■死と向き合う
今日は、国際基督教大学附属ICU高校の、授業の一場面のご紹介から始めさせていただきます。
教師が、砂時計と頭蓋骨の模型を見せながら、こう切り出します。
(教師)「この砂時計と頭蓋骨に共通することはなんだと思いますか?こじつけでもいいですから、だれか考えてみてください。」
すると一人の生徒がこう応えます。
(生徒)「時間ですか?」
(教師)「そうですね。もう一歩進めてどうですか?」
(生徒)「死ですか?」
(教師)「そうです、死です。西洋の修道僧たちはわざわざ机の上に砂時計と頭蓋骨を置いて、『メメント・モリ(汝、死を忘るるなかれ)』と自分たちに言い聞かせていたそうです。」
教師は続けます。
(教師)「ところで、TVとか写真とかでなく、今まで本物の人間の死体を見たことがある人はいますか?」
すると、四分の三近くの生徒が手を挙げます。
(教師)「お葬式で見たという人が一番多いんだと思うけど、葬式以外で見た人はいますか?」
(生徒)「はい、飛び降り自殺した人の死体を見たことがあります。」
海外で交通事故の死体を見たなどの声が続いた後、教師がこう尋ねました。
(教師)「死体を見るなんていう経験はあまり気持ちの良いものではないし、できればしたくないと思うのが普通だと思います。変な考えだと思われてしまうかもしれませんが、しかし私は、人は大人になるまでに一度は死というものを目撃する体験をもつことが大事なのではないかと考えています。実は、幼い頃、死について考えて夜中に泣きだしたとかいう人がかなりいますが、みんなのなかにもいますか?」
(生徒)「はい、私がそうでした。小学生の頃、両親が死んだらどうしようと思って、ものすごく怖くなってずっと泣いていたのを覚えています。」
教師は、さらにこう問いかけます。
(教師)「死というのは、よく考えてみればスゴイことですね。こんな不可解なものが、しかし確実にやって来る。死って他人事じゃなく、いつか僕たち自身が必ず死ぬ!人生にはこんな一大事が待っているのに、なぜ多くの人は死について真剣に考えることをしないのでしょうか?」
この後、教師と生徒の間で、また生徒同士で様々なやり取りが続き、いよいよ授業も終わりに近づいたとき、用紙が配られ、さきほどの問いに生徒たち一人ひとりが自分なりの答えを書きます。そのいくつかを紹介してみましょう。
(女子生徒)「ニュースを見ていると必ず誰かが亡くなったという訃報がテロップに流れる。家で温かな紅茶に口をつけながら甘いおやつを食べ、私は『可哀想に』と思う。隣にいた母が『可哀想に』という。妹はおやつを食べている。そうしているうちにすぐにテレビは次の話題へ移る。案の定、私たちは今まで『可哀想』と思っていた不運なAさんのことを既に忘れている。死は私たちにとって、否、私にとってそこまで遠いものだった。死を見たことがないわけではない。しかしまだ遠い。」
(別の女子生徒)「人一倍プライドの高かった叔父が『痛いよ痛いよ』と子供のように泣く様は見るに耐えず、私はしばらく放心状態でした。その時の姿と棺の中の姿が重なり、いつか自分もこうやって死んで行くのかと、人生の重過ぎるラストに打ちのめされました。」
(男子生徒)「自分にも死がくる……ということを考えると、今まできづかなかった自分の一面をみつけ、挑戦してみたいことについて考えました。少し違うかもしれませんが、Hope for the best, prepare for the worst[最善を望み、最悪に備える; 備えあれば憂いなし]という言葉があるように、死を望むのではなく、生きることに感謝し、精一杯生きよう!と思いながらも、逃れることのできない死について考えることで、人生をより充実したものにできると思います。」
いかがでしょう。若い感性が、「死」と向き合うことを通して、自分の「人生」や「いのち」、これまでの、あるいはこれからの「歩み」について、深く考え始めています。
■生と死
残念なことに、わたしたちの社会は、身近にいのちと触れ合う、またそのいのちの終わりを見ることができにくい社会です。 わたしたちは、死を忌むべき、悪しきものとして否定し、わたしたちの生活の中から遠ざけてしまっているようです。生きることと死ぬことを相容れないもの、別々のもの、生と死との間には越え難い断絶があると考え、生きることや若さばかりを求めます。死や老いや病の現実から目をそらし、それを遠ざけ、覆い隠そうとさえします。
そうすることでかえって、生きることの大切さ、いのちのかけがえのなさというものを見出しにくくしています。近頃、何の痛みや罪意識もなく、人のいのちを奪うといった事件や事故が増えているのは、そのようなわたしたちの社会や文化に一因があるのかもしれません。
死は、わたしたちには決して避けることのできない現実です。現代医学で、その時期を少しばかり遅らせたり、先延ばしにしたりすることができるとしても、それは、わたしたち人間の力では如何ともし難いものであることに変わりはありません。思えば、いのちの誕生もまた、わたしたち人間の自由になるものではありません。いわば、わたしたちのいのちも人生も、ただ与えられたものと言う外ないものです。であればこそ、漠然とではあっても、いのちそのものに意味があり、いのちがかけがえのないものであることに気付かされることになります。そして生と死とが別々のものではなく、実は、いのちと呼ばれるものの表と裏であることを知るようなります。
とはいえ、そのことに何とはなしに気づかされ、分かったような気にはなっても、愛する者、かけがえのない人の死が、わたしたちにとって耐えがたい痛み、深い孤独に苛まれるものであることに変わりはありません。その痛みと悲しみは容易には和らぎません。あまりの耐えがたさに、時に、運命や因果や占いと呼ばれる不確かなものに頼ろうとすることさえありますが、何の役にも立ちません。
■いのちの神
わたしたちは一体、死とどのように向き合えばよいのでしょうか。その痛みや悲しみを、どのようにして乗り越えていくことができるのでしょうか。
かの内村鑑三が、仏教の祖である仏陀や儒教の孔子は死について何も語らない、ただ聖書だけがそれを語っている、と書いています。聖書は、死ぬことを生きることと切り離して考えず、生と死とはひとつのもの、それは神から与えられた「いのちの事柄」であり、そのことがイエス・キリストの十字架と復活にはっきりと示されている、と語ります。それこそ、先ほどお読みいただいたイザヤ書に書かれていることです。
冒頭六節に、大変印象深い預言者の言葉がありました。
「わたしは初めであり、終わりである」
この言葉が言わんとすることは、神ヤハウェは、いのちの初めと終わり、生と死を超えて、すべてのものを司るお方であるということです。であればこそ、いついかなる時にも共にいてくださり、まさに「今ここに」、わたしたち一人ひとりに働きかけてくださる神なのだ、ということです。
そのいのちの主であり、愛そのものである神のことを、イザヤは八節で、「岩」と呼びます。そのニュアンスは、嵐を避ける孤島の岩というよりも、「岩盤」「大地」「母岩」といったものです。そして「あなたたちはわたしの証人ではないか」と続けます。岩のように堅固で、恵みあふれる母のような神によって愛されているわたしたちには、それにふさわしく生きること、その証し人となることが求められています。
ところが、そのことに気づかず、あるいは気づいても、「生」だけでなく「死」をも定めた「いのちの神」を「恐れ、おびえ」、顔を背けてしまう、愚かなわたしたちです。 飛ばして読んでいただいた九節から二〇節には、そんなわたしたちの姿が克明に描かれています。にもかかわらず、神はそんなわたしたちを見捨てることなく、預言者を通して、繰返し、繰返し語りかけてくださいます。その言葉こそ、締めくくりの言葉、二一節から二二節です。
「思い起こせ、ヤコブよ/イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」
聖書は語ります。わたしたち人間の誰一人、生まれるときと死ぬときを自分の自由にできる者はおりません。生と死そのものである「いのち」は神が与えてくださったもので、わたしたちは、自分のいのちの主人となることはできません。ところが、わたしたちはしばしば、自分をこの世の主であるがごとくに思い上がります。いのちさえ自分ものであり、それを自由にする権利を持っていると考えます。しかし生と死を自由することなど誰にもできません。わたしたちは、自らが偽りの神を造り上げ、愚かにも自らが造り上げた虚像―死への恐れ、生の断絶に囚われ、虚無の奴隷になってしまいます。それこそが、預言者の語る「偶像を形づくる者」の姿です。
だからこそ、神は「わたしに立ち帰れ」と諭します。偶像を形づくる者にならないということは、どういうことでしょうか。それは、今ここで「神に立ち返る」といことです。それは、生まれる前から、生きている今も、そして死して後も、いのちの主である神の「愛」に立ち帰るということです。死という奴隷のくびきから解き放ち、自由にしてくださる贖いの主だけを頼りとするということです。そのことを、自らの死とよみがえりという事実をもって教え示してくださったイエスさまの愛に、繰り返し、繰り返し立ち帰るということです。
■ターミナルステーション
ある方から「キリスト教ではお墓にどんな意味があるのですか」と尋ねられたことがあります。その問いには、母を亡くされた無念、その後の日々の虚しさが込められていましたが、それはまた、愛する者を失った者の共通の思いでもあるでしょう。
「駅のホームのようなものではないでしょうか。ホームで電車を待ち、また見送るように、過ぎ去った日々を振り返り、またその行く末を、人は、墓前で思うのではないでしょうか」、そうお答えしました。
過去とは、天に召されたその瞬間だけのことではありません。その衝撃、その悲しみは拭い去ることができなくとも、共に歩んだ喜びの日々もまた、大切な過去の記憶です。愛する、親しい人の墓前に立つことが、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」とパウロが告白するように、大いなる神の愛と恵みの中に共にあった大切な日々を、感謝と満足をもって思い起こすきっかけになれば、どんなに大きな慰めとなることでしょうか。
しかし、わたしがそのときお答えした「駅のホームのようだ」という言葉に込めた真意は「過去」にではなく、むしろ「見送る」ということにありました。遠ざかる電車を見送ります。電車には行き先があり、そこに到着することを知っているので、わたしたちは安心して、愛する人を見送ることができるのです。
ヨブ記一章二一節に「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う」とあるように、わたしたちのいのちはまさに神のものです。わたしたちの人生には終着駅があります。しかし、わたしたちのいのちが神のものであればこそ、そこには明確な目的地と目標があり、死を超えて示される確かな未来があるのだ、ということです。 わたしたちの人生には、過去と現在、そして未来を貫く、一筋の線路が敷かれています。生と死としてのいのちというだけにとどまらない、死を越えて続いていく、「いのちの道」があるのです。それこそ、ここに写真が飾られた多くの先達が歩まれた、そして今も歩んでおられる確かな道です。
その意味で、死、それはわたしたちにとって、主のもとへと向かう旅立ちの時、神の待つ天国への凱旋の瞬間ですらあります。人生の終着駅から永遠のいのちへの始発駅に乗り換える乗換駅、ターミナルステーションです。そう、ターミナルとしての死です。末期ガンの治療のことをターミナル・ケアというのは、実にその意味です。とすれば、それを「終末期医療」と訳すのはふさわしくないのかもしれません。
尊敬していた先輩牧師が、あと一年と余命を医師から宣告された時、「メメント・モリ」(汝の死を憶えよ)という時を厳粛に与えられて幸いだ、この貴重な地上での日々を、「メメント・ドミニ」(汝の主を憶えよ)と受け止め直して生きて行こうと言い、いつもと変わりなく明るく、いえ、いつにも増して深く、一日一日のいのちに感謝をこめて終わりまで生き抜き、宣告から十三ヶ月、その生を全うされました。死後、枕元から遺言状が発見されました。「みなさんへ/わたしの知っている一人一人へ/いろいろお世話になりました」と始まり、医師に対する感謝と葬儀の指示、「わたしのことを言わず、主だけが語られ/その信仰をわたしに与えて下さった主のめぐみだけを伝えて下さい」とありました。そして、妻への感謝を記し、「子どもたちよ/親の歩いた道を/主を仰いで/ついてきて下さい。ではまた」と続けられていました。
「ではまた」、別れの言葉でありながら、実は、再会への希望の言葉でもあります。ここに、死は克服されています。 多くの方々のお写真と共にここに集って礼拝をささげるわたしたちも、死をもってしても虚しくなることのない生を生かされていることを感謝し、いのちの主をほめたたえたいと願います。神の右に座しておられる御子キリストの執り成しの恵みのうちにある、先に召された、愛する方々の幸いを憶え、また同じ執り成しのうちに置かれているわたしたちの平安を覚えて、主に感謝をささげたい、そう願う次第です。