■聖書と出合ったアルビノの少女
おはようございます。アフリカにタンザニヤという国があります。住んでいる国民は皆、肌の色が黒い人たちです。ところがこの国では、1400人に1人、皮膚の白い子供が生まれるのです。この肌の白い人たちはアルビノと言われている人たちです。先天的に皮膚の色素が、欠損しています。遺伝子がもたらす現象なのです。ところがタンザニヤでは、昔から占い師が大きな権威をふるっているのです。その占い師たちが、アルビノの体の一部を手に入れると、幸せになるという迷信を広めていたのです。その結果どうなったでしょう。この迷信を真に受けた人々が、つぎつぎとアルビノに襲いかかり、2000年以降殺害された人が76人、暴行を受けた人が72人、手足を切断された人々もいるのです。切断された手足は、お守りになるからです。
そんな文化の中でアルビノとして生まれた少女がいました。ムガンカという女の子です。彼女は生まれてからずっと、自分の皮膚が白いので、一族の恥だと思われていました。いじめられ、差別され、そして17歳になったとき、何人もの妻を持つ男と結婚させられそうになり、ついに川に身投げをして自殺を図るのです。ところが川の流れに流され、下流の岸で引き上げられたのです。そして、助けた人々から、聖書の福音のメッセージを聞くのです。聖書によると、神様は一人一人をご自分の形に似せてお造りになったのであり、一人一人には意味と価値があるというのです。そして、この意味と価値は、神様のもとに帰ることで、知ることができるのです。
私たちが、自分の造り主である神様のところにもどるために、神の子イエス・キリストは十字架にかかって、そして私たちの罪を永久に処分して下さり、死んで三日目に復活して下さったのです。彼女はこの福音を聞き、イエス・キリストを信じて、クリスチャンになったのです。やがて彼女は聖書学校に行き、学位を取り、地元に戻り、そして現在アルビノに対する偏見を取り除くための活動と共に、アルビノの人たちに教育を提供する活動に取り組んでいます。彼女は、つらい経験を乗り越えて、主イエスの弟子となったのだと思います。さて、本日の聖書の箇所で、3人の名前が記されている女性と多くの名前が伝えられていない女性たちが登場します。本日の聖書の箇所で、福音記者ルカは何を伝えたかったのかということを皆さんと一緒に学んで行きたいと思います。
■福音記者ルカの視点
前回はルカによる福音書のみが伝えている罪深い女の赦しについて学びました。そして、本日の聖書の箇所では、主イエスに仕える女性たちが登場します。これもルカ福音書のみが伝えている記事なのです。このことから、ルカ福音書に特有の女性に対する視点があることがわかります。共観福音書とは、マタイによる福音書、マルコによる福音書、そして、ルカによる福音書の3つを指しますが、それぞれ特徴があります。マタイは、木の十字架に躓くことが多かったユダヤ人に福音を宣べ伝えることを目的としているため、主イエスが約束のメシアであることを強調しています。このため、マタイによる福音書では旧約聖書からの引用が多く、旧約預言を60回以上引用しています。一方、マルコによる福音書は、異教社会の中で、信仰に入って間のないローマ人クリスチャンを励ますために、キリストの弟子として生きることの意味を教えるために書かれました。このため、ユダヤ人の霊的指導者たちからの攻撃に向き合われる行動する主イエスの姿が強調されています。そして、マタイ及びマルコの福音書に対して、ルカによる福音書は、理想的な人間像を求める異邦人の信仰を励ますために書かれています。そのため、福音記者ルカは、主イエスを力強いが、憐れみ深い神として描いています。この3つの共観福音書に描かれている全ては、主イエスの宣教の特徴ですが、読み手と書き手が異なるために、それぞれ強調点が異なって来ているのです。従って、主イエスの宣教の全体を知るために、複数の福音書が存在することがとても重要であることが分かります。
本日の聖書の箇所を含めて、ルカは直近の3つのエピソードで、主イエスの憐れみ深い特質を伝えています。7章11〜17節では、ナインという町のやもめの一人息子を生き返らせています。そして、7章36〜50節では、罪深い女の赦しのエピソードが描かれています。そして、3番目のエピソードとして、主イエスに仕える女性たちについての記述が出てくるのです。主イエスに仕える女性たちの何人かは、主イエスの弟子となったことが伝えられているのです。福音記者ルカだけが、女性の読者にとって励ましとなる物語を伝えているのです。これが、ルカによる福音書の特徴です。
■神の国を宣べ伝え
本日の聖書の箇所の1節を見てみましょう。「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。」このように書かれています。この記述は、第2回ガリラヤ伝道を伝える要約文ですが、第1回ガリラヤ伝道はどこに出ていたかと言いますと、ルカによる福音書の4章の42〜44節に出ていました。次のように書かれています。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。」
これが、第1回ガリラヤ伝道です。もう一度、第2回ガリラヤ伝道に戻って、「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。」と書かれています。神の国の福音という言葉が出てきています。主イエスの奉仕は、巡回伝道です。旅をしながら、いろいろな町や村で福音を語るのです。その巡回伝道には弟子集団が付き添っていたのです。今でもそうですが、当時に於いても、巡回伝道の旅をするというのは、お金のかかることであったのです。伝道旅行のために、多額の費用を必要としたのです。一方、主イエスが宣べ伝えた福音とは、神の国であったというのです。この記述は、見落としがちな、さりげない一文です。私たちが誤解しやすいのは、私たちが現在伝えている福音とは、私たちの罪を贖うために主イエスは十字架の上で死なれ、墓に葬られ、3日後に蘇られた、というものです。今日の聖書の記事の当時、主イエスはまだ十字架に架かっていないわけですから、十字架に架かる前に、主イエスが宣べ伝えられた福音は神の国であったのです。神の国とは、神様のご支配という意味です。神様の恵みのご支配の実現、それが神の国であり、そこに私たちの救いがある、その救いが今日実現した、神の国が今日あなたがたのところに来た、と主イエスはお語りになったのです。「今日」というのは、主イエス・キリストがこの世に来られ、そのみ言葉が語られた今日、です。つまり主イエスの到来によって、神様の救いが実現し、神の国が来たのです。主イエスはこのことを告げ知らせたのです。ですから、主イエスは、「私と共に神の国を実現しよう」と人々に訴えたのではないのです。私、主イエスにおいて、神の国が、神様の恵みの支配が到来し、実現し、私を信じれば、恵みが成就すると主イエスは宣言されたのです。
ルカによる福音書の17章20〜21節には、次のように語られています。「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
これは、神の国に関するファリサイ派の人々の質問なのです。そして、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」というのは、私たちの心の中にということではなく、主イエスご自身のことを言っているのです。神の国はどこにあるのかと言っているあなた方のただ中に、神の国の王である私主イエスが来ているのだ、だから、神の国は今ここに来ているのだと語っているのです。ですから、主イエスが伝えた福音というのは、神の国の福音だと言うことです。しかし、ユダヤの民は、やがて民族として、主イエスを拒否するようになるのです。その結果、どうなるのかと言いますと、主イエスは十字架の上で死なれ、墓に葬られ、3日後に復活し、やがて天に昇り、聖霊が降り、ペンテコステの日に教会が誕生し、そして、そこから主イエスの福音が異邦人の世界に広がって行くのです。救いの時代が始まるのです。神の国の計画は、そこで終わったわけではないのです。神の国の計画は、今も生きているのです。神の国はいつ成就するのでしょうか。今は教会時代です。教会時代の終わりに、メシアがこの地上に戻ってこられ、そして、そのメシアによってこの地上に千年王国が成就します。それが、神の国のご計画です。神の国のご計画は今も続いていますが、今は主イエスが来られたときから、千年王国の間にはさまった教会時代なのです。
■十二人も一緒だった
もう一度、8章の1節に戻ります。1節の終わりには「十二人も一緒だった」とあります。この「十二人」とは、主イエスの十二使徒のことです。ここでは、12人いたということではなく、「十二人」とは、固有名詞なのです。英語訳聖書では、「The twelve」と書かれています。「十二人」という言葉が、ルカによる福音書の8章の1節で初めて出てくるのです。彼らは主イエスと公生涯を始めから終わりまで共にするのです。それがやがて使徒であることの条件となるのです。公生涯を共にした、復活を共にした、これが使徒の条件となっているのです。ルカがここで、ここで「十二人」と書いているのは、使徒の働きも予見しながら、このように書いているのです。この「十二人」が、後に、主イエスの復活後、主イエスの福音を証言する者として派遣されます。ルカはそのことをここで見つめていると思います。
■主イエスの弟子となった女性たち マグダラのマリア
次に、ルカによる福音書8章の2〜3a節を見てみたいと思います。
「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。」
このように書かれています。さて、誰が主イエスに仕えたのでしょうか。前回は、多くを赦された罪多き女が主イエスをより多く愛したということをお話しました。そして、今回も多くの恵みを受けた者たちが、弟子たちとなっているということを伝えているのです。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、」このように書かれています。そして、具体的に固有名詞が出てきます。彼女たちは、主イエスの憐れみに応答して、弟子となったのです。愛による応答だけが、弟子となる条件であるということを覚えておきたいと思います。主イエスの弟子と言いますと、私たちは普通、男性の弟子しか思い浮かべないかと思います。しかし、聖書の伝える弟子像というのは、決してそうではないのです。主イエスの弟子となるのは、男性だけの特権ではありません。女性も弟子となるのです。さて、ここで最初に登場する名前は、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」です。私たちは、普通、「マグダラのマリア」と呼んでいることが多いかと思います。「マリア」というのは、ヘブライ語では「ミリアム」と言います。モーセのお姉さんの名前です。この名前は、非常に人気のある名前です。そのため、「マリア」という名前の女性がたくさんいたのです。そこで、マグダラという町の名前を頭につけて、他の人と区別をしていたのです。マグダラという町ですが、ガリラヤ湖の西側にある町で、今もあり、ヘブライ語でミグダルとよばれています。もっとガリラヤ湖に近いところに当時の町が、十数年前くらいから発掘されていて、当時の町が蘇ってきています。そして、彼女は前回お話しました主イエスの足に香油を注いだ罪深き女とは別人です。しかし、マグダラのマリアと罪深き女と、同一視する見方をする人が多いのです。また、彼女はベタニアのマリアとも別人です。彼女の特徴は何かと言いますと、「七つの悪霊を追い出していただいた」とありますように、七つの悪霊を追い出していただいた女性なのです。彼女の内に、7つの悪霊がいたわけです。「7」というのは、完全数です。ですから、これは7ついた悪霊であったとも取れる言葉ですし、とても強い力を持っていた悪霊であったとも取れる言葉です。いずれにしても、治る見込みのないほど深刻な状態で、悪霊に支配されていたと見ることができます。
マグダラのマリアが、罪深き女であったとみなす見方がある理由は、一つには悪霊が憑いている状態に誤解があると思います。悪霊に憑かれた結果は、不道徳や堕落した生活ではなくて、理性の混乱なのです。感情や理性が混乱して、悪霊の支配下に置かれるということです。島尾敏雄というカトリックの作家が書いた小説に『死の棘』という作品があります。そこで彼は自身の体験を重ね合わせながら、自分の妻とは別の女性と不倫の関係を持ったことが、いかに一つの家庭をもろくも崩れさせ、ぼろぼろにしていってしまうかを克明に描き出しました。悲しみと怒りのあまり心を病んだ妻は、駅のプラットホームで不倫相手を見つけたと錯覚すると、金切り声をあげて人ごみの中で叫び出し、夫を苦しませるのです。夫も悪霊に苦しめられるのです。私たちが互いに真実の愛を失い、疑いや劣等感、不信感や怒りにとらわれる時、そこに悪霊が住み着き始めているのです。
主イエスがしてくださったのは、この非常に困難な状況にあったマリアから、七つの悪霊を追い出し、彼女をこうした捕らわれから自由にし、本当の愛を知る者としてくださった、ということです。そこで本当に癒され、慰めを与えられ、決して裏切られることのない神の愛を知った、体験したということではないでしょうか。それゆえこの主イエスというお方に喜んで従い、お仕えする者となったのだと思います。癒しという救いに感謝したマリアは、シモン・ペトロの姑のように、あるいはベタニア村のマルタとマリアの姉妹のように、主イエスの一行のための「定住の支援者」となることもできました。しかし、彼女は十二弟子と同じように、主イエスに同行する忠実な「放浪の弟子」の一人となりました。なぜなら、感謝が溢れているからです。「マグダラ出身」というあだ名に、彼女への敬意が込められていると思います。「生まれ故郷を棄てた」という意味合いを含んでいるからです。そして、後になってわかるのですが、彼女は主イエスの復活を目撃する最初の証人となるのです。
■ヘロデの家令クザの妻ヨハナとスサンナ
次に出てくるヨハナはヘロデの家令クザの妻であったといいます。このヘロデは、ヘロデ大王の息子で、ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスです。そして、ヨハナの夫はヘロデの家令であったのです。家令というのはどのようなポジションかと言いますと、非常に位の高いポジションです。英語訳聖書では、「steward」という言葉が使われています。どういうポジションかというと、ヘロデの宮廷で仕え、宮廷を取り仕切る高官なのです。このクザという人が誰なのかということについて、少しうがった見方をすると、ヨハネによる福音書の4章の46節に、カファルナウムにいる王の役人が出てきます。この役人には病気であった息子がいたのですが、主イエスのところに来て、距離が離れていたのに、息子の病気を癒やしてもらったという記事があります。クザは息子を癒やしてもらった役人と同一人物であった可能性があるのです。この可能性は非常に高いと考えられます。もし、それが真実であれば、夫婦そろって、主イエスに恵みを受けたので、感謝を覚えていたと思います。そして、初代教会の中に、貴族階級に属する信者たちが沢山いましたが、この夫婦の影響が大きかったと考えられます。主イエスの弟子たちの中には、貧しい者もいれば、この世的に位の高い人もいたのです。いろいろな人が、主イエスの弟子になっていたのです。そして、先程のマグダラのマリアと同じように、ヨハナも後に、主イエスの復活の証人となるのです。ここで、主イエスの包容力に注目したいと思います。マグダラのマリアとヨハナとは、対極にある人物と言って良いかと思います。
マグダラのマリアは理性的にも、感情的にも悪霊の支配下に置かれていた。誰も手がつけられないほどの状態にあった人でした。それに対して、ヨハナはヘロデの高官の妻として、きらびやかな生活を送っていた人であったのです。これらの対極にあった女性が共に、主イエスの恵みを体験して、主イエスの弟子となり、主イエスは彼女たちを深く受け入れていったのです。
三番目に出てくるスサンナは新約聖書の中でここにだけ出てくる名前ですが、彼女もまた、初代の教会の中で大変大きな役割を担っていたと考えられています。紀元1世紀のルカによる福音書を読む読者たちには有名で、意味のある名前の女性であったと考えられます。それ故、何の説明もなしにスサンナという名前が記されていると思います。さらに、「そのほか多くの婦人たち」という記述が出てきます。具体的に名前が挙がっているのは、3人だけです。しかし、この書き方から分かるのは、その他にも多くの女性の弟子たちがいたということです。主イエスの恵みに応答して、愛によって主イエスの弟子となった女性が沢山いたということです。
■女性たちの奉仕
彼女たちは具体的にどのような奉仕をしたのでしょうか。8章の3b節には、「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」と書かれています。先程、伝道旅行には多くの費用がかかるということをお話しました。宿泊をどうするのか、移動の際の費用をどうするのか、食事をどうするのか、人数が増えれば、増えるほど、経済的負担も重くなってきます。それを誰が支えたのか。主イエスの伝道旅行は、彼女たちの経済的援助によって支えられたのです。近代の宣教は、宣教師を支える団体、母教会があって、祈りと経済的援助によって、宣教師を支えるというのが一般的な進め方です。そう考えますと、ここに記されている彼女たちが最初の宣教団体になったのだと言うことができると思います。彼女たちが経済的援助をすることによって、食事や衣服や宿舎などを用意することができたのです。このことは、ルカの福音書を読んでいる人々にはよく理解できたことなのです。当時の地中海世界では、宗教家や哲学者が巡回して、教えるときに、そういった人たちを援助するパトロンと呼ばれる経済的支援者が多くいたのです。これは、裕福な人達がなるのですが、男性だけではなかったのです。女性の中にも、パトロンになる者たちがいたのです。従って、主イエスの巡回宣教を女性たちが、パトロンとなって経済的に援助するということは、理解できることであったのです。主イエスの伝道旅行は彼女たちの経済的な犠牲によって、成り立っていたと言うこともできると思います。
しかし、彼女たちが払った犠牲というのは、経済的な犠牲だけであったのでしょうか。主イエスによって救われるというのは、無代価の恵みです。信じれば救われるのです。弟子となるには、犠牲が伴うのです。主イエスの十二人の弟子たちが大きな犠牲を払ったということは、私たちはよく理解していますが、女性の弟子たちがどんなに大きな犠牲を払ったということについては、すっかり抜け落ちているのです。彼女たちの犠牲は、経済的なものだけではなかたのです。それでは、どんな犠牲があったのかと言いますと、1つ目には、当時、男性の一行と共に旅をするのは、恥ずべきことであったということです。その恥ずべきことを、彼女たちは主イエスの恵みに応答するために、行ったのです。そして、2つ目には、男女共学ということがなかった時代に、男性の弟子たちと一緒に学ぶのは恥ずべきことであったのです。彼女たちは、主イエスの教えを男性の弟子たちと一緒に聴いているのです。ユダヤ教は、後の時代になると、完全に男性と女性を分けます。現代でも、女性は2階の、高い柵で仕切られた、男性からは見えない席があって、その遠ざけられた席でシナゴーグでの礼拝に参加しているのです。しかし、主イエスの女性の弟子たちは、男性と一緒に主イエスの教えを学んでいたのです。一緒に旅をしたり、一緒に学んだり、当時は後ろ指を指されるようなことであったのです。いろいろと言われることも多かったでしょう、それでも彼女たちは主イエスに従って行ったのです。3つ目は、彼女たちは、家庭での責務を一時的に放棄して、主イエスに従ったのです。家庭を持たない女性だけではなかったのです。家庭を持っている女性たちは、夫や子どもたちを説得し、家事を調整して、主イエスに従ったのです。これらが、主イエスの第2回ガリラヤ伝道の実際の姿であったのです。そして、このことは女性の弟子たちにも、神様を第1とするということは、男性の弟子たちと同様に適用されていたということです。
従って、これらの犠牲が何を意味しているのかと言いますと、「女性らしさは男性たちに賢く上手に仕えることにある」という思い込みが支配していた時代にあって、主イエスの宣教と彼女たちの献身は、ユダヤ人の習慣に対する挑戦であったと言うことができると思います。彼女たちは、私たちの想像をはるかに越えて、自分たちの役割を理解し、犠牲を払って、外に出ていって、主イエスの弟子として奉仕していたと思います。
この女性の弟子たちの働きに対する視点は、ルカによる福音書だけに見られる特徴で、他の福音書には見られないものです。この福音記者ルカの視点は、現代の教会に対する適用が沢山込められていると思います。彼女たちは、主イエスの一行の一員として尊重され、日々の生活を支えるなくてはならない大切な働きを担っていた、ということです。まさにそこに、主イエスによって実現した神の国、神様の恵みのご支配を具体的に生きる者たちの姿があります。主イエスの下で、男性も女性も、一人の人間としてお互いを尊重し合い、それぞれが自分の賜物をささげ、自分にできることをして奉仕していく共同体が、具体的に築かれていったのだと思います。
エリザベス・シュスラー・フィオレンツァは、『彼女を記念して – フェミニスト神学によるキリスト教起源の再構築』(1983年)という本の中で、聖書に多くの男性が登場する反面少数の女性しか登場しないことや、「やっと登場させてもらえた女性」でさえも不当に貶められた形で紹介されたり、解釈の歴史の中で貶められたりすることへの批判を展開しています。フィオレンツァの問題意識はルカの問題意識と重なります。埋もれさせてはいけない重要な人々を掘り起こす歴史をルカは描きたかったし、それを分かち合いたかったのだと思います。私たちは、キリスト教世界の中では、名も知られぬ小さな者たちです。名も知られぬ小さな者たちではありますが、神様は名前を挙げて、私たち一人ひとりを覚えて下さっています。だからこそ、私たちはルカが伝える女性の弟子たちの姿に、励まされて、主イエスの恵みに応えて行きたいと思います。
それでは、お祈り致します。