■無人島のアレクサンダー・セルカーク
おはようございます。さて、イギリスの小説家ダニエル・デフォーが書いた小説に『ロビンソン・クルーソー漂流記』という作品があります。読んだことのある方も多いのではないでしょうか。実は、この物語は、スコットランドの航海長のアレキサンダー・セルカークという人をモデルにした小説なのです。セルカークは南洋へ、他の国の船を襲って、金品を奪う、海賊遠征に参加します。そして、セルカークはシンク・ポーツ号の船長トーマス・ストラドリングのもとで航海長となりました。あるとき、シンク・ポーツ号は、食料と水を補給するためファン・フェルナンデス諸島の無人島に停泊しました。ここでセルカークは船の耐久性に強い懸念を抱き、船員仲間数名に、別の船が来ることを期待して島に残ることを提案した。しかし、誰1人としてセルカークの意見に賛同しなかったのです。セルカークの起こす揉め事に嫌気がさしていた船長は、セルカーク1人だけを島に残すことにしたのです。セルカークは島に残りましたが、すぐに後悔します。それで、彼はシンク・ポーツ号を追いかけ、呼びかけましたが、船は去ってしまったのです。しかし、シンク・ポーツ号は後日、多くの乗組員とともに沈んでしまっています。
こうして、1人島に残されたセルカークは、このときから4年4ヶ月にわたり、ファン・フェルナンデス諸島で、孤独に暮らすことになったのです。このとき、彼が持っていたのは二日分の食料とマスケット銃、火薬、大工道具、ナイフ、聖書、それに衣服だけであったのです。それでも、彼はこのどん底の中で生き延び、そして、文字や英語を忘れないように、頭の体操として聖書を読み始めるのです。しかし、読み進めて行くうちに、聖書の言葉が自分への神の語りかけとして響いてくるようになったのです。そして、聖書の中の多くの慰めの言葉により、極限の状況の中で、彼は正気を保つことができたのです。本日は、聖書の言葉が滅びが迫っているという極限状況の中にいる人を励まし、生かすということを覚えながら、今日の聖書の箇所を読んでゆきたいと思います。
■ちょうどそのとき
本日の聖書の箇所で、主イエスが語っておられたとき、主イエスの公生涯は終わりに近づいて来ています。主イエスの話を聞いている群衆は、これまでに、主イエスを目撃し、その教えに耳を傾けて来ました。ユダヤの宗教的な指導者たちは、既に主イエスがメシアであることを拒否しました。そして、そのためイスラエルは民族的にはもう滅びに向かって動いて行っているのです。しかし、群衆の主イエスに対する認識は、まだ揺れ動いているのです。群衆は、主イエスの奉仕を目撃し、その教えに耳を傾けてきたのだけれども、主イエスがメシアであることをまだ信じてはいなかったのです。それ故、主イエスは群衆に信仰の決断を促すのです。先週の礼拝では、12章54〜59節を読みました。先週の聖書の箇所と今日の聖書の箇所とは、非常に密接な関係を持っていて、そこには主イエスがご自分のもとに集まって来た群衆たちに対してお語りになった教えが記されていました。この54節以下で主イエスがお語りになったのは、あなたがたは今、自分の罪が裁かれる裁きの場へと向かっているのだ、しかし、まだ個人的には救われる道が残されている。だから、私を信じて、自分で良い判断を下して、神様と和解しなさいということでした。それは、滅びが迫っている人びとに、切々と主イエスが語りかけている言葉であったのです。このことが語られたちょうどその時、何人かの人が来て、あることを告げたのです。それが、本日の聖書の箇所の出来事なのです。ルカによる福音書の13章の1節には、『ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。』と書かれています。本日の聖書の箇所は、『ちょうどそのとき』という言葉で始まっています。『ちょうどそのとき』とありますので、先週の礼拝でお話しした、主イエスの教えが語られたちょうどその時ということです。こうして、『ちょうどそのとき』、何人かの人が来て、主イエスにあることを告げたのです。それが、ユダヤの総督であるピラトが『ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた』という残虐な行為に及んだと言うことであったのです。
■虐殺されたガリラヤ人たち
この聖書の箇所を読む上で、私たちが認識しておくべきことは、当時のユダヤ教というのは、ファリサイ派の人びとが教えていた、ファリサイ的ユダヤ教であったということです。従って、ファリサイ的ユダヤ教の教えには、悲劇的な死を遂げた者は何か大きな罪を犯していたのだ、だから神様から裁かれたのだ。あるいは、苦難に遭うのは、その人に何か原因があるのだ。こういった教えが、当時のファリサイ的教えであったのです。
今日の聖書の箇所の中で、最近、悲劇的な事件が起きたのです。最近起きたその悲劇的な事件のことは、当時、誰もが知っていた悲劇的な事件であったのです。その最初の事件が、ユダヤ総督ピラトが行った残忍な事件です。2番目の事件が、シロアムの塔の倒壊という事件です。最初のピラトが行った残忍な事件は、主イエスではなくて、何人かの人がその話を持ってきたのです。2つ目のシロアムの塔の倒壊は、主イエスご自身から話し出されました。そして、私たちがここでもう一度、覚えておきたいのは、誰もが知っている事件であったということ、そして、このような悲劇が起こる背後にはその人が何か罪を犯したから、神様が裁いているのだという、そのような理解が群衆にはあったのだということです。
その上で、13章1節の『ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。』という記述があるのです。さて、『何人かの人が来て、』とありますが、この人たちは、それまでの主イエスの話を聞いていなかったかのように思われるかもしれません。それは、『何人かの人が来て、』という日本語訳からは、この人たちは主イエスの話は聞いていなくて、たまたまそこにやって来て、ピラトの残酷な事件を告げたように読めてしまうからです。しかし、英語訳聖書では、「there were some present」となっていて、『そこにいた何人の人たちが、』と訳することができるのです。従って、この人たちは主イエスの話を聞いていた上で、このピラトの事件を話しているのです。この箇所は、英語訳の方が優れていると思います。
主イエスの話を聞いていた何人かの人たちが、主イエスに言ったのです。そして、この何人かの人たちというのは、ユダヤ地方の人、おそらくエルサレムの人たちだと思います。それは、どうしてかと言いますと、この人たちがする話というのが、自分たちではなく、ガリラヤ人が殺されたという話になるからです。主イエスが生きておられた当時、ガリラヤのユダヤ人と、ユダヤ地区の、それもエルサレムに住むユダヤ人との間には、相当に意識の差がありました。エルサレムに在住していたユダヤ人たちは、律法に精通した、意識の高い系のエリート信徒たちと見られていたことが分かります。それに対して、ガリラヤから来た人たちは、粗野で、教養のない田舎者と見られていたのです。従って、ここでは、主イエスの周りにエルサレム在住のユダヤ人たちが何人かいて、その人たちがガリラヤ人たちのことを言っているのだということです。このエルサレム在住のユダヤ人たちは、主イエスの動向を見張るように、指示を受けていたのかも知れません。そして、このユダヤ人たちは主イエスの話が途切れた時に、すかさず言葉を挟んだのです。それは、この人たちにとって、イスラエルは民族的にはもう滅びに向かって動いている、しかし、あなたがたは悔い改めて、私を信じて、救われなさい、という主イエスの話が気に入らないのです。なぜなら、エルサレムのユダヤ人たちは、ガリラヤ人よりも律法をよく知っているというプライドがあるのです。従って、彼らにすれば、ガリラヤから来た田舎者に、神様の裁きについて、言われたくないという不満があったと思います。主イエスが語る民族としての滅びが、自分たちにも向けられているのが不満なので、裁きを受けて滅ぼされなくてなくてはならないのは、私たちではなく、ガリラヤ人たちでしょと、矛先をかわそうとしているのです。
さて、この人たちが語っているのは、ピラトが「ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」という残虐な行為に及んだという事件です。この事件はほかの資料に記録がなく、聖書のこの箇所にしか記されていません。しかし、多くの学者は、この出来事が実際にあったことだと考えています。ピラトはローマから派遣された、ユダヤ地区を統治するユダヤ総督という行政官であり、法律家でもあるのです。同時代の資料には、ピラトの性格は「融通が利かない、頑固で、残酷な」人物であったと記されています。また、ピラトとユダヤ人との間に常に反目があったことも歴史の記録に残っています。ユダヤ総督というのは、普段はカイサリアという海沿いの町にいるのですが、祭りの期間だけは、治安維持のため、エルサレムに上って来るのです。なぜなら、祭りの期間は、ユダヤ人たちの民族意識が高まって、暴動や反乱が起こる可能性が高まるからです。そして、エルサレムに上ってきたときには、アントニア要塞という、神殿の北にある、神殿を見下ろすように、高く建てられた要塞に滞在したのです。そこには、ローマ兵たちが駐屯していたのです。そういう状況の中で、ピラトが取り締まりのために、ユダヤ人を殺したという記録が残っているのです。ユダヤ人の歴史家のヨセフスという人は、ピラトの行った残酷な事件を少なくとも2つ記録として残しています。一つは、ある過ぎ越しの祭りで、ピラトが3,000人のユダヤ人たちを神殿内で虐殺したという記録があります。3,000人を殺したというのは、血の海になったということです。そして、なぜユダヤ人を殺したのかというと、彼らを反逆者と見たからなのです。また、同じ理由で、2,000人を虐殺したこともあるのです。従って、本日の聖書の箇所の記載は、ピラトが、おそらく過越の祭りのときにエルサレム神殿に来て、いけにえの小羊をささげようとした何人かのガリラヤ人を殺したのだと思います。聖書の記述は、文字通りには、その人たちの血をいけにえに混ぜたことになりますが、「血を混ぜた」という表現は、神殿で殺されたことを意味することもありました。ですから、ピラトが神殿でガリラヤ人たちを殺したことを「ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」と言い表しているのだと思います。
主イエスに告げられたこの事件をさらに考えてみると、ガリラヤから来たユダヤ人たちが律法にある通りに神殿でいけにえを捧げようとしたのですが、ピラトは彼らのことを反逆者、テロリストだと疑ったわけです。ですから、ピラトは兵士たちを派遣して、ガリラヤ人たちを虐殺したのです。エルサレムから来たユダヤ人たちは、『ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。』と語ったのです。彼らは、こんな悲劇に遭うのは、すぐに騒ぐ田舎者のガリラヤ人たちだけだよ、エルサレムにすむユダヤ人である私たちは違うのだよ、と言いたいのです。従って、裁かれるべきなのは、罪深いガリラヤのユダヤ人たちであって、自分たちではないんだよと言いたいのです。
■決してそうではない
これに対して、主イエスは、2〜3節にありますように、『イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』とおっしゃっておられます。主イエスのお答えは、典型的な回答の仕方で、AではなくBだと言っているのです。ここで、主イエスがAではなくと言った、前半でその最初の否定的な部分を見て、それから後半でこうだと教えられた肯定された部分を見てみたいと思います。まず、初めの否定された内容ですが、『ガリラヤ人たちがそのような悲劇に見舞われたのは、彼らが他のガリラヤ人たちよりも罪深いからではない』と言っているのです。『決してそうではない。』と語るのに使われている言葉は、ギリシア語では非常に強い否定を示す言葉が使われています。悲惨な死を遂げる人たちが、他の人たちよりも罪深いという訳ではないと、まずそのことを否定しています。次に、後半の注意しなさいという肯定的な部分ですが、『言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』となっています。これは、先週の聖書の箇所の続きとなっていることが分かります。民族的には、滅びの方向に向かっている、あなた方も、今、悔い改めなければ、同じように滅んでしまうのだから、自分たちには関係がないと考えてはいけないと、主イエスは語っているのです。ここで、『悔い改める』という言葉が出てきますが、これは考え方を変える、意識を変えるという意味のギリシア語の言葉が使われています。考え方を変えれば、行動が変わって来るのです。そして、現在形で語られていることから、継続した状態を表していますので、決断を伴った状態を表していると言うことができます。つまり、決断を持って、自分の意識を変えなさい、メシアに関して、罪の赦しに関して、神様の言葉に従うことに関して、意識を変えなさい。そうすれが、行動が変わって来るので、それを、決断を持って行いなさい。そうしなければ、皆、同じように滅ぶのですよと言っているのです。この滅ぶと言っているのは、紀元70年のエルサレム崩壊の悲劇のことです。エルサレム神殿が紀元70年に崩壊します。全ては、そちらに向かっているのだから、今、意識を変えなさいよと、主イエスはおっしゃられたのです。
■シロアムの塔の倒壊
そして、さらにその論点を展開するために、今度は主イエスが、みんながよく知っている2番目の悲劇を語り始めるのです。本日の聖書の箇所の4〜5節には、『また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』と記されています。先程のピラトの虐殺と結論は同じです。主イエスはこれらの2つの事件を示して、同じ結論を導き出しているのです。今度は、主イエスの側から、事故死した18人のことを持ち出しています。「シロアム」とは池があったところです。エルサレムの町は、もともと水源が不足しており、敵に包囲されるとお手上げの状態だったのですが、ヒゼキヤ王が、城壁の外にあった「ギホンの泉」から「シロアムの池」までのトンネルを掘らせ、水源を確保したのです。その場所にあった塔が倒れて18人が死んだという事故のことは、この箇所にだけ語られており、他の歴史資料には出て来ません。しかし、ユダヤ総督のピラトはエルサレムの水の供給を改善するために、水路の工事をしているのです。そのことは、歴史の記録に残っているのです。従って、水路の工事をしたというのは、「シロアムの池」近辺の修理、あるいは建設もしている筈なのです。従って、ここでの塔というのは、「シロアムの池」近辺の城壁の間に建てた塔のことかもしれません。塔というのは、その上に立って、敵が近づいていないかどうかを見張ったり、戦いの時に、町を防御する役割を果たしたりする建物なのです。その工事中に塔が倒壊したのです。そして、たまたまそこにいた18人が死んだのです。ちょうどこの頃、その事故の記憶が生々しかったことを取り上げて、主イエスは、その人たちがエルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったという訳では、決してないのだと語ったのです。
主イエスは、先程はガリラヤ人が殺された話をし、今度は、エルサレムのユダヤ人が死んだ話をして、同じだとおっしゃっておられるのです。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びると、主イエスはおっしゃっておられるのです。『同じように滅ぶ』と言っているのは、何を指しているのでしょうか?紀元70年に、エルサレムが滅びた時、神殿の壁が崩れました。そして、その周りにいた多くのユダヤ人たちが、崩れた壁の下敷きになって、死んだのです。シロアムの塔が倒れて18人が下敷きになって死んだのと、同じような死に方で、多くのユダヤ人が死んだのです。『皆同じように滅びる。』と、主イエスが語っている通りに、みな同じように滅びたのです。紀元70年に、神殿の中で、多くのユダヤ人の血が流され、いけにえの血と混ぜられました。この時、100万人以上のユダヤ人たちが殺されています。ピラトによって、ガリラヤ人が殺されたのと同じように、神殿の中で、血が流され、いけにえの血と混ぜられたのです。ですから、『同じように滅ぶ』という、主イエスの言葉が成就したのです。主イエスは、エルサレムの崩壊を見ておられるだけではなくて、そのときユダヤ人たちがどのような方法で、死ぬかということまでも、見通しておられたのです。主イエスの言葉は、そのままで信頼するに足るものだと思います。
次に悲劇と罪の関係について考えてみたいと思います。聖書には、罪の刈り取りという考え方があります。神様を侮って、罪の種を蒔けば、その刈り取りをすることになるというのが、聖書が教えていることです。聖書は罪の刈り取りということを教え、警告していますが、ファリサイ派の人びとが教えたような、悲惨な死や、悲劇的な出来事を罪に対する神様の裁きだとは断定的には言っていないのです。しかし、主イエスの弟子たちでさえも、当時、ファリサイ派的なユダヤ教の影響を受けていました。例えば、ヨハネによる福音書の9章1〜2節に、『さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」』とあります。主イエスはこのとき、彼でもない、両親でもない、神様の栄光が現れるためだと言って、3つ目の回答を示されました。私たちは、常にこのことを課題として問われ続けています。それは、私たちが誰かの不幸を見た時に、あるいは、自分自身が不幸を経験した時に、それは罪の結果ではないかと、私たちは考えやすいからです。しかし、聖書はそれを否定しています。例えば、ヨブ記という書は、一巻全てを通して、そのことを否定しています。そして、今日の聖書の箇所での主イエスの教えもそのことを否定しています。
さて、主イエスは、このように2つの悲劇的な事件を取り上げた後、さらにその教えを分かりやすく教えるために、よく分かるものを取り上げて、それを霊的に適用してゆくという典型的なユダヤ的教授法で、いちじくの木のたとえ話をされるのです。
■ぶどう園のいちじくのたとえ
本日の聖書の箇所の6節には、『そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。」』とあります。これは、ぶどう園に植えられた1本のいちじくの木の話です。ぶどう園の空いている場所に、いちじくの木を植えることは、当時、よく行われていて、珍しくなかったのです。所有者は実がなることを期待して、その木を植えたのです。ところが、ぶどう園の所有者が実を取りに来ても、何もなかったのです。いちじくの木は、放ったらかしにしていても、わりと3年位で実がなるようになるのです。私たちが、いちじくの実と呼んでいるのは、実は沢山の小さな花が入った、花の袋である花嚢と呼ばれるものなのです。聖書は、植物学の教科書ではないので、一般的に実だと認識されている言葉を使っているので、いちじくの実と記しているのです。さて、ここで、いちじくの木はイスラエルを象徴しています。そして、ぶどう園の所有者は、父なる神様を象徴しています。
次に、7節を見ますと、『そこで、園丁に言った。「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。」』とあります。所有者がやってきて、園丁に語りかけています。園丁というのは、ぶどうを刈り込んだり、収穫をしたりする、ぶどうの手入れをする人なのです。ぶどう園の所有者は、もう3年も実がなることを期待したが、裏切られていたのです。いちじくの木は、植えたら、割と短期間で実をつける植物なのです。この所有者は3年待ったのだけれども、実がなくて、裏切られてきたのです。群衆に、この話をしている時点で、主イエスの公生涯は、3年位経っているのです。3年位、時間の猶予を与えたのに、イエスラエルの民の間に、実はつかないのです。この所有者は、3年待っても、実がつかないので、この先の希望はないと考えているのです。十分に時間は与えた、これ以上待っても意味がない。土地が無駄になっているだけだと、所有者は園丁に言ったのです。このことは、父なる神様が、子なる神主イエスに、3年の公生涯があったけれども、何も変わらない、もう直ちに滅ぼした方が良いのではないかと語られたということなのです。旧約聖書のレビ記の19章23節には、『あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植えるときは、その実は無割礼のものと見なさねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。』と書かれています。『あなたたちが入ろうとしている土地』というのは、カナンの地のことです。そして、若木を植えて、実をつけるようになったら、3年間はそのままにしておきなさいというのです。つまり、木がもっと豊かに伸びることができるようにという神様の命令が書かれているのですが、このぶどう園の所有者は既に3年待ったのです。ですから、次の年からは食べて良い段階に入るのだから、3年間見に来ているのですが、期待は4年目に入る時には、期待はさらに大きくなっているのです。それなのに、何も実がならないのです。これが当時のユダヤ人たちは、特にモーセの律法をよく知っている人たちは、主イエスのこのたとえ話で、3年待ったという話を聞いた時に、このレビ記の聖句と結びつけて、理解した筈なのです。
ぶどう園の所有者に、そのように言われた時に、この園丁は取りなしをするのです。主イエスの取りなしです。本日の聖書の箇所の8〜9節には、『園丁は答えた。「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。」』と記されています。園丁は、さらに1年の猶予が欲しいと、言っているのです。しかも、その1年間というのは、ほったらかしで見ている1年間ではないのです。『木の周りを掘って、肥やしをやってみます。』と言っているのです。いちじくは本来、放ったらかしにしていて、実をつけるのです。しかし、一歩進めて、肥やしを必要としない木なのだけれども、肥やしをやってみると言っているのです。つまり、考えられる限りの手を尽くしてみますので、どうぞ1年待って下さいと言っているのです。主イエスが、父なる神様に、切々と訴える取りなしの願いが、胸に迫って来ます。この園丁は、いちじくの木を見ながら、その木に対して、心を動かされたのです。この木は生きている、この木を切るのは、もう1年待って欲しいと願ったのですが、それは同時に、イスラエルの民を滅ぼすのはもう少し待って欲しい、という主イエスの願いと繋がっているのです。しかし、私たちは最後に、園丁の厳しい言葉に向き合うことになります。『そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』とあります。この言葉に私たちは、神様の忍耐にも限度があるということについて、心からの怖れを持つ必要があると思います。その時が来た時に、滅びが来るのだということを、私たちは心に覚えておかなくてはならないと思います。
さて、主イエスが語るこのたとえ話を聞いて、エルサレムのユダヤ人たちはどのように受け止めたのでしょうか?いちじくの木の所有者は、3年待って、実がなかったのですが、園丁の取りなしによって、もう1年猶予を置いたのです。つまり、実がなるまでに、合計4年間、期間を提供したのです。この後、主イエスは十字架に架かり、墓に葬られ、復活して、それから伝道が始まるのですが、なぜ、主イエスが十字架について、復活した直後に、エルサレムは滅びなかったのでしょうか?主イエスが復活して後、紀元70年まで、約40年間があります。このぶどう園の所有者は4年間の猶予期間を置きましたが、主イエスはイスラエルのために、40年間の猶予期間を与えて下さったのです。その間、個人としては信じるためのチャンスが与えられました。そして、何万人というユダヤ人たちが、主イエスを信じ、救われたのです。その後、神様の忍耐が切れて、紀元70年のエルサレムの崩壊が起こって、そして、沢山のユダヤ人たちが奴隷とされて、全世界に散らされて行ったのです。
本日の聖書の箇所が、私たちに語っていることは、神様から与えられている猶予期間を有効に用いなさいということです。神様のこのような切々とした思いは、預言者イザヤが歌に詠んで、残しています。それは、本日の招詞でお読みしましたイザヤ書5章1〜6節です。神様は、私たち一人ひとりに対して、猶予期間を与え、良い実がなることを期待して、待っておられます。常に神様の忍耐が切れる時が来ることを、私たちは覚えなくてはなりません。そして、民族が滅びに向かっているとしても、主イエスを信じて救われなさいという、主イエスの招きに応えて行きたいと思います。ぶどう園の園丁は、いちじくの木に実がなるよう心から願って、毎日毎日、木の周りを掘って肥料を与えました。同じように主イエスも、私たちが悔い改めて神様の方に向き直るよう心から願って、毎日毎日、私たちに働きかけてくださり、私たちが神様との関わりを失って滅びてしまわないよう執り成してくださっています。この主イエスの招きと執り成しによって、私たちは神様のみ前に立つまでの途上にあって、今日も生かされているのです。主イエスの執り成しによって生かされている私たちは、「来年は実がなるかもしれない」という主イエスの切なる願いに応えて、悔い改めて、神様との関わりに生きるようになって行きたいと思います。私たちは神様との関わりに生きる中で、不条理な現実世界の中で、苦しみや悲しみの中にあっても、なお主イエスから与えられる希望と力によって、歩んで行きたいと思います。
それでは、お祈り致します。