小倉日明教会

『差し出された指』

マタイによる福音書 14章 22〜36節

2023年10月8日 聖霊降臨節第20主日礼拝

マタイによる福音書 14章 22〜36節

『差し出された指』

【説教】 沖村 裕史 牧師

■いっしょに

 八歳か九歳の、まだ幼い男の子が苦しみの内に詠んだこんな詩(うた)、俳句があります。

 『冬蜘蛛(ふゆぐも)が糸にからまる 受難かな』

 『捨てられし菜のはな 瓶(びん)でよみがえり』

 この俳句を詠んだ子は、二〇〇一年の五月、この世に生を享けました。予定より三ヶ月早く生れた彼は、他の赤ちゃんの半分にもならない九四四グラム、両手の中にすっぽりと入ってしまいそうな、小さな、小さな赤ちゃんでした。医師はおかあさんに、「いのちがもつか、まず三日ほど待ってください」とひと言。保育器の中で、サランラップを巻かれ、からだに管(くだ)を何本もつけた、今にも消えてなくなってしまいそうな小さないのちでした。しかし生まれて三日、その小さな心臓は動き続けました。

 凛太郎と名づけられました。

 凛太郎は、体が小さく、弱かったので、何年も病院に通い続けなければなりません。頭を強く打つと危険だから注意するように、命取りになるから風邪やインフルエンザなどの感染症には気をつけて、医師からそう言われながらも、4歳になりました。

 教会の幼稚園に入った凛太郎は、優しい先生や友だちと幸せな二年間を過ごしました。この頃、テレビや絵本で俳句という詩があることを知ります。誰が教えたわけでもないのに、気づけば凛太郎は、五・七・五の十七文字で詩をつくるようになりました。その口から次々と溢れだす十七文字を、おかあさんとおばあちゃんは驚きながら、そしてうれし涙を流しながらノートに書き留めていきました。

幼稚園を卒園する頃には、彼の体もようやくみんなと同じくらいにまで大きくなりました。それでも足や腕の力は弱いまま。目も悪かったので、交通事故にあわないようにと、家族と一緒に学校に行くことになりました。ランドセルを背負うわが子の後ろ姿を見て、おかあさんは、よくぞここまでと神様に感謝をしました。

 ところが、学校で思わぬ目にあうことになります。いじめです。

 凛太郎は足が弱かったので、ぎごちない歩き方をしていました。バランスを取るために、両手をひらひらとさせながら歩くのを、「オバケみたい」と揶揄(からか)う子どもがいたのです。それからというもの、朝、学校に行くと、「凛が来たあ!」「おばけが来たあ!」と友だちが教室の扉を閉めてしまい、中に入れてもらえません。ようやく入れてもらえたところで、寄ってたかって、手でつついたり、足をひっかけたり、腕を雑巾を絞るように捩(ね)じ上げたりして、凛太郎がこけたり、泣いたりするのを笑うのです。

 「凛ちゃん、いじめられて毎日泣いてる。見てられへん」

 女の子がある日、そっとおかあさんに教えてくれました。

 入学して一週間目。突然後ろから突き飛ばされて顔を強く打ち、目が開けられないほどに腫(は)れました。迎えに行って驚いたおかあさんに、担任の先生は「一人でこけました」と報告。凜太郎は勇気を振り絞って言いました。「違うよ、後ろから誰かに突き飛ばされたんや。あんまり痛かったから起き上がれずにいたら、誰かは分からへんけど、女の子が職員室に先生を呼びに言ってくれたんや」。しかし、担任の先生は何もなかったことにしました。そんなことが何度も続きました。

しばらくたった日曜日の夜、凛太朗が初めておかあさんに呟きます。

 「僕、学校に行きたくない。友だちが僕の顔を見るたびに空手チョップすんねん。僕、机の下に隠れるねん」

 心配をかけまいと、決して弱音を言わなかった凛太郎の初めての訴えでした。おかあさんとおばあさんは、一生懸命に学校にお願いをしました。でも、光が見えないまま、一学期が終わりました。そして二学期に入っても、何も変わりませんでした。

 「先生は、僕がいじめられてるって言うても、”してない、してない”言うて、全然言うこと聞いてくれへん」

 二年生の秋を迎える頃、凛太郎は学校に行かないことにしました。その時、彼はほっとした顔をして、まじめな顔でこうつぶやきました。

 「小学校って残酷なところやなあ」

 その後も、いじめは続きました。友だちの体がもっと大きくなるにつれ、小さいままの凛太郎へのいじめはますますひどくなっていました。

 「もう、学校を退学する」

 凛太郎がそう宣言したのは五年生の時のことでした。

 見るのも嫌になった学校でしたが、凛太郎が「一番好き」という友だちがいました。同じクラスの蓮くんという男の子です。祭りの日、凛太郎とおかあさんとおばあちゃん、三人で見物に行った時のこと、はっぴ姿で、綱(つな)を持って走る子どもたちの中から、「凛ちゃん!」という声がします。見ると蓮くんです。蓮くんはおみこしから離れ、見物している凛太郎のそばに駆け寄って来て、こう声をかけてくれました。

 「凛ちゃん、また学校に来て。いっしょに遊ぼ!」

 「いっしょに」という言葉におかあさんは胸が熱くなりました。おばあちゃんは思わず蓮くんを抱きしめていました。

 「ありがとうね」。涙声でした。

 「いっしょに」、なんともいい言葉です。そして、今日読んでいただいた聖書も、「いっしょに、わたしはいるよ」と語りかけて来ます。

■わたしだ

 弟子たちの乗った舟は、湖の真ん中近くにまで来ていました。辺りは夜の闇に包まれています。そこに激しい風が吹き、今にも波に飲み込まれそうになります。夜に湖を渡ろうとするなんて、なんとムチャなことをと思うかところですが、弟子たちが望んでそうしたのではありません。

 「イエスは…弟子たちを強いて舟に乗りこませ、向う岸に先に行かせた」

 弟子たちは気が進まないのに、イエスさまが強(し)いて、無理やり、弟子たちだけを向う岸に行かせたのです。弟子たちは、イエスさまが言われたことだから、と舟を出します。しかしその舟の中にイエスさまの姿はありません。嵐の中、弟子たちは一晩中、必死に舟をこぎながら、イエスさまは自分たちのことを忘れてしまったのではないか、そう思いました。

 神はわたしたちの苦難に沈黙し、絶望の中に捨て置かれている。夜の嵐、恐れと絶望。本当の助けさえ、「幽霊」に映ります。何か遠い幻のように見えてしまいます。

しかしそこに、イエスさまの声が聞えてきました。

 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

 「わたしだ」と言われます。「わたしだ」というこの言葉は、ギリシア語の「エゴー・エイミー」、英語で言えば‟I‛ am.”。「わたしはある」「わたしは今ここにいる」という意味の言葉です。

 以前いた広島の教会の礼拝堂には、高さ八メートル、横一メートルほどの大きなステンドグラスが三枚、並んで嵌(は)め込まれていました。それぞれのステンドグラスに、鳩、炎、そして右手の人差し指が描かれています。日が差し込むと、とても美しく荘厳でした。その鳩も炎も、そして右手の人差し指も、そのどれもが神の霊、聖霊のシンボルです。神様が生きて働いておられることを表しています。とくにその人差し指は、「わたしはいるよ」と告げてくれる、特別なものでした。

 まだ幼かった頃のこと。夕方、仕事が終わって帰って来たわたしの父は、いつものように野良仕事の服に着替え、「行くぞ」とわたしに声をかけ、右手の人差し指を差し出します。目の前に差し出された、つり革のようなその大きな指をつかんだわたしを連れて、畑仕事へと出かけて行く、それが、いつもの父とわたしの日課でした。

 畑仕事をする父のそばで、田んぼのすぐ横につくられた小さな水路の中にいるタニシやイモリやカエルを捕まえたり、気に入った小石を集めたり、つくしやたんぽぽを引っこ抜いたりして、夢中で遊んでいました。気がつけば日は暮れかかり、闇が辺りの山々を覆(おお)い始めます。少し寒くなり、鳥でしょうか獣でしょうか、遠くから不気味な鳴き声もし始めます。恐くなり、そわそわし始めたころ、「帰るぞ」と父が声をかけ、「ほら」とまた、大きな人差し指がわたしの目の前に差し出されます。

 その指はどんなに暗くなっても安心できる指。わたしと父をつなぐ指。家に帰る道は真っ暗闇、ひとりだったらとても耐えられないほどに不安で恐ろしいはずですが、その指につかまってさえいれば、安心することができました。その指こそ、「わたしは今ここにいるよ」と言って差し出される神様の指、わたしにとっての神の霊、聖霊でした。

 わたしたちは、神様を、イエスさまのことを、どこか遠くの天におられる方だ、と思ってはいないでしょうか。しかし今、イエスさまは、「わたしだ」「わたしはここにいる」というこの言葉によって、手に取ることができるほどに傍近くに、「いっしょに」いてくださる方として、ご自身をお示しになります。

 イエスさまが人差し指を差し出して、「ここにいっしょにいる」「わたしだ」と、ご自身を示されるのを見るとき、わたしたちは、神様がどこか遠くから手紙を書いたり、メールやラインでメッセージを送ったりするだけの方ではないということに気づかされます。神様が、今ここで、救いの出来事を始めておられることに気づかされます。

 弟子たちは今、自分を自分の力で助けることができずにいます。どうしようもないと思えるその場所で、何もかもあきらめて投げ出すしかないその時に、しかしイエスさまはその嵐の只中に立たれ、弟子たちを助けてくださるのです。これこそ、本当の助けです。これこそ、イエス・キリストを通して示される神様の愛です。それはいつも、自分とは関係のない「向う側からの奇跡」として起こります。奇跡とは、単なる魔術、不可思議な何かというのではありません。それは、わたしたちがもはやどうすることもできない、そんなギリギリのところで、神様が近づき、神様が出会ってくださる出来事のことです。

■委ねて生きる

 とすれば、ここでイエスさまがペトロに投げかけられたもうひとつの言葉、「信仰が薄い者よ」という言葉に込められているものも、嵐に翻弄される弟子たちへの叱責ではなく、その神様の愛を、イエスさまの愛だけを頼みとし、信頼してすべてをお委ねする信仰に生きなさい、という招きではなかったでしょうか。

 「信仰が薄い」というこの言葉を、マタイはこの箇所を含めて五回使っていますが、皆様に思い起こしていただきたいのは、六章二五節以下です。

 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」

 空の鳥を見なさい、彼らは余計なことを望まず、与えられた今日一日のいのちを精一杯生きているではないか。明日炉に投げ込まれるかもしれない野の花さえ、今日のいのちを精一杯咲いているではないか。どうしてあなたのいのちを神にお委ねしないのか。ああ信仰の薄い者たちよ。こう言われたイエスさまの声は限りなく憐れみに満ちた、やさしいものであったに違いありません。わたしたちの弱さをよくよくご存知だからです。 冒頭、解散させられた五千人を超える「群衆」も、また湖を渡って辿り着いたゲネサレトで「その服のすそにでも触れさせてほしいと願っ」て押し寄せて来た病気の人々も、イエスさまによって飢えを満たされ、病を癒されながらしかし、最後にはイエスさまを見捨て、十字架の上に見殺しにしてしまいました。見捨てられ、見殺しにされることになるイエスさまが、それでもなお、そうする人々に、裏切る弟子たちに言われるのです。

 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

 誰の人生にも、嵐は襲いかかります。避けようとして避けることのできない苦難に、人生の嵐に、誰もが一度や二度は遭遇するものです。それでも、そんな嵐の中にあっても、「わたしがいる」「わたしがいっしょにいるよ」と言って、人差し指を差し出してくださる方がおられることを知れば、もはや、うろたえ、恐れ、叫ぶことなど必要ありません。イエスさまのところまで行こうとする必要もありません。イエスさまはすでに近くにいてくださるのですから、落ち着いて、冷静に、自分にできることをすればよいのです。舟が重ければ、自分が持っている荷物を捨てることもできます。舟の中に水が入ってくれば、それを掻き出すこともできるはずです。 イエスさまを信ずるということは、どんな苦難の中にあっても、平安の内をあるがままに生きること、そして人としてできることを誠実に為し遂げていこうとすることです。驚くべきことですが、そのための助けが、神の指が今ここに、わたしの前に、あなたの前に差し出されているのです。後は、わたしたちがその指に向かって手を伸ばして、その指を掴めばよいのです。