小倉日明教会

『良きサマリア人』

ルカによる福音書 10章 25〜37節

2022年10月2日 世界聖餐日合同礼拝

ルカによる福音書 10章 25〜37節

『良きサマリア人』

【説教】 朱 文洪 牧師

 「良いサマリア人」のたとえは幾つかの仕掛けがあります。

 ●律法専門家(知識人)の空虚な心の闇

 ●祭司、レビ人(宗教人)の表と裏

 ●サマリア人は何故他人の痛みを共感できたか

 ●「永遠の命」とは

 この箇所を描いたゴッホ( 1853-1890 クレナ-・ミュラ-美術館蔵)は、25歳頃炭鉱町で伝道師として活動し画家の道に入った人です。福音の奥義を作品に託すことで深みが増したと言われます。律法学者の「永遠の命」を受け継ぐ問いかけが根底にある物語を書きあげました。追いはぎに襲われ半殺しにされた人を憐れみ「全身全力」を尽くして介護する人。困っている人の隣人として生きる事が御国の風景・「永遠の命」だと描き留めたのではないでしょうか。通り過ぎた祭司、レビ人が影のように薄い存在に比べサマリア人は中央で大きく、逞しいです。さらに、被害者は血まみれの悲惨な姿ではなく白肌の少年のような恰好の人に見えます。御使いを思わせています。画家の聖書理解は深く、描き上げた作品は新鮮で幾ら見ても飽きることはありません。

 ある律法の専門家の問い掛けは「イエスを試す」陰湿な試みだと記者は記しています。

 「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」

 イエスは相手の意図を知って正面から受け止め、

 「律法には何と書いてあるのか、あなたはそれをどう読んでいるのか」と聞きます

 彼は「心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、思いをつくして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」と言うと

 イエスは「正しい答えだ、それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と答えられます。

 この対話から見える永遠の命は「全身全力で他人(自分)に尽くす」能動的な姿だと言えます。律法専門家は理論的解答を知ってはいたが実践までは至らなかったので「命」の実感を持つことが出来なかった。人に正しく生きる道を教えているが本人には力が沸かない。

 人に対しても、自分自身にも澄んだまっすぐな眼差しで、子供のような心を持つことは大切です。「試そうと」する行為、「自分自身の闇の心」を表しています。

 ファリサイ派に属するニコデモはユダヤ人の議員だが「夜」にイエスに訪ねて来た。(ヨハネ3/2) ニコデモが再び登場するのは十字架にて死なれたイエスの遺体に塗る没薬と香料を混ぜた物を百リトラばかり持ってきた時である(ヨハネ19/30)ヨハネ福音は彼が「夜」から「昼」へと変わったことを紹介しています。福音書に書く意図もこのようなことが起こることを切に願ったからでありましょう。自分の身の安全や財産より優先される行動力。彼がイエスの十字架死から「命」を見たのではないかと思います。

 ルカ福音書に出ている(ルカ18/18-23)金持ちの議員が問い掛けた「永遠の命を受け継ぐことが出来る道」に関して、律法を観念ではなく「全身全力」で他人に尽くすことが出来ると「命」が得られると説いているのです。この箇所はアッシスの聖人と呼ばれたフランシスコの逸話があります。商人の裕福な家で育てられた彼はこの箇所に魅かれて無所有の実践に進み出たと言います。フランシスコの清貧の志は新資本主義の強者の論理で生きる社会に新鮮な光を与えています。現職の教皇もその志に連なる方でカトリック教会に新しい命を吹き込んでいます。

 律法専門家と「祭司とレビ人」は同列に並ぶ関係だと思わせる話の展開だと思います。

 「祭司」神と人の仲介者。すなわち人々のために、人々にかわって神に礼拝と供え物を奉げ、祭儀をつかさどる人です。旧約では、レビ人がその任につきました。新約では、エルサレム神殿の宗教儀式をつかさどる聖職者とその家系を指します。

 「レビ人」12部族の1人レビの子孫で、イスラエルにおける祭司階級です。初めは、レビ人と祭司は同意語でしたが、祭司がレビ族の1人アロンの子孫に限定されるようになってからは、祭司の下位にあって宗教的公務を果たす階級を指す様になりました。(民3章)

 神殿での奉仕や民の教育にも当たったと言います(代下17/8-9)

 祭司もレビ人も共に神に仕える身であり、人を教える教師でもありましたから、半死半生のまま捨てられた旅人を見付けた時、自分は何をしなければならないかを充分にわきまえていた人達でした。

 ル-ス・ベネディクトが「菊と刀」という書物で人の目を気にする恥の文化と神の目を恐れる罪の文化の違いを説いています。祭司とレビ人の行動には神の目を恐れる罪の意識が無いように見えます。

 サマリア人とは

 北のガリラヤ地方と南のエルサレムに挟まれたサマリアは地域の特性と歴史を抜きに理解できません。

 紀元前721年アッシリアの王サルゴン2世のサマリア攻略後、アッシリアの各地から集められた人々がサマリアに移住し、自分たちの宗教とユダヤ教とを混ぜ合わせたものを信じるようになりました。

 ユダヤ人はサマリア人を正統信仰から離れたものと見なし、交わり絶っていました。

 ユダヤ人がバビロニア捕囚から帰還後エルサレム神殿再建の際に協力を申し出たが祭司のエズラが拒否したこともあって、ユダヤ人とサマリア人には癒すことのできない憎悪の念が生じたと伝えられています。サマリアはユダヤ教に対抗して特別な教派を形成したのが

 ヨハネによる福音書4章にイエスとサマリアの女の対話に出ています。

 サマリア人はユダヤ人から長年の差別と偏見にさらされている深い傷を背負っていると言えます。そのサマリア人が追いはぎに襲われて半殺しにされた人を見て見ぬふりが出来なかったことは「憐れみ」でした。サマリア人の心に潜んでいる痛みや悲しみがそうさせたと思います。彼は全身全力・心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、思いをつくして介護に当たることが出来ました。

 「永遠の命」とは  他人(自身)との慈悲の取り組みから生まれるものだとたとえ話は物語っています。