【奨 励】 役員 川辺 正直
■元南アフリカ大統領 ネルソン・マンデラ
日本基督教団では、8月の第1日曜日を『平和聖日』と定めています。これは、広島への原爆投下を経験した牧師や信徒たちの教団への要請によって、1962年に教団の暦に加えられました。平和聖日は、核兵器廃絶と平和な世界を祈る日として、日本基督教団の教会で礼拝が捧げられます。私共の小倉日明教会では、来週、沖村先生の礼拝のときに平和聖日礼拝と学習会を守る予定にしています。広島への原爆投下と聞きますと、遠いことのように思われる方も多いかと思います。しかし、例えば、私事で言えば、私の母とその家族は、戦前、戦中、戦後を通して広島市の宇品に住んでおりましたので、決して、遠い話ではないのです。母と年下の兄弟と祖母は、原爆投下の1ヶ月前に、田舎に疎開しておりましたので、無事でした。また、祖父は原爆投下の前日に、商用で九州に行きましたので、無事であったのです。しかし、年長のおばとおじは、原爆を投下されたその日、爆心地に近いところにいたのです。おばは、爆心地から約1kmちょっと離れた、当時、下宿していた家の2階の自分の家にいたそうです。たまたま、爆心地方面には、窓がなかったことと、爆風で家は倒壊してしまったそうですが、柱や壁が折り重なってできた僅かな空間に放り出されたことから、何とか脱出できたそうです。また、おじの方は、原爆が投下されたその時は、爆心地から600mほど離れた流川通りを走る路面電車に乗っていたのです。しかし、たまたま満員の路面電車の真ん中に乗っていたので、命を落とさずに済んだと聞きました。窓側にいた人々は、全て閃光と割れたガラスで亡くなっていたそうです。その亡くなられた方々を踏み越えて、電車から脱出したそうです。そして、宇品の家には戻れず、家族の安否もわからないことから、その日は、岩国の知り合いの家を目指して、徒歩で逃れていったそうです。その逃れて行く中で、垂れ下がった皮膚が地面につかないように、腕を前に突き出して歩いている人々、水を求めて、井戸の周りに群がるようにして亡くなっている人々、太田川を流れてゆく亡くなった方々を見ながら、岩国へと逃れて行ったそうです。そのようなことを思い起こしながら、改めて核兵器廃絶と平和な世界を祈る日としての平和聖日を覚えたいと思います。
さて、一言で核兵器廃絶と言いましても、なかなかありそうにない話のように思えるかと思います。しかし、これまでに、核兵器を放棄した国は4ヶ国あるのです。その4ヶ国はどこかと言いますと、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンという旧ソビエト連邦の国々と南アフリカなのです。ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの3ヶ国は、1994年、アメリカ、イギリス、フランス、中国、そしてロシアによる安全保障と引換えに核兵器を放棄したのです。
自ら開発した核兵器を廃棄したのが、南アフリカです。南アフリカには、国内に原子力発電の燃料や核兵器の原料となるウランの鉱山があります。そのウランと引き換えに、アメリカなどから原子力に関わる技術を手に入れました。1979年に最初の核爆弾を完成させ、89年までに合計6個を製造しました。1989年、大統領に就任したデ・クラークは、1990年、存在するすべての核装置の廃棄、ならびに核物質を溶解して原子力公社(AEC)へ移管し、核不拡散条約(NPT)への加入に向けた準備を行うよう指示したのです。デ・クラーク大統領のこの決定は、南アに対する脅威は概ね消滅しており、他国と関係改善を行う上で、核兵器は『障害』になると考え、『障害』を取り除く行動に移したと言われています。一方、南アフリカの核兵器放棄について南アフリカ関係者に数多くのインタビューを行ったリースという研究者によれば、『核兵器を持ったネルソン・マンデラという恐怖の影が白人政権の心を酷く悩ませて』おり、『アフリカ人民会議(ANC)はリビアやパレスチナ解放機構(PLO)から長年にわたって支援を得てきたことから、黒人政府が核技術を継承するという可能性だけでも白人政権は不安を感じていた』と伝えられています。
それでは、南アフリカの白人政権が、核兵器を継承することを恐れたネルソン・マンデラという人物は、どのような人であったのでしょうか。マンデラのネルソンという名前は、彼が通っていたメソジスト教会の指導者が、彼が洗礼を受ける時に、英語名を持っていた方が良いということで、ネルソンという名前を付けたといいます。マンデラは、植民地時代唯一の黒人大学として設立されたフォートヘア大学に通った後、ヨハネスブルグにあるウィットウォータースランド大学で法律を学び、弁護士試験に合格して、後にアフリカ民族会議(African National Congress:ANC)の総裁となるオリバー・タンボと一緒に黒人のための初の法律事務所を開くのです。マンデラは知力体力を備えた、弁舌爽やかな、黒人たちにとってのスターであったのです。長身とボクシングで鍛えた強健な肉体をもち、お洒落でもあったのです。しかし、1962年、44歳の時に、逮捕され、国家反逆罪で終身刑判決を受け、いくつかの刑務所を経て、ケープタウン沖のロベン島に収監されるのです。それから釈放に至ったのは1990年、72歳の時であり、実に27年もの歳月が流れるのです。マンデラは人生の中で最も良い時期を全て刑務所で過ごしたのです。
しかも、彼は刑務所に入っている時に、面会は半年に1回、15分だけなのです。そして、手紙は年に10回だけ許されるのです。刑務所の外で、マンデラの奥さんは、子どもを養っているのです。そして、家族からマンデラ宛の手紙には、お父さんはどうしたの?お父さんはこんな風になっているの?あるいは、物心つかない内に別れてしまった娘が、お父さんのことを恋しがって、こんな風に言っているという言葉があるのです。しかし、奥さんからの手紙も、娘からの手紙も、ほとんど黒塗りされてしまって、真っ黒なのです。なぜ、そのようなことをするのかと言いますと、精神的に揺さぶって、心をぴしっとへし折って、もう反アパルトヘイトの活動はもうしませんというように、転向させるために様々なことを27年間されて行くのです。しかし、マンデラはそのような過酷な獄中生活に耐えて行くのです。そして、やがて釈放されて、そして、アパルトヘイトは撤廃され、釈放されてから4年後に行われた初の全人種参加による選挙で、南アフリカ初の黒人大統領として就任するのです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、本日の聖書の箇所は、いよいよ、主イエスの十字架の死刑が決定するという場面です。主イエスを十字架につける判決を下したのは、ローマ帝国のユダヤ総督、ポンティオ・ピラトでした。今日は、27年間の獄中生活から釈放されるマンデラが何を思ったのかということを考えながら、十字架につける判決が下されるとき、主イエスは何を思っていたのかということについて学んで行きたいと思います。
■主イエスは無罪
本日の聖書の箇所は、主イエスの十字架の死刑が決定するという場面です。主イエスを十字架につける判決を下したのは、ローマ帝国のユダヤ総督、ポンティオ・ピラトでした。彼は今、祭司長、議員たちの訴えによって主イエスを裁いています。しかし、主イエスを尋問したピラトは既に4節で、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言っています。ローマ帝国から派遣された総督であるピラトはユダヤ人同士の信仰上の対立に巻き込まれたくないと考えていましたから、自分で尋問し、イエスに処刑すべき罪は見いだせないと判断したのです。前回の12節までのところには、イエスがガリラヤ出身であることを知ったピラトが、エルサレムに滞在していたガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのもとにその身柄を送ったことが語られていました。『この者はあなたの管轄だからあなたが裁いて下さい』ということです。ヘロデも主イエスを尋問しましたが、主イエスは一言もお答えにならず、結局ヘロデも主イエスをピラトのもとに送り返して来たのです。それは、『私はこの者を裁こうとは思いません。あなたがご自由になさって下さい』ということです。このように、ピラトとヘロデは、主イエスの裁きにおいて、裁く権利をお互いに譲り合うことによって相手を尊重していることを示したのです。このことをルカがわざわざ語っているのは、ピラトもヘロデも共に主イエスは無罪であったと考えていた、ということを示すためであったと思います。主イエスは既に2回の裁判で、無罪を勝ち取っているのです。
さて、本日の聖書の箇所の23章13〜14節を見ますと、『ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。』とあります。ピラトは主イエスの無罪を宣言しています。これが、3回目の無罪宣言なのです。ルカが主イエスの無罪を書いているのは、これで3回目なのです。この箇所での無罪宣言ですが、ピラトは後で出てきますが、ヘロデの意見を参考にして、自信を持って無罪宣言を出しているのです。それを誰の前で行っているのかと言いますと、『祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、』とありますように、それまでとは異なり、民衆も呼び集められて、その前で無罪宣言がなされたのです。この『民衆』と訳されている言葉には、『ラオス』という言葉が使われています。一方、聖書で『群衆』と訳されている言葉は『オクロス』という言葉なのです。『民衆』と『群衆』のニュアンスが異なるのは、お分かりになるかと思います。『民衆』というのは人々のことですが、『群衆』と言いますと、統制の取れていない雑多な人々の群れというニュアンスがあるかと思います。ルカはこの2つの言葉を区別して用いています。ですから、ルカが『ラオス』という言葉を使った場合には、主イエスに敵対しなかった人たち、信じる者が出た人たち、主イエスに対して好意的な人たちなのです。それに対して、『オクロス』という言葉は、主イエスから何かをもらうことを期待して付いて来た雑多な人たちなのです。彼らには、信仰心はないのです。従って、この13節に登場する『民衆』は、主イエスに対して好意的な人たちのことを指しているとすると、ピラトは彼らも集めて無罪宣言をするのですが、民衆の中に、主イエスを支持する者がいて、彼らの声が上がることを期待したというようにこの箇所を読むことができると思います。ピラトはローマから派遣されたユダヤ総督という政治家ですが、これは法律を執行する執行官、法律家でもありますので、ローマ法に基づいて、判決を下したのが、14節にある『わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。』という宣言です。ここには、ピラトの法律家としての矜持が現れていると思います。ピラトにとっては、これだけの起訴事実で、主イエスを有罪にすることはできないのです。そして、ピラトはさらに自分の無罪宣言を次のように言って、補強するのです。15〜16節を見ると、『ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」』とあります。ピラトは、自分の無罪判決を補強する材料として、ヘロデの意見を引用しているのです。ヘロデも同様の判断をしたのだ。だから、判決を下さないで、送り返して来たのだと言っているのです。ここで、ヘロデの名前を挙げている理由は、ヘロデはユダヤ人のことはピラトよりも詳しいのだ、ユダヤ人の間の争いに関しては、ローマ人のピラトよりもはるかに知識があるのだ、そのヘロデと私ピラトとは意見が一致しているのだと、ピラトは言外に語っているのです。ここまでのピラトの無罪宣言は良かったのです。しかし、16節で、ピラトは余計なことを言ってしまうのです。16節を見ますと、『だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』と言っているのです。『だから、釈放しよう』と言いたいのでしょうが、その前に『鞭で懲らしめて』と言うのです。無罪であるのなら、そのまま釈放すれば良いのです。『鞭で懲らしめ』る必要はどこにもないのです。つまり、ピラトは無罪の人間を罰することにしているのです。それはどうしてかと言いますと、激しく訴える者たちをなだめるために、ピラトはしなくてもいい妥協をしているのです。鞭で打つ理由はどうしてなのでしょうか。それは、死刑にするような罪はないが、世間を騒がせ、ピラトの手を煩わせたことについてちょっとお灸を据えて、それで釈放しよう、ということだと思います。主イエスが受けた鞭は、ローマの鞭ですので、非常に過酷な鞭なのです。ローマの鞭は、編み込み式の革ひもに鉄玉が入れられた鞭で、さらに先のとがった骨もつけられていましたので、この鞭で身体を打たれると、鉄玉で打撲と内出血を起こし、回数が増えていくと、傷んだ筋肉が裂けていき、背中はボロボロになったのです。当時、十字架にかかる前に、鞭打ちによる多量の出血で絶命する人もたくさんいたのです。
■その男を殺せ。バラバを釈放しろ
さて、ここまでで16節までが終わりました。本来は次に17節が出てくるのですが、17節はなくて18節になっています。17節は、信頼できる写本には出てきませんから、オリジナルのルカによる福音書にはなかったと判断されます。ですから、17節は省略している聖書の訳文が多いのです。従って、本日の礼拝でも、私たちは18〜19節に飛びたいと思います。18〜19節を見ますと、『しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。』とあります。『その男を殺せ。』というのは、主イエスのことです。鞭で打つだけでは許さない、その男を殺せと叫んでいるのです。『人々は』というのは、誰かと言いますと、祭司長たち、最高法院の議員たち、そして、先程、お話ししましたように主イエスに比較的好意的な民衆です。そして、ここでは民衆も一緒になって叫んでいるのです。このことから、話が進んでいることが分かります。民衆はユダヤの指導者たちから影響を受けたということが分かるのです。ここに、この場面の悲劇があると思います。それまで主イエスに好意的であった者たちまでも、指導者たちの影響を受けて、主イエスを殺せ、バラバを釈放しろと、叫ぶようになったのです。
バラバという人は、主イエスとは対局にある人物であると言うことができると思います。その対極にある人物を釈放しろと叫んだのです。彼らはこの叫びによって、救い主イエスを拒否し、暴動と殺人の犯人であるバラバを支持したのです。彼らの判断が、全く間違ったものになったということなのです。困ったのは、ピラトです。ピラトは、どのように応答したのでしょうか。20〜23節を見ますと、『ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。』とあります。ピラトは、主イエスを釈放しようとして、努力しているのです。彼らの理性に訴えかけているのです。それに対して、彼らは最高刑である十字架刑を要求したのです。これまで、ピラトは主イエスが無罪であると、3度も口にしているのです。しかし、主イエスを訴える者たちの声は、ピラトが無罪を口にする度に大きくなって行ったのです。ですから、主イエスを有罪にしたのは、ピラトではなくて、ユダヤ人の指導者たちと民衆の叫ぶ声であったと言うことができると思います。まさに、罪人が叫ぶ、『十字架につけろ、十字架につけろ』という声が勝ったのです。これは、私たち自身の叫び声であると思います。
■人々の声によって
ピラトは、この叫び声を前にどのように対応したのでしょうか。本日の聖書の箇所の24〜25節を見ますと、『そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。』とあります。ピラトは彼らの要求に屈服したのです。主イエスの命と、人々叫び声が暴動に発展して損なわれる地域の平和とを、天秤にかけて、ピラトは何を優先させたのかと言いますと、ユダヤの地の平和の維持を優先させたのです。さらに、ユダヤ総督という自分の地位を優先させたのです。法律的な正義よりも、政治的な平和と自分の地位を優先させたのです。ここに、ピラトの限界、ピラトの俗物的な醜さが現れていると思います。しかし、これらのことは、神様のご計画の成就なのだと思うのです。しかし、福音記者ルカはそのことについては、今日の聖書の箇所では触れていないのです。ルカがここで書き記しているのは、ピラトの責任もありますが、もっと強調しているのは、ユダヤ人の中の特定の集団の責任を強調しているのです。それは、祭司長たちと最高法院の議員たち、そして、彼らに煽動された民衆たちの罪なのです。すなわち、ユダヤ人全体の罪ではなくて、ユダヤ人の中の指導者たち及び一部の煽動された人びとの罪だということなのです。ですから、この出来事について、教会史の中で、キリスト者たちがやってきたように、反ユダヤ主義の根拠にしてはいけないのです。ユダヤ人全てだけに責任があるわけではないということを、私たちは覚えておきたいと思います。ピラトは彼らの叫び声に屈しました。そして、主イエスを『彼らに引き渡して、好きなようにさせた。』のです。これは、ひどい言葉ですが、しかし、先程、これらのことは、神様のご計画の成就なのだということをお話しました。それは、なぜかということを次に考えてみたいと思います。
■食卓のネルソン・マンデラ
本日の奨励の最初に、27年の獄中生活の末に釈放されたネルソン・マンデラは、南アフリカ初の黒人大統領として就任したということをお話ししました。大統領となったマンデラは、アパルトヘイト制度を解体し、共生の社会を築くという重い課題を背負うことになるのです。マンデラは、南アフリカが今必要としているのは『正義よりも癒し』だと考え、刑務所で酷いことは山ほどされたけれども、恨み言は刑務所を出る時に全て置いてゆくと、かたく心に誓うのです。そうしなければ、刑務所を出た後も、自分は恨み言の囚人のままになってしまう、身体は囚人ではないかもしれませんが、心の中は恨みばかりで、人生を前に進めることができなくなってしまう、夢は過去にはなく、夢は前にしかないと考えたのです。
大統領となったマンデラには、自分のためいつも周りを取り囲んでいてくれている護衛の兵士たちがいるのです。いわゆるシークレットサービスです。ある時、マンデラがちょっとランチしようよと言った時には、大統領だから別席ということではなくて、私たちはみな神様によって造られた兄弟じゃないかということで、シークレットサービスの人たちも一緒に同じ円卓を囲んで、食事をしたのです。そうして、マンデラはシークレットサービスの人たちと一緒に、料理を待っていたのです。そうしましたら、そのレストランの少し離れた席に、先客がいて、料理を待っていて、そして、料理が運ばれて来て、食べようとしている。その様子を見ていたマンデラは、折角だから、あの方もお呼びしようじゃないかと言うのです。側近ばかりではなく、一般市民との交流も大切なので、あの方もテーブルにお招きして下さいと言って、シークレットサービスを1人、遣わしたのです。そして、その先客の男の人が、お皿を持って、失礼しますと言って、マンデラの隣に座ったのです。緊張のあまりなのか、理由は分かりませんが、一言も話さないで、料理を掻き込んで、物凄い勢いで食べるのです。そして、食べるだけ食べたら、こんな光栄な席にお招き頂き、ありがとうございましたと言ったや否や、彼はレストランから出て行ったのです。その様子を見ていたシークレットサービスの1人が、『大統領、もしかしたらあの人は病気かもしれません。食事中、ずっと震えていました。病気ではないでしょうか、』と言ったのです。そうしましたら、マンデラは、『いや、病気ではないよ。』と言うのです。実はと言って、マンデラが話し出したのは、この人物はマンデラが獄中にいたときの看守長であったということなのです。ある時、マンデラが拷問を受けて、喉がひどく乾いて、『コップ1杯の水をどうぞ、私に与えて下さい』と言った時に、この看守長は、『これでも喰らえ!』と言って、マンデラの上に放尿したのです。マンデラは頭からこの看守長の小便を被りながら、ただただ踞って、耐えるしか、なかったのだと言うのです。マンデラは、『しかし、私はもう恨みは全部捨てて、そして、国民和解のために、新しい国造りをしようと宣言したし、その宣言したということを実行するために、今日、彼をこの席に招いたのです』と語ったのです。ここで、問題は、どんなにマンデラは赦していると思っていても、この看守長の方はそうは思っていないのです。かつて、自分が思いっきり虐げていた男が、この南アフリカ共和国の最高権力者になったのです。どんな復讐が自分の上に来るのだろう、次は何をされるのだろうと、この看守長は不安でいっぱいになっていたのだと思います。この看守長にとって必要なのは、マンデラの隣の席で食事をすることではなくて、マンデラとこの看守長の間で、この看守長のことを取りなしてくれる誰かなのだと思います。仮にマンデラが看守長の悪事に怒りで一杯になっていたとしても、その怒りを鎮めることのできる仲裁者が必要であったのだと思います。
さて、本日の聖書の箇所で、主イエスはバラバの代わりに有罪の判決を受けています。ルカは、バラバは暴動と殺人の犯人であったと記しています。私たちは、聖書にある暴動と殺人の犯人と聞きますと、愛国心の故に過激なことを行う活動家というイメージを抱くかもしれませんが、バラバは当時よくいた、したい放題で略奪や殺人、何でもありのグループのリーダーであったのです。バラバと聞きますと人の名前かと思ってしまいますが、バラバというのは名前ではなく、ニックネームなのです。本名はバラバではないのです。アラム語で2つの言葉がくっついているのです。『バル』と言う言葉と、『アバ』という言葉がくっついているのです。『バル』というのは息子という意味の言葉で、『アバ』というのはお父さんという意味の言葉なのです。バラバ、『バル・アバ』というのは父の息子という意味になります。父の息子と言う場合の父というのは、よく知られた父です。ですから、誰か著名な人の息子であったのです。それでは、彼の本名は何かと言いますと、教会史の中で、彼の本名を記したのはオリゲネスという人でバラバの本名のことを言っていますが、バラバの本名はイェシュアなのです。イェシュアということは、主イエスと同じ名前なのです。当時のユダヤ人の名前としては、旧約聖書のヨシュアから来ていますので、一般的な名前なのです。ですから、バラバの名前を全て言うと、『バル・アバ、イェシュア』、『父の子、イエス』となるのです。父なる神の子主イエスと同じ名前なのです。そして、主イエスがローマに対する反逆罪で訴えられ、最後は死刑になるのですが、その罪状はそのままバラバのものなのです。ですから、バラバが負うべき罪の内容をそのまま主イエスが負った、そして、父の息子(バラバ)・イエス(マタイによる福音書27章17節)の罪のために、父なる神様の御子、主イエスが死んで下さった、という驚くべき図式をルカはここで書き記しているのです。主イエスはバラバの身代わりとなった。そして、そのように考えますと、バラバは私たちキリスト者の型となっているのです。そして、本日の聖書の箇所は、主イエスが十字架に架かって、私たちの罪のとりなしをして下さったということが予表されているのです。私たちは、十字架において、私たちの罪を贖って下さった主イエスに感謝しながら、主イエスが与えて下さる希望を喜んで、歩んで行きたいと思います。
それでは、お祈り致します。