小倉日明教会

『イスラエルの牧者はどこに』

マタイによる福音書 2章 1〜12節

2025年12月21日 待降節第4主日クリスマス礼拝

マタイによる福音書 2章 1〜12節

『イスラエルの牧者はどこに』

【奨励】 川辺 正直 役員

【奨 励】                        役員 川辺 正直

■オークション

 おはようございます。アイルランドにフィッツジェラルドという名門の貴族の一族がいました。その一族の中で、男爵の爵位であるバロンの肩書を持つ人物がバロン・フィッツジェラルドであったのです。

 この人は、古今東西の名画の収集家でも有名であったのです。いろんな名画を収集しては自分の屋敷の中にそれを収納していたのです。しかし、バロン・フィッツジェラルドにも、亡くなる時がやってきます。それで、彼は遺言状を書いて残したのです。その遺言状には、『収集した絵画は、競売にかけてもらいたい。絵画は、一番高い値段を付けた人に、売ります』という内容が記されていたのです。それで、競売が行われるその日、競売の会場には多くのバイヤーが集まったのです。さて、オークションが始まります。会場の中のバイヤーたちは、最初にどんな作品が出るのだろう、どんな名画が出るのだろうと思って、固唾を飲んで待ち構えています。そのような中で、1枚目の絵画が、皆の目の前に展示されます。会場には、ため息が沸き起こります。皆がっかりしたのです。実は、多くのバイヤーの目の前に出てきた最初の絵画というのは、亡くなった貴族バロン・フィッツジェラルドの一人息子の肖像画であったのです。

 このバロン・フィッツジェラルドさんの一人息子というのは、少年の時に死んでいるのです。これは決して名画などではないのです。お父さんの息子さんに対する思いが強かったので、知り合いの画家に描かせただけの何の変哲もない、美術品としての価値は全くない作品なのです。『この作品に値をつける人は、どなたかいませんか』と競売人は声を掛けますが、バイヤーたちは皆、知らぬ顔をしているのです。誰もが、こんな二束三文の価値しかない少年の肖像画などではなくて、世に知られた名画の競売に移りたいと考えているのは、明らかでした。しかし、そのとき、手を挙げて、この少年の絵に値をつけた人物が現れたのです。この少年の絵に値をつけた人物というのは、このフィツジェラルド家に長い間仕えていた執事で、この少年が息を引き取るその時まで、ずっとこの少年の世話をした年老いた執事であったのです。この老執事は、『坊っちゃんの絵画は、私が買い取らせて頂きます。』と言って、その絵を買い取って行ったのです。

 オークションの会場にいたバイヤーたちは、やれやれと胸を撫で下ろし、『はい、はい、それじゃあ、次、2枚目、2枚目』と考えた、その時のことです。2枚目の絵画が皆の前に出てきたときに、『以後の絵画の売買はこれにて終了します。』と、突然、オークションの終了が宣言されたのです。何が起きたのかと言いますと、実はバロン・フィッツジェラルドの遺言には、1枚目の彼の息子の絵を最も高い値で買った人に残り全ての絵画コレクションを譲り渡すということが記されていたのです。バロン・フィッツジェラルドは、『息子の価値を最も知る者に、私の全ての絵画のコレクションを譲り渡したいのだ。息子の中に、私の夢の全てが詰まっていたからなのだ』と考えていたのです。

 本日の聖書の箇所は、クリスマスストーリーとして非常によく知られている箇所です。ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで幼子としてお生まれになった主イエスの価値を本当に知っていたのは、誰であったのかということを考えながら、本日の聖書の箇所を読んでゆきたいと思います。

■ユダヤのベツレヘム

 本日の聖書の箇所のマタイによる福音書2章1節を見ますと、『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、』とあります。この1節には、今日の聖書の箇所に登場する、主役たちが全部出ています。そして、舞台設定も全部整っていることが分かります。『ヘロデ王の時代』という言葉があります。『ヘロデ王の時代』というのは、どういう時代であるかを、まず見てみたいと思います。ヘロデという人ですけれども、彼は純粋なユダヤ人ではないのです。ヘロデ王は、ユダヤ人とイドマヤ人の混血なのです。イドマヤ人というのはエドム人とも言います。先祖は、ヤコブの双子の兄弟のお兄さんの方のエサウです。弟の方が、イサクです。主イエス・キリストは、弟の方のイサクから出てきているのです。ですから、本日の聖書の箇所は、お兄さんの家系が、弟の家系を敵視しているという構図になっているのです。
 先程、ヘロデ王は、ユダヤ人とイドマヤ人の混血だということを言いました。しかし、ヘロデ王はユダヤ教に改宗するのです。ユダヤ教では、定義的にはユダヤ教徒になると、ユダヤ人なのです。しかし、ヘロデ王は、決して心からユダヤ教に改宗しているわけではなくて、ユダヤ人を支配するためには、ユダヤ人である方が、都合が良いと考えて、そうしているわけです。しかし、ユダヤ人たちの方も、ヘロデ王が本当の意味でユダヤ教に改宗したとは思っていないのです。ヘロデ王はどこの王様かというと、ユダヤの王様なのです。王様と言いますと、武力で戦って、力でユダヤを征服したと考えるかもしれませんが、当時のユダヤは、ローマが支配していたのです。ですから、ユダヤの王になるためには、ローマから認定を受ける必要があったのです。ヘロデは、実際にローマまで行って、認定を受けています。それが紀元前37年のことなのです。本日の聖書の箇所の物語は、紀元前6年位の話です。ですから、今日の聖書の箇所の30年位前に、王としての認定を受けて、ヘロデがユダヤを支配していたのです。それがこの『ヘロデ王の時代』という言葉なのです。
 そして、そのヘロデ王の時代に、主イエスはユダヤのベツレヘムでお生まれになったのです。ベツレヘムというのは、パンの家という意味です。なぜそのような地名になったのかと言いますと、ベツレヘムのある地方は、農業生産が非常に豊かな地域で、同時にこの町はダビデの町とも呼ばれたからなのです。ダビデが出た町なのです。そこで主イエスが生まれたのです。本日の聖書の箇所に、ユダヤのベツレヘムと書いてあるのは、ガリラヤのベツレヘムという町があったのです。ですから、ガリラヤのベツレヘムと区別するために、ユダヤのベツレヘムと書いてあるのです。
 主イエスが、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、どうなったかと言いますと、『占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来』た、と言うのです。東方の占星術の学者たちとは、ギリシャ語では、『マゴス』と記されています。『マゴス』が何者かと言いますと、当時は、まだ自然科学と占いとが完全に分離していない時代です。彼らは天文学者であると同時に、星占いをしている、占星術師なのです。同時にまた、お医者さんでもあり、祭司でもあった人たちなのです。さらに、賢い人という意味で賢人、知者と呼ばれ人たちであったのです。このような複数の資質を持った人々が、『占星術の学者たち』と呼ばれていた人々であったのです。
 その『占星術の学者たち』が東の方から、エルサレムにやって来たのです。エルサレムというのは、ユダヤの首都です。主イエスがお生まれになった時代、エルサレム神殿はヘロデ王によって拡張工事が行われています。現在もエルサレム神殿の神殿域の土台部分には、2000年前のヘロデ王の壮麗な建築が残っているのです。同時にヘロデ王は、エルサレムに王宮を建てています。それも素晴らしい王宮であったのです。そういう町が、当時のエルサレムであったのです。これらが、本日の聖書の箇所の舞台設定と登場人物の全てなのです。

■ユダヤ人の王としてお生まれになった方

 それでは、東方から来た『占星術の学者たち』はどうしたのでしょうか。次に、本日の聖書の箇所の2節を見ますと、『言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」』とあります。ここで、まず注目したいのは、なぜ彼らがエルサレムまで来たのかと言いますと、東方から星に導かれて来たと言うのです。ですから、彼らはこの星を、ペルシャ辺りで見たのだと思います。夜空の星というのは、それこそ無数にありますが、東方の占星術の学者たちは、この星は何か特別な星だというのを認識したのです。ベツレヘムの星については、古くより諸説ありますが、天文学とは無関係の神様の栄光の光が星のように見え、その光によって、この学者たちは導かれて、エルサレムにやって来たのです。そして、東方から来た占星術の学者たちは、『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。』と尋ねたのです。

 この占星術の学者たちの『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。』(2章2節)という質問は、主イエスが十字架に架けられた際に、主イエスの頭上に掲げられた『これはユダヤ人の王イエスである』(27章37節)という主イエスの罪状書きに対応しています。27章37節に記載されたのは、罪状書きですので、『イエスという人物はユダヤ人の王と詐称した罪で公開処刑されているのだ』という意味となります。しかし、福音記者マタイは、『主イエスは生まれた時からユダヤ人の王であった』と、逆転の発想で、主イエスの生涯を『ユダヤ人の王であった』という括弧で括っているのです。この東方の学者たちの質問を、ヘロデ王はどのように受け止めたかを、次に見てみたいと思います。。

■これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた

 本日の聖書の箇所の3節を見ますと、『これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。』とあります。占星術の学者たちの質問に、ヘロデ王は愕然として、より強い不安を抱いたことがよく分かります。なぜかと言いますと、ヘロデはそういう人なのです。ヘロデはものすごく猜疑心の強い人であるのに、だんだんと高齢になって来て、健康状態も悪くなってきて、少しのことに、過剰に反応するようになってきていたと思います。先程、お話しましたように、ヘロデは、ローマから王位を認定してもらったものの、イドマヤ人との混血であるが故に、ユダヤ人としては、正当性がなく、常に、ユダヤ人が王として正当性があると考える、ユダ族の誰かに自分の王位を奪われるのではないかという恐れにつきまとわれていたのだと思います。ヘロデは、自分はユダヤのトップの王である、しかし、占星術の学者たちの質問を聞いて、ヘロデはまずいと考えたのです。この東方の学者たちが言った言葉の何が問題だったのでしょうか?

 この学者たちは、『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。』と尋ねたのです。ヘロデ王としてみれば、自分がユダヤ人の王だということです。その一方で、ヘロデは、自分がユダヤ人の王であることに、後ろめたさを感じているのです。もともとヘロデは、イドマヤ人で、無理にユダヤ教に改宗して、体裁だけは整えているけれど、予言的に言えば、イスラエルの王となるのは、ユダ族の家系の人だけなのです。ヘロデはユダ部族でないばかりか、そもそも純粋なユダヤ人ですらなかったのです。この学者たちが言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。』という言葉自体が、もうヘロデの王としての正当性を否定しているのです。だから、この学者たちは、星の登場を喜んだのですが、ヘロデにとっては、この星は不吉の前兆であったのです。主イエスがユダヤ人のまことの王としてお生まれになったことは、自分が王であろうとしている者には、不安を与える出来事なのです。それ故、エルサレムの人々もヘロデと同じように不安を感じたのです。それは私たちも同じではないでしょうか。小さなヘロデ王として、自分の人生の王になっている私たちも、真の王である主イエスの誕生の知らせに不安を抱くのです。真の王である主イエスが来られるとき、私たちはもはや自分の人生の王であり続けることはできないのです。主イエスは、私たちの王座も脅かす方なのです。

■自分たちの王を喜び迎えようとしない神の民

 それでは、恐れたヘロデはどうしたのでしょうか?本日の聖書の箇所の4〜6節には、『王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」』と記されています。ヘロデはどうしたのかと言うと、ヘロデは専門家集団を呼び集めたのです。専門家集団として、2種類の名前が挙がっています。民の祭司長たちと律法学者たちです。民の祭司長というのは、祭司は24の組に分かれていました。そして、各組の長を祭司長と言ったのです。そして、律法学者たちですが、この人たちは、元々は書記なのです。公の記録や文書を作成して、保存していた人たちであったのです。それから、聖書本文も書き写して、写本を作っていた人たちなのです。その書記であった人たちは、やがて律法学者と呼ばれるようになるのです。

 従って、ヘロデが民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めたというのは、これは72人の議員からなるユダヤの最高法院、サンヘドリンを招集したということです。サンヘドリンの人たちを集めて尋ねたら、メシアがどこに生まれることになっているのか、直ぐに分かったのです。それは、ミカ書の5章の1節に記されているということなのです。

 旧約聖書のミカ書5章1節には、『エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。』と書かれています。ところが、マタイによる福音書2章6節には、『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』と記されているのです。福音記者マタイは、ミカが予言している通りには、書いていないのです。それはなぜかということですが、本日は細かな記載の違いの比較は行いませんが、マタイがミカ書のオリジナルの知った上で、自分で意訳しているのは、1.ミカ書の5章の予言が実現して、メシアである主イエスが生まれたのだ、2.そのことが起きたのはベツレヘムで、そのことによって、この小さな町は全人類に覚えられる素晴らしい町になったのだ、3.主イエスは羊を命がけで守る良き牧者になったのだ、ということを強調するためなのだと思います。マタイが興奮して書いている、その気持が非常に良く伝わって来ると思います。

■『わたしも行って拝もう』

 さて、ヘロデはメシアがどこで生まれるかを知りました。ベツレヘムだということを知ったのです。従って、ヘロデが次にやることは、その子を王になる前に殺してしまえ、ということなのです。ところが、ベツレヘムと言っても、その中のどこの誰だか、まだ、分からないのです。そこで、ヘロデ王は、東方の学者たちを、何食わぬ顔で、呼び寄せたのです。本日の聖書の箇所の7〜8節には、『そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。』と書かれています。ヘロデは、主イエスを殺そうとしているのですが、何食わぬ顔でこのようなことを言える人なのです。ヘロデは東方の学者たちをひそかに呼んで、『星の現れた時期を確かめた』のです。なぜ、星が現れた時期が重要なのでしょうか?ヘロデは、メシアが誕生してから、最大、どれくらい経っているかを確認したのです。この問いが、クリスマスイヴの燭火礼拝で取り上げます、本日の聖書の箇所のすぐ後の、2歳以下の男の子を、1人残らず殺すことに繋がってくるのです。そして、幼子を抹殺しようとしているのに、『わたしも行って拝もう』と言っているのです。もし、神様の介入がなければ、ヘロデが考えていた通りになっていたと思います。しかし、ここで神様は歴史に介入されたのです。

 一方、本来、ユダヤ人が主なる神の民として、神に従って生きるための指導者として立てられているはずの民の祭司長たちや律法学者たちが何をしていたのかと言いますと、ヘロデ王の諮問を受けて、ヘロデにメシアが誕生する場所を教えた、ということだけでした。彼らは聖書の知識を豊富に持っているので、メシアはベツレヘムで生まれることを知っていたのです。しかし、彼らはこの正しい知識に基づいて行動を起こすことはありませんでした。従って、彼らは何もしないことで、ヘロデが新しく生まれたユダヤ人のまことの王を殺してしまおうとすることの片棒を担ぐことになったのです。聖書の正しい知識を持っている彼らこそが、本来なら真っ先にこのまことの王を拝みに行き、民と共にその誕生を喜ぶべきなのに、彼らはそんなことは全く考えていません。民の祭司長たちや律法学者たちは、神様がお遣わしになったまことの王を喜び迎えようとせず、受け入れようともせず、かえって不安を覚え、そのまことの王を抹殺しようとしている、そういう神の民の姿が本日の聖書の箇所に描かれているのです。

■東方の占星術の学者たちによるまことの礼拝

 このユダヤ人たちと対照的なのが、東の国からはるばるやって来た占星術の学者たちです。彼らは勿論ユダヤ人ではありません。ユダヤ人たちが、蔑んでいた異邦人です。本日の聖書の箇所の9〜10節には、『彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。』とあります。占星術の学者たちは、真っ暗闇の夜に、星に導かれて、幼子のいる場所にたどり着いたのです。そして、彼らは、今、自分たちが神様のみ心の内を歩んでいるという保証が与えられたということに喜んだのです。今日の聖書の箇所には、ヘロデの悪意と企みがありますが、占星術の学者たちはそのことを知らずに歩んでいるのです。遠い国から来て、いろいろな艱難を乗り越えて、ここに来ているのです。

 次に、本日の聖書の箇所の11節には、『家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。』とあります。福音記者マタイは、主イエスの降誕を飾る出来事として、東方から来た占星術の学者たちによるメシア礼拝を書き記しているのです。『拝む』と訳されている言葉は、ひれ伏して拝む、礼拝するという意味です。つまり彼らはユダヤ人の王をまことの王として拝み、礼拝を行ったのです。それは本来、主なる神の民であるユダヤ人が真っ先にしなければならないことでした。しかし、このときヘロデ王に率いられているユダヤは、主イエスを殺そうと、謀(はかりごと)を巡らしていたのでした。主イエスを拝んだ後、東方から来た占星術の学者たちは、『宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。』とあります。占星術の学者たちは、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げたのです。旧約聖書の伝統では、『黄金』というのは、王位の象徴です。『乳香』は、神様であることと、御子イエスの生涯の純粋さを象徴しています。そして、『没薬』は死んだときに、身体に塗るもので、御子イエスの苦難の生涯を象徴するものなのです。従って、これらの3つの贈り物は、主イエスは、神であり、王である、そして、贖いの死を遂げるメシアであることを象徴しているのです。そして、このことは、東方から来た占星術の学者たちは、生まれたばかりの命そのものである幼子イエスがまことのメシアであるという本当の価値を知っていたということを示しているのです。

 マタイによる福音書に於いて、主イエスの生涯の始まりに、主イエスの本当の価値を知っていたのは、異邦人である東方から来た占星術の学者たちでした。それでは、この福音書に於いて、主イエスの生涯の最後に、主イエスの本当の価値を告白したのは、誰であったのでしょうか。マタイによる福音書27章54節を見ますと、『百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。』とあります。全地が暗くなった(27章45節)、その真っ暗闇の中で、ユダヤ人から見れば異邦人であるローマ兵たちは、『本当に、この人は神の子だった』と、主イエスの本当の価値を告白しているのです。ローマ兵たちは、主イエスの十字架という悲劇の極致・真っ暗闇・絶望に包まれる中で、ローマ世界から見れば、ユダヤという辺境の地の1人の死刑囚の生き方と死に方に一筋の希望の光を見たのだと思います。

 このように、主イエス・キリストの生涯の始まりと終わりは、異邦人による主イエスの本当の価値の告白という2つの括弧で括られているということを、マタイはこの福音書で伝えようとしていると思うのです。そのことは、主イエス・キリストの生涯を核(コア)として、主イエスの福音はあまねく異邦人世界に繋がっているということを示していると思います。

 この福音書を書いたマタイという人は、教会は様々な言語の人、文化の人、地域の人に開かれているものでなくてはいけないと語っていたと伝えられています。本日の聖書の箇所のクリスマス物語の中に於いても、マタイの国際的な感覚が随所に伺うことができます。マタイとその教会の者たちがこの福音書を書いた頃には、すでにキリスト教はインドの近くから(東端)、スペインにまで(西端)広がっていました。つまり、東方の占星術の学者たちの旅路は、決して現代の日本に生きる私たちの日常ともかけ離れた物語ではなく、私たちにも起こりうる身近な物語なのだと思います。最近は、〇〇ファーストという言葉をよく耳にするような時代となっていると思いますが、本日の聖書の箇所が語るメッセージは、東方の占星術の学者たち贈り物が語っているように、真の神であり、真の王である主イエスの贖いの死によって、1つの家族とされた私たちが、生まれたばかりの幼子という、小さな命として世に来られた主イエスの本当の価値を告白することが求められているのだと思います。私たちは、遠い国から来て、いろいろな艱難を乗り越えて、幼子である主イエスを礼拝した東方の占星術の学者たちのように、主イエスを証しして、生きて行きたいと思います。

 それでは、お祈り致します。