■トロアスの街
「トロイの木馬」という物語を思い出します。ホメロスの叙事詩『イリアス』の中で描かれたトロイ戦争は、昔から多くの人々の心を捉えてきました。十年にも及ぶ猛攻に耐えるトロイに手を焼いていたギリシア軍は、一計を案じ、木馬の中に兵を潜ませてその城門の前に置きます。思惑通り、トロイの人々は不審を抱きながらも城内に木馬を引き入れ、その中に身を隠していたギリシア兵が夜陰に紛れて町に火をつけ、ついにトロイはギリシアの軍門に下ります。このトロイの物語、長い間架空の物語だと思われていました。しかし、ドイツ人シュリーマンがこの古代都市の遺跡を発見し、それが史実であることを明らかにしました。
直前六節に、「わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した」とあります。今日の舞台は、その古代都市トロイの遺跡のすぐ南にある、トロアスと呼ばれる港町です。トロアスは、アジア大陸とヨーロッパ大陸をつなぐ港町でした。 現在のトロアスには、パウロが訪れた当時の賑やかな港町の面影はどこにも残っていませんが、当時のトロアスは、マリーンブルーのエーゲ海に面した、石造りの家々の白い壁が映える、美しい街であったにちがいありません。地中海の眩いばかりの陽差しと、過越祭の季節に吹く塩の匂いを含んだ偏西風が、この時も、パウロたちを包み込んでいたに違いありません。
■死からいのちへ
パウロたちは、そのトロアスで一週間を過ごしました。一週間は瞬く間に過ぎ、「週の初めの日」、つまり日曜日の「翌日に出発する」ことになりました。その「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると」とあります。当時の日付は真夜中の0時にではなく、夕方に変わりましたから、この日曜日の集会も土曜の夕刻から始まっていたと考えられます。
その集いの中で行われていたのは、二つのことです。ひとつは、「パンを裂く」こと、愛餐の食卓を囲んで行われる聖餐式です。もうひとつは、パウロが「人々に話をした」あるいは「夜中まで続いた」話、説教や奨励です。一一節に「長い間話し続け」たと訳されているギリシア語のホミーリヤは後に、「説教」という教会用語の語源となりました。
その大切な説教とパン裂きでのこと、エウティコという青年が、居眠りして三階から落ちて即死する、という予想もできない事故が起こりました。
エウティコという名前は、ギリシア語で「幸運な」という意味です。その名前ゆえというのではありませんが、幸か不幸か、その即死した青年をパウロがよみがえらせます。新共同訳聖書には「騒ぐな。まだ生きている」と訳されていて(一〇節)、いかにも仮死状態に過ぎなかったかのような印象を与えますが、原文には「まだ」という言葉はありません。この使徒言行録を書き記したルカは、 エウティコは「もう死んでいた」とはっきりと書き記しています(九節)。この青年は、確かに死んでしまっていました。パウロは、その死人「の上にかがみ込み、抱きかかえて」から、「心配することはない。いのちがある」、つまり「生き返った」と宣言しているのです(一二節)。
この驚くべき出来事は、わたしたちに何を伝えようとしているのでしょう。
確かに、パウロは少し長く語りすぎていたのかもしれません。夕刻から始まった「その話は夜中まで続」いた、とあります。そのため、エウティコは「パウロの話が長々と続いたので、眠りこけてしま」います。今日のように日曜日が休みというわけではありません。仕事が終わってやってきた青年は疲れ切っていたことでしょう。また、たくさんのともしびが灯されたその三階の部屋は、換気が悪く、眠気を誘ってもいたでしょう。ただ、他の人たちはその長い説教の間、ずっとパウロのみ言葉に熱心に耳を傾け続けていたのですから、この青年は、まるで昔話の中によく出てくる、ちょっと間の抜けた、少し頼りない主人公のようです。その描写はユーモラスでさえあります。
ところが、この青年が「三階から落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた」ことから、この物語は、突如、悲劇へと変わります。
悲しい出来事、悲劇は、こんな風に、予期しない時に、いえ、たとえ予測はしていても、ふいにわたしたちに襲いかかってくるものです。物事が順調に運んでいるとき、突然、誰かが前にどさりと落ち、叫び声が上がり、衝撃が走ります。悲劇が、わたしたちの日常の流れを呑み込み、ついさっきまで元気だったはずの人が死んでしまう。戦争や災害、病気や事故によってもたらされる死が、金槌のようにわたしたちに振り下ろされ、いのちの扉がバタンと閉められ、すべてが終わってしまう。こんな時、わたしたちは、何も話せなくなります。動けなくなります。死はいつも、わたしたちを石のように頑ななものにしてしまいます。
「しかし、パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて」(一〇節)、嘆く人々、悲しんでいる人々に言いました。「騒ぐな…」(一〇節)。
じっと動かない、死んだその体を優しく抱きかかえるその抱擁は、イエスさまが人々の嘆き悲しみの中で、ラザロを、ヤイロの娘を生き返らされた出来事を思い起こさせます。
イエスさまが、神様のみ力によって、死からいのちを奪い返されたように、パウロもまた、どうしようもないと思われた現実の流れを中断して、生から死へと向かう、その流れを逆転させました。パウロは、この世はこうなるはずであるというわたしたちの予想を覆して、イエスさまのみ言葉とみ業によって、もう一つの新しい現実を明らかにしています。新しいいのち、永遠のいのちに生かされる福音を明らかにしています。死の抱擁を予想していたこのときに、わたしたちは、いのちの抱擁に出会います。葬儀の準備を考えなければならないその場所で、パウロは自信に満ちてパンを裂いて食べ、「夜明けまで」話し続け、その青年は生き返りました。そして「人々は、大いに慰められ」ました。
■永遠のいのち
今日のみ言葉の中心は、この最後の一二節にあります。
「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」
ふたつのことをお話ししたいと思います。
ひとつは、慰めの「福音」についてです。聖書の教える「福音」とは、死は終わりではなく、始まりであるという希望のことです。永遠のいのちという希望です。それが、自分の力ではどうしようもないと思われる、悲しみや苦しみの中にいるわたしたちを、あらゆる闇と恐れから救ってくれます。
永遠のいのちとは何か。永遠でないいのちの現実の中でそれを考えるのは難しいことです。ちょうど、まだ生まれてもいない赤ん坊が、お母さんのおなかの中で、これから生まれる先の広大無辺な世界を想像するようなものです。ですから、永遠のいのちは、わたしたちにとっての信仰の核心でありながら、ではそれは何かと聞かれても、だれも明確に答えることができないものです。それでもあえて言うなら、永遠とは、単に今の時間が無限に続くというようなことではなく、何か決定的に人間の時間感覚を超えた、聖なる世界のことであろうことだけは想像がつきます。ですから、永遠のいのちと言っても、この世のいのちがいつまでも残るというようなことではなく、この世のいのちを超えた全く新しい次元での、聖なるいのちのことだと言えるでしょう。
この世のいのちは有限なので、必ず死が訪れます。だから、わたしたちはいつも畏れを抱いています。この世のいのちは弱いので、すぐに傷つきます。だから、わたしたちはいつも苦痛を感じます。この世のいのちは不完全なので、必然的に愛が足りません。だから、わたしたちはいつも不満を抱えています。永遠のいのちとは、そんなわたしたちのあらゆる恐れ、苦痛、孤独を超えた、まことの喜びと完全な愛に満たされた幸いないのちのことです。
その永遠のいのちは、神様からの純粋で完全な贈り物で、この世のいかなるものに頼る必要もありません。永遠のいのちは、ただ一方的に、ただ神様の愛ゆえに与えられるいのちなのだと言ってもよいでしょう。
■呼び寄せ、励ます
この出来事がわたしたちに教えようとしていることは、死人をよみがえらせたパウロの奇跡の業でも、彼の預言者のような偉大さでもなければ、エウティコの幸運でもありません。愛すべき人の死を悲しむ、すべての者が、大いに「慰められた」という恵み、福音ゆえにこの出来事は取り上げられているのです。
そうです、この出来事は「慰め」の福音です。これが、ふたつ目のことです。
「慰める」という言葉の「慰」というこの漢字は、もともと、布を火の上で炙って平らになめすことを表わすものです。悲しみや苦しみ、孤独や寂しさにささくれ立ち、くしゃくしゃになってしまっている心を、滑らかで、真っ直ぐなものにされることを意味するのでしょう。この「慰める」という言葉にこそ、豊かな福音が示されています。
「慰める」 パラカレオー というこの言葉は、「傍に呼び寄せる」という意味を持っています。一節で、「パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した」とあります。この時の「呼び集めて」という言葉が、パラカレオー です。どこか遠くにいて、全く関係のないところから、ただ慰めるのではありません。パウロは、弟子たちの傍らに、寄り添うようにして、弟子たちを励ましています。エウティコが生き返ったことを喜んだトロアスの教会の人々もまた、自分たちがその礼拝に「呼び寄せられ」、何よりも、彼らのその交わりの中に、神が、イエスさまがおられること、一人ひとりの傍らに寄り添ってくださっていることに気づかされ、慰められたのだと言うことができるでしょう。
そしてもうひとつ、この言葉には、「励ます」という意味があります。二節に、パウロはマケドニアで弟子たちを「言葉を尽くして励ました」とありました。この「励ます」という言葉が、「慰める」 パラカレオー です。「慰める」ということが、ただ、残念だったねとか、かわいそうにねといった、どこか他人事のような空々しいものであったとすれば、それは何の支えにもならないでしょう。「慰める」ことは、単なる同情ではありません。それは、挫けそうになる、そして押しつぶされそうになる心、弱いわたしたちの一人ひとりの心が励まされることです。
使徒言行録の至る所に描かれるパウロの働きは、まさにそのような働きでした。わたしたち人間は、この世で多くの誘惑と試練に耐えなければなりません。そのような時には、「慰める」、文字通り「力づける」働きが何よりも必要です。その夜の礼拝に集まっていた人々もまた、パウロを通して、新しいいのちを示されました。それは人々に、神の国が今ここに成就しつつあることを実感させるものであったのではないしょうか。神の国の成就―神のみ手によって包まれるという希望が、どれほどの困難や悲しみの中にあっても、人々を、わたしたちを励まし、そして慰めてくれるのです。
■教会の愛
最後に、見落としてならないことがもうひとつあります。そのような慰めに満たされている教会の姿です。
エウティコという青年の回りで、トロアスの教会の人々がみんな、ただひたすら「よかった、よかった」と言って、慰められている姿の中に、このひとりの軽率な若者をも愛してやまない教会の愛を見ないわけにはいきません。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう」と言われた、あのよき羊飼いと同じ愛の心が、彼らの中にもあったのです(ルカ一五・四~六)。
そのような教会の姿と、パウロの姿とが重なり合います。パウロは、青年「の上に身をかがめ、抱き起こして」、自分のからだといのちで抱き締めるようにして、彼を生き返らせます。人々もまた、このひとりの人の生き死にを、いのちを、わがことのように抱え込み、ともに泣き、ともに喜びます。ここに、本当の慰めがあります。ここに聖書が指し示す愛の姿があります。教会は単なる組織ではありません。教会は一人の慰めを、自らの、すべての者の慰めとするところです。
パウロはそんな慰めの中で、「騒ぐな…」(一〇節)と鋭く語っています。 いのちがあるからです。慰めに満ちた交わりは、教会を回復させ、教会をいのちへと呼び戻し、恐れて戸を閉じて隠れている小さな群れから、自信に満ちた預言者の群れへと教会を変えます。そしてこの預言者の群れはどのようなときにも、神様の慰めのうちに「いのちがある」と叫びながら、この世の厳しい現実にも、死にも向かい合うことができるのです。感謝です。