小倉日明教会

『退いたところから始まった』

マタイによる福音書 4章 12〜17節

2025年9月28日 聖霊降臨節第17主日礼拝

マタイによる福音書 4章 12〜17節

『退いたところから始まった』

【説教】 沖村 裕史 牧師

【説 教】                        沖村 裕史 牧師

■退かれた―逃げた

 驚くべきは、イエスさまが、「ガリラヤに退かれた」と書かれていることです。

 「退かれた」、この言葉をはっきりと「逃げた」と訳す人もいます。「逃げた」のです。「悔い改めなさい。天の国は近づいたのだから」との福音を語り始められたイエスさまは、その歩みを「退く」ことによって、「逃げ」込んだその場所で始められたのだ、マタイはそう書くのです。

 あまりに後ろ向きに思える表現ですがしかし、マタイはこの福音書の中で、この「退く」という言葉をかなり意図的に用いています。手本にしていたはずのマルコ福音書には、たった一回しか用いられていません。一方マタイは、これを一〇回も用いています。マルコは、「退く」ではなく「行く」という言葉を用います。「行く」は、「到来する、出現する、姿を現す」という意味で、かなり積極的に乗り込んでいくという感じです。しかしマタイは、マルコが「イエスはガリラヤへ行き」と書いた今日の箇所を、あえて「ガリラヤに退いた」と書き換えます。マタイにとって、一見消極的に思える「退く」というこの言葉こそが大切だったのです。

 そこには、時代背景の違いが影響していたのかも知れません。マルコが福音書を書いた紀元五〇年頃は、支配に苦しむ民衆の抵抗とユダヤ人による民族独立運動が燃え盛っていた時代です。一方、マタイの時代は、その抵抗闘争の果てにローマ帝国による粛清の嵐が吹き荒れ、エルサレム神殿も破壊され、抵抗の芽がことごとくつみ取られてしまった時代でした。絶大な武力と権力に対して、力をもって立ち向かうことに挫折し、無力感に打ちひしがれた、そんな時代に記されたのが、この福音書でした。

 そんな時代に、マタイが新たに光を当てて指し示したのが、この「退くイエス」でした。力に対して力をもって制していくのでなく、押し迫る力に対して退いていくイエスさま。それは、一見消極的で卑屈な印象を持たれるかも知れませんが、そうとばかりは言えません。柔道や相撲にも引き技があります。力で相手をねじ伏せるのではなく、相手の押してくる力を利用することで、自分よりずっと力の強い相手をも転がすことができます。日本の文化、アジアの文化の神髄は、押す文化ではなく、引く文化だと言った人がいます。鋸(のこぎり)しかり、引き戸しかり、楽器を弾()くという言葉もあります。

 ところがいつ頃からか、日本は引く文化を捨てて、西欧式の押す文化を身につけるようになりました。経済力や軍事力でグイグイ押していく国になり果ててしまいました。「対話と圧力」と盛んに言われる隣国との関係も、互いに一歩も引かず、相手を押して切って土俵から放り出そうとするばかりです。

 マタイの描くイエスさまの「退く」姿は、力なく消極的に引きこもっていく姿ではなく、引き技のように、あるいは風に吹かれる柳のように、一見弱く見えながら十分に強かな姿なのではないでしょうか。

■退かれたところ

 退かれたそのイエスさまは、どこに行かれたのか。続く一三節です、

 「そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」

 イエスさまはなぜ、ナザレから退き、ガリラヤの地、カファルナウムの人となられたのでしょうか。ここに「ゼプルンとナフタリの地方」とあり、一五節には、「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ」とあります。

 「湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地」。「湖」とはガリラヤ湖のこと、「ヨルダン川のかなた」というのは、エルサレムなどがあるユダヤの地方から遠く離れた、ヨルダン川の向こうと側という意味です。わたしたちが長い間、京の都を中心に考えていたように、当時のユダヤ人も、エルサレムの都を中心に考えていました。その人たちからすれば、ずっと北の端の奥羽、あるいは蝦夷(えみし)と呼ばれていたような辺境の地だ、という意味でしょう。

 しかも「異邦人のガリラヤ」です。もちろん、ガリラヤに異邦人だけ、外国人だけが住んでいたというのではありません。ガリラヤという地域は、ソロモン王以降南北に分裂をした北王国の最も北に位置していたため、繰りかえし北からの侵略にさらされました。アッシリア、バビロン、ペルシア、マケドニア、エジプト、シリアと支配者が交代し、異民族支配のもとに置かれ続けました。その結果、他民族との混血が進んだばかりでなく、宗教的・文化的にも、生粋のユダヤ教の信仰や文化とは異質なものとなっていました。「異邦人のガリラヤ」という表現の裏には、そのことに対する深い侮蔑が込められています。

 見捨てられた、その辺境の地に、イエスさまは退かれ、そこで「悔い改めなさい。天の国は近づいたのだから」との福音を語り始められるのです。ガリラヤに退かれたイエスさまは、カファルナウムの家に隠れていたわけではありません。「異邦人のガリラヤ、暗闇の住む民、死の陰に住む者たち」の只中に入っていき、そこで神の国を宣言されました。

 力に力で押し返そうとするのではなく、むしろ押し潰されそうになっている人々のところに退いていかれたのです。押し返した先に神の国があるのではなく、押してくる力から退いたところで、支配され、虐げられ、苦しむ人たちに、神の国が今ここにもたらされている、と宣言をされるのです。

 その姿は宣教の節目、節目に現れていました。一四章一三節、

 「イエスはこれ(ヨハネが首をはねられたこと)を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った」

 イエスさまはその退いた先で、五千人もの腹を空かせた人たちと豊かな分かちあいの食事をされました。押され、退いたその場所で、同じく押され、苦しんでいた人たちと、神の国の食事を共に去れました。一五章二一節、イエスさまは、ユダヤ教の指導者たちとの激しい論争の後、「ティルスとシドンの地方に退き」、そこで病に冒された娘を持つ異邦人の女性と出会われます。ユダヤの人々から切り捨てられ、蔑まれた異邦人の女性と出会い、その娘の病を癒されます。

 引くこと、退くことは、消極的な姿勢ではありません。力で力を制するのではなく、むしろ押し迫る力から引いたところで、押され、苦しむ人々とともに、その闇の中でこそ、神の国を作り出していくような、それは優れて、積極的な宣教の姿勢でした。

■変えられる

 力を選ばず、力から退いて、やがて自分もまた捕らえられるだろうことを受け入れ、しかし神の福音を語り続けるために、「暗黒の地」「暗闇に住む民」の町、ガリラヤの中心地、カファルナウムの町をこそ、イエスさまは住処とされました。この地上に生きるすべての人の心に、真の希望を刻むためでした。だからこそ、ここにイザヤの言葉が成就しているとマタイも書くことができました。

 一六節「暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。そして一七節に続けます。「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」

 イエスさまは、神の支配なさる世界がもうすぐそこまで来ている、神の生きた働きが、神の愛のみ手が、今この世に始まっている、実を言えば、もうすでにあなたのところにもたらされている、そう宣言されました。

 そう宣言された上で、だから「悔い改めなさい」と教えられます。「悔い改めよ」とはただ、悔いる、後悔する、申し訳ありません、と謝ることではありません。また、自分の決断によって、自分から神へと自分の向きを変えることでさえありません。それは、自分の力で生きていこうとしていたあり様が、神によって生かされ生きている自分というあり様に気づかされ、あるがままの姿で、神へと自分の向きを変えられることです。

 さきほどの預言者イザヤの言葉で言うなら、わたしたちの決断や努力に先立って、もうすでに、今ここに「指し込ん」でいる、「光を見る」、気づかされるということです。あなたたちは暗闇に、死の陰に住んでいた。闇の中に、死の中にただうずくまっているようだった。しかし今ここに、光が差し込んでいる、その光が見ている。そのことに気づきなさいという、呼びかけ、招きです。

 信仰とは結局のところ、この気づき、気づかされることです。

 礼拝に出席し、説教を聴けば、言葉ひとつひとつの意味は何となく分かったような気になってくるかもしれません。なるほどそうだと頷(うなず)くこともあるでしょう。しかし、頷いたからと言って、自分が信仰を持ったことにはなりません。 聖書の言葉がそこで語り、告げている、神は生きておられるという事実に気づかなければなりません。神と出会う、イエスさまと出会う外ありません。出会って、愛の神が、イエス・キリストが、今ここにともに生きてくださっていることに繰り返し、繰り返し気づかされるより他に、信仰の道はありません。そうでなければ、どんなにいいお話を聞いても、それは結局他人事に過ぎません。

 そのことに、誰も手を出すことはできません。汝と我、わたしと神との問題だからです。自分のことであれ、心にかかる隣人のことであれ、わたしたちは、いつの日か、いえ、実はもうすでに神が捉えてくださっているということ、そのことに気づくことができるよう、ただ祈るより他ないのです。そう、信仰というのは、そのように祈ることを抜きにしては成り立たないのです。

 しかし、それだけではありません。

 神を信ずることも、神と出会うことも、神の働きを受け止めることもできないでいる、そのために闇の中にうずくまっている人々に、わたしたちに向かって、神の御子であるイエスさまが語りかけてくださっています。「天の国は近づいたのだから、悔い改めなさい」と。神はもう、今ここに愛の御手を差し伸べてくださっている、と。

 阪田寛夫という作家 の心に残る小品を読みました。『バルトと蕎麦の花』という作品です。主人公は、ユズルさんと呼ばれる一人の牧師です。

 「生まれてすぐ軽い小児麻痺にかかったせいで…満二歳六カ月歩けなかった」ユズル牧師は幼い頃からずっと、兄弟姉妹からは「追い払われ」、友達には「毎日いじめられて泣いて帰」り、父親からは「別扱いはせず、野良仕事を手伝わせても、他の子と同じ尺度で叱」られていました。 牧師としても、挫折を繰り返し、辛酸を舐め尽くすことになります。

 そのユズル牧師が、信仰について語る印象深いシーンがあります。

 「牧師は、この次の機会までに、もう一度バルトの考えを分り易く伝えられるように考えてみてあげる、と言った。約束の日に伝道所へ電話をかけると、こんな風に、たとえ話をしてくれた。

 わたしが水の中でアップアップもがいていると、だれかが飛びこんで救ってくれた。事実は、『私が溺れている時に、だれそれに救われた』のではあるが、問題は、『私が大声で叫んだから、救われたのだ』という理屈も成り立つことだ。イギリスやアメリカの新しいプロテスタントの信仰には、こっちが叫んだから救われたという考えが、少からずある、と牧師は補足した。ところで、明治のキリスト教伝来は主にアメリカ、イギリス経由だから、戦前の日本のクリスチャンは、その影響を受けいれて、『こうしなければならない』『こうしてはならない』ことに、力点を置く傾向が強かった。そうするとどうしても、人間の行いを律することが信仰になっちゃう。そういうものの解放として、間違っているかも知れませんが、わたしはわたしなりに、バルトを受けいれたのではないかと思っています、と何だか改まってユズル牧師は言った。更に、『これは私の先生がよく使った譬えですが』と断って、もう一つ、たとえ話をしてくれた。やっと歩き始めた赤ちゃんが、母親と手をつないで散歩に出た。この時手のつなぎ方に二通りある。赤ちゃんの方が、母親の手を固く握っている場合は、転ぶと手を離してしまう。逆に、お母さんが赤ちゃんの手をやわらかく握っている場合は、赤ちゃんが倒れそうになると、きつく握り直して引き上げてくれる。

 ゆえに、『私が神さまにおすがりする』と思うのは、いかにも不確実だ。確かなのは、『神さまが手を引いてくれること』の方だ」

 今、イエスさまは、闇の中にうずくまるほかない人々に向かって、神の愛の御手がもうすでにもたらされることを告げられます。そして、あなたたちがすることがたったひとつだけある、と言われます。それは、神によって、罪あるままに生かされ、愛されている自分のあり様に気づくこと、自分が闇の中にいることを認めることです。闇の中にいることが分かっていればこそ、指し込んでくる光に、いえ、光そのものである神に気づくことができるでしょう。それが「悔い改める」ということです。

 退くイエスさまが、わたしたちに教え示しておられることは、この悔い改めです。わたしたちもまた力に頼るのではなく、時に退き、退いたところでこそ、小さく、弱くされた人たちとつながり、退き身を引いた闇のようなところにこそ、天の国が来ていること、神の愛の御手が差し出されていることに気づかされ、そのことを味わいつつ、希望を持って歩む者となることができればと心から願う次第です。