■オバマ・スピーチ
「七一年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです」
これは、七年前のヒロシマで語られたスピーチです。七一回目の広島原爆記念日の 二か月前、二〇一六年五月二七日のことでした。アメリカ合衆国大統領として「初めて」被爆地ヒロシマを訪れたバラク・オバマによる、ヒロシマから世界に向けて語られた「初めて」のスピーチでした。それまでの歴代大統領の誰ひとり、ヒロシマに来て、ヒロシマから語りかけることはありませんでした。いえ、できませんでした。 しかしオバマは、ヒロシマを訪れ、そして語りました。それは、二〇〇九年にチェコのプラハで、彼自らが「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的責任がある…アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求することを約束する」と宣言した、その道を求め、実現するためでした。
印象深いそのスピーチは、毎年八月六日に語られてきた日本の歴代総理の挨拶とは、全く質を異にしていました。歴代総理も、平和への願い、核廃絶への歩みの大切さを繰り返し訴えてきました。しかしそれが、心深くにまで届いて来ることはありませんでした。整ってはいても、当たり障りのない、どこか他人事のような、ただ外に向かってアピールするだけの言葉に思えました。体と心に深い傷を追いつつも、平和を希求してやまない被爆者の切実な願いを、自らのこととして真摯に受けとめ、向き合うものではなかったからです。
オバマ・スピーチは、それとは全く異なるものでした。
「なぜ私たちはここ、広島に来るのでしょうか?…私たちは、一〇万人を超える日本の男、女、そして子どもたち、数多くの朝鮮の人々、一二人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうあるべきかを振り返るため、内省するよう求めています」(傍点、沖村)
クリスチャンであるオバマが語る「内省」とは、単なる倫理的態度のことではありません。それは明らかに、聖書が「罪」と呼んでいるものに関わる言葉です。オバマ・スピーチは、美しい言葉で飾ることなく、この内省、人間の本質としての罪をしっかりと見据えることから始めています。そこから原爆の出来事、その記憶に向き合おうとします。
「私たちは、この街の真ん中に立って、勇気を奮い起こして、爆弾が投下された瞬間を想像せずにはいられません。私たちは、目の当たりにしたものに混乱する子どもたちの恐怖を感じないではおれません。私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。…
単なる言葉だけでは、こうした苦しみを表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するという共同責任を負っています。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないために、どうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。
いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。それでも、一九四五年八月六日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶が、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶が、私たちに変化を促すのです。…」
戦争の記憶の大切さに言及する言葉です。広島の被爆者が書き残したいくつもの手記を、わたしたちは手にすることができます。そこには、死がまるで当たり前のようにして普段の生活を覆い尽くし、日々生きることが奇跡であるかのような、そんな日のことが記されています。原子爆弾によって、放射能の影響によって、言葉にすることもできない苦しみ、悲しみを味わった人々の思いが綴られています。 大切なことは、被爆によって引き起こされたことがどのようなことだったのか、そして被爆した人たちがどんな思い、どんな願いをもって平和を求め続けてきたのか、何よりもそのことを自分の身に起きたこととして受けとめていくことができているのか、ということです。(※参考・最終頁)
平和への道のりが平坦であるはずもなく、わたしたちの罪もまた実に根深いものです。オバマ・スピーチもまた、すべての人々にこう訴えかけます。
「それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。私たちは、人間が邪悪な行いをする可能性を根絶することはできないかもしれません。…私が生きている間に、この目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この『死の道具』が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。…暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いの繋がりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。繋がりこそが人類を独自のものにしています。…だからこそ、私たちは広島に来たのです。…」
ウクライナでの惨状を目の当たりにし、ロシアのプーチン大統領による核使用への言及を耳にする今、わたしたちはオバマ・スピーチにもう一度しっかりと耳を傾け、味わい、この平和への祈り、和解への呼びかけの言葉を心に刻まなければなりません。
■一つ思いに
オバマ・スピーチが語る「繋がり」、それは平和への祈りであり、何よりも和解への希望です。パウロも今、この手紙の中でそのことを語り、教えようとしています。
ここに、エボディアとシンティケという二人の女性に関する勧告が書かれています。この二人は、三節の終りから見ると、フィリピの教会の設立に大きな貢献をした人たちのようです。しかし今や、彼女たち二人の関係なのか、恐らくは彼女たちと教会との関係に齟齬(そご)が生じていました。彼女たちが教会から出てしまったのか、たとえ教会内にいるにしても、彼女たちをめぐる人間関係は冷えびえとしたものになっていました。
どなたにも、友人との関係を壊してしまったという苦い思い出があるのではないでしょうか。最初は単なる行き違いや些細な失敗であっても、面子もあれば自己主張もあり、時には利害関係も絡むということで、容易に折りあいをつけることができず、自分自身でも訳が分からないうちに、いつの間にか破局に向かっていた。そんな経験など一度もないという人の方が珍しいでしょう。
そういう時に一旦壊れた関係を回復することは、とても困難です。それは、ほかに何か理由があって難しいのではありません。自分自身がそのことを真底から望んではいないために難しいのです。わたしたちは、冷静に振り返れば自分にも責任がある場合でも、相手に少しでも非があればそれを手掛かりにして、自分の側の態度の正当化を試みようとします。正常な関係の壊れた一切の責任を相手方に押しつけ、相手が然るべき態度を示さない限り、関係の回復はありえないとします。わたしたちにとって、相手方と和解するよりも、自分の面子が保たれることの方が大切なのです。
わたしたちは、こういう態度を普段から取り続けているので、しかも他方では、自分でも良心にやましいことをしばしば行っているとの自覚も持ち合わせているので、特に気の合う相手ならともかく、そうでない限り、相手との関係が真実なものであり続けるということに大きな期待を寄せません。ましてや、一旦壊れた関係が回復され、自分が相手からもう一度まともに相手にされるということは、まずあり得ないと思っています。赦し合いではなく、恐れ合い、警戒し合うといった姿が常態化し、それを当然のことと考えます。
それこそが、今も原爆投下を正当化するアメリカ国民の姿であり、加害者であることを見失い、それをなかったことにしようとする日本人の姿であり、NATOという軍事同盟の拡大に怯えるロシアの人々の姿である、そう申し上げてよいでしょう。オバマ・スピーチは、そんなわたしたちの罪と恐れを乗り越えて、和解と平和の道へと歩み出そうとの呼びかけであったと言えるでしょう。
■和解の福音
パウロも今、エボディアとシンティケという二人の女性が教会の交わりの中に完全に復帰すること、彼女たち自身が、二節の言葉を借りて言えば、他の信徒たちと「一つ思いに」なることを試み、教会の側もまたそれを受け入れる努力を払うことを、心から期待しています。期待しつつ、「主によって」「主において」「主は」「キリスト・イエスによって」という言葉を繰り返します。そうすることで、イエス・キリストがご自分を犠牲にすることによって、神と人間との壊れた関係を回復してくださったという驚くべき出来事を、福音を思い出させようとしています。そしてその福音ゆえに、「一つ思いに」なるように、真の和解を、と教え諭します。
しかし人間の常識から言えば、その福音の言葉は、容易には信じ難い言葉です。赦し合いなどということは現実には本当には起こりえない、と思っている人間にとっては、神がわたしたちの罪を赦すなどと伝えられても、それを意味のある言葉として受け入れることは困難です。しかし今、現に他の人との関係の破れに深く傷つき、しかもそのことの中に、何とも救い難い、醜い自分の姿を見出して慄然(りつぜん)としている人にとっては、神が「キリストによって」、自分の一切を赦してくださった、自分をもう一度まともな相手として扱ってくださろうとしている、というこの言葉は、開き逃すことのできない響きを持っているはずです。
教会とは、常識では容易に理解できないこの福音の出来事に、自分自身への神の語りかけを聞き取った人々が集まってできている共同体です。確かにわたしたち一人ひとりは、他の人たちと特に違っているという訳ではありません。相変わらず失敗はするし、相変わらず自分中心に振舞おうとするし、相変わらず他の人に対する配慮に乏しい生き方をしています。しかしそれにもかかわらず、わたしたちは言ってみれば、生きる基本のところで神が赦してくださっているという安らぎと喜びとに支えられています。それは、わたしたち自身の現実のだらしなさや醜さ、愚かさや拭い難い罪にもかかわらず、わたしたちに与えられている唯一の希望です。
神はキリストの十字架において、気心の知れた人間、多少とも自分に好意的な人間ではなく、自分に心を閉ざすこのわたしたちをこそ招いてくださいました。気まずい関係にあったわたしたちに対して、縁(えにし)を断つという行動には出ず、かえってわたしたちとの交わり、繋がりを求め、わたしたちに手を差し伸べてくださいました。であればこそ、わたしたちも そのような「主にある」生き方を、具体的な日々の生活の中で、わたしたちなりに試み、努めるべきではないでしょうか。 また、そのようなわたしたちの生き方は必ずや、周囲の人々の間にも喜びの渦を巻き起こしていくはずです。
教会の一致ということが、キリストの与えてくださる喜びにわたしたちが繋がっていることであるなら、つまり、わたしたち自身がキリストの愛に促されて、和解し難いと見える人との和解を求めて生きることに繋がっているのなら、それは、決して小さなことではありません。そこに実現される教会の一致は、来るべき神の国の秩序のひな形だからです。わたしたちの教会が、そのような教会の一致を生きることによって、内には喜びがあふれ、外に向かっては「和解の福音」の証しを続けることができるよう、祈ってやみません。
※参考―■平和への悲願
そんなヒロシマの記憶と願いを綴った言葉があります。広島流川教会の牧師であった谷本清の『広島原爆とアメリカ人―ある牧師の平和行脚』(NHKブックス、四三~四四頁)という本の一節です。
「…戦争は相敵対する双方に飽くなき憎悪を掻き立てるものなのに、被爆後、原爆に対する広島人の反応は『仕方がない』であった。…私は被爆以来、焼跡に住んで、多くの被爆者と生活をともにしてきたが、原爆を呪い、怨嗟する声をあまり聴かなかった。もちろん私自身とても原爆の非人道性は身に泌みて感じ、怒り心頭に発する感があった。だからと言って、相手方やアメリカを恨み呪う気にはならなかった。そうする前に、このような戦争に参加したことのあやまちを反省させられたからである。…
広島市長浜井信三氏が発言した言葉は、こうした市民の戦争に対する考え方を指導するに役立った。氏は曰く『アメリカと日本との相違は、持てる国と持たぬ国との相違である。アメリカは原爆を持っていたが、日本は持っていなかった。だからアメリカはそれを使い、日本は使わなかった。もし日本も持っていたら、きっと使っていたであろう』と。つまり原爆使用の責任は彼我同罪だというのである。戦争を肯定し戦争に参加した以上、相手がどんな非人道的な武器を使っても文句の言いようがないというのである。元来、戦争は人類に対する暴挙である。従って同じ暴挙で報いられても仕方がないと認めざるを得ない。…
だがしかし、このような『仕方がない』という戦争観で原爆戦争まで割切ることが出来ようか。戦争の責任を相手だけになすりつけるのでなくて、戦争の責任は双方が分たねばならぬという点において市長の解釈は一歩の前進を示したが、それだけで戦争についての万端の解決にはならぬ。戦争の方法とともに戦争の動機に問題は残る。アメリカが原爆を持っていて日本は持っていなかったから、これを使用したアメリカの勝利に終って戦争はやんだが、もし日本が持っていたらどうなるか。今は持っていないからやめるが将来持つに至ったらまた始めるのか。双方が核戦争を展開すれば地上に生き残る者はなくなる。戦争目的そのものまで吹っ飛んでしまう。何の目的もなくただお互いが滅ぶためにする戦争は戦争でなく悪魔のいたずらである。
動機においてもまた然り、アメリカは戦争の動機を日本の真珠湾攻撃におくようだが、真珠湾の前からすでに戦争は始まっていた。否、およそ戦争の動機は複雑怪奇、ただ単に武力使用の一点のみでなく、経済戦争から政治戦争……否、人間の内部に巣喰う罪責にまでさかのぼる。すなわち、一国なり一民族が他に対して自己の優位を主張し、自己の繁栄のみを固守して譲らず、しかもその優位を貫徹させようとする覇道こそ、他を滅ぼすのみでなく自らをも滅亡に至らしめる。この意味で、戦時中の日本がよって立っていた超国家主義は、自国を安寧に導くどころか、破滅に導いた邪道であった。真に我を生かし、他を生かす道は自己主張でなく、自己放棄である。…
ここに広島平和公園にある原爆記念碑の碑文、『安らかに眠って下さい/過ちは/繰返しませぬから』が平和の原点として光を放つ。…」