための嘆きであり、また何よりも過去に自分が用いられてしたことが失われてしまうことを嘆いてのことでした。
しかし今や、主なる神は新しいことをなさろうとしています。主が新しいことをなさろうとしておられるのに、人間であるあなたが、これまでのことに囚われ、神の新しい御業を受け入れないようなことがあってはならない、ということです。主は新しいことをなさろうとしておられるのです。そのことが示されたなら、過去のことへのこだわりを捨てて、主が示してくださる新しい道へと進んで行くことが求められているのです。それは、わたしたちへの言葉でもあります。
神は今、嘆くサムエルを立ち上がらせようとされます。新しい務め、仕事に取りかからなければなりません。神はこう言葉をかけます。
「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした」
サムエルはサウル王のことを気にかけながらも、神の言葉に従い、ベツレヘムへと出かけていきます。
とは言え、そのことはサムエルにとって命がけのことでした。
サウルは今もイスラエルの王です。その支配下にあって別の人を王として立てるということは、紛れもなく王への反逆です。二節の「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう」とのサムエルの言葉は、決して大袈裟なものではありません。そこで主は一つの知恵を授けます。「主にいけにえをささげるため」という口実を設けて行きなさい、と。サムエルは祭司でもありましたから、いろいろな所へ行って犠牲を捧げるのは自然なことです。それでも、それを口実に出かけて行くサムエルが命がけであったのと同じように、迎える側も不安を隠せませんでした。サムエルがベツレヘムに着くと、町の長老たちが不安げに出迎え、「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか」と尋ねます。サムエルはすでに、サウルに「主はあなたをイスラエルの王位から退けられた」と宣言し、彼のもとから立ち去っていました(一五・二七~二八)。そのサムエルを町に迎えたとなれば、サウル王に対する反逆の疑いをかけられてしまうかもしれない、そう長老たちは考えたのでしょう。主に犠牲をささげて礼拝をするという、平和なことのために来たのだと言うことで、彼らの不安を和らげる必要があったのです。
主なる神が新しいことをなさる時に、それを受け止めて歩むことは簡単なことではありません。わたしたちの誰もがその困難さを感じることでしょう。
■心によって
ベツレヘムについたサムエルは、早速、エッサイとその息子たちを食事に招きました。サムエルのもとにやって来た、エッサイと三人の息子たちを見て、サムエルは喜びました。一番年上の息子エリアブに目を留め、容姿も立派で、背が高く、年齢としても申し分のないエリアブこそ、イスラエルの王にふさわしいと思ったからです。ところが神はこう言われます。七節、
「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」
そこでエッサイは二番目の息子アビナダブを呼び、サムエルの前に進み出させましたが、サムエルはこう言います。「この息子も神はお選びになりません。」そこで、エッサイは最後に、三番目の息子シャンマに前に進み出させました。しかしサムエルは言いました。「この息子も神はお選びになりません。」
サムエルはとまどいながら、エッサイに尋ねました。「あなたの息子はこの三人だけですか。」するとエッサイは、「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」と答えます。父親のエッサイから見て、末っ子は、まだ幼く、小さく、力もない、とても、招かれてサムエルに紹介できるような子どもとは思われなかったので、そこに連れてこなかったのでした。
しかし神が選ばれたのは、その少年でした。彼の名はダビデ。サムエルはダビデに油を注ぎ、新しい王に立てました。
主なる神はなぜダビデをお選びになったのか。一二節にこうあります。
「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった」
ダビデの美しい姿が主に選ばれた理由でしょうか。そうではありません。先ほどの七節に、主は「容姿や背の高さに目を向けるな」と言われた言葉に続けて、「わたしは人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われます。
そう言われて怪訝に思われる方がおられるかもしれません。もっとものことです。確かに、わたしたちは人のことを見かけによって判断してしまいがちです。しかし同時に、人を外見だけで判断してはならない、見かけより心が大切だ、ということもよくよく知っているからです。
しかし、ここに語られていることは、人を外見だけで判断するか、それとも心を、人の内面を見るか、ということではありません。七節に「主は心によって見る」とありました。以前の口語訳聖書では「主は心を見る」となっていました。しかし原文の「心」という言葉には、「…を」ではなく「…によって」という意味の前置詞が付けられています。新共同訳が「心によって見る」と訳したのはそのためです。そして、同じ前置詞が「人は目に映ることを見るが」というところにも付けられています。「目に映ることを」というのは原文にない言葉を補った訳で、原文は単純に「目」です。そこに「…によって」という前置詞が付けられています。直訳すれば、「人は目によって見るが、主は心によって見る」となります。
たとえ、わたしたちは、それが外見だけでなく内面を含めてではあっても、やはり人を目で見て判断するのに対し、「主は心によって見る」、主なる神は御心によって、人をご覧になるということです。主はその御心によってダビデをご覧になり、選ばれたということです。
主は、ダビデの外見の美しさや、その心が正しく、正直で、信仰深いことをご覧になったのではありません。人をそのように見るのは「目によって見る」人間です。神は、人の外面でも内面でもなく、つまりその人がどういう人かによってではなく、ご自分の御心に基づいて人をご覧になり、選び、立て、用いられるのです。
とすれば、ダビデがなぜ神に選ばれたのかという問いの答えを、ダビデの中に見出すことはできません。その答えは、主なる神の御心にこそあり、そこにしかないのです。
■御心によって選ばれる
それは何も驚くべきことではありません。わたしたちにも、それと同じことが起っています。わたしたちは主なる神に選ばれて、信仰を与えられ、教会に連なる者とされました。まだ洗礼を受けていなくても、この礼拝へと導かれているということ自体、神が多くの人々の中からわたしを、あなたを選んで、招いてくださったということです。
わたしたちはなぜ選ばれたのでしょうか。その答えをわたしたちの中に見出すことはできるでしょうか。わたしたちが他の人よりも特別に信仰深い者だということでしょうか。違います。わたしたちが人一倍努力して清く正しい生活を送っているからでしょうか。違います。わたしたちの心が正直で、やさしさに満ちているからでしょうか。違います。わたしたちの中には、選ばれる理由など何一つないのです。
それなのに、どういうわけか主なる神がわたしたちを選び、招いてくださったのです。それは、主がわたしたちを愛し、今ここにも恵みを与えてくださっている、としか言いようのないことです。わたしたちが選ばれた理由は、この主の愛と恵みの御心にしか見出すことはできないのです。
神が選んでくださるということは、神が喜び、愛してくださるということです。そして神が愛し、喜んでくださるのは、わたしたちの見た目の美しさや立派さや優秀さではありません。姿形が良かろうが悪かろうが、きれいだろうが汚かろうが、大きかろうが小さかろうが、力があろうがなかろうか、金持ちだろうが貧しかろうが、知恵があろうがなかろうが、そんなことは何の関係もありません。神からすれば、人間たちが自分のことを誇ったり、うぬぼれたり、正しいと主張することなど何の意味もありません。
ただ、目によってではなく、聖書の冒頭、創世記1章で、主が造られ、いのち与えられたこの世界すべてのものをご覧になって「良い」「美しい」と言われた、あの「美しい心によって」、神はわたしたちを愛し、用いてくださっているのです。
■生きていて良かった
今年四月二八日、天に召された星野富弘という人のことを思います。彼の画詩集の「あとがき」にこんな言葉がありました。
「中学校の体育の先生になってわすが三ヵ月、私は大けがをして大学病院にかつぎ込まれた。首から下がまったく動かず、あおむけに寝たままで、人工呼吸器と点滴の栄養剤で生きていた。折れた首の骨がなおっても、そこを通っていた大切な神経が傷ついてしまったので、元のように走り回れる身体に回復するのは、むずかしいということだった。
『ベッドの上で、天井を見つめながら生きて行くのだろうなぁ』と思った。たとえようのない寂しさに押しつぶされそうだった。眠っている間に心臓が止まってくれればと願いながら、毎晩、眠れないけれど目を閉じた。
辛い数ヶ月が過ぎ、何とか人工呼吸器の助けを借りなくても呼吸ができるようになった。食事を食べないで死のうと思ったことがあった。でも何度か食事を抜くと、腹が減って死にそうで、残念だが次の食事を腹いっぱい食べてしまった。
私がどんなに死にたいと思っても、身体の中の器官は、様々な困難を克服して、それぞれの役目を立派に果たして、私を一生懸命生かそうとしていた。
私は「生きていても仕方がない、早く死にたい」などと思っていたことを、恥ずかしく思った。私を一生懸命生かそうとしてくれている、いのちに申し訳ないと思った。
けがをして、すべてを失ったと思っていたが、気がつくと、私にはまだ、たくさん残されているような気がした。見ること話すこと、よろこびや悲しみを感じられる心、感謝できる心。身体は不自由になったが、自由な心は残っていた。
苦しみや悲しみの中で、私を思ってくれている人たちのやさしいこころにも、たくさん出会った。
生きていて良かった。
この本の題名を『ありがとう私のいのち』としたのは、私のこんな体験からである」
ある日、星野はこんな神の言葉を見つけました。「重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」。神の愛を信じるようになりました。
星野は車椅子で外に行けるようになりました。母親に車を押してもらって、病院の庭を散歩するのです。初めて散歩に行った時のこと。野原に咲いている小さな花を見て、星野はびっくりしました。今まで、野原の小さな花が、こんなにきれいだと思ったことなどありませんでした。散歩の途中に、雨がポツポツ降ってきました。母親があわてて病院へ戻ろうとすると、星野は、子どものように喜んで「雨だ、雨だー!このまま、じっとしてて!」と言いました。星野は何年ぶりかで雨にうたれたのです。
雨がやむと空に七色の大きな虹がかかりました。
「神様はいらっしゃる。神様が、こんなに美しい花を、こんなに気持の良い雨を、たくさんの恵みをくださっている。わたしたちは生かされている。」
星野はこの花を絵に描いてみようと思いました。花の絵を描くようになりました。野原の草花や見舞いにいただいた花も描きました。一つの花を描くのに何日もかかりました。でも、一枚の絵ができあがるとうれしくてたまりません。絵のそばに言葉も書きました。
星野は、神様のなさることは、神様が与えてくださるものはみんな素晴らしい、そう言いながら、花の絵を描き続けました。その星野富弘が、今年、天に召されました。そのお別れの会の中、妻・昌子さんが、長い間連載していた星野の最後の詩を紹介されていました。
「そうか神様に/生かされていたのか/そう気づかされた時
道端の花が/輝きはじめ
苦しみにも/悲しみにも/どんな小さなことにも
意味があったのを知った」(生かされて つわぶきの花)
皆さんは、神が与えてくださるものの中で最も美しいものは何だと思われますか。それは、星野のような、神の御心によってに生かされている、神が御心から愛してくれていると感謝することのできる美しい心、です。そして、そのような心をこそ、神は喜んでくださるのです。わたしたちの周りにあるものすべて、わたしたちのいのちや人生さえ、神が与えてくださっていることに感謝をして、今日からの一週間を過ごし、希望と感謝を胸にアドヴェントを迎えたいと願う次第です。