小倉日明教会

『なぜ、ほどくのか⁈』

ルカによる福音書 19章 28〜40節

2025年4月13日 受難節第6・棕梠の主日礼拝

ルカによる福音書 19章 28〜40節

『なぜ、ほどくのか⁈』

【説教】 沖村 裕史 牧師

【説 教】                      牧師 沖村 裕史

■棕櫚の主日

 今日は、「棕櫚の主日」です。

 イースターの一週間前にあたるこの日、イエスさまは弟于たちと一緒にエルサレムの町に入城されました。

 ダビデ王によって基礎を据()えられ、千年の歴史を誇る都エルサレム。そして、ユダヤ教の神殿を擁(よう)する聖地エルサレム。ここは、ユダヤ人にとって最も重要な町、聖なる町であると同時に、イエスさまにとっては、敵対する人々の待ち受ける危険な町でもありました。

 伝承によれば、その日、エルサレムに入城するイエスさまに対し、人々は棕櫚の枝を手に手に打ち振りながら、歓呼してその一行を迎えたといいます。

 ところで、この「棕櫚の主日」の様子を伝える四つの福音書には、こうした民衆の歓迎とともに、その日のイエスさまがロバに乗って進んで行かれたということも伝えられています。そして、今日お読みいただいたルカによる福音書の物語の前半には、イエスさまがお乗りになったロバにまつわる伝承が残されています。

 それによると、イエスさまは二人の弟子に向かって、こう言いつけられたと記されています。

 「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」(一九・三〇~三一)

 そこで、その弟子たちが行ってみると、果たして表通りに子ロバがつないであったので、彼らはそれをほどいて連れていこうとしました。ところが、そこに居合わせた持ち主たちがそれを見て、弟子たちを咎(とが)めたので、二人はイエスさまの言葉どおりに答えて、ロバを連れていくことを許してもらったというのです。

 この経緯について、聖書の注解書などを読むと、たぶんイエスさまは、弟子たちが知らぬ間に手を回しておき、事前にそのロバの持ち主と話をつけておいたのだろうといった説明をしているものもありますが、さてどういうことだったのか、そのへんはよく分かりません。

■「なぜほどくのか」

 今日、わたしたちがこの出来事の中で注目したいと思うのは、誰かが「なぜほどくのか」と聞くかもしれないと言われたイエスさまの言葉です。

 この「なぜほどくのか」という言葉は、この話の文脈に沿って読めば、無断で人の家のロバを連れ去ろうとする弟子たちに対する、人々の警戒の言葉、威嚇の言葉ということになります。

 けれども、そうした文脈を少し離れて考えてみると、このような言葉、すなわち「なぜほどくのか」、「なぜそんなことをするのか」、「いったいどういうつもりだ」、「そんなことをしたら、ただではすまないぞ」といった類(たぐい)の言葉というのは、実はイエスさまに敵対する人々が繰り返し、繰り返し、主に向かって投げつけた言葉でもあったということを、わたしたちは知っています。

 イエスさまの故郷であるガリラヤで、また旅空のもと、さまざまな村や町でも、イエスさまが語っておられる時、病気を癒やしておられる時、悪霊を追い払っておられる時、そうしたさまざまな場面で、しばしばこれと同じ言葉が発せられてきました。

 イエスさまに向かって、ある人は「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と言い、母親までもが「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言い、ある人は「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と言い、さらにまたある人は「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言ったと、福音書に記録されています。

 多くの場合、こうした言葉を投げかけたのは、律法学者やファリサイ派の人々であったといいます。彼らは、当時のユダヤ人社会の中で宗教的権威を持つ人々でした。言い換えるなら、こうした彼らの言葉は、当時の社会の「常識」や「正論」を代表するものであって、そうした立場からのイエスさまに対する非難と糾弾の言葉が、「なぜ、ほどくのか」だったのです。

 人々は言います。

 「なぜ、子ろばをほどくのか。つながれているろばをほどいてはならない。なぜなら、そのろばは飼い主のものだから。そのろばを連れていってはならない。なぜなら、そのろばはそこにつながれているべきだから」

 たしかにその通りでしょう。この世界には一定のルールがあり、生活する上での決まりごとがあり、人と人との関係は大事にしなければなりません。

 けれども、時として、そうしたルールがひとり歩きを始めてしまったり、決まりごとゆえに、かえって人間そのものが犠牲にされてしまったり、「常識」や「正論」にとらわれるあまり、本当に大事なことが歪(ゆが)められてしまったりすることもあるのです。

 事実、イエスさまの生きていた時代、律法学者やファリサイ派の人々が主張した「常識」や「正論」の中には、そうした問題が含まれていたということを、福音書はいろいろな箇所でわたしたちに教えています。

■ロバの象徴するもの

 さて、そこでわたしたちが次に注目したいのが、この場面に登場する「つながれていたロバ」の立場です。この「ロバ」の姿はいったい何を象徴するのでしょうか。

 キリスト教の伝統的理解によれば、まずロバは平和を象徴する動物という解釈があります。聖書の中では、馬は「軍馬」、すなわち戦争を連想させる動物であるのに対し、ロバは農耕や運搬といった日常の平和な営みにかかわる動物というイメージで描かれてきました。

 この箇所と一緒に読まれることの多い、旧約ゼカリヤ書九章九節にこう記されています。

 「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ロバに乗って来る/雌ロバの子であるロバに乗って」

 ここでも、神に選ばれたまことの「王」は、戦いを象徴する馬ではなく、あえてロバに乗ってやって来るということを強調しています。

 おそらくイエスさまもまた、そのような意図をもって、あえてロバを選び、ロバに乗ることによって、戦いや暴力ではなく、平和をもたらすためにご自身がやって来られたことを示そうとされたのでしょう。

 さてしかし、次にわたしたちは、このロバの象徴するものとして、もうひとつ別のイメージについても考えてみたいと思います。

 それは、そこにつながれて、ただじっとしているロバの姿です。必要な時だけ連れていかれて、人間のために働き、黙々として自分の仕事を果たし続けるロバ。馬ほどに力もなく、速くもなく、また大きくもないロバ。わたしはこうしたロバの姿に、いわゆる一般の人々、わたしたちと同じ、ごく普通の、平凡な人間の姿が象徴されているのを見て取りたい、と思うのです。

 おそらくイエスさまの時代、ほんの一握りの裕福な人々、権力と財力に恵まれた人々を除けば、大多数の人々は生活するだけで精一杯という状況の中に置かれていたはずです。そして、その時代、その社会の矛盾の中で、懸命に働き、いろいろな不安や悩みを抱え、力ある人々からは苦しめられたり、搾り取られたりしながら、それでも多くの人はただ黙々と生活し続けていたのが、その時代の庶民の姿であったと思います。

 イエスさまは、そうした人々の苦しみや痛みに、切実な思いをもって共感し、癒し、交わり、教え、そして愛の神のもとへと導かれました。それはちょうど、今日の出来事にあるように、つながれて、ただじっとしているしかないロバを解き放ち、「主のご用」のために歩み出させることと、よく似ているように思うのです。

■キリストを乗せて歩む

 このロバは、イエスさまによって解き放たれ、引き出され、イエスさまに乗っていただくことによって、神の救いの歴史の一端を担うことになりました。「棕櫚の主日」の出来事が語られるたびに、このロバのごとも、いつまでも繰り返し、繰り返し語り伝えられていくことになったのです。

 キリスト教会の歴史には、ちょうどこのロバと同じように、弱く小さな、そして平凡な人々が、イエスさまに用いられることによって、大切な「ご用」を果たしたという例がたくさん残されています。

 例えば、ご存じの方も多いと思いますが、榎本保郎という方がおられました。この方も、主イエス・キリストに用いられた、小さなロバのことを描いたこの物語に感銘を受け、自らもまた、主に用いられた「小さなロバ」、すなわち「ちいろば」になろうと志された方でした。

 この榎本牧師が書いた、『ちいろば』という本の中に、こんな一節があります。

 「このろばの子が『向こうの村』につながれていたように、わたしもまたキリスト教には全く無縁の環境(中略)に生れ育った者であります。わたしの幼な友だちが、わたしが牧師になったことを知って、『キリストもえらい損をしたもんじゃのう』といったそうですが、その評価のとおり、知性の点でも人柄の上からも、およそふさわしくなかったわたしであります。ですから、同じウマ科の動物でありながら、サラブレッドなどとはおよそけた違いに愚鈍で見ばえのしない『ちいろば』にひとしお共感をおぼえるのです」

 同じことが、わたしたちについても言えるのではないでしょうか。

 教会とは、そしてクリスチャンの交わりとは、このロバのように、「主のご用」のためにイエスさまを乗せて、いえ、むしろイエスさまに乗っていただいて、歩き続ける群れのことです。一人だけでは、なかなか歩み通せないかもしれない信仰の道を、同じロバの群れとしてであれば、互いに励まし合い、互いに支え合いながら、進み続けることもできるのではないでしょうか。

■「あり…」

 以前いた教会に、Mさんという高齢の男性がおられました。Mさんは学生時代に結核を患い、片方の肺を切除するという大手術を受け、長い間、療養生活を送られた方でした。当時の結核は不治の病、死に至る病気とみなされていました。Mさんは幸いに長期の療養生活の後に退院し、ある企業に勤めることができました。人柄は誠実で、仕事熱心。周りの人々から信頼される人でしたが、やはり片方の肺を切除したこともあって、人並み以上の仕事をこなすのは体力的にも無理がありました。そんな事情もあって、必ずしも思い通りの会社人生を送ることはできなかったようです。

 そのMさんがあるとき、教会の集会で証しをされたのですが、その話にわたしは心を強く打たれました。

 「自分は若い頃に病気のため長期の療養生活を余儀なくされ、自分の思い通りの人生を歩むことができませんでした。意に染まないことや願いとは違った道を歩まなければならないことも多々ありました。あれかこれかの岐路に立って、どちらの道を選ぶべきか悩むことも多くありました。そんなとき自分は得だとわかっている道より、損なほうを選んできたように思います。偏屈で変わった人間と見られるかもしれませんが、その選択のほうがイエス様に従うにふさわしいと考えることが多かったのです。イエス様ご自身ももっと楽で得な道を選ぶことができたはずです。しかし、ゲッセマネの園でイエス様は苦しみ悩みながらも、『わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように』と祈られました。イエス様にとって神様の御心とは損な道を行くことだったのです。わたしも自分が損だとわかってもあえて選んできたのは、イエス様の苦しみに少しでも近づきたいと思ったからです。長く病気で苦しんできたわたしの人生も、世間的にいえば決して楽で得をした人生ではなかったですが、いまは神様がわたしのために選んでくださった十宇架の道だったと信じることができるようになりました」

 そんなある日、Mさんのご家族から突然電話がありました。入院中であったMさんの様態が急変し、「『今夜が峠』と医者に言われました。本人が先生に会いたがっているようなので病院に来てもらえないでしょうか」ということでした。すぐに病院に駆けつけました。酸素マスクを着けて荒い呼吸をし、声をかけてもかろうじてうなずくだけで、返事もできない様子でした。聖書を読み、Mさんの手を握りながらお祈りをしました。祈りが終わったとき、Mさんがわたしの手のひらに指で何かを書こうとしました。しかし手が震え、何を書こうとしているのかわかりません。何度か書いているうちにそれが、ひらがなの「あ」であることがわかりました。「あ、ですか」と言うと、小さくうなずき、次に縦に二本の線を引きました。それはすぐにわかりました。「り、ですね」と言うと、再びうなずかれました。しかし、それ以上は力がつきたのか書くことができなくなりました。きっと病院を訪ねたわたしに「ありがとう」と書きたかったのだろうと思ったのでした。しかし帰り道、手のひらに「あり…」と書かれたその見えない文字を見ながら、Mさんはわたしにではなく、きっと神様に「ありがとう」と書きたかったに違いない、そう思い直しました。

 翌朝早く、ご家族から「Mは先ほど静かに天に召されました。長い間お世話になり、ありがとうございました」との電話がありました。星野富弘の「木の葉」という詩を思い出しました

 木にある時は/枝にゆだね

 枝を離れれば/風にまかせ

 地に落ちれば/土と眠る

 神様にゆだねた人生なら/木の葉のように

 いちばん美しくなって/散れるだろう

 葬儀のとき、Mさんが好きだったこの詩を読んで、神様のみ許にお送りしました。今もわたしは、神様にゆだねた最後の日々を過ごし、いちばん美しくなって散って行ったMさんがわたしの手のひらに書き残された「あり…」との見えない文字を心に浮かべながら、「Mさん、ありがとう」と、そっとつぶやくことがあります。

 ある動物園の飼育者の話によると、ロバは一見柔弱そうに見えるけれども、実はたいへん頑固な一面を持った動物であるともいいます。ちょうどそのように、時として愚直なまでに頑固に、主に召された者としての誠実な歩みを黙々として歩み続けることを通して、わたしたちは、平和をもたらす真の救い主をこの世の人々に証しし、この世界に神の恵みと憐れみを証しし続けるのです。

 そして、そのように歩き続ける中で、わたしたち自身もまたイエスさまによって変えていただき、主にあって一つとされ、真の「神の民」として成長していくということを覚えていたいと思います。