【説 教】 牧師 沖村 裕史
■生まれ変わる
イエスさまが「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われると、ニコデモは「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」、「そんなことできるはずはないではないですか」と反論します。それに対してイエスさまは、「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と答えられます。
この会話を、誰でも生まれ変わることができるという風に読んでみると、とても興味深い話であることに気づかされます。
「水」は、洗礼のことを意味し、それは、古い自分に死んで新しい自分として生き始めることを意味する、と考えられるからです。「霊」は、神からの働きかけのことですから、神のわたしたちへの愛を感じてということでしょう。たとえ、誰もわたしのことを愛してくれなかったとしても、神はそういう人間の限界を超えて、大きな愛をわたしたちに注いでいてくださっているのです。神の独り子であるイエスさまを十字架にかけて、身代わりにするほどに、わたしたちのことを愛していてくださっています。その神の無限の愛に触れるとき、愛に相応しくない欠け多い自分のことも、親のことも、隣人のことも、赦して愛せるようになります。そこにもう一度新しい人生が始まります。
ルカによる福音書一九章にも、こんな出来事が記されています。
「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」
イエスさまから声をかけられたときの、「罪深い男」と呼ばれるザアカイの喜びはどれほどのものだったでしょうか。しかしそれとは対照的な、実に冷ややかな周囲の人々のまなざしがザアカイの背中に刺さります。でも、彼は屈しません。
「ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」
このザアカイの言葉、「施します、返します」は、未来に向けての決意の言葉のように思われます。しかし原語のギリシア語は現在形を取っているため、「施しています、返しています」とも訳せます。つまり彼は、心ひそかに新しい生き方を始めようとしていたのだ、とも言えるでしょう。
これは、変えられた、いえ、変わり始めている自分を、イエスさまに聴いて欲しくて語られた言葉だ、と考えられるのです。このザアカイの「変化」、「やり直したい」という思いを聞いたイエスさまは、心から喜んでくださっています。「今日、救いがこの家を訪れた!」と。それでも、周囲の人々は喜びなどしなかったでしょう。どうせ三日ももちはしない。またいずれ狡猾なザアカイに戻ることだろう、と人々は冷たくその様子を見ていたに違いありません。
しかし、イエスさまは違いました。たとえそれが、将来どのような形になろうとも、たとえ明日にはあっけなく挫折しようとも、その変化への思いが心に芽生えたこと自体、かけがえがなく貴い、とイエスさまは見なされます。
「変化」という名のいちじくの小さな芽を見つけても、ぬか喜びはやめよう。傷つくのは嫌だから。大きくなって実がついて、がぶりと食べてから安心して喜ぼうとする、そんなわたしたちです。そういう他人への視線は、同じ様に自分自身にも向けられます。変わり始めたぐらいで喜んじゃ駄目だ。結果を出さなきゃあ…と突っ張るわたしたちに、イエスさまは微笑んで近づいてくださいます。そして「どんなに小さな芽でも、たとえまた枯れてもさ、芽が出たことがすごいよ!」と耳元で囁いてくださるのです。
ほんとうに変われるかどうかは、ひとまず別としても…わたしたちの「芽」そのものを、心から喜んでくださるお方がいるということが、限りなく挫折をしてきたわたしたちにとっては、涙ぐむほど嬉しいはずです。きっとザアカイも同じように、たまらなく、腹の底から嬉しかったことでしょう。
誰か一人でも、自分のことを愛し、理解してくれていると思うとき、わたしたちは生まれ変わり始めるのです。
■風が吹き抜けた
一人の女性のお話をさせていただきます。二十歳の時から十年間、国際線の客室乗務員を務め、三十歳から空港勤務についた、頭の切れる、美人で独身、職業人としての誇りに生きてきた人でした。そんな女性が三十四歳で、胃癌のために亡くなりました。
その人について書かれた一文を読みました。書いたのは、彼女の入院していたカトリック系の病院の師長を務めるシスター。そこには、亡くなる最後の三日間のことが詳しく記されていました。
彼女は末期癌の激しい嘔吐で、笑いを失い、やつれ、苛立ち、表情はとても厳しいものになっていました。亡くなる三日前の朝、看護学生が交替しました。実習のため、看護学生は二日ずつ交替するのですが、替わった学生の技術と知識の未熟さが、彼女をさらに苛立たせました。
学生は彼女の顔を見るのが怖いと言い、泣きながら看護するのですが、そのたびに彼女から、「他の看護師さんを呼んでください」と言われる始末。しかし学生は、自分の技術の未熟を恥じながらも、がんばり続けました。知識も教養もキャリアも、学生とは段違いの彼女はプライドの高い人で、学生は辛い思いをしながら、二日間の実習を続けました。
彼女のターミナルケアに心を砕いていた師長はその様子を見ながら、機を見て彼女と話し合います。その中で、彼女はこう訴えます。
「わたしは治ると思っている。そう信じている。しかし、治るというわずかな徴(しるし)がほしい。一週間すれば少しは良くなるという徴がほしい」
それに対してシスターである師長は、気休めのようなことは一切言わず、こう応えました。
「一週間とか、一か月とかは、今のあなたにはもう遠い日よ。ね、毎日を精一杯生きてみない?毎日、毎日自分を賭けて。たとえば、朝、看護師さんに、きょうもしっかりやりますからよろしくって、挨拶ができるように」
師長はかねてから、彼女を尊敬していました。それは、つねに誠意と忠実をもって職業に打ち込み、仕事に生き抜いている女性の魅力を彼女に感じ、自分もまた、そのように看護の仕事に生きてきた者として共感するところがあったからです。師長は言います。
「あなたとわたし、似ているでしょう。職業に生きてきた者同士として。だからこそ、そのしっかり生きてきた思い出を枯らさないようにしてほしいの。それが一日一日を生きるということじゃないかしら」
しかし、彼女は呟きます。
「そうね、でも、どうなってもいいの」
そして嘔吐が始まり、話は中断されました。ところが翌朝、心配しながら師長が彼女を見舞ったとき、病室に何か違った雰囲気が感じられました。彼女は生き生きした眼を輝かせながら、明るい朝の挨拶をするのです。
「今日は何となく気分が良いのよ。お天気のせいかしら」
彼女はほほえみます。夜勤の看護師からも、今朝、彼女に「おはよう。きょうもしっかりがんばるわ」と言われてびっくりした、という報告がありました。前日トラブルを起こした看護学生も、今日はいそいそと身のまわりの世話をしています。何か様子が違うのです。そして平安な一日が、その日、続きました。
そこで機会を見て、師長は彼女に「お祈りしましょうか」と声をかけます。すると何のためらいもなく、まるでその時を待っていたかのように、無神論者を標榜していた彼女がうなずいて、手を合わせました。その後、彼女は「わたし、洗礼を受けたいけれど、どうしたらよいのかしら」と、師長がまったく予期しなかったことを言ったのです。その日の午後、慌ただしく整えられた洗礼式が、病室で行われました。急な話でしたが、いろいろな人が花をもって集まり、彼女は花に囲まれて、花嫁のようにほほえんでいました。そして翌日早朝、病状急変、彼女は召されたのでした。
そして、彼女とトラブルを起こしたあの看護学生は、二日間の看護実習期間―彼女の亡くなる前日と洗礼を受けたその日の夜―を終えるにあたり、師長室を訪ね、次のように語ったといいます。
「今日で実習は終わりますが、この二日間、彼女からたくさんのことを勉強させていただきました。辛い二日間でしたが、わたしが至らないために彼女に不愉快な思いをさせ、申し訳ありませんでした。彼女にはお詫びしておきました。そして一つ、彼女にお願いしました。『わたしはあなたの受け持ちになって、多くのことを学びました。ありがとうございました。わたしはきっとあなたのことを生涯忘れることができないと思います。わたしに、もし縁があって結婚し、女の子ができたら、あなたのお名前をいただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?』そう申しましたら、彼女は大きくうなずいて、涙をこぼしながら、ありがとうと言ってくれました」
そう報告して、学生は泣いたそうです。その学生は卒業してすぐに結婚、生まれた女の子に、約束どおり彼女の名をつけたそうです。たった二日間の実習期間、それもまったく険悪な空気の実習期間の中で、これほどの変化をもたらす感銘を、彼女がこの学生に与えたのは何だったのでしょう。
それは、ニコデモの心の内を風のように吹き抜けた「霊」なる神が、彼女の心をも同じように吹き抜けたのではないでしょうか。師長に「しっかり生きてきた思い出を枯らさないようにすることが、一日一日を生きることではないかしら」と言われた意味を、あの夜、苦しみつつ求め、生きているのは、過去の得意であった日々でもなければ、将来に予想される暗い日々でもなく、それは今、このときであることに気づき、その翌朝「おはよう。きょうもしっかりがんばるわ」とその日一日を生ききろうとしたとき、確かに、彼女の心の内を吹き抜けられた霊なる神がおられたのだ、と思わずにはおれません。
国際線に乗って華やかに活躍していた頃の一日も一日なら、今、死に瀕して病床にある一日もまた一日なのです。そのようにその日が、まっさらな一日、これっきりの一日となり、元気に生きてきた一日と同じように、しっかりがんばる日となったとき、その日を賜った「命の神」(詩篇42:3)が、彼女の病室に溢れていたのではないでしょうか。
彼女を恐れていた学生が、自分の娘に彼女の名をつけたいと願うまでに変わったのは、たった一日で変わったのは、彼女の力でも何でもなく、ただ神のくださった「いのち」に委ねて生きるよう促しつつ、思いのままに吹かれた「霊」、御子イエス・キリスト、父なる神ご自身によるのではないでしょうか。
■真剣に生きる
自分のいのちは一体どこから来てどこへ行くのか。こうした人生の根本問題について、わたしたちは普段、あまり真剣に考えていないのではないかと思います。もちろん、まったく考えていないわけではありませんが、いつの間にか中途半端に終わってしまったり、あるいは先送りしているうちに忘れてしまったりと、いずれにせよ徹底的に考えようとはしていません。
そして、そうなるのはわたしたちが日常のことに心を奪われているからだと言われます。確かに、一生懸命に考えているのは、仕事のこと、人間関係のこと、家庭のこと、健康のことなどで、そういうことを考えながら、生き甲斐とか、幸福とかを追い求めているのが、わたしたちの現実でしょう。
いのちの問題を正面に据えることは、何か危機的な状況に追い込まれた時などに少しはあっても、稀であることは否定できません。では、そういうわたしたちは生きることに不真面目なのかといえば、そうでもないと思います。
一休和尚は、「とし毎に 咲くや吉野のさくら花 樹を割りて見よ 花のありかを」と詠みました。花のありかを、樹を割って丁寧に調べても分からないように、いのちのありかも、自分自身を割るかのように厳密に考えても分からないのです。考えれば考えるほど、いのちのありかは分からず、まさに有るようで無く、無いようで有るのが、いのちなのです。
どうして、いのち与えられて、今ここにこうしてわたしは生きているのか。そのことは、いくら考えても分かりませんし、死ぬということも、同じようにいくら考えても分かりません。わたしたちは遂には、生の真相(しんそう)も、死の真相も知ることはないでしょう。わたしたちのいのちは、どこから来てどこへ行くのか、分からないものなのです。
つまり、いのちは考察の対象にはならないものなのです。わたしたちがいのちについてあまり真剣に考えないのは、日常のことに流されているからということもありますが、むしろ、いのちが本来考察の対象ではないからです。ですから、いのちの問題を真剣に考えないからといって、その自分を不真面目と責める必要もありません。
では、いのちの問題はどう扱ったらよいのでしょう。わたしたちは間違いなく生きています。いのちの存在とその動きとは明らかです。しかし、それがどこから来てどこへ行くのかは分からないのです。ちょうど、風がそよぎによってその存在と動きとが明らかでありながら、どこから来てどこへ行くのかが分からないのと同じです。
ですから問題は、いのちの「どこからどこへ」を考察することではなくて、いのちが風のようなものとして、わたしを生かしつつ存在し、動いているその不思議に感動することです。そして、いのちへの感謝をもって生きることなのです。それが、いのちに対してとるべき究極的な態度でしょう。そのことをイエスさまは、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(8節)と言われたのです。
いのちの「どこからどこへ」を知っている者ではなくて、それを知らない者が、知らないままで、風のように吹くいのちに吹き抜けられて、いのちを体験しているのです。そのことに気づいて初めて、人は自分自身のいのちに目を開き、その一回限りの重みに感動するのです。つまり、いのちに真剣になるのです。
いのちについて真剣に考えていないことが、わたしたちの問題ではありません。問題は、わたしを生かしつつ存在して動いている、いのちの不思議、それに感動していないことなのです。いのちについての知識で満足して、いのちそのものへの感動を失っていることなのです。いのちは考察の対象ではなく、感動の源です。
いのちから呼び起こされた感動をもって生きる、その感謝の日々がいのちへの真剣であり、霊から生まれるということであり、新たに生まれるということであり、神の国を見るということなのです。感謝して祈ります。