小倉日明教会

『十字架につけろ』

ヨハネによる福音書 18章 28節〜9章 30節

2022年 4月15日 受難日夕礼拝

ヨハネによる福音書 18章 28節〜9章 30節

『十字架につけろ』

【奨励】 川辺 正直 役員

【奨 励】                      役員 川辺 正直

ハンナ・アーレントとアイヒマン裁判

 こんばんは。さて、最近、ウクライナでの深刻な戦争報道の中で、戦争犯罪という言葉をよく耳にします。戦争犯罪を裁く裁判として、最も有名なものの一つに、アイヒマン裁判があります。アイヒマンというのは、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関わった人です。ゲシュタポの中では、身分は高くはありませんが、ホロコーストに関与し、数百万人におよぶユダヤ人を強制収容所へ移送することを担った現場の最高責任者だったのです。第二次世界大戦終結後、アイヒマンは進駐してきたアメリカ軍によって拘束されましたが、自分がユダヤ人虐殺の責任者であることを充分に認識していたことから、偽名を用いて正体を隠し、捕虜収容所から脱出することに成功するのです。難民を装いイタリアにまで逃亡し、さらに、「オデッサ」などの組織の助力も受け、リカルド・クレメントという偽の名義で国際赤十字委員会から、難民に対して人道上発行されるパスポートに代わる渡航証の発給を受け、1950年に、アルゼンチンのブエノスアイレスに渡るのです。その後、ブエノスアイレス近郊に住まいを構え、約10年にわたって工員やウサギ飼育農家など様々な職に就きながら、暮らしていたのです。しかし、やがてドイツに残していた妻と子どもを呼び寄せて、足がつくのです。情報を得たイスラエルの諜報機関であるモサドは、アルゼンチンに作業班を送るのですが、リカルド・クレメントと名乗る人物がアイヒマンであると特定するのは困難であったそうです。最終的にこの人物がアイヒマンであると断定したのは、自身の結婚記念日に、アイヒマンが花屋で妻へ贈る花束を買ったことであったそうです。そして、モサドの工作員は彼を拉致し、イスラエルに極秘裏に移送するのです。そして、アイヒマンはイエスラエルで裁判を受けることになるのです。イスラエル政府は、彼の裁判の間中、アイヒマンを入れた刑務所の他の囚人を全員、他の刑務所に移したそうです。何百人も入る刑務所の中に、囚人はアイヒマン一人であったそうです。このように、彼を奪還されないために、イエスラエルはありとあらゆる手を打って、アイヒマン裁判が始まったのです。

 アイヒマンによって、ホロコーストで酷い目にあわされた遺族たちが、個人的な恨みを晴らすために、アイヒマンを暗殺しないように、この件は人類に対する罪として、法廷に立たせて、証言者の証言を全て出させて、法律に基づいて、ナチスがどんなことをやったのかということを世界に公表しなければならないということで、裁判をおこなったのです。アイヒマン裁判の記録フィルムをご覧になった方は、ご存知のことと思いますが、裁判の法廷で、アイヒマンはガラス張りの小さな小部屋の中から、マイクを通して発言をするのですが、この小部屋のガラスが防弾ガラスでできていたのです。

 このアイヒマン裁判の時、イスラエル建国から12年しか経っていなかったのですが、イスラエルには死刑制度がなかったので、イスラエルではそれまで死刑になった人は一人もいなかったのです。しかし、ナチスの戦犯に対しては別の法律が用意されていて、極刑が死刑であったのです。死刑という判決がそれまでイエスラエルの法廷で出たことが1回もなかったので、いよいよ最終結審がでるというその日、みんながその結審に注目したのです。そして、その様子はテレビで中継されていました。そして、その録画されたものは、翌日には、世界34ヶ国で放映されたのです。そして、いよいよ裁判官が判決と言い渡し、その判決は絞首刑でした。

 さて、ドイツ出身の哲学者、思想家に、ハンナ・アーレントという方がいます。彼女は、ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツから、アメリカに亡命し、カルフォルニア大学、シカゴ大学、プリンストン大学、コロンビア大学などで、教鞭をとり、主に政治哲学の分野で、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られた方です。彼女は、1961年4月11日にエルサレムで始まった公開裁判を欠かさず傍聴しアイヒマンの死刑が執行されるまでを記した『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』という本を著します。この本の中で、アーレントは「悪の凡庸さ」を語っています。アイヒマンは狂信的反ユダヤ主義者ではない。妻子や父母らへの態度は模範的であった。出世欲がある役人で、ヒトラーの命令を法として最善を尽くした。ユダヤ人大量虐殺の一翼を担ったのは「怪物」でもなく、極悪人でもなく、取るに足りない普通の人間だった。その悪の何と凡庸なことか、と語り、むしろユダヤ人でさえも、ユダヤ人ゲットーの評議会指導者のようにホロコーストへの責任を負う者さえいたとまで指摘しているのです。

 アーレントはナチスのユダヤ人虐殺を、ある意味で行政機構が正常に作動した『行政的殺戮』と呼んでいます。彼女が問題にしたのはアイヒマンの想像力の欠如です。自分の仕事が結果として何をもたらすか、考えないということです。深い意図から大きな悪が生まれるのではなく、普通の業務として遂行して、大きな悪を引き起こしてしまう。このことをアーレントは問題にしたのです。また、アーレントはこの本の中でイスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げかけています。

 発表されてすぐに『エルサレムのアイヒマン』は、多くのユダヤ人たちから、「自分がユダヤ人であることを嫌うユダヤ人がアイヒマン寄りの本を出した」とか、「ナチズムを擁護したのではないか」と激しく非難されました。彼女を裏切り者扱いするユダヤ人たちに対して、アーレントは、「アイヒマンを非難する、しないは、ユダヤ的な歴史や伝統を継承し誇りに思うこととは違う。ユダヤ人であることに自信を持てない人に限って激しくアイヒマンを攻撃するものだ」と反論しています。また、アーレントは国際法上における「平和に対する罪」に明確な定義がないことを指摘し、ソ連によるカティンの森事件や、アメリカによる広島・長崎への原爆投下が裁かれないことを批判しています。とても、勇気のある女性だと思います。

 アーレントは『エルサレムのアイヒマン』の中で、正統で、厳格な法執行の必要性を述べていますが、本日の聖書の箇所の主イエスの裁判は、どうだったのでしょうか。

過越の小羊、主イエス

 さて、本日の聖書の箇所の前の箇所、ヨハネによる福音書18章の28節以下で、捕えられた主イエスの身柄は、大祭司カイアファのもとから、ローマ帝国ユダヤ総督であるピラトのもとに送られました。通常、ユダヤ総督は地中海に面したカイサリヤという都市に駐在していますが、過越の祭りには、全国からユダヤ人たちが集まるため、混乱や暴動などが起きても対処できるよう、総督ピラトはローマ兵とともにエルサレムの町を訪れていたのでした。ローマ兵が駐屯し、総督ピラトが滞在したのが、アントニア要塞です。大祭司たちが主イエスを連れてきたのは、このアントニア要塞となります。そして、ピラトによる、つまりローマ帝国の下での裁判において、主イエスの十字架の死刑が決定されたのです。主イエスを大祭司のもとから総督官邸に連れて行き、ピラトに引き渡して裁きを求めたユダヤ人たちは、総督官邸には入ろうとしませんでした。それは「汚れないで過越の食事をするため」だったと28節にあります。異邦人であるピラトの家に足を踏み入れると汚れてしまい、その日になされる大切な過越の食事ができなくなる、というのです。このときの過越の食事は、祭司たちの過越の食事で、他の福音書が伝える主イエスが弟子たちと共に取られた最後の晩餐である一般庶民の過越の食事とは異なるものです。過越の食事は、過越祭の中心となるもので、過越の小羊の肉をメインとする食事です。この日の午後に過越の小羊が屠られ、夕食にその肉が出されるのです。ヨハネは、主イエスが十字架につけられたのは、過越の食事がこれからなされるその日に、まさに過越の小羊が屠られるその時刻に、主イエスが十字架の上で死なれたと語っているのです。ヨハネ福音書の意図は明らかです。ヨハネは、主イエスこそ私たちの過越の小羊であることを示そうとしているのです。主イエスは、私たちの罪を取り除き、救いを与えて下さる神の小羊、過越の小羊として、十字架にかかって死んで下さった、ヨハネはそのことを、何気ないこの一文においても、語っているのです。

主イエスが地上から上げられるとき

 さて、ユダヤ人たちが官邸に入ろうとしないので、総督ピラトが仕方なく外に出て来て応対した、ということが29節に語られています。ピラトは31節で「あなたがたが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言っています。ピラトは、主イエスの裁判に関わりたくないのです。これはユダヤ人たちの間の信仰の問題であることを彼は見てとっています。ローマの支配を認め、服する限り、その地の人々の宗教に口出しをしない、という方針によって、ローマは、広大な地域の多くの民族を支配する大帝国を築いたのです。しかし、ピラトのこの言葉に対してユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言いました。

 ヨハネ福音書がこれを語っているのは、次の32節を語るためです。「それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった」とあります。ユダヤ人たちがピラトのもとでの裁判を求めたことによって主イエスの言葉が実現した、とヨハネ福音書は語っているのです。

 「イエスの言われた言葉」とは、ヨハネによる福音書12章32、33節を指しています。主イエスはこう言われました。「『わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。』イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである」。主イエスは、自分は地上から上げられるという仕方で死ぬ、それによって、すべての人を私のもとへ引き寄せる、つまり全ての人を主イエスによる救いにあずからせる、とおっしゃったのです。主イエスご自身が地上から「上げられる」ことによって人々の救いが実現するとおっしゃっておられるのです。このように、主イエスはご自分が「上げられる」という仕方で死を遂げ、それによって救いが実現すると予告しておられました。それは、十字架につけられて死ぬことを予告しておられたということです。即ち、主イエスが「上げられる」こと、十字架につけられることに大きな意味があるわけですが、この十字架による死刑は、ローマ帝国の死刑の仕方でした。ユダヤ人の死刑は「石打ち」です。それでは「上げられる」ことにはなりません。実は、主イエスのこの裁判の少し前に、ローマ帝国はユダヤ人たちから、死刑を行う権利を剥奪していました。それは、神様の配慮であったと言わざるを得ません。主イエスがピラトによる裁きを受けることができなければ、主イエスは預言者ですらなかったということになってしまいます。しかし、主イエスは、ローマ帝国の総督によって裁かれたからこそ、「上げられ」たのです。ユダヤ人たちはイエスを死刑にするためにピラトによる裁きを求め、それによって、御自分が上げられることによって救いが成就すると語っておられた主イエスの言葉が実現した、つまり神のみ心が実現したのだとヨハネ福音書は語っているのです。

ピラトの尋問、主イエスは王であるか

 さてユダヤ人たちの求めを聞いたピラトは、官邸に入り、主イエスを尋問します。33節です。ピラトは「お前がユダヤ人の王なのか」と問います。ローマの総督であるピラトの関心はそこにのみあります。つまり主イエスが「自分はユダヤ人の王だ」と主張するなら、それはローマ帝国のユダヤ人に対する支配を否定して自分こそが王だと言っているわけですから、ローマに対する叛逆となるのです。それ以外の信仰の問題は彼にとってどうでもよいことです。

 ピラトのこの問いに主イエスは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」とお答えになりました。これはピラトの問いへの答えにはなっていません。ピラトはそれに対して「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」と言いました。「私はユダヤ人ではないのだから、お前がユダヤ人の王かどうかは私には関係ない。私は総督として事実を調べているだけだ」ということです。

 しかし、主イエスはピラトに、そして私たちにさらに語りかけて来られます。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」。「わたしの国」と主イエスはおっしゃいました。「国」は「王国」という言葉です。つまり「わたしの国」とは「わたしが王である国」という意味です。主イエスは確かにご自分の王国の王であられるのです。しかし、その王国は「この世には属していない」。

 この世の国は、この世の力や権力によって成り立っているけれども、「わたしの国」はそのような力よって築かれるものではない、ということです。だからそれは「わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦」うことによって守られるものではないのです。主イエスという王のもとには、この世の国とは違う王国が築かれているのです。この主イエスの王国とどう関わるのかが、私たち全ての者に問われているのです。

 ピラトは、「わたしの王国」という主イエスのお言葉に反応して「それでは、やはり王なのか」と問いました。彼には、この世の力や権力によらない王国は理解できません。イエスがローマの権力と対抗する王であろうとしているのか、ということだけが彼の関心事なのです。主イエスはそれに対して「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」とおっしゃいました。この主イエスの答えは、「あなたが言っているとおりです」と取るか、「それは、わたしではなく、あなたが言っていることです」と取るかによって肯定にも否定とれる微妙な答えです。しかし、その答えから、ピラトはイエスが無罪だと判断したのです。

鞭打たれた主イエス

 それでユダヤ人たちに、過越祭に一人の囚人を釈放する慣例があるから、それによってイエスを釈放することを持ちかけました。しかしユダヤ人たちは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返し、強盗だったバラバの釈放を求めたのです。19章1節には、「そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた」とあります。ローマのむち打ちは、過酷なものです。ローマの鞭は、皮に鋭い金属や陶器の破片などが埋め込められていて、この鞭で叩かれると、皮が裂け、肉がえぐられ、骨が見えるほどに損傷したと伝えられています。通常、鞭打ちは刑場まで連れてゆかれてから行われるのですが、総督官邸で行われたのは、ピラトは、鞭で打たれ、侮辱を受けてボロボロになった主イエスをユダヤ人たちの前に引き出してその姿を見せることで、ユダヤ人たちに「もう十分だ」という思いを持たせ、主イエスを釈放しようとしたのです。そのことは4節でピラトが、「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう」と言っていることから分かります。ピラトは鞭打ちを行うことによって主イエスを助けようとしたのです。

 そのようにして、茨の冠をかぶり、紫の服を着せられた主イエスはユダヤ人たちの前に引き出されました。ピラトは主イエスを彼らに示して、「見よ、この男だ」と言いました。ピラトはユダヤ人たちに主イエスを示して「この人を見よ」と言ったのです。それは、このみすぼらしい、鞭打たれて侮辱を受けた風采の上がらない男を見ろ、こんな男を死刑にしても仕方がないではないか、という意味です。しかし、祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだのです。ピラトは「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない」と言いました。彼が「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言ったのは18章38節に続いて二度目です。ピラトは、私は何の罪もないイエスを十字架につけるのは嫌だ、そうしたいならお前たちが勝手にやれ、と開き直ったのです。

 するとユダヤ人たちは、この男は神の子と自称した、それは我々の律法によれば死に当たる罪だ、と言いました。それを聞いたピラトは「ますます恐れ」たと、8節にあります。主イエスが自分は神の子だと言ったと聞いて彼は恐れたのです。彼は官邸の中に引っ込んでもう一度主イエスに問います。「お前はどこから来たのか」。

 「お前はどこから来たのか」とは、「お前の正体は何だ」ということです。「お前は本当に神から遣わされた神の子なのか」とピラトは問うたのです。

 このことこそ、ヨハネ福音書の主題です。この福音書は、あの3章16節に語られていた、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という神様の愛による救いを証ししています。主イエスこそ、神様がこの世に遣わして下さった独り子なる神であり、私たちに永遠の命を与えて下さる救い主なのだ、ということをこの福音書は語っているのです。主イエスの正体は何かというピラトの問いはこの福音書の中心主題に迫っているのです。

 ピラトはローマ帝国から派遣された執政者として、主イエスには何の罪も見いだせないから、ローマ法に従って、釈放したいと思っていますが、権力を与えられ、その権力に縛られているためにその思いを貫くことができないのです。12節には、「ピラトはイエスを釈放しようと努めた」とあります。しかし、ユダヤ人たちはこう叫んだのです。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています」。ユダヤ人たちは、自分を王だと自称しているイエスを無罪放免にしたら、あなた自身が皇帝の支配を否定して、イエスを王と認めることになるぞ、と脅したのです。

 まさに、ここに皇帝から与えられた権力に縛られているピラトの姿が描き出されています。自分に与えられている権力に縛られて、不本意ながら主イエスに十字架の死刑の判決を下さざるを得なくなっているピラトよりも、主イエスをピラトに引き渡し、彼を利用して十字架につけて殺そうとしている人々の罪はより重い、それが11節後半の主イエスの言葉、「だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」という言葉の意味なのです。

殺せ。殺せ。十字架につけろ

 このようなやりとりを経て、いよいよ主イエスの裁判が始まりました。14節によれば、「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった」とあります。「過越祭の準備の日」とは、過越の小羊を屠り、過越の食事の準備をする日です。ヨハネ福音書は、過越の小羊が屠られるその日の正午に主イエスの裁判が行われ、その午後に十字架につけられたと語っているのです。それはまさに、過越の小羊が屠られる時間です。過越の小羊が殺されることを通してイスラエルの民のエジプトでの奴隷の苦しみからの解放、救いが実現したように、主イエスが過越の小羊として十字架にかかって死なれたことによって、私たちの救いも実現したのだ、とヨハネは語っているのです。

 ピラトは主イエスを裁判の場に引き出して、ユダヤ人たちに「見よ、あなたたちの王だ」と言いました。それはピラトの精一杯の皮肉であり、イエスを十字架につけることを要求するユダヤ人たちへの抵抗だったのでしょう。しかしユダヤ人たちは「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と叫びました。ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えました。これがとどめの恫喝の言葉となります。ユダヤ人たちが「わたしたちには皇帝のほかに王はない」と断言し、「ユダヤ人の王」と自称した主イエスを処刑してほしいと言っているのに、その主イエスをピラトがかばったら、それはピラトが皇帝の支配を否定して、主イエスをユダヤ人の王と認めたということになるのです。このような脅しに対して、厳正な法執行を行うことよりも、ローマの意向を恐れ、自分の保身を考えるピラトには、イエスを十字架につける判決を下す選択しかないのです。

 こうして、ローマ帝国ユダヤ総督であるピラトによって主イエスの十字架の死刑の判決が下されました。ピラトは心の中では主イエスを恐れ、死刑にしたくないと思っていましたが、ユダヤ人たちから、イエスを釈放したら皇帝に逆らうことになるぞと脅されて、それに従わざるを得なかったのです。自分の思い通りに主イエスを裁くことができる権力を持っているはずの彼が、実はその権力に縛られていて少しも自由でない、そういう権力者の哀れな姿がここに描かれています。しかし、彼の権力は、根源的には神様から与えられたものでした。主イエスは、「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ」とおっしゃって、彼にそのことを教えておられます。彼はこの主イエスの言葉を真剣に聞くべきだったのです。

 主イエスに十字架の死刑の判決が下された裁判はこのように行われました。そこにはピラトの、またユダヤ人たちの弱さと罪が渦巻いています。そしてそのために彼らが陥っている恐れと悲惨さが描き出されています。その弱さも罪も、恐れも悲惨さも、私たち自身の現実です。主イエスの十字架の死は、ピラトとユダヤ人たちの姿に描き出されている私たち自身の弱さと罪、恐れと悲惨とがもたらしたものなのです。しかし、この主イエスの十字架の死によって、私たちの救いもまた実現したのです。主イエスは、私たちのための過越の小羊として、十字架にかかって死んで下さいました。しかし、主イエスの十字架の死によって、私たちの救いが実現したと聞かされても、なかなか実感が伴わないことかも知れません。しかし、主イエスの十字架の死による救いというのは、私たちが主イエスの命を食べることによって、私たちは生かされていると言い換えると、もっとリアルな出来事として、迫ってくるのではないでしょうか。

灰谷健次郎作、『兎の眼』

 灰谷健次郎という作家の作品に、『兎の眼』という作品があります。その中に、塵芥処理所の移転に反対して、塵芥処理所の正門の前に登山用のテントをはって、ハンガーストライキを始める足立先生という先生が登場します。彼は「教員やくざ」と呼ばれ、教室で生徒の机を寄せて昼寝をしたり、職員室に酒を持ち込んだりと不謹慎な行動ばかり。校長先生や同僚からの評判は全く良くないのですが、父兄からは一目置かれており、生徒にも一番好かれています。その足立先生が子どもたちと夜空を見上げながら、思い出話をする場面があります。少しお読みしたいと思います。

 「先生が初めて泥棒をした晩も、こんなふうに流れ星が流れとった。先生はお兄ちゃんと一緒に泥棒をしとったんや。倉庫に入って、大豆やとうもろこしを盗んで来た。けど、泥棒は恐ろしい。何回やっても、恐ろしい。それで、4、5回して、辞めてしもうた。先生のお兄ちゃんは泥棒が平気やった。家には兄妹が7人もおったから、つばめが餌を運ぶように、兄ちゃんは何回も何回も泥棒して来よったんや。

 「お巡りさんに捕まらへんかったんか」

 「捕まったで。何回も捕まった。けど、何回も泥棒をした。先生のお兄ちゃんはとうとう少年院に送られることになってしまった」

 「その日、先生のお兄ちゃんは死んだんや」

 「泥棒して平気な人間はおらんわいな。先生は一生後悔するような勘違いをしとったんや。先生はお兄ちゃんの命を食べとったんや。先生はお兄ちゃんの命を食べて大きくなったんや」

 「先生だけやない。今の人は皆人間の命を食べて生きている。戦争で死んだ人の命を食べて生きている。戦争に反対して殺された人の命を食べて生きている。平気で命を食べている人がいる。」

 このお兄ちゃんは、平気な顔をして泥棒をしていたのではなく、実は、弟、妹たちを養うために、自分の良心を食い尽くしながら、自分の身体をボロボロにしながら、そして、自分の将来を汚しながら、泥棒をしていたのです。あるとき、とうとう逃げることができなくなった時に、自らの命を断ったのでした。この自ら泥をかぶって、他の人達を助けてゆくという点について、主イエス・キリストの言葉が思い出されます。あるとき、主イエス・キリストがこうおっしゃいました。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」

 命というものは、他の命を食べなければ、生きてゆくことはできません。私たちが食事をするためには、食物となったものの命を殺してきたのです。命は命を食べて、初めて永らえることができます。主イエス・キリストは永遠の命を私たちに与えるために、裁かれる理由が全く無いお方であったのに、あの十字架の上で身代わりとなって、死んで下さったのです。誰でもこの主イエス・キリストの命を食べるものは、永遠の命を得ることができるのです。ここで言う、食べるということは、自分のものとして受け入れる、私たちの救いとして、主イエス・キリストの十字架の死と復活を、心から信じ、受け入れるということです。

 私たちは、神様に心を開いて、主イエス・キリストの命のパンに与って行きたいと思います。

 それでは、お祈り致します。