■別れ
「ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」
普段、わたしたちは実に気軽に、「じゃあね」「バイバイ」と別れを告げます。でもそれは、いずれまた会えると思っているからです。明日か来年かはともかく、また会う日があると信じて疑わずに、当然のように「じゃ、またね」と別れます。しかしそれが、もし「また」がない別れだとしたら、どうでしょうか。その人とこのまま二度と会えないとわかっていたら、それほど簡単に「じゃあね」とはいかないはずです。
親しい人、特に家族を亡くした人の悲しみが大きいのは言うまでもないことですが、それが長い闘病生活の末なのか、それとも突然の事故のためなのかで、その悲しみも違ってくるでしょう。本人と周囲の人とが死と向き合う時間が長ければ、いつしか心の準備ができていることもあるかもしれません。しかし、朝「行ってきます」と出ていったのが最後になってしまったというような場合、全く心の準備がないために、残された者の心の傷は計り知れません。「さよならも言えなかった」、「せめてひとこと、愛していると伝えたかった」、そんな思いがいつまでも、いつまでも残ります。
そう考えると、わたしたちはもっときちんと「さよなら」を言わなくてはならないのかもしれません。いつだって、だれとだって別れるときは、これが最後だと思って向かい合わなければならないのかもしれません。感謝の思いを込めて「ありがとう」と言い、おわびの気持ちで心から「ごめんなさい」と言い、真心からの愛を込めて「あなたに会えてよかった」と言わなければならないのではないでしょうか。そうしてなお、言い尽くせぬ万感の思いを込めて固く手を握り合うべきなのかもしれません。
「さよならだけが人生さ」というわけではないにせよ、生涯の中でわたしたちが何度か、そんな「さよなら」を言わねばならない時が訪れることは、確かなことだからです。
そして、創世記に描かれたアブラハムの人生にも、別れの場面がたびたび出てきます。故郷との別れ、親との別れ、甥のロトとの別れ、息子イシュマエルとの別れ、妻サラとの別れ、そしてわが子イサクやすべての家族との、地上の生涯そのものとの別れなどなど。別れの理由は、アブラハム自身の決断によるものであったり、やむをえない事情に追いつめられてのものであったり、死という誰にも避けることのできないことによるものであったりと、決して一様ではありません。しかし、それがどのようなものであれ、別れとは、何某(なにがし)かの関係の終わりであり、喪失であり、苦痛をもたらすものです。と同時に、それはまたひとつの区切りとなるものでもあり、さらにはまた新たな出発、旅立ちのときでもあります。
わたしたちも、そのような終わりであり始まりである数々の別れを体験します。寂しさや不安や恐れ、そしてまた希望や期待など、さまざまな思いを味わいながら、わたしたちの人生は過ぎ去っていきます。
■導かれて
さきほどの「ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」というアブラハムの言葉にも、別れを伴う人生の「旅立ち」のときにいつも感じる、どことなくほろ苦い、寂しさとともに、ある種の覚悟、決断のようなものが含まれているように思われるのですが、果たして、このときのアブラハムの思いはどのようなものだったのでしょうか。そもそも、アブラハムがこのとき「妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った」(一節)のは、なぜだったのでしょうか。
直前一二章一〇節に、アブラハムの家族が深刻な飢饉に見舞われ、やむなく豊かな南の隣国エジプトに下って行った、とあります。貧しく苦しい避難生活でした。しかも、そこで思わぬ災難に見舞われます。妻のサラが宮廷に拉致されます。エジプト王の機嫌を取ろうと役人がサラの美しさに目をつけ、王に差し出そうとしたのです。アブラハムは、王の機嫌を損ねることを恐れてか、はたまた利を得るためか、サラのことを妹と偽って差し出してしまいます。妻サライを王に売り渡してしまったのです。何とも愚かなアブラハムです。
それでも間一髪、神様の計らいによって、災いが王とその周辺に降りかかり、妻サラは夫アブラハムの元へと帰され、夫婦は手に手をとって、這々(ほうほう)の体(てい)でエジプトを脱出することになります。ただそのときの様子は、エジプトに下って行った時とは大違いでした。「非常に多くの家畜や金銀を持っていた」(二節)と記されています。それは、サラが宮廷に召し出されたことへの報酬として与えられたものでした。
アブラハムの家族は、苦難から救われたばかりか、思いもかけない、たくさんの財産を手に入れてカナンの地に戻ります。「食べるためとは言え、偽り、妻を売ることまでしまった」と悔いながらも、「それなのに、その妻が助け出され、その上、こんなに財産まで与えられた」。まさに「下った」ところから「上った」、人生のどん底から引揚げられたような思いであったことでしょう。
■譲る
ところが、アブラハムはその与えられた財産ゆえに思い悩まされることになります。甥ロトとのトラブルです。土地の問題、家畜に食べさせる牧草地の問題で、使用人たちがいさかいを起こしたというのです。なまじ、エジプトから多くの財産を持ち帰ったため、家畜の数がふえ、牧草の奪い合いになったのです。
「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである」
豊かさ、富によって引き起こされる、人間の問題、苦しみです。エジプトの時は貧しく、無一物というのではありませんが、飢饉のために、そのままでは財産である家畜のすべてを失い、生活が成り立たなくなっていくのではないか、その危機の中にあるときには、アブラムとロトは、叔父と甥として一致協力していたことでしょう。ところが、豊かになったがゆえに、彼らの間に諍いが起きて、もう一緒に暮らすことができないまでになってしまったのです。貧しさは貧しさで、様々な問題や苦しみをもたらしますが、豊かさは豊かさで、苦しみを引き起こします。豊かになった時代を生きるわたしたちの現実が重なってくるようです。
財産やお金を巡る諍(いさか)いは、親、兄弟、親戚、友人といった親しいはずの人との間になればなるほど、醜く、抜き差しならないものとなります。そうなってしまった以上、一緒に居るよりも別れて、別々の土地で牧畜をしたほうがよいと考え、アブラハムは甥のロトに提案します。九節、
「あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」
伯父であるアブラハムが甥のロトに行く先を決める、土地を選ぶ権利を譲ります。アブラハムは伯父であり、年長者であり、リーダーです。何よりも神の祝福を受けた人です。アブラハムが先に住む地を決めても問題はなかったはずです。しかし、アブラハムは譲ります。「ロト、おまえが好きな地を選びなさい。わたしは残ったところでいい。」
これを聞いたロトは、「とんでもない。伯父さんこそ先によいと思うところをお決めください。わたしは残りの地で十分です。今日までわたしたちがやってこれたのは、ひとえに伯父さんのおかげ。伯父さんの祝福あってのことです」と言うべきではなかったのか。あるいは「いや、伯父さん。別れません。どこまでも一緒にいさせてください」と言うこともできたのではないでしょうか。しかし、ロトは「しめた!」とばかりに、背伸びして、爪先立って、あちらこちらと眺め回し始めます。そして、ソドム・ゴモラの町の方、東の方を指さしました。一〇節から一二節、
「ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した」
ツォアルは死海の南あたりです。当時、ヨルダン川流域から死海の沿岸地方は大変よく潤った、牧草や作物の豊かに採れる地でした。その地域にあったソドムとゴモラの町も栄えていました。そのヨルダン川流域の豊かな低地地方を、ロトは選びました。必然的にアブラムは、それとは反対の方向、ヨルダン川の西に広がる山地に住むことになります。そこは牧草も決して豊かでない、未開の地でした。
ただ、ロトが選び取った地は、目に見える豊かさゆえに、目には見えない人の心が荒れ地のように荒んでいました。一三節に「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた」とあります。その選択が、後にロトに大きな苦しみをもたらすことになります。ただ、それは後になってから分かることです。
このとき、背を向けて別れていくロト一行を見送るアブラハムの胸中は、どのようなものだったでしょう。アブラハムとサラにはまだ子どもがありませんでした。老夫婦はきっと、甥のロトをわが子のように可愛がっていたはずです。その愛するロトと、財産を巡る諍いから別れなければならないとは…。寂しく、孤独な老夫婦の姿が浮かんでくるようです。
■目には見えない
それにしても、アブラハムがロトに選択する権利を譲ったのは、なぜでしょうか。世間的に言えば、ロトの方が成功と繁栄を手にし、アブラハムは失策と貧困に決まったと言わなければなりません。若く、将来をつかみ取ったロトこそ賢明で、老い先に不安を抱えたアブラハムは愚かだ、と言われるでしょう。一〇節に「ロトが目を上げて眺めると」とあるように、自分で目を上げたロトの目に写ったのは、どの地がより豊かで潤っていて生活するのに好ましそうかということ、つまりこの世の基準による比較、どちらの方が自分にとって有利か、好都合か、ということでした。
しかし、アブラハムがそうしたのは、どれほどの諍いがあろうとも、ロトのことを愛していたからでしょう。そして何よりも、一四節に「さあ、目を上げて」とあるように、神によって目を上げさせられたアブラムの目に写ったものが、神の約束だったからでしょう。目を上げさせられて、神の約束を仰ぎ見ること、それが信仰です。信仰は、神が語りかけてくださることによってこそ、与えられます。アブラムは、そのようにして信仰の父となりました。ただ神の約束を信じるその信仰ゆえに、アブラハムは、目に見える豊かさ、財産ではなく、目には見えない豊かさ、愛を選び取ったのだ、と言うほかありません。
灰谷健次郎の書いた短編に『だれもしらない』という作品があります。主人公の麻理子ちゃんは、小さいときの病気がもとで、筋肉の力がふつうの人の十分の一くらいしかありませんでした。それで、歩くのに何倍もの時間がかかります。麻理子ちゃんは、毎朝、養護学校へ行く通学バスがくるところまでのおよそ二〇〇メートルを、四〇分もかかって歩かなければなりません。そんな目に見える麻理子ちゃんを見て、「あれじゃ日が暮れる」とか、「あんな子、なにが楽しみで生きているのやろ」とか、冷たい言葉を口にする人もいます。
しかし麻理子ちゃんは、その二〇〇メートルの間に、喫茶店のおねえさんとあいさつを交わし、ネコのクロと話をし、きれいな海を眺め、パン工場のいい匂いを嗅ぎ、木にとまっているハチを見つめ、マツバボタンに触れながら歩くのです。たった二〇〇メートルしか歩かないのに、目に見えないところで、たくさんの人や自然と話をすることができるのです。
わたしたちの社会は、「速さ」を価値として進んできました。乗り物も通信も、さらには勉強までも「速さ」が求められます。生活のリズムや様式もますます速くなっています。それに比較して、遅いとか、ゆっくりということは、価値のないものとしてどんどん見捨てられます。新幹線の本数は増えますが、美しい海岸線を眺めることのできる鈍行列車はどんどん減らされます。「速い」ということが、わたしたちの生活の進歩のしるしだ、と考えているからでしょう。
しかし、信仰によって生きる人、アブラハムは、別れの時にも、神様がわたしたちと共におられることを信じていました。わたしたちのすべての経験や思いの傍らに立ち、それらすべてをわたしたちと共に受けとめながら、どんな時にも、どんな場面にあっても、神様がわたしたちと共にいてくださることを信じていました。たとえ別れが、わたしたちを「右」に行かせようと、あるいはまた「左」に行かせようと、そのどちらにも神様は共にいてくださるのです。いついかなるときにも、神様はわたしたちと共にいてくださるのです。アブラハムが「信仰の父」と呼ばれたのは、実にこの一事を信じていたからにほかなりません。 「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。…信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています」とは、ガラテヤの信徒への手紙(三・七、九)に記されたパウロの言葉です。わたしたちも神様に招かれた神の民のひとりです。その招きに応えて歩んだアブラハムの姿を想いつつ、わたしたちもまたその後に連なる者として、目には見えなくとも、どんなときにも共にいてくださる神の愛の姿を見つめ、どれほどたどたどしくとも、一歩一歩、神と共に歩み続けることができれば、と切に祈り願う次第です。