小倉日明教会

『大丈夫、神さまが一緒だから』

マタイによる福音書 28章 20b節

2024年6月23日 聖霊降臨節第6主日礼拝

マタイによる福音書 28章 20b節

『大丈夫、神さまが一緒だから』

【奨励】 大野 寿子さん

 お招き下さりありがとうございます。浦安教会の大野です。

 一信徒の私が講壇に立つことになり、かなり緊張をしています。でも、このような時に私を励ます言葉があります。浦安教会笠田先生の「信徒の伝道は、それぞれの人生において主イエスがどのように働き、愛して下さり、恵まれたかを自分の言葉で話すこと」。この言葉に支えられ、お話をしたいと思います。話というのは、前夫の二村勇三さんのことです。はじめてお目にかかる皆さまに、礼拝で離婚話というのも珍しいと思いますが、この出来事は、特に人生の、おそらく終盤に来た者にとって、神さまの深い憐れみということでしかないと思うのです。

 二村勇三さんは、1944年満州で6人兄弟の末っ子として生まれ、命からがら、さいわい全員そろって佐世保に引き上げてきます。戦後の復興の中、佐世保の基地でお父さんは通訳をし、家には将校さんが集まり、勇三さんはダンスパーティーのレコード係をしていたという、ハイカラでアメリカ的な家庭で育ちました。1974年、私達は結婚し、4人の男の子を授かりました。明るく、穏やか、のびやかという人でしたが、一つのトゲがありました。それは博打好きということでした。実はお父さんもギャンブルがもとで一時行方不明になり、二人のお兄さんもギャンブルのために離婚・倒産・行方不明という大変な出来事がありました。

 でも勇三さんは、「自分は頭がいい、切り抜けていける、兄さんたちとは違う」という自信があったのだと思います。1986年、IT企業の進出に伴い、海外支社を作るためアメリカに駐在することになりました。自分と秘書一人という、誰も管理する人がいない中で、又飛行機で1時間のところにリオというギャンブルの町があったことから、どんどんギャンブルにのめり込んでいくようになりました。バブルの景気と共に浦安の小さな戸建ての家が2億という値がついたことも、彼を狂わせた要因の一つでした。あちこちで借金を重ね、もう仕事どころではない状態で、人柄も変わっていきました。

 パートナーとしての私も実に情けないものでありました。家の中で争いごとをしたくない、物分かりのいい奥さんでいたいという自己防衛の心が、又男の人は立てていくという家庭環境で育った私は、勇三さんに意見を言ってそれを止めさせるということができませんでした。「何とか立て直したい」という話をした時、彼は本当に苦しそうに「もう楽しくてギャンブルをやっているのではない。これだけの借金は、サラリーマンが普通に生活をして返せる額ではない」。自分の弱さをやっと知り、深い底なし沼でもがく姿に、本当にかわいそうに思いながらも、「一緒に祈ろう」というその言葉を言い出せなかった自分自身の信仰の薄さを、今でも申し訳なく思います。

 そんなこんなでついに離婚をし、私は子どもたちと共に帰国をします。勇三さんもほどなく帰国し、職を失い、家を失い、家族を失いました。

 それから数年たち、次男がひょっこり勇三さんと雀荘で出会い、その店で店長をしているということがわかりました。まぁとにかく仕事をしているのならよかった、と思っていましたが、その後それもやめたというので子どもたちは心配をしていました。ところが2007年8月、その春から勤め始めたマンションの管理人室で亡くなっているという連絡が警察から入りました。私たちは驚き慌てながら、現在の夫である朝男さんにも手伝ってもらって、浦安教会で葬儀を執り行うことができました。

 彼の人生はなんだったのだろうか?順風満帆に思えた人生が一変し、何度も何度もこんなはずではなかったと思ったことでしょう。自分自身が引き起こしてしまった「事の重大さ」にもはやどうすることもできない。あの時ああしていたら、という身をよじられるような後悔の念を抱いても、どうすることもできない。迷惑をかけた人、傷つけてしまった人、裏切ってしまった人、悔やみきれない過去に対してどうすることもできない。人は所詮自分の人生に責任を取るということはできないのだと思いました。こんなはずじゃなかったと思いながらも、それを立て直すだけの勤勉さ、真面目さ、あるいは謙虚さもなかなか持ち得ないのです。

 「身から出たサビ」この言葉通りです。けれども、これほどつらい言葉もないと思いました。「あなたが悪い」という非難の嵐の中で、誰も手を取ってはくれない。自分が今まで住んでいた世界、自信に満ち自分で勝ち取ったと思っていた世界から完全に突き放される。それでも「情けないね、つらいね」と肩を抱いてくれるのは、同じように脛に傷持つ身の人です。それはもしかしたら、今まで「ああはなりたくない」と軽んじていた人々、さげすんでいた人々の世界かもしれません。それは自分でサビを落とすことのできない弱さを背負っている世界です。でも考えてみれば、私自身もサビだらけです。赤面する恥や罪がいっぱい、あの時あんな不出来なことをしでかした、あるいは心に思った自分が確かにいて、それが表に出なかっただけです。自分じゃ気付かない「取り返しのつかないこと」、誰かを深く傷つけたり、誰かの人生の躓きとなったりを、私達はおそらく何度もしている。それでもその失敗をさえ用いて、良き方向に導いてくださる神さまによって進んでいるだけだと思います。これは「僥倖」という言葉しかない。この世的に見たら名を成し功とげた立派と言われる人も、失敗・汚点だらけの人も、神さまの目から見たら50歩100歩、同格であるやもしれません。

 先日、「ブドウ園で働く労働者のたとえ」の箇所を学びました。ブドウ園に朝8時から雇ってもらえた者も、12時の者も夕方5時の者も、みな1デナリオンの賃金を払ってもらったという話です。私はこの箇所を、人生の時間という流れでしか読んでいませんでした。若くしてキリスト者になった人、晩年になった人。早くにキリスト者になった人は、ついついその恵みの有難さを忘れて神さまの愛の前に胡坐を書いて感謝の気持ちを忘れる…と言う理解でした。けれどもこの日の説教を通して、朝早くから雇ってもらえるのは、この世的尺度で意気洋々・人生の成功者と思われる人・順風満帆の人、夕方になっても雇ってもらえないのは脛に傷持つ人、身から出たサビにもだえ苦しむ人…と言う見方があることを教えてもらいました。それでもかみさまは、同じだけの賃金1デナリオンを払ってくださるというのです。

 勇三さんのことに話を戻すと、教会で葬儀がなされるというのは、神さまが受け止めて下さるということだと思います。この世的に見るとどうしようもない情けない人生も、それがほころびに満ちている人生であればあるほど、深い憐れみの心をもって神さまは受け止めて下さる。不出来は不出来のまま、この人生で犯した過ちの責任を取ることができない無力な私達に代って、主がとりなし、「私が担う」と言ってくださるのです。

 教会の葬儀は伝道の業の一つです。欠けに満ちた人生であっても、その最後に神さまの憐れみの器として用いていただけるなら、これほどの光栄はないと思いました。

 葬儀の後三男・達がSNSに書いた文章をご紹介したいと思います。

 

 先週の木曜の朝、父親が死んだ。

 勤務先のマンション管理人室で仮眠休息中に眠ったまま息を引き取ったそうだ。

 63歳だった。

 

 父親は長崎の裕福な家庭の6人兄弟の末っ子として生まれ、周囲に愛され、時には甘やかされながら育った。慶応大学卒の英語が堪能な商社マン、元劇団員の妻との間に4人の子どもに恵まれ、周囲から見てもそれなりに順調な人生を歩んでいたのだと思う。

 

 しかし、何かが彼を狂わせた。

 天性の博打好きはやがて彼自身の生活も感性もむしばみ、その輝かしい人生は破綻した。家族も仕事も失った先に彼が見たものは何だったのだろうか。

 

 人が死ぬと、残された者たちは感傷に浸る間もなく、時間は容赦なく過ぎていく。

 流されるように通夜、告別式は終わり、あんなに大きかった父親の身体はあっという間に灰になった。持ち主を失った膨大な量の文庫本と、しあわせだったころに撮った母親との写真と、吸いかけのロングピースだけが、父親のいた痕跡と、そして彼はもういないのだという事実を語りかけてくる。

 

 不思議と後悔の念はあまりない。孫を見せてやりたかったとかもっといろいろ話しておけばよかったという思いがないわけではないが、きっとそれはだれがいつ死んでも思うことだと思う。それより、酒とたばこを愛した父親が、人生の最後に安住できる職場と仲間を見つけ、誰にも迷惑をかけることなくこの世を去ることができ、喜んでやりたい。

 

 棺の中に収められたロングピース。シーバス・リーガル12年もの。文庫本。競馬新聞。納めることはできなかったけれど、麻雀牌。ビートルズのLet it be.

 

 火葬場は海とディズニーランドが見える舞浜の埠頭。

 天気はまぶしいほどの青空。

 旅立つにはいい日だ。

 

 全てが終わり実家に帰った。

 

 遺骨と遺影を飾り、少し眠った。

 

 起きて食事をとり、少しだけ遺骨と話した。

 

 そしてまた眠った。

 

 そして、何気ない毎日はまたやってきた。

 

 あなたはいつまでも僕とともにいる。

 

 この文章のタイトルは「Thank you Dad, I love you」。勇三さんはなんて幸せな人生であったのだろうかと思いました。たくさんの失敗も、神さまが許しとりなしてくださり、最後に満塁ホームランです。神さまは、隣人としての達を通して、勇三さんにしっかりと1デナリオンをくださったのだと思いました。