■関田寛雄先生を偲んで
クリスマスおめでとうございます。私が神奈川県の川崎市におりましたときに通った教会の牧師であり、青山学院大学の名誉教授である関田寛雄先生が12月14日に94歳でお亡くなりなられました。ここのところ、私は、12月4日と12月18日と2回に渡って、関田先生がアメリカに留学したときの思い出を綴った「アメリカ思い出の記」から2つの記事を紹介させて頂きました。その理由は、関田先生がお亡くなりになる2週間ほど前の11月の末に、著書とお手紙を頂きました。それは、以前先生が北九州市で公演された際に、お会いしたのですが、そのときに私の奨励が入っている週報をいくつかお渡ししたのですが、後から、著書と共に、『語り続けなさい』という励ましのお手紙を頂きました。
そして、今年の11月に関田先生の宿題である『語り続けなさい』という宿題を続けていますよという思いで私の奨励が載っている週報を、図々しくもまた、いくつか送付させて頂いたのでした。そうしましたら、また、お手紙と著書を送ってこられて、手紙の中で、次のように書かれていなのです。
『ここでお送りする本は、かつて川崎戸手教会の週報に連載したものなのですが、私の、無教会の友人が出版社も営んでいて、私にしつこく出させてくれと求められて、彼が出版してくれたものです。昨年、彼は召されました。91才でした。
この本の中に、貴兄の説教の「ネタ」になるか、「枕」になるか、わかりませんが、そのようなエピソードがありますので、利用して頂ければと思い、お送り致します』
と書かれていました。それで、私は関田先生に、お礼状を出すのに、先生の宿題の「アメリカ思い出の記」の単行本の中の物語を、私の奨励の中で、引用しましたよ、というつもりで、2回連続で、引用させて頂いたのでした。先生への宿題の提出は間に合いませんでしたが、主イエスの元で、再びお会いするときには、提出できなかった宿題をお渡ししたいと思っています。
しかし、私のようなあるかなきかのような小さな存在にも、このように励ましの手紙を送り、著書を送って下さる関田先生の姿に触れますときに、宣教とは、本当に何とかして、一人、二人を得ようとする営みだと思わざるを得ません。そして、関田先生は最後の最後まで、福音の宣教に生き抜かれたのだと思います。神様のご計画は、常にこの世の片隅の小さなところから始まることを思います時に、今年のクリスマスは、特別なクリスマスなのだと思います。本日は、飼い葉桶の中の救い主、主イエスの誕生の記事を通して、福音記者ルカはなぜこのクリスマスの記事を書き記したのかということを、皆さんと共に学んでゆきたいと思います。
■皇帝アウグストゥス
さて、ルカによる福音書では、主イエスの誕生を預言者ヨハネの誕生と対比させながら、丁寧に描いています。そして、マタイによる福音書と比較すると、その違いは際立っていることが分かります。マタイによる福音書では、1章24〜25節に次のように書かれています。
『ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。』
これが、マタイによる福音書での主イエスの誕生物語なのです。福音記者ルカは、バプテスマのヨハネの誕生について、細かに書き記していますが、それ以上に主イエスの誕生物語をより詳細に記録しています。本日の聖書の箇所のルカによる福音書の2章の記事は、ルカだけが書き記している記事なのです。ルカが書き記していてくれなければ、私たちは主イエスの誕生の次第を知ることができなかったと思います。本日の聖書の箇所の前の洗礼者ヨハネの誕生物語では、ヨハネの父ザカリアが、『ヨハネ』という名前をつけた、その命名の経緯が強調されています。それに対して、主イエスの誕生物語では、誕生した状況と背景に強調点があります。
さて、本日の聖書の箇所に入って行きたいと思います。2章の1節は、ガリラヤのナザレにいたヨセフとマリアがなぜベツレヘムに行かなくてはならなかったのかということについて、次のように書かれています。『そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。』とあります。『そのころ、』とは、どのころなのでしょうか。文脈的には、本日の聖書の箇所の前の箇所、洗礼者ヨハネが誕生した時期を指しているということになります。では、『そのころ』、何が起きたのでしょうか。『皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。』とあります。ここで、皇帝アウグストゥスという人物が、どういう人物であるかということを知っておく必要があります。皇帝アウグストゥスは、ローマ帝国の最初の皇帝です。彼の時代から、ローマは帝国になったのです。アウグストゥスというのは名前ではありません。彼は、もともとはオクタヴィアヌスという名前でした。紀元前44年に暗殺されたユリウス・カエサルの養子、後継者だった彼が、カエサル亡き後の長い内戦に終止符を打ち、勝利者となったのです。ローマの元老院は紀元前27年に彼に「アウグストゥス」という尊称を贈りました。それは「尊厳ある者、尊敬されるべき者」というような意味の言葉で、そういう称号を贈ったからといって元老院は別に彼を皇帝に任命するつもりではありませんでした。しかし、後から振り返って見ると、これはアウグストゥスが皇帝となり、ローマは皇帝の治める帝国となったことを意味していたのです。およそ百年後にこの福音書を書いているルカは、当たり前のように「皇帝アウグストゥス」と書いています。歴史の上で、紀元前27年がローマの帝政開始の年とされており、皇帝アウグストゥスの治世は、紀元14年まで続くのです。
■シリア州の総督キリニウス
さてこの皇帝アウグストゥスが、「全領土の住民に、登録をせよとの勅令」を出したとあります。従って、この住民登録の勅令は、アウグストゥスの治世である紀元前27年から紀元14年の間に行われたものとなります。これは、徴税を目的とした住民登録です。この事によって、徴税のための住民台帳を作るためなのです。そして、2節には、「これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と書かれています。この2節の記載が、過去に大問題となっていたのです。ルカの歴史的背景に関する記述が不正確だという批判があったのです。ルカによる福音書の1章5節には、『ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。』と記されている通り、洗礼者ヨハネの誕生と主イエスの誕生はヘロデ大王がユダヤを治めていた時代に起きた出来事であることが分かります。そして、ヘロデ大王が死んだのは紀元前4年なのです。また、マタイによる福音書には、ヘロデ大王がベツレヘムに生まれた2歳以下の赤子を殺したということが伝えられています。そうすると、主イエスの誕生は紀元前4年以前のことで、紀元前4年からさらに最大で2年位さかのぼることができるというのです。ところがキリニウスがシリア州の総督であったのは、紀元6年以降であるということが、ヨセフスも報告しており、歴史研究の上での事実とされていたのです。そうすると、ヘロデ大王が生きていたときに誕生したのか、あるいは、キリニウスが総督であったときに誕生したのか、2つの年代が矛盾することから、問題となっていたのです。
ところが、のちにアンテオケでローマの文書の断片が発見され、それによると、キリニウスはシリアの総督になる前の紀元前10年~紀元前7年の間、シリアの軍事担当の総督としてシリアに駐在しており、ヘロデ大王の在位期間とキリニウスが行った住民登録の時期とは矛盾しないというのです。このことを主張したのが、W.M.ラムゼイという考古学者です。すなわち、ルカが伝えている住民登録は、キリニウスが紀元前8年に行ったものだということが分かって来たのです。従って、ルカによる福音書が伝えている内容と歴史研究が伝えている事実の間には矛盾はないというのです。
このことは、私たちにとって大きな意味を持ちます。主イエスの降誕物語は、昔々の心が暖まる良いお話などではなくて、神様が人間となって、この世に生まれ出た、歴史上の事実なのだということなのです。私たちは、主イエスの降誕物語を、リアルな出来事として受け止めることが求められていると思います。
■住民登録
さて実際の住民登録ですが、ローマ帝国の全土で一斉に行うわけではないのです。行政単位毎に行ってゆきますので、シリア地区の住民登録が、紀元前8年よりもずれるということがあったのです。次に、3節には、「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」と記されています。『自分の町』と書かれていますが、これは今、自分が住んでいる町という意味もあるのです。例えば、ルカによる福音書の2章39節には、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。」と書かれています。この場合には、今、住んでいる町という意味になります。もうひとつの意味は、先祖の町という意味があるのです。ここでは、先祖の町に帰ったという意味になります。ヨセフの先祖はダビデです。ベツレヘムというのは、ダビデが誕生した町で、ルカはベツレヘムをダビデの町と呼んでいます。ベツレヘムが家族の戸籍が保管されている町、ヨセフの戸籍が保管されている町だったのです。そして、「人々は皆、登録するために」と記されていますが、エジプトでパピルスに家族毎の戸籍が記されているものが発掘されています。それと同じように、ベツレヘムでも家族毎の戸籍が保管されていたのです。そのベツレヘムの町に、ヨセフは戻って行ったのです。
■ダビデの町、ベツレヘム
さて、4節には「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」と書かれています。ヨセフが暮らしていたナザレの町を考古学者が発掘していて、たくさんの陶器の破片が発掘されています。その陶器の破片から、当時、ベツレヘムからナザレに移住した人がかなりいたということが分かってきています。従って、ヨセフの先祖も、どの代かは分かりませんが、ベツレヘムからナザレに移住してきた人々の一人であったと考えられます。そして、ベツレヘムという町には、2つ名称があるのです。元々、「ベツレヘム」は、ヘブライ語で「パンの家」という意味があります。「ベート」は「家」を意味し、「レヘム」は「パン」を意味しています。ということは、そこが昔から小麦や大麦などの穀物の産地だったことが分かりますが、ベツレヘムという町の名前にはより深い意味が隠されています。「糧、パン、食物」を意味する名詞は「レヘム」と言いますが、その動詞の「ラーハム」は「食べる」ことを意味します。しかし、この「ラーハム」という言葉は、聖書では「食べる」という意味で使われる以上の頻度で、「戦う、攻撃する」という意味で使われています。
創世記3章17〜19節には、「神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」と書かれています。なぜ顔に汗を流して糧を得るのかといえば、それは、罪のゆえに土地がのろわれて、荒地の象徴である「いばらとあざみ」が生えるようになり、それゆえに、「いばらとあざみ」と戦って糧を得るための苦しい戦いを余儀なくされてしまったからです。しかし神様は、神の民が主を信頼する時に、必要な「糧」マナが天から与えられることを荒野の経験を通して教えられました。死ぬことのない生存の保障は主を信頼することによって必ず与えられるという真理です。「いのちのパンを与えることのできる方」が生まれた場所が「パンの家」、すなわち「ベツレヘム」だというのです。
さて、4節のユダヤのベツレヘムという町は、エルサレムの南、8kmのところにある町です。車で行けば、15分位で着くところにある町です。福音記者ルカはそこをダビデの町と呼んでいます。ダビデの町と言うとき、聖書では2つの使い方があります。旧約聖書では、ダビデが造った町ということで、エルサレムの南地区を指します。しかし、ルカによる福音書では、ダビデの町はベツレヘムを指しています。ルカはダビデとベツレヘムと結びつけるために、ダビデが生まれた町、ダビデが育った町、ダビデが羊飼いをしていた町と関連付けるために、ダビデの町と書き記しているのです。
■身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に
さて、ヨセフは住民登録をするためにベツレヘムに行ったのですが、一人で行ったわけではないのです。5節には「身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」と書いてあります。「いいなずけのマリア」とありますが、婚約関係と見えますが、当時のユダヤでは、法的には妻としての立場にいたということです。しかし、実質的な結婚生活は始まっていないのです。それが、「いいなずけのマリア」という言葉の意味です。ナザレからベツレヘムまでは、約220kmあります。4日から5日もかかる道のりです。ロバに乗ったにせよ、旅をするのは、大変だったと思います。それでは、マリアはなぜ、ヨセフに同行したのでしょうか?理由は、いくつか考えられると思います。1つ目の理由としては、マリアもベツレヘムで登録する必要があったということが挙げられます。この可能性は高くて、ローマの行政単位であるシリア州では、女性にも人頭税が掛けられていたからです。人頭税というのは、納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金のことです。ですから、マリアはベツレヘムに行って、登録する必要があったと考えられます。2つ目には、一人でナザレにいると、いろいろと人々の噂の対象になってしまうので、それを避けるために、ヨセフと一緒に旅をしたとも考えられます。3つ目には、マリアが出産するときに、ヨセフがそばにいることを、マリアが望んだとも考えられます。さらに、4つ目には、主イエスが救い主メシアであることをマリアは知っていました。そして、ミカ書の預言をマリアは意識していたとも考えられます。
■エフラタのベツレヘム
ミカはイザヤと同時代に登場した預言者ですが、ミカ書の5章1節には、「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」と書かれています。ここで、「エフラテ」とは「ベツレヘム」の別名です。ヤコブが愛する妻ラケルを葬った場所で、ベツレヘムにきわめて近い場所にあります。ミカは、神様が「ベツレヘム」という「ユダの氏族の最も小さな部族」から、「神ご自身のために」、しかもそれは「昔から、永遠の昔からの定め」だとしています。つまり、変更されることのない決定事項のご計画として、「ベツレヘム」が神様のために、神様によって選ばれているのだと言うのです。その神様の不変の選びのゆえに、主イエスはベツレヘムで生まれなければならないと、マリアは考えたのではないでしょうか。福音記者ルカは、マリアがヨセフと共にベツレヘムへの旅をしたということの背後に、神様の御手を見ていたのだと思います。
■飼い葉桶の救い主
しかし、神様の御手の中にありながら、主イエスの誕生は、誠にみすぼらしい中で起きた出来事であったのです。ルカによる福音書の2章の6〜7節には、「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書いてあります。マリアとヨセフがベツレヘムについてから、どれくらいの時間が経過しているかは、ルカは伝えていません。分かることは、マリアとヨセフがベツレヘムに滞在している間に、月が満ちたということです。神様がご計画された時が来た時に、マリアは男の子を産んだのです。
そして、「布にくるんで」という記述が出てきます。これは、新生児を帯のような長い布でくるんだということです。長い布で、赤子をくるむというのが、当時の習慣だったのです。これは、生まれた子どもを大事に扱っていることなのです。その理由は、1つは寒くないようにということです。そして、もう1つの意味は、両腕が真っ直ぐに伸びるように、布でぐるぐる巻きにしているのです。これは、ユダヤの習慣で、今でもこのようなことをする習慣が残っています。エゼキエル書の16章の4節には、エルサレムに関して、「誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布にくるんでくれる者もいなかった。」と記されています。これは正しい配慮を受けなかった、きちんとした面倒を見てもらえることがなかったという表現で、「布にくるんでくれる者もいなかった。」と語られているのです。
生まれた子を布でくるんでくれるという作業は、通常、助産婦が出産に立ち会って、行ってくれるのです。特に、初産であるマリアに、助産婦ついたという可能性は十分に考えられると思います。それは、ベツレヘムに着いたとたんに、出産したわけではなく、ベツレヘムに滞在している間に、月が満ちて、生まれたわけですから、いつ頃生まれるかは予想ができるわけですから、助産婦と話が事前についていて、マリアの出産に助産婦がついていたと考えることは、十分に可能だと思います。
生まれた子どもがどうされていたかと言いますと、飼い葉桶に寝かされていたというのです。飼い葉桶というのは、家畜にエサを与えるときの道具です。その道具が、生まれた子ども、メシアである主イエスの揺り籠となったというのです。飼い葉桶を揺り籠に使うわけですから、その廻りには家畜はいないということが推定することができます。ここには、マリアとヨセフと、新生の幼な子主イエスがいるのです。この布にくるまれて、飼い葉桶に寝かされている幼な子主イエスは、本日の聖書の箇所の後に登場する羊飼いたちにとって、重要なしるしとなったのです。ルカによる福音書2章12節に、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と書かれています。「布にくるまって」いることと、「飼い葉桶の中に寝ている」ことが、羊飼いたちに与えられた、幼な子を探し当てるしるしであったのです。
■宿はない
そして、7節の後半には、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と記されています。ここは、口語訳聖書では、「客間には彼らのいる余地がなかったからである。」と訳されていました。宿屋と書かれていますが、宿屋や旅館に空き部屋がなかったということではないのです。住民登録のために旅をしてゆくと、着いた先で知り合いがいるわけです。多くの場合、親戚の家になるわけです。その親戚の家に、通常、滞在させてもらうわけです。ところが、住民登録のように、多くの人々が一度に移動して来た場合、親戚の家に、空いている客間がないということがあったのです。離散した親族が、同じ時期に戻ってくると、多くの人の家は狭いものですから、客間にスペースがないということは、容易に想像することができます。それでは、どうしたのでしょうか?町のはずれにある、自然の洞窟が、通常は家畜の囲い場となっているところが、マリアの出産の場になったと考えることができます。しかし、別の説もあって、当時は家の裏、あるいは、横に家畜を飼うスペースがあって、そのスペースに泊まったという可能性も考えることもできます。しかし、町のはずれにある自然の通常は家畜のための洞窟を使って、マリアは出産したと考える方が、可能性が高いと思います。
いずれにしましても、メシアである主イエスは、人間が生活する空間ではなくて、通常は、家畜が生活する空間でお生まれになったのです。主イエスが誕生した場所の近くには、現在、生誕教会が建てられていて、祭壇の下に主イエスがお生まれになったとされる空間が確保されています。また、生誕教会の近くにも洞窟がありますが、そのようなどれか1つの洞窟の中で、私たちの救い主はお生まれになったのです。私たちの救い主は、そのような洞窟の1つの中で、誕生して下さったのです。そのことが、まことのクリスマスの出来事、クリスマスの真実なのだと思います。
■貧しい者たち、弱い者たちと共に
当時、「パックス・ロマーナ」と呼ばれる繁栄の只中のローマ世界の中で、誰も見向きもしないベツレヘムという小さな町で、しかも、洞窟の中で、主イエスはお生まれになったのです。しかし、ルカはこの小さな出来事は、世界の歴史の中に位置づけるべき重要な出来事だと考えたのです。主イエスの誕生から、全世界の人々が影響を受けるようになると、福音記者ルカは考えて、このルカによる福音書を書いているのです。アウグストゥスは神格化された皇帝であり、世界に平和をもたらした神聖な救い主と呼ばれていたのです。しかし、ルカがここで伝えているのは、アウグストゥス以上の救い主が到来されたということです。そして、ルカはベツレヘムの町をダビデと関連付けてダビデの町と呼びました。神様がダビデと交わした契約をダビデ契約と言いますが、ダビデ契約によれば、メシアはダビデの子孫から生まれるということになっているのです。それ故、メシアのことを「ダビデの子」という称号でよぶこともあるのです。ヨセフとマリアは共に、ダビデの子孫なのです。従って、ヨセフとマリアの子として、ベツレヘムで誕生した主イエスは、ダビデ契約の成就として生まれたのだ、つまり、主イエスはメシアの資格を持つものだというのを、ルカはここで宣言しているのです。主イエスは、ベツレヘムで生まれていなければ、メシアの資格はなく、ダビデの子孫として生まれていなければ、メシアの資格はなかったのです。ルカはダビデ契約を取り上げて、主イエスはメシアとなる資格を持ったお方であること示しているのです。さらにルカは、主イエスが飼い葉桶の中に寝かされていたということを伝えていますが、私たちの救い主は普段は家畜を囲い込んでいる洞窟の中でお生まれになったのです。主イエスは王宮ではなく、飼い葉桶の中に、寝かされたのです。このことは、どのような意味を持っているのでしょうか?主イエスは、貧しい者たちや弱い人たちと1つとなられたということです。主イエスは、自らが貧しい者となることによって、貧しい者たちや弱い者たちとの連帯を表されたのです。それゆえ、主イエスがお生まれになったという福音は、まず、最初に羊飼いたちに届けられたのです。
ディートリヒ・ボンヘッファーという神学者がいましたが、彼はナチス・ドイツの時代に抵抗運動に参加したため、刑務所に入れられてしまいます。そうして、戦争が終わるわずかひと月前に、絞首刑による死をとげています。ボンヘッファーが、ドイツの敗戦が近づく混乱の1943年に、離れている親しい友人に宛てた手紙に、次のような一節があります。
「キリスト教徒の立場からすれば、刑務所でのクリスマスはさして問題となりません。ここでは、むしろクリスマスという名のみで祝われる多くの場合より、はるかに意味深い、より本質的なクリスマスが祝われていると言えます。悲惨、苦しみ、貧困、孤独、絶望、そして罪が、神の目には人間の裁きとは全く別の意味を持つこと。また、人が目をそむけようとするまさにその場所に、神は目を向けたもうこと、そして、キリストが宿を断られたがために、馬小屋にお生まれになったこと、これらのことを囚人たちは、他の人より深く理解するのです。そして、これこそがまさに彼らにとって、喜ばしい福音であり、また、それを信ずることによって、すべての時空の壁を破る全キリスト教徒の共同体の一員に組み込まれるのを知るのです。こうして、獄舎の壁はその意味を失うのです。」
ルカが伝える降誕物語の意味は何なのでしょうか?それは、誕生のときから、主イエスにはこの世に居場所がなかったということです。私たちは、現代の日本の中で、生き辛いと感じることはあるのではないでしょうか。もし、そのように感じることがあるのだとしたら、主イエスご自身がこの世に居場所がなかったという生活をされたのです。主イエスはこの世から拒否されても、貧しい人たち、弱い人たちとの連帯を示されたのです。そして、この世からの拒否が極まったのが、十字架刑であったのです。しかし、主イエスは苦しみの極みの中にありながら、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と私たちのために祈って下さったのです。
ヨハネによる福音書1章11〜12節には、「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」とあります。言というのは、主イエスのことです。言は、ベツレヘムの洞窟の中で生まれ、飼い葉桶の中に寝かされたこの言は、契約の民イスラエルのところに来たのに、ご自分の民は受け入れず、居場所がなかったのです。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えたとヨハネは語っています。主イエスの誕生物語は、あらゆる時代の片隅に追いやられた人々に希望を与えてきたのです。どうしたら、希望は与えられるのでしょうか。それは、主イエスは私たちのような者のために、居場所のない生活を送って下さり、十字架の上で、身代わりの死を遂げ、墓に葬られ、3日目に蘇り、私の主であることを証明して下さった。その主イエスを救い主として受け入れますと告白したとたんに、私たちは新しくされたことを経験し、新しい希望に生きることができるようになるのです。この世に居場所がたとえなくても、神の国において、神様と共に生きる居場所が与えられるようになるのです。私たちは、主イエスが洞窟の中でお生まれになることによって、貧しい者たち、弱い者たちとの連帯を示して下さったことに感謝して、このクリスマスに、主イエスを救い主として信じますと告白したいと思います。
それでは、お祈り致します。