【奨 励】 役員 川辺 正直
■『目の見えない私がヘレン・ケラーに宛ててつづった一方的な手紙』
おはようございます。さて、視覚障害を持つ作家であり、カリフォルニア大学バークレー校の英語講師でもあるジョージナ・クリーグ先生という女性がいらっしゃいます。作家としての活動の他に、大学では、英語学科におけるクリエイティヴ・ライティングのクラスに加え、障害者をめぐる文学表現および障害者自身による文献を研究するコースで教鞭をとられています。この経歴を聞くだけで、この先生が、大変な努力を重ねて、視覚障害を乗り越えてキャリアを築いて来られたことが想像できます。このクリーグ先生が書かれた著書に、『目の見えない私がヘレン・ケラーに宛ててつづった一方的な手紙』という本があります。原題を『Blind Rage: Letters to Helen Keller』といいます。直訳すると、『視覚障害者の怒り、ヘレン・ケラーに宛てた手紙』となります。クリーグ先生は、何に怒っているのでしょうか。先生が書かれた手紙の一節を読んでみたいと思います。
「親愛なるヘレン・ケラーさま
自己紹介をさせてください。私は作家で、非常勤で英語教師もしています。アメリカ人で、結婚していて、中年で、中流階級に属します。あなたのように盲人ですが、聴覚障害はありません。ですが、私について知っておいていただく必要のある最も重要なことは、そして私がこの手紙を書いている理由は、私があなたを憎んで成長してきたということです。ひどく無遠慮なことを、とりわけ初対面も同様であるのにお話しするのは申し訳ないのですが、死者に手紙を書く利点のひとつは、儀礼的に堅苦しくふるまう必要がないということです。それにあなたには、最初から真実を知っていただかなくてはなりません。私があなたを嫌っていたのは、あなたが私の模範とすべき人として常に引き合いに出されてきたからです。不幸をものともせず、その不幸に朗らかに立ち向かうことにおいて、あなたはそれこそありえないほどに高い基準を設けてしまったのです。「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」と、人々は常に私に言いました。あるいは、あなたの名前が出されるときにはいつも、そう言われているように感じられたものです。「自分は幸運だと思いなさいな」と皆が言いました。「ええ、確かにあなたは目が見えませんよ。でも可哀想な小さなヘレン・ケラーは、目も見えなければ、耳も聞こえなかったのですよ。なのに、彼女は決して不平などは言ったりしませんでした」
こんなふうに言われてきたのは、私だけではありません。障害をもった多くの人々は、あなたが私たちの利益に対して多くの害をもたらしたと思っています。(以下、略)」
クリーグ先生の著書は、このような内容で始まる手紙なのです。皆さんもご存知のように、ヘレン・ケラーという女性は、生後2才になる少し前、髄膜炎という病気にかかり、見えず、聞こえず、話せない状態になりましたが、サリバン先生との出会いで知的に開かれ、やがて手紙を書き、ハーバード大学に入学し、大勢の人々の前で堂々たる演説をするまでになるのです。どんな困難にも決して負けず、いつも明るいほうを考え続けた彼女の生き方から、勇気をもらった人も多いのではないでしょうか。
ところが、この本の作者であるジョージナ・クリーグさんは、ヘレン・ケラーに対して怒っているのです。クリーグさん自身全盲ではありませんが目が、不自由なのです。しかし、作家になり、有名大学の教員でもあり、社会的にも成功しているだけではありません。彼女には、彼女が、ヘレン・ケラーが育った家を見に行きたいと言えば、優しく寄り添って、連れて行ってくれ、ヘレン・ケラーの家でのガイドの説明と対応に不満な彼女の下唇にこわばりが見えることをそっと教えてくれる伴侶もいるのです。普通の人から見れば、視覚障害を除けば、絵に書いたような、幸せなアメリカ人女性です。それなのに彼女は、ヘレン・ケラーに憎しみを抱くようになったと言うのです。それは、幼い頃から、ことあるごとに「あなたよりもっと大きなハンディキャップを負っていたヘレン・ケラーは、それらを全部乗り越えて立派になったのよ。だからあなたは、自分がどれほど恵まれているかということについてもっとありがたく思うべきだ」と言われ続けて育ったからだと言うのです。つまり、前人未到の偉業を成し遂げた、立派過ぎる人と比べられて、ほとほとうんざりしていると言うのです。もし、彼女が、比べられることなしにヘレン・ケラーの自伝に触れていたならば、もっと違った考えになっていたことと思います。しかし、彼女は、ヘレン・ケラー自身が「奇跡の人」であり続けるために、さまざまな事情のなかで押し黙ったこと、事実を曲げていることがあるのではないかと語っているのです。そして、この本の中で、亡きヘレンに、人間としての肉声を聞かせてほしいと迫っているのです。クリーグ先生にとって、ヘレン・ケラーはうさん臭い奴になってしまっていたのです。それは、比較されたからです。比べられると優劣、勝ち負けが付きます。人と自分を比べると、「何で自分が」という問いが自分に突き刺さって、みじめになってしまうのです。
今日の聖書の箇所では、主イエスが、4つの幸いと4つの不幸について語られています。今日は、主イエスが、4つの幸いと4つの不幸を比べて語る中で、私たちに何を伝えようとしていたのかということを考えながら、本日の聖書の記事を皆さんと共に学びたいと思います。
■幸いと不幸
さて、本日は、前回に引き続きルカによる福音書の第6章20〜26節の主イエス・キリストがお語りになった「平地の説教」の冒頭の部分について読んでゆきたいと思います。この説教の冒頭に語られているのは、マタイによる福音書の「山上の説教」と同じように、「幸い」についての教えです。こういう人々は幸いである、ということを主イエスはこの説教の冒頭で語っておられるのです。マタイの方ではこの「幸いである」が8回に渡って語られています。8つの幸いについての教えが語られたのです。ルカ福音書では、その幸いが22節も含めて4つ語られています。そして後の四つの代わりにと言うのは変かもしれませんが、24節以下には、マタイにはない、「このような人々は不幸である」という教えが、26節も含めてやはり4つ語られているのです。つまりマタイが8つの幸せを語っているのに対して、ルカは幸せと不幸を4つずつ対にして、語っているのです。即ち、幸せと不幸はそれぞれ対応しています。「貧しい」に対して「富んでいる」、「飢えている」に対して「満腹している」、「泣いている」に対して「笑っている」、「人々に憎まれる」に対して「すべての人にほめられる」です。つまり、ルカはここで4つの幸せと不幸を繰り返し取り上げることによって、幸いと不幸について強調して語っているのです。
また、「貧しい人々は、幸いである」とあるように、何々は幸いであると訳されていますが、元々の文を見ると、最初に「幸いである」と言われていて、その順序に従うならば「幸いである何々は」あるいは「幸いなるかな何々は」となります。その一方で主イエスは「不幸である」とも告げています。ここでも元々の文の順序に従うならば「不幸であるあなたがたは」あるいは「不幸なるかなあなたがたは」となり、「不幸なるかな、不幸なるかな」と繰り返し告げられているのです。
■詩編1篇
そして、このような記述の仕方は、ユダヤの伝統的な表現の仕方だということができます。詩編1篇には、次のように書かれています。
「いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず/主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。/その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。/神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。/神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。/神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」
この詩編1篇の全体は3つに分けることができます。第1は、1~2節で、2つの道が対照されています。第2は、3~4節で、2つの具体的な比喩を用いて、神を信じる者と神を信じない者との本質と価値についての作者の意見が述べられています。第3は、5~6節で、神の審きの最後の言葉が述べられています。
本日の聖書の箇所の「貧しい人々は、幸いである、」という言葉は、この詩編1篇の冒頭の「いかに幸いなことか」という祝福の挨拶の言葉を思い起こさせます。詩編1篇は神を信じる者の幸いと、神を信じない者、神なき者のわざわいとの著しいコントラスト示しています。
■貧しい人々の幸い
さて、本日の聖書の箇所において、主イエスは先ず、「貧しい人々は幸いである」と語り、それと対にして、「富んでいるあなたがたは不幸である」と語っておられます。「貧しい人は幸いであり、富んでいる人は不幸だ」と言っておられるのです。主イエスがこの説教を誰に向かって語られたのか、ということです。この説教の聞き手は誰だったのでしょうか。20節に「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた」とあるように、それは弟子たちです。つまり主イエスに従ってきている人々です。主イエスを信じる信仰者と言い換えてもよいでしょう。この説教において「あなたがた」と言われているのは、先ずは弟子たちなのです。ですからここには、主イエスを信じ、従っている弟子たちが、その歩みにおいて幸いであると呼ばれる場合と、不幸であると呼ばれなければならない場合とに分かれる、ということが語られているのです。つまりルカは、経済的に貧しい人は幸いだけれども、金持ち、富んでいる人は不幸だ、と単純に言っているわけではないのです。そのことは、貧しい人々に対して、「神の国はあなたがたのものである」と語られていることからも分かります。貧しい人々が幸いであるのは、神の国、つまり神様のご支配が彼らに与えられており、彼らが神様のご支配の中を生きているからです。即ち、貧しい人々の幸いは、主イエスを信じる信仰の故に、神様のご支配の下で生きる幸いなのです。
■富んでいる人の不幸
一方、富んでいる人が不幸だと言われているのはなぜでしょうか。24節には「あなたがたはもう慰めを受けている」とあります。経済的に豊かであることによって既に慰めを受けてしまっている、それが不幸だというのです。それは、なぜでしょうか。当時のファリサイ派の人々や律法学者たちの律法に対する考え方は、必ずしも一つにはまとまっていませんでした。一つの考え方は、律法を厳格に守ることによって、神様から義とされて、救われるという考え方です。もう一つの考え方は、ユダヤ人はアブラハムの子孫であるが故に、生まれながらにして救われており、律法を厳格に守るのは、神の国に入ってからの順位を決めるためだというものです。
このアブラハム契約によって、アブラハムの子孫であるがあるが故に、ユダヤの人々は神様から既に祝福されていると考えていたのです。そして、神様にどれだけ祝福されているかどうかは、どれだけ富んでいるかによって測ることができると考えていたのです。自分たちは既に救われており、物質的に豊かな人々が、より神様に祝福されているという考え方から自由になるということがいかに難しかったかは、主イエスの説教を直接聞いている弟子たちでさえもなかなか理解できなかったことからわかります。
マタイによる福音書の19章の16〜30節には、「金持ちの青年」の物語が記されています。ここに登場する青年は金持ちでした。主イエスはこの金持ちの青年に「わたしに従いなさい。」(21節)と言われました。けれども、この人にはそれが出来ませんでした。青年が立ち去った後、主イエスは、「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイによる福音書19章23〜24節)と語っています。この主イエスの言葉に対して、『弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。』とあり、弟子たちが、主イエスの説教を本当に理解できなかったことが分かります。
今日の聖書の箇所の24節の「受けている」という言葉は、既に十分に受けており、これ以上はいらない、という意味です。ということはこの人たちは、富んでいることによって、既に慰めを十分に受けており、これ以上の慰めはもういらないと思っているのです。そのことは、これ以上の神様からの慰めはいらない、ということを意味しています。しかし、それは見方を換えれば、神様を求めず、自分の持ち物、財産に依り頼んで生きているということです。信仰とは、そして、神様を信じるとは、神様に繋がり、信頼して、神様の慰めを求めて生きることだからです。
■飢えている人々と泣いている人々の幸いと満腹している人々と笑っている人々の不幸
本日の聖書の箇所の21節では「今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」と言われています。「今」、つまり現在はなお飢えているし、泣いているのです。でも将来は、満たされ、笑うようになる。この将来とは終わりの日のことであり、神の国が完成するときのことです。すでに神の国が来ていて、神のご支配が始まっているけれど、それはなお完成していないという緊張感が語られているのです。ルカは、飢えている現実、泣いている現実を確かに見つめています。ここでルカが語っている飢えや悲しみは、物質的なこととは関係ないとは言えません。弟子たちと民衆の現実は、確かに飢饉などで食べる物がない、泣いて過ごすことしかないという現実であったに違いないからです。主イエスは弟子たちと民衆の現実を見ながらも、その向こうにある、神様の言葉を聞くことの飢饉を見ているのです。そして、さらに弟子たちと民衆が、理不尽な扱いや抑圧を受けて、泣いて過ごすことしかないという現実を見ているのです。しかし、主イエスは、人々の飢えや悲しみを満足と笑いに変えることができる神様に目を向けるように促されています。飢えている人々と泣いている人々の飢えや悲しみに集中される神様に繋がることが幸いだと、主イエスは強く語りかけているのです。
そのことは裏を返せば、満腹している人々と笑っている人々の不幸について、語っていると言うことができると思います。「満腹している」とは、生活の全ての面で満ち足りていることを意味しています。生活が満ち足りていることは、本来喜ぶべきことなのですが、それで自分が満ち足りていると思って、神様に繋がる真の充足に気が付かなければ、それは不幸なことだと言わなくてはなりません。そして、このときの「飢えるようになる」というのは、終末の日、神様の審判が行われる時、現在、満ち足りていると思っている人々は、それが錯覚であり、自分が実は何に飢えた者であったのかを思い知らされるのです。
また、「笑っている」とは、現在の成功に満足し切ってしまい、そこに何の疑問も感じない状態を指しています。しかし、「満腹している」、「笑っている」という状態の現在のこの世での成功の状態を、神様に祝福されているしるしと考え、神様に向き合うことをしなければ、終末の日、この世での成功は失敗に変えられ、笑いは悲しみに取って代わられると、主イエスは語っているのです。主イエスの語る4つの幸いと不幸は、一貫して、不幸を幸いに変えられるお方とどのような関係を持ってゆくのかということについて語られていると言うことができます。
■「奇跡の人」
さて、本日の話の最初に、クリーグ先生が書かれた『目の見えない私がヘレン・ケラーに宛ててつづった一方的な手紙』という本についてお話しました。私たちがヘレン・ケラーについて知っているのは、映画「奇跡の人」によるところが大きいのではないでしょうか。「奇跡の人」は3度も映画化されていますが、最も有名なものは、1962年のアーサー・ペンが監督し、アン・バンクロフトがサリバン先生を演じたものだと思います。現在では、アーサー・ペン監督の演出は、障害者に対して誤った認識を広めることになったと批判されることも多いのですが、見ていて、確かに違和感を覚える場所がいくつかあります。その一つが、ラストシーンです。この映画は、ヘレン・ケラーとサリバン先生の無言の格闘がとても多い映画ですが、ラストシーンもまた格闘です。夕食の席で、ヘレンがナプキンをはずして床に投げたことがきっかけで、すったもんだがあり、ヘレンが先生の顔に水差しの水をかけ、先生は逃げようとするヘレンの服や腕、腰をつかんで水差しの水を汲みに外へ強引に連れ出します。そして、ポンプ場で、サリヴァン先生は水差しに水を入れるように激しく指示し、ヘレンの手のひらにwaterと綴ります。ヘレンは水を手のひらに浴びるのです。ヘレンの表情が変わり、生まれて半年でwaterを覚えたときに発していた「ウォー、ウォー」という音を口から発するのです。ヘレンはサリヴァン先生の手のひらにwaterと綴り、ものと言葉のつながりをつかんだ歓喜の場面で、この映画は終わります。
違和感を覚えるのは、ヘレンとサリバン先生の格闘という暴力的な状況で、ものを知るとか、大事な何かに気づくってことが子どもにあるのだろうか、ということです。「奇跡の人」の物語は、サリバン先生の手紙と日記をもとに書かれたとされていますが、サリバン先生の手紙(『愛とまごころの指――サリバン女史の手紙』)やヘレンの自伝(『わたしの生きる世界』『奇跡の人――ヘレン・ケラー自伝』)によると、夕食のシーンとポンプ場のシーンはつながらないのです。夕食の格闘はありましたが、先生は引き下がるのです。ポンプ場の出来事は、それから1週間後の穏やかな日常、スイカズラの香りに誘われて、ふたりが戸外に出たときに起こった出来事なのです。それでは、サリバン先生にとって、最も重要な出来事というのは、何であったのでしょうか。サリバン先生は、自分にケラー家での教師職を紹介してくれた、出身校のパーキンス盲学校の校長宛てにたくさんの手紙を書いています。その中で、ポンプ場の一件にも触れています。1887年4月5日の手紙では、その日、ポンプ場で起こったことを、彼女は「奇跡」と呼ばず、「大変重要なこと、教育上の第二歩」が起こったと書いています。では、第一歩とは何であったのでしょうか。
サリバン先生は3月6日に初めてヘレンに会っているのですが、サリバン先生の語る第一歩は、ポンプ場の件の日から約2週間前の3月20日に起きています。その日、ヘレンは初めて、サリヴァン先生の膝に乗ったのです。そして、先生が自分の頬にキスすることを受け入れたのです。そのことをサリヴァン先生は「奇跡」と呼び、興奮とともに手紙に綴っているのです。
そして、3月28日の夕食の格闘から、1週間後の4月5日、ポンプ場の一件があり、その夜、ヘレンは寝る前に、サリヴァン先生に、初めて自分からキスをしているのです。この出来事にサリバン先生は、「心臓が破裂しそうな気がした」と追伸に書き、その日の手紙を締めくくっています。サリバン先生は、なぜヘレンが初めて、膝に乗り、先生が頬にキスすることを受け入れたことを「奇跡」と呼んだのでしょうか。それは、サリバン先生の生い立ちと深く関わっていると思います。アン・サリバン先生は1866年4月14日、マサチューセッツ州フィーディング・ヒルで、アイルランド移民の両親の元に生まれました。3歳の時、目の病気トラコーマになり弱視となりました。家族とともに9歳まで生まれ故郷で暮らしましたが、アンの父トーマスは、農民で自分の土地を持っていない農業労働者だった為、仕事もあまりなく、家族を養うことを放棄していました。アンが9歳の時に母が亡くなり、父トーマスは娘アンと弟ジミーを、チュークスバリーのマサチューセッツ州立救貧院に預けて姿を消します。こうして、サリバンの家族は離散してしまいます。
救貧院に入った時、弟はすでに結核により身体が不自由になっていました。救貧院に入って2年後の春、弟ジミーが亡くなりました。父トーマスは、弟が亡くなった後、救貧院を一度だけ訪ねましたが、その後の父トーマスの行方は分かっていません。母と弟の死、そして父の失踪と、幼いアンに耐え難い悲しみが次々と襲いました。また、アンの目の病気も救貧院に入った後に悪化し、盲目となっていました。弟の死後、アンは生きる力を失い、うつ病になり、拒食症も併発していて、13歳にして、人生に絶望してしまっていたのです。
医師には、緊張型精神分裂病と診断され、精神病棟に入れられ、外界との接触を避け、死を待つような生活を続けていたのです。しかし、そんな精神病棟の中に、一人だけ、アンの回復に希望を見出す看護師がいたのです。アンが彼女を無視したり、暴言を吐き続ける中、この看護師は、毎日、毎日、どんなことをアンにされても、優しく話しかけ、幼い彼女のために、ブラウニーやクッキーなどのお菓子を持っていったのです。ある日、看護師がアンのところに行くと、お菓子がなくなっていました。そして、アンに少しずつ変化が訪れてきます。親しみを持って、根気強く心を開き続ける看護師の呼びかけに、わずかに答える日々が出てくるようになるのです。医師もサジを投げて、死を待つばかりになっていたアンでしたが、看護婦の献身的な愛を受け、心を開くことによって、奇跡の生還を果たしたのです。このような生還体験を持つサリバン先生にとって、ヘレンが心を開き、サリバン先生と繋がったその出来事こそが、本当の奇跡であったのだと思います。そして、サリバン先生と繋がることは、ヘレン・ケラーにとっても、本当の奇跡であったと思います。そして、この本当の奇跡の中を知る二人は、誰かの人生と自分の人生を比較することからは最も遠いところを生きていたと思います。
■神様に愛される
人は誰かに愛されると脳内からβエンドルフィンという物質が出るそうです。これは脳内麻薬物質で、痛みをとってくれる働きがあるのです。一方、人が誰かを愛する時には、オキシトシンが分泌されます。これは幸せを感じるホルモンなのです。つまり、幸せを感じるのは愛される時よりも愛する時なのだそうです。
しかし、愛するためには、まず愛されてエネルギーをもらうことが必要なのです。つまり、人間は愛し愛される関係の中で最も充実するように造られているのです。愛は慕う心から生まれます。主の教えを心から慕うのです。そして、恋い慕う者は、恋い慕う対象に向けて、その思いを口に出し、叫び求めるのです。そのように、主の教えを心で愛するだけでなく、わたしたちは主の教えを昼も夜も口ずさむことによって、その愛のうちに生きるものであることを確かめ歩むことができるのです。主の律法は、重いくびきではなく、神の祝福の道を歩む道しるべであり、喜びの源泉なのです。旧約時代の主の民にとって、律法、主の教えとは、決定的な神の御心を平易に表現したものであり、人生を確実に導いてくれる羅針盤であったのです。主の律法によって、どうすべきかがわかった。しかし、罪の故にできなかった。それ故、人間は、信仰と恵みによってでしか救われないのです。
前回、宗教改革者のルターがこの世の生涯を終えた時に語った言葉を紹介しました。彼は、死のわずか2日前に書いた短い文章を、次のような言葉で結んでいます。
「われわれは乞食だ。それは本当だ。」
結局自分は神の乞食であった、自分の一生はそうであったと言っているのです。ただ神様の恵みに依り頼み、神様のものとされているからこそ、その恵みによって生かされていると言っているのです。私たちもまた、どこまでも貧しい者として、主イエスに従って歩んで行きたいと思います。
それでは、お祈り致します。