小倉日明教会

『愛に満たされて』

エフェソの信徒への手紙 3章 14~21節

2024年8月25日 聖霊降臨節第15主日礼拝

エフェソの信徒への手紙 3章 14~21節

『愛に満たされて』

【説教】 沖村 裕史 牧師

【説 教】                      牧師 沖村 裕史

■ピエロの医者

 皆さんは、ハンター・アダムスという人をご存じですか?名優ロビン・ウィリアムスが主演をして、大ヒットした映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(一九九八年)のモデルになった人です。

 彼は、一九四五年、アメリカのワシントンに生まれました。父親がアメリカ軍の兵士だったため、韓国やドイツなどにある軍の施設の中で育ちますが、父親はあまり彼のことを構ってくれなかったようです。一六歳の時、その父親と大好きだった叔父が続いて死んでしまったショックで、彼の心は深く傷つきました。父親が亡くなった後、教師をしていた母親と兄と一緒にアメリカに帰りますが、心の傷も癒えないままに、今度は学校でいじめに遭い、自殺未遂を繰り返すようになります。入退院を繰り返した彼はついに、自分から進んで精神病院に入院します。

 しかし、そこで彼は大きな転機を経験することになります。深い絶望とどうすることもできない虚しさの只中にいた彼に生きる目標を与えたのは、カウンセリング担当の医師ではなく、同じ病院に入院している患者たちでした。ひとりの老人が、親指を折った手を見せ、アダムスに聞きます、「何本に見える?」。「4本」と彼が答えると、その老人は首を振って、「目の前に見えるものにとらわれちゃ駄目だ」と呟きます。目の前のことだけを見るのではなく、その奥にあるもの、違う視点で物事を見ることが大切だと言われ、アダムスはハッとします。と同時に、患者が患者を治すことがある、「患者と医者になんの違いがあるのか」と考え始めます。そして、その老人や同じ部屋の友人との交わりの中から、「愛」がとても大きな力を持つこと、「笑いやユーモア」が人の心を癒すことに気づかされます。

 三九歳になっていたアダムスは、医者になる道を志し、その二年後、見事医学部に入学します。「医療に人の心を」、これが医学生の時からの信念でした。治療方法は患者を笑わせること。白衣を着て三年生になりすまし、大学病院に潜り込んだ彼は、三年生の医学生と一緒に、患者の様子を見て回るのですが、そこで目の当たりにしたのは、患者のことを名前で呼ばずに病名で呼ぶ姿であり、指導する医師と医学生のやり取りが病気に関わることだけで、患者自身についての会話が何ひとつないという現実でした。アダムスは思わず「彼女の名前は何ですか?」と尋ねますが、医師と医学生たちにただ怪訝そうな顔をされるだけのことでした。

 何度も大学病院に潜り込むアダムスは、ある時、学部長と鉢合わせしそうになります。思わず、ある病室に飛び込み、身を隠します。そこは小児科の病室でした。小さな子どもたちがベッドで、寂しく辛そうな顔をして横になっています。彼は近くにあった浣腸ボールを鼻につけて、子どもたちの前でピエロのようにステップを踏み、ふざけて笑いを巻き起こします。ひとりの子が笑い、他の子どもたちも興味を持って彼を見つめると、その悲しげだった子どもたちみんなが実に楽しそうに、キャッキャと笑い始めたのです。その笑い声を聞いて病室を覗いた看護師は驚き、呆れます。しかしアダムスは、死の予感に怯え、闘病生活に疲れ果て、孤独と絶望の中にいた患者たちとの、愉快で、愛にあふれた、心の底からの交流、ケアーを続けました。

 しかし、学部長はそんなアダムスとことごとく衝突、彼を退学させようとします。それでも彼が信念を曲げることはありませんでした。なぜでしょう。病人は諦めと絶望感に打ちのめされている、そのことこそが深刻(しんこく)な病いだ、そこから癒されなければと考えていたからです。笑いが、何よりも「愛」が必要だと信じていたからです。管理され、ただ治療されるだけの「物」のように扱われていた患者たちは、愛と笑いを通して、人として癒され、元気づけられ、病いと闘い、病いを恐れず受け入れる勇気を持つようになります。訝し気に見ていた同級生や看護士たちも、そんな彼を理解し、支えるようになります。そうして様々な試練を乗り越え、大学を卒業することができた彼は、愛とユーモアを治療の土台においた、無料で診療する「お元気で病院(Gesundheit Institute)」を設立することになります。

 彼の活動とメッセージは、日本でも多くの医師や医学生たちの共感を呼びました。支援の輪が広がり、今から二〇年前の八月、日本に招かれ、熊本、神戸、長野の塩尻で講演会が開かれました。その時、NHKが彼に取材をしています。彼はこう聞かれました、「講演会で、医師であるあなたが、理想とする医療のあり方を語らずに、愛について語られたのはなぜですか」と。すると彼は「人間にとって最も大切なものが、愛だからです。テレビや本にも愛をテーマにしたものがたくさんあります。そのように、愛の大切さを誰もが知っているのに、ところが、家庭でも学校でも、その愛について教えようとしません。ですから、わたしは、愛について語るのです」と答えます。

■いま、手をつなぎ合って

 「愛」とは何でしょうか。今日の聖書の冒頭にこう書かれていました。

 「こういうわけで、わたしは、天と地にあるすべての家族にその名を与えられる父の前にひざまずいて祈ります」

 神が「父」と呼ばれます。しかも、その人がわたしたちすべての名付け親だと言います。「名付け親である父なる神」というこの言葉は、神が、わたしたちのいのち、わたしたちの家庭、わたしたちの人生の根っこにいてくださるのだということです。そしてまた、名付け親として、弱くて小さい、間違いや失敗ばかりのわたしたちに大きな愛を注いでくださっている、愛そのもののお方だということです。何の条件もなしに、わたしたちの一人ひとりを、あるがままに受け入れてくださる愛のお方だということです。

 だから、わたしたちは子どもとして、愛の神の前に「ひざまずいて」「ひざをかがめて」と言います。わたしたちが、愛の神の子どもとなるには、この身を低くし、このひざをかがめて、祈る者とならなくてはならないということです。この言葉は、高さでなく低さこそが愛である父の子どもにふさわしい姿であり、また高さでなく低さこそが愛の第一歩だ、ということをわたしたちに教えているのでしょう。上から目線で、偉そうにではなく、パッチ・アダムスのように、身も体も低く、仕えるようにして、互いを大切にすることが、互いを愛することができたら、どんなに素敵なことでしょうか。

 改めてこの映画を見ながら思い出したのは、ボランティア団体『メイク・ア・ウィッシュ』のことでした。事務局長をされていた大野寿子さんが、二か月前の六月、わたしたちの教会を訪問してくださいました。その大野さんの著書の中に、こんな言葉が記されています。

 「一九九六年、『バスの運転士になりたい』という佐々木証平くん(六歳)の夢をお手伝いしました。証平くんは島根と広島の県境の『匹見町』という小さな町で、近所のおじいちゃん、おばあちゃんにかわいがられて育ちました。三歳のとき、ある日突然、大きな痙攣の発作を起こし、病院へ行きます。そして『ミトコンドリア脳筋症』と診断され、あれよあれよという間に、崖から転がり落ちるように病状は悪化し、立つことも食べることも話すこともできず、ついには人工呼吸器をつけるようになりました。そんな証平くんが小さいときから憧れていたバスの運転士さんになるため、その日、出雲のバス操車場に『しょうちゃんの夢のバス』が走りました。応援団がファンファーレを奏でる中、運転士の制服を着た証平君の任命式が行われます。バスは、養護学校のお友だちやそのご家族やボランティア、一〇〇人ものお客を乗せたりおろしたりしながら、『びょういん』を出発し、『ひきみちょう』を経由して、『げんきまち』まで何往復もしました。…

 それから四年たち、島根の会合においでくださった証平くんのお父さんが、こんな話をなさいました。

 『証平があっという間に変わり果てた姿になったとき、わたしは天を恨み、地を恨み、すべてのものを恨みました。一生懸命まじめに生きてきたわたしたち家族がどうしてこんな目に遭わなければいけないのか、わたしたちが、証平がなにをしたのかと、何度も問いました。親切に声をかけてくださる人たちに対しても、「わたしたちの気持ちがわかるものか」と突っぱねていました。ところが、あの日、メイク・ア・ウィッシュで夢をかなえた日、ふと、その肩の力が、恨みの気持ちが抜けたのです。そうか、小さな楽しみや目標を前においていけばいいのだ、と思えたのです。庭でバーベキューをしようとか、近くの公園まで散歩に行こうとか…』

 …『病気が治れば勝ち、治らなければ負け』と思いがちです。でも人生には、勝ち負けとは別の尺度がある。それは、『いま』をどのように生きるか、ということに尽きると思います。いまをどのように生きたいかと問われれば、その答えのひとつは、『手をつなぎあって』です。ひとりひとりの力は小さいけれども、つなぎあうとき、それは時間も空間も越えて、どこまでも無限に広がる可能性をもちます。人の命は有限ですが、こうやって人は生き続けるのだなあ、と思うのです」

 「いま」このときを、どう生きるのか。映画『パッチ・アダムス』の中にこんな言葉が出てきます。「〝死ぬ〟ということは、死を迎える直前の数分間の出来事を指す。それまで人は生きている」。医者としてのあり方を問われた時に発したこの言葉は、多くの人の心を揺さぶりました。死ぬことを怖がる人は多いのですが、死を恐れることなどないとはっきりと言い、死ぬのはたった数分だけのことで、それまでは生きている喜びを感じるべきだ、とみんなの前で言い切ります。生かされている「いま」このときに「手をつなぎ合って」生きる。それこそ、パッチ・アダムスの求めた「愛」そのものではないか、そう思えます。

■低さこそ、愛の根っこ

 「人間にとって最も大切なものが、愛だからです。テレビや本にも愛をテーマにしたものがたくさんあります。そのように、愛の大切さを誰もが知っているのに、ところが、家庭でも学校でも、その愛について教えようとしません。ですから、わたしは、愛について語るのです」

 パッチ・アダムスのこの言葉を聞いたとき、意表を衝かれたような思いに捉われました。そう確かに、日本の学校の中で、家庭の中で、生活の中で、どれだけ「愛」が語られ、「愛」が教えられているでしょうか。全くと言ってよいほど、ないのではないでしょうか。

 では、なぜ「愛」が語られず、教えられないのか。また「愛」を語り、「愛」を育むためには、どうすればよいのか。その問いに対する答えが、先ほどのパウロの言葉の中にあります。パウロは、「高さでなく低さこそ、愛の第一歩である」と、わたしたちに教えていました。ところが、家庭教育であれ、学校教育であれ、職場教育であれ、教育を妨げるもの、それは人間の傲慢、自分こそがというエゴイズムです。およそ「先生」と呼ばれる人は、ややもすると自分が相手より高い位置にいると錯覚をします。親や教師や上司は、こどもや部下よりも年齢が上ですし、知識・経験ともに相手より優れているからと、「教えてやる」「育ててやる」といった態度をとりがちです。しかし、そのような高い姿勢こそ、教育者・指導者としての不適格さを示すものです。反対に、低さこそが教育やリーダーシップにとって最も大切で、最も有効な姿勢です。

 そして、その低さこそが愛の第一歩だ、と言います。親や教師や指導者にとって大切なことは知識ではありません。それも必要ですがしかし、それにもまして「愛」が不可欠なのです。その愛も、自分には愛があるとうぬぼれた愛では役に立ちません。本当の愛とは、自らの膝をかがめるほどの低い愛です。家庭の中で、学校の中で、人と人との交わるあらゆる場で、わたしたちはこの膝をかがめ、この身を低くすることによって初めて、愛に生き、愛を育み、愛を語ることができるのではないか、パウロとパッチ・アダムスの言葉が響き合います。

 そうして今、膝をかがめ、身を低くして、パウロがエフェソの信徒のために父なる神に祈り求めていることとは何でしょう。一六節です、

 「どうか父がその栄光の豊かさにしたがい、み霊により力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださるように[祈ります]」

 わたしたちの生きる場は、人と人との関わりによって成り立っていますから、人生とは本来、内的なもの、心と心の通い合いによって営まれるはずのものです。ところが現実では、外的なことや量的なことばかりが問題とされます。家庭では、子どもの内的な成長やそれぞれの自己実現よりも、人と比較して少しでも抜きん出ることばかり、心安らぐことよりも、人から誉められることばかりを求め、例えば、有名校への入学が子育ての第一目標となります。学校も同じように、有名校入学、そして校則を守らせることが第一となることがあります。子どもの心のドアを叩き、その中に入り、その心を豊かに育てることが忘れ去られてはいないか。今こそ「み霊により力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださるように」という祈りが、大切です。

 では、わたしたちが大切に育むべき、わたしたちの内なる心とは何なのでしょうか。続く一七節から一九節です。

 「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とあります。キリストがわたしの心のうちに住むことは、生きることの、人生の、あらゆる成長の根っこであり、また忍耐の柱です。ところがわたしたちの心、わたしたちの愛はしばしば、根っこを持たないために、たやすく移ろい、動揺してしまいます。しっかりとした土台に立っていないために、すぐに崩れ去ります。愛は、嫌なこと、敵意に出会うと試され、根のない愛はすぐに、怒り、憎しみに早変わりします。

 しかし実は、自分にとって嫌なこと、都合の悪いことこそ、わたしたちの愛を試し、根深いものにさせてくれるものです。だからこそ、わたしたちの罪を負って、十字架に苦しみ死んでくださった、その「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」を知り、味わうことが、何よりも大切なこととなります。

■愛の力に満たされて

 ただここで間違えないでください。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを持ちなさいと命令されているのではありません。命令されたからといって、誰がキリストの愛を持つことなどできるでしょうか。この言葉は、どこまでも祈りです。そして最後一九節から二一節こそ、そのような祈りです。

 ここには、かなえてくださるお方に対する深い信頼があります。人間の「知識をはるかに超える[キリストの]この愛」、「わたしたちが求め、思うことをはるかに超えてしてくださることのできる方[、神]」がおられるとの確信です。ところが、人は自分にできること、自分の可能なところまでしか祈りません。それを超えたものにまで思いが至りません。そして、「そんなことが」「どうして」「どうせ」と、ただ狼狽え、疑い、訝(いぶか)るばかりです。しかし、イエスさまは言われました、「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」、「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」と。

 だからこそ、祈りの最後に「わたしたちの内に働く力によって」と付け加えられます。神の愛、その絶大な力も、わたしたち抜きではありません。わたしたちを通して行われます。わたしたちの内に、神の愛の力が働くのです。わたしたちの愛、わたしたちの力ではありません。神の力です。しかし、それは外から来るのでありません。実に、祈るわたしたちの内に神の力が働いて、その愛に満たされて、わたしたちにも愛の業をなし遂げさせてくださるのです。