【説 教】 牧師 久多良木 和夫
Ⅰ.光と闇
2つの存在、相対立する その中に置かれる
☆この世界で対立するもの
この世界での悲しみ そこには、様々な対立がある。考え方、思惑、意見の違い。
自分を中心に事を運ぼうとする。 そして、それが昂じて対立する。 そして、相争う。相手を倒そうとする、飲み込もうとする。 その結果、様々な悲しいことが生じる。
☆闇の世界
暗闇の世界 この世界を闇が支配しようとしている。支配している。
闇の力は大きい。この世界の様々な悲しみ それは闇の力によることが多い、
不正がこの世を支配する。 闇は、他のものを飲み込もうとする。 ブラックホールのように、飲み込んで出ることができないようにする。 闇はこの世界だけでなく、私たちの心をも支配しようとする。心が重く暗くなる。 喜びを失わせ、希望をも失わせようとする。
☆闇の業
闇は光を消し去ろうとする。 闇は、良いものを消し去ろうとする。 良いもの、命をつぶそうとする。 闇は本質的に、自分だけの支配を目指す。 闇の支配で、すべて自分の思い通りにしようとする。 闇は光と対立する。
☆光は闇を打ち破る。
光の存在 太陽は、夜の暗闇を取りのぞく。 光は、喜びと希望をもたらす。
心配なことがある間は、心は重く、顔も晴れない。
しかし、心配が取り除かれると、心は明るくなり、顔も晴れやかになる。
☆闇の中にあって、光を頼りに
真っ暗な夜、月が出ていれば、少し明るい。 懐中電灯を持っていれば、前を照らすことができる。 暗い中にあっても安心。 前に進むことができる。
☆心配なことは何でしょうか?
たくさんの心配事がある。それを抱えつつ歩まねばならない私たち。
それを一時的に忘れても、すぐに引き戻される。 その心配事がなくなれば良いが、簡単ではない。 その心配事を、どなたかと分かち合い、一部を担ってもらえれば、ずいぶん楽になる。 全部を担ってもらえれば、全く楽になる。 そして希望の光が広がる。
☆大変なことの中においても
病気も、難しい問題、それは大変なことであり、闇とも考えることもできる。
そのことが良くなる、解決する。 光とも考えることができる。
その大変さの中に置かれたときに、もがく、出口を求める。
その時に、必要な力が与えられたなら、幸い 病気に打ち勝つ力、免疫力、回復する力
難しい問題に取り組む力、 それを受け止める心、必ず解決すると思い、希望を失わない
そのようなことが与えられるなら、今を生きることができる。
Ⅱ.光である主イエス
光である主イエス、 その光は、ある時があり、なくなってしまう時がある
☆太陽
太陽は朝日として昇り、夕日として沈む。 この地球を照らす光である太陽。 それはありがたい存在、神によって置かれ、その太陽の光によって、この地球は、様々な恩恵を受けている。
☆光は希望を与える存在
光が確かなものであれば、一番安心。 その頼りにする光が簡単には消えない、決して消えないものであれば、これほど幸いなことはない。 光は希望を与えてくれる。
☆ご自身を証しされた主イエス
主イエスはご自身が光であると証しされた、
○12章46節
12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
この世を支配する闇、支配しようとする闇の力 私たちの心を支配する闇、支配しようとする闇の力に対して、光として私たちの住むこの世に来てくださった。
☆おいでくださった主イエス
闇を打ち破るためにおいでくださった。
闇が支配しているところ、大きな困難があるところには、誰も行きたいと思わない。
まして、自分の今享受していることが幸いなものであるとするなら、それを捨て去って出向く者はいない。しかし、主イエスは、神の位を投げ捨てておいでくださった。私たちの住むこの世に
☆闇の力は強い
サタンと呼ばれる存在の力は強い。 罪の力は強い。 人の力では、太刀打ちできない。
サタンは、この世に対して、また私たち一人一人に対して働きかけ、その闇の中に引きずり込もうとする。 罪とは、神に背を向けて歩んでいるということです。 神と断絶したままで歩んでいるというということです。
☆それを打ち破るために、主イエスはおいでくださった。
光としておいでくださった。 人となっておいでくださいました。
主イエスは、闇の力による攻撃を受けられました。 その攻撃を受けつつも、この地上での生涯を全うしてくださいました。
☆主イエスのご生涯
様々な悩み、苦しみの中にある人たちと共に歩み、慰めを与え、希望を与えられました、
闇の力から私たちをすく出すために、最後には十字架の上でその命を捧げてくださった。
この世を支配する闇、私たちの心を支配する闇を打ち破ることのできる光として
しかし、その打ち破る方法は、その命を十字架の上で犠牲としてその命を捧げることを通してなされた。
☆その命を捧げて
罪のないお方の命が捧げられた。 贖いのための命
奴隷からの解放のための代金 その代金が支払われなければ自由になれない、
しかし、支払われたなら自由となる。
闇は去って行かねばならない。 闇は捕らえているものを手放さねばならない。
☆その光は地上から上げられる
その光である主イエスは地上から上げられる。 この地上にいつまでもいるわけではない。
十字架の死、死別 これほど感謝なことはない、これほどの衝撃はない。
まさにそのようになった。
◎28ー34節
12:32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
12:33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
その死は、ただの無残な死、敗北ではない。
すべてが終わった、もうおしまいだではない。 人の子である主エスは上げられた。 十字架の上で死んでしまわれた。しかしそれには深い意味があった。
弟子たち、そして私たちの罪を赦し、滅びから救い出すための命の犠牲。
その死の後、陰府に降られた。 そこから死を打ち破り復活された。
Ⅲ.光を信じるとは
光を信じる者は光と共に生きる
☆人生の中でのチャンス、その時
チャンスには前髪はあっても、後ろ髪はないと言われる。
チャンスがそばを通る時に、その前髪をぱっとつかむ必要がある。通り過ぎようとして髪をつかもうとしても、後ろ髪はない。 その時にチャンスをとらえる。 その時を見失わないようにする。
☆光のあるうちに
光が過ぎていく時がある、 光のあるうちに。
◎35節
12:35 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
光のあるうちに歩みなさい。 暗闇が迫って来る、 その闇に追いつかれる前に、光の内を歩みなさい。
☆出会い、なすべきこと
人との出会い、今自分がなすべきこと その一つ一つ大事に受け止めたい。
それをチャンス、大切なものと受け止めることができるならば幸い。 主よ、今この人との出会い、感謝します。 主よ、今目の前のなすべき仕事、なすべきこと、感謝しますと
☆光である方を信じなさい。
神からの招き 光である方を信じなさい。
この私をご存じで、この私の人生を祝福したいと願っておられる方からの招き
◎36節
12:36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
闇の支配の中にあるこの世界、この自分
闇を打ち破ることのできるお方が主イエスであると認める。
主イエスを自分の人生の中に迎え入れる。 光の主と認め、その光を見つけつつ歩む。
☆主イエスを信じる者は
主イエスを信じ従う。 主イエスを私の救い主と信じ、その方を心の中に迎え入れて、歩む。
私を滅びから引き揚げ、神の子どもにしてくださった。
もはや滅びの子ではなく、永遠の命をいただいた者として生きる。
○8章12節
8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
その方の御声を聞きつつ。 肉の耳から聞くのではない、心の耳で聞く
聖書の御言葉をいただきつつ歩む。 主を仰ぎ祈りつつ歩む。
☆暗闇の中を歩まず
暗闇は近くにある、 いつも迫って来る。
この世界を支配している。しかし、真の支配者である神の前では、できることは限られ限界がある。 この私の心の中にも支配の手を伸ばしてくる。 しかし、その支配に飲み込まれることはない。主が私たちの心の中に住んでくださっているから。聖霊なる神が。
ここまでか、これでおしまいかと思われる中にも、助けがあり、勝利がある。
それに飲み込まれてしまい、身動きできなくなってしまうことはない。 暗闇の中を歩まず。
☆命の光を持つ
どんなときにも希望を失わず、希望をもって歩むことができる。
どんなときにも、主を見上げて歩むことができる。 主の助けと勝利を信じて歩む。
主は最善をなしてくださる。そのことを心にとめて歩む。
光の主と共に歩む。 私の人生の歩みを、主に支えられて歩む。
難しい問題、解決困難と思われる問題があっても、主のおゆだねしつつ歩む。
光の子どもとして、光の主を指し示しつつ歩む。
この地上の生涯を主と共に歩み、御国を目指して歩む。 その幸い。