小倉日明教会

『喜び、祈り、感謝する』

テサロニケの信徒への手紙一 5章 16〜18節

2023年8月27日 聖霊降臨節第14主日礼拝

テサロニケの信徒への手紙一 5章 16〜18節

『喜び、祈り、感謝する』

【奨励】 川辺 正直 役員

■「違う席に移りなさい」

 おはようございます。本日の午後の礼拝は、本来は沖村先生の担当なのですが、沖村先生が先週末に新型コロナに感染されて、水曜日には平熱に戻られたのですが、月曜日までは高齢者等との接触には配慮することを求められていることから、私が代わりにお話をさせて頂きます。私が担当する礼拝では、ルカによる福音書を連続して読み進めております。しかし、本日は急な交代ですので、テサロニケの信徒への手紙一を取り上げてお話したいと思います。本日の聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一 5章 16〜18節です。本日の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一の中で、最もよく知られた言葉だと思います。多くの人々に愛され、大切にされてきた言葉であり、この言葉を愛誦聖句としている方も少なくないと思います。しかし、私たちは人生の中で、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」とは、言えない状況というのは、かなり多いことを知っています。

 例えば、それはどういうことかと言いますと、山田千紘さんという方がいらっしゃいます。20歳の時に、営業マンとして働いていた山田さんは体調不良で、自分が幹事をしていた飲み会の帰りに、あまりの体調の悪さの故に、駅のホームで気を失って、転落してしまったそうです。気付いたら病院のベッドに横たわっていたそうです。そして、この事故で右手と両足を失ってしまうのです。現在は、サラリーマンとして働く山田さんは、外出時には義足を使います。電車に乗れば、優先席に座ることも多いのです。その優先席で、忘れられない出来事があったそうです。そのときの体験を山田さんは次のように綴っています。

 僕は障害等級が1種1級です。外出時は義足を履きます。駅まで歩くと、両足がある人よりもかなり疲労がたまり、足が凝ったり張ったりします。一度義足を外したくなるんです。

 だから、電車は座れるものなら座りたいです。乗車したら優先席付近に行くことは多いですね。1~2駅なら立っていても大丈夫ですが、長時間乗るとか、義足を履き直したい時とかはやっぱり座りたい。座れたら実際に義足を外して凝りをほぐすこともあります。座れるとすごく楽です。

 休みの日は半ズボンで外に出ることが多いので、義足であることは一目で分かると思います。だけど仕事の日はスーツで義足が隠れるので、一見したところではどうしても分かりづらいです。

 その関連で、今でも忘れられない出来事があります。ある日、スーツ姿で地下鉄の優先席に座っていました。しばらくして、正面に座っていた中年女性から視線を感じ、それが2~3駅続きました。

 女性が立ち上がって僕の目の前に来て、注意されました。「ここはあなたが座る席じゃない。違う席に移りなさい」。義足が服で隠れて見えなかったんだと思います。

 僕はポケットに入れていた障害者手帳を見てもらい、「身体障害の1種1級なんです」と説明しました。女性からは、電車内に響き渡る大きな声で謝られました。

 それで他の乗客から注目されて恥ずかしくもあったんですが、それよりも、優先席に座っていて気になった人に声をかけるという女性の行動が素晴らしいな、と僕は思いました。注意した相手がたまたま障害のある僕だったので謝られてしまいましたが、この女性のような人がいると、優先席が必要だけど立っている人が座れる機会が増えると思ったからです。

 その女性が今後、同じような場面で発言しづらくなったら困るので、「あなたのように注意してくれる人のおかげで、本当に座るべき人が座れることもあります。声に出していただいてありがとうございます」とその時感謝を伝えました。

 このように山田さんは綴っておられるのです。しかし、私たちはどんな困難に見舞われた時にも、悲しみに襲われた時にも、本当に喜び、祈り、感謝できるのでしょうか?そのことを考えながら、本日の聖書の箇所を一緒に読んでゆきたいと思います。

■パウロの第2回伝道旅行

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。先程もお話しましたように、本日の聖書の箇所はテサロニケの信徒への手紙一の中で、最もよく知られた言葉だと思います。しかし、ともすればこの言葉は、自分が何かで喜んでいる時、感謝している時、調子よくいっている時だけの、お飾りの言葉になってしまい、ひとたび苦しみに襲われたり、逆境に陥ってしまったりすると、見向きもされないようなことになりかねないのです。そうならないためには、私たちはこの言葉を、その置かれている文脈の中で、つまりこの手紙の全体において語られている事柄の中にしっかりと位置づけて、この手紙の著者であるパウロが言おうとしていることを正しく受け止めていく必要があると思います。

 パウロは3回伝道旅行をしていますが、第2回伝道旅行で、テサロニケという町を訪問し、そこに教会を設立しました。テサロニケという町はローマ帝国内のマケドニア州の首都です。交通の要衝の町です。当時の人口は20万人ぐらいと言われていて、古代世界では非常に大きな町でもあります。テサロニケのユダヤ人の会堂は非常に大きな力を持っていました。ここには、ユダヤ人が沢山いたのです。シナゴーグが大きな力を持っていたということは、会堂には多くの異邦人も来ていたのです。その人たちのことを『神を敬う異邦人』あるいは『神を恐れる異邦人』と呼んでいたのです。これは何故かと言いますと、この人たちはユダヤ教徒にはなっていないけれども、ユダヤ教の道徳的な教えに感銘を受けて、自分もイスラエルの神を礼拝したいと思っている人たちなのです。なぜそのような人たちが増えたかと言いますと、この町は偶像礼拝が沢山行われていたからなのです。そして、それに伴う道徳的堕落が蔓延していたのです。それで、ユダヤ教の自制心のある教えに感動する異邦人が多くいたのです。

 さて、パウロの宣教に話を戻しますが、彼の宣教では、本来はそこで信者が生まれてくると、数ヶ月かけて彼らに教理の全体を教え、次に長老を任命し、その地域での教会を確立し、それから次の宣教地に向かうのです。これが、パウロの教会設立方法です。信じて、半年ぐらいで聖書の全貌を理解できるようになっているというのは、とてもすごいことだと思います。ところが、使徒言行録17章1〜9節にありますように、テサロニケで、パウロの宣教に多くの人たちが信じ従うようになると、ユダヤ人たちはそれをねたんで、ならず者を抱き込んで暴動を起こし、パウロを迫害したのです。そこで、パウロは急にテサロニケを去ることになりました。それまでに、パウロは相当な量の教理を教えていたのですが、完成していた訳ではなかったのです。途中で、テサロニケを去らなければいけなくなったのです。パウロは何を教え足りなかったかと言いますと、後でテサロニケの信者たちが疑問に思った、現在、私たちが終末論と呼んでいる、終わりの時代に何が起きるのかという学びが、まだなされていなかったのです。そこで、パウロはその出来立ての若い教会を励まし、教育するために、2通の手紙を書いたのです。これが、テサロニケの信徒への手紙の一と二なのです。そして、この手紙の内容は終末論、特に携挙と再臨について、体系的に扱っているという意味で、非常に重要な書簡になっています。キリスト教会の歴史を振り返ってみますと、中世の時代、具体的には、大体紀元3世紀〜紀元14世紀くらいまでの約1,100年間、携挙と再臨が語られることはほとんどなかったのです。キリスト教会は、聖書を比喩的に読んでいたのです。ですから、携挙とか、再臨とかが、文字通りに起こるとは考えなかったのです。神の国というのは、既に教会の中に実現していると考えていた時代であったのです。

 そして、それを覆したのが宗教改革なのです。宗教改革者たちが出てきて、聖書を字義通りに読むようになったのです。しかし、宗教改革者たちの改革は良かったのですが、預言解釈に関しては、比喩的な解釈に留まっていたのです。それを引き継いで、次に出てきたのが、19世紀の初め頃に、特にイギリスで、プリマス・ブレズレンというようなグループが、聖書を字義通りに読んで、終末論を発展させたのです。これがキリスト教会史の大きな流れなのです。そのプリマス・ブレズレンの人たちが終末論を発展させる際に一番用いたのが、この2つのテサロニケの信徒への手紙なのです。従って、このテサロニケの信徒への手紙がなかったら、携挙と再臨に関して、聖書的に正しく理解するということはなかったのです。この手紙を『字義通りに読む』ということが回復された結果、『終末論』が明確に語られるようになってきたのです。そういう背景の上に、私たちは立っているのです。

■パウロが語る携挙と再臨の希望

 さて、パウロはこの手紙で、教え足りなかった携挙と再臨という終末論について、テサロニケの信徒たちにどのように伝えているのでしょうか?この手紙の4章13節には、『兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。』とあります。テサロニケ教会の信徒の教理的な弱点は何かと言いますと、『携挙』が理解できていないということです。パウロがテサロニケを去ってから、信者の中で死んだ人が何人か出たのです。そこで、テサロニケの信徒たちは、まだ携挙は起こっていない、携挙が起こったら、もう死んでしまった人たちは祝福にあずかることができないのだろうか?というのが、彼らの疑問であったのです。ですから、パウロは携挙というテーマについて語っているのです。

 ここで、パウロは死んだ人のことを眠りについた人たちと書いています。これは死んだ人のことで、パウロは婉曲的な表現を採っています。信徒で亡くなった方は身体だけを見ていると、寝ているように見えるのです。ですから、眠りについた人たちと言っているのですが、魂が寝ているわけではないのです。魂は目覚めているのです。さらに、もう一つ言うと、これは信者だけに使う言葉なのです。不信者、未信者の人が死んでも、眠りについた人たちとは言わないのです。この眠りは肉体の眠りであって、魂の眠りではないのです。さて、『携挙』というのは、『空中再臨』とも言いますが、ある時が来ると、主イエスが信徒を生きたまま、天に上げて下さるということなのです。これが携挙なのです。再臨とはまた別なのです。生きたまま教会が天に上げられる、このテーマをパウロは教えているのです。

 そして、この手紙のその後の4章14〜15節で、パウロは死んだ人が出た、でも悲しむ必要はないと言うのです。信者は望みのない不信者のように、悲しむ必要はありませんと言うのです。主イエスは、十字架で死なれて、復活されました。それならば、主イエスを信じて眠りについた人たち、これは主イエス・キリストを救い主として信じて、信者として死んだということです。その人には復活の希望が与えられています。そして、携挙が起こった時に、死んだ者はよみがえり、天に上げられると言うのです。それはどういうことかと言いますと、現在、パラダイスにある魂が地上に戻ってきて、地上で復活した身体と一つになって、天に上げられてゆくということです。そのときに、生きている人はどうなるのかと言いますと、死んだ人に優先することはないと言うのです。まず、死んだ人の復活があり、それから生きている人が天に上げられる。だから、携挙までに、私たちが生きていたとしたら、私たちは旧約聖書のエノクという人やエリアと言う人のように、死なないで、身体が栄光の身体に変えられるのです。

 パウロがこの手紙を書いた時から、少なくとも1900年以上経っています。1900年間、携挙は起こらなかったのです。しかし、携挙について論じるときには、いつでも起こり得る、そうやって1900年の時間が流れて来たのです。ですから、今日かもしれませんし、明日かもしれません。これが、携挙の内容ですが、パウロは自分が生きている間に、携挙が起こる可能性もあると考えていました。では、携挙された聖徒たちはどこへ行くのでしょうか。主イエスが備え、整えて下さった場所に行くのです。ヨハネによる福音書14章2〜3節には、『わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。』とあります。私たち一人ひとりに、天の住まいが用意されるのです。その用意ができた時に、主イエスが降ってきて、死んだ聖徒たちの魂と共に降ってきて、私たちを、すなわち、教会を天に上げて下さるのです。これが携挙の内容なのです。この教理の適用は何かと言いますと、『慰め』なのです。4章17b〜18節には、『このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。』とあります。『今述べた言葉によって励まし合いなさい。』と書かれているということは、携挙や再臨の希望を語るというのは、お互いに対しての励ましであり、慰めなのです。使徒パウロは、これらの言葉をもって、互いに励まし合いなさいと命じているのです。

 パウロはこの手紙の5章7〜8節で、『眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。』と語っています。ここで、パウロは未信者のことを『眠る者』と表現しています。どういう意味かと言いますと、霊的な目が開かれていない、夢を見ているか、酔ったような状態にあると言うのです。ですから、霊的に目を覚まして、不道徳の中で生活しないように、慎み深くしているようにと、パウロは勧めているのです。信仰と愛を胸当てとして着けるように、これは暗闇の力と闘うためです。そして、『救いの希望を兜としてかぶり、』とありますが、この手紙の文脈の中では、大艱難時代から救われるという希望です。その希望は、敵の攻撃や誘惑に勝利する力となると言うのです。従って、携挙を信じている、大患難時代から免れることを信じている、復活の希望を持っているということが、今日、現代に生きる私たちが与えられた困難な状況の中でどう生きるかということと直結しているということです。これが、パウロがテサロニケ教会の人々に、終末論を伝えることが重要だと考えている理由なのです。そして、『主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。』とパウロは語っています。これは、霊的に健全なときにも、霊的に無関心なときにも、人は一度救われたら、救いを失うことはないと言うのです。

■いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

 パウロはこのように救いの希望を語った後で、本日の聖書の箇所の3つの勧告を語るのです。5章16〜18節には、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』とあります。

 まず、『いつも喜んでいなさい』ということですが、これは主イエス・キリストを信じていない人にとっては不可能なことです。『いつも喜んでいなさい』という言葉は、「パントケカイレテ」というギリシャ語1語で、聖書の中で最も短い節になっています。「いつも喜んでいなさい」とパウロが言うときの喜びとは、主イエスによって、私たちが神の子とされ、神様を「私たちの父なる神様」と呼ぶことができる。ここに救いの喜びがあるというのです。この喜びは、罪が赦され、永遠の命の希望があるという確信から来る喜びです。この喜びはやがて携挙に預かるという喜びです。この喜びは、再臨の主イエスに合うことができるという喜びです。この喜びは、その時に恐れなく主イエス・キリストの前に立つことができるという喜びです。この喜びは、いつまでも続く喜びなのです。ですから、パウロは終末論を展開して、その最後のところで、『いつも喜んでいなさい。』と教えたのです。

 次に、『絶えず祈りなさい。』という原語のギリシァ語は、「隙間なく」という意味です。この「隙間なく」という言葉は、古代ローマにおいては、例えば「しつこい咳に苦しめられている人」を表現する時に使われました。しつこい咳に苦しめられている人は、いつもそのことを意識するようになります。その状態を表しているのです。つまり「絶えず祈りなさい」というのは、1秒も休まず祈り続けなさいという意味ではなく、主の臨在を常に意識し、常に神様に信頼していなさいということなのです。何をするにしても、神様の助けを求める習慣を育てるということを教えているのです。神様の恵みがなければ、主の働きは何一つできないということを、本気で受け止めたならば、私たちは起きていても、寝ていても、祈りの態勢にあるということを教えているのです。

 そして、『どんなことにも感謝しなさい。』という言葉ですが、「感謝する」は良いことを下さる主に差し出す神様への賛辞です。しかし、パウロは「すべてのことについて感謝しなさい」と言いました。これはすべてのこと、どんな状況でも、どんな成り行きになっても、すなわちうれしい時でも、悲しい時にも、失敗した時でも、さらには苦しみに直面している時でも、なのです。しかし、これは不幸や悲劇を感謝しなさいという意味ではないのです。そのことそのものを感謝するのではなくて、感謝する対象は神様なのです。ここで鍵になるのは、18節にある「キリスト・イエスにおいて」という言葉です。自分の力ではとても感謝することなどできません。しかし、キリスト・イエスにおいてなら感謝することができると言うのです。主イエスにおいてなら、すべてのことについて感謝することができると言うのです。災害に見舞われても、病気になっても、愛する人と死別するようなことがあっても、思うように事が進まなくてがっかりすることがあっても、この世を治めておられる神様の視点で物事を見るなら、どんな状況でも、神様はすべてを益に変えて下さると信じるから、感謝することができるとパウロは言っているのです。

 テサロニケ教会の人たちは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝できるような状況にあったわけではありません。むしろ同胞から苦しみを受け、キリストの再臨を待たずに死んだらどうなるのかという不安や恐れを抱えて、苦難の中にあったのです。教会の内にも外にも喜べない、祈れない、感謝できない現実がありました。そのようなテサロニケ教会の人たちの状況を誰よりも知っていたのはパウロです。そうだとしたらパウロは彼らの状況を知り尽くした上で、それでもあなたたちは「いつも喜んでいないとだめだ、絶えず祈っていないとだめだ、どんなことにも感謝しないとだめだ」と言っているのでしょうか。そうではないと思います。このことを勧めているパウロ自身、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝できる状況にあったわけではないからです。彼はテサロニケに来る前に「フィリピで苦しめられ、辱められた」(2章2節)と語っていました。誕生したばかりのテサロニケ教会からも、迫害のために去らなければなりませんでした。何度かもう一度テサロニケに行こうとしましたが、妨げられて実現しませんでした。パウロは苦しみと辱めを受け、迫害され、自分の願っていた通りに物事を進めることができなかったのです。

 そのような現実の中で、パウロは、この教会のことを常に祈りに覚え、喜び、感謝しているのです。そして教会の人々に、自分のこの喜びと祈りと感謝に加わりなさいと語りかけているのです。「私はあなたがたのことを覚えて、いつも喜んでいる。絶えず祈っている。そしてどんなことにも、どのような困難な状況や厳しい現実の中でも、感謝している。あなたがたもその私と共にいつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しなさい」。それが、この5章16節以下で彼が語っていることなのです。しかし、『どんなことにも、どのような困難な状況や厳しい現実の中でも、感謝している。あなたがたもその私と共にいつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しなさい』という、私たちにはとても無理な話かと思えることが、私たちの生活の中で、どのような形で迫ってくるのでしょうか?

■『夜と霧』、ヴィクトール・フランクル

 キリスト教では、人間は神様の似姿として創られたと教えています。目に見えない神様の似姿とは、どういうことかと言うと、他の動物には与えられなかった理性と自由意志、考える力と選ぶ力、つまり、自由を人間に下さったということです。一人格としての人間というものを、考えて下さったということです。この他の動物が持っていない、人間の自由について、ヴィクトール・フランクルという人が書いています。フランクルは、オーストリアのウィーンに生まれた精神科医ですが、ユダヤ人であったために、第2次世界大戦では、家族と共にナチスに捕らえられて、収容所に送還されてしまいます。そして、収容所で、両親と奥さんを亡くしてしまうのです。そして、1944年にホロコーストで最大の犠牲者を出したアウシュヴィッツに収監され、そこでガス室に行かない選別を受けたフランクルは3日後に、ダッハウ収容所へと送られ、そこでも九死に一生を得て、終戦を迎えているのです。終戦後、自分の収容所での生活を『夜と霧』、『死と愛』などの多くの本に著し、『収容所の過酷な労働条件や悪い栄養状態によるよりも、むしろ未来を信じることができなくなった人が、生きる拠り所を失って、内的に崩壊し、身体的にも心理的にも転落して死んで行った。逆に未来に目的を持った人は、過酷な状況の中でも生き延びた』と記しています。フランクルが度々、主張したことは「人間は出来事の意味を求めている」ということです。そしてその意味を人間が見出すとき、その人は苦難の中でもそれに耐える力を発揮することができると言うのです。

 フランクルは、『人間を収容所の中で生かしたのは、権力でもなければ、快楽でもなかった。人間を生かすのは、意味である。』という収容所での体験から、苦難の中で苦しんでいる人々の心を癒すために『ロゴセラピー』と呼ばれる心理療法を生み出したのです。フランクルは、『収容所の中では、ありとあらゆる自由をナチスは奪った。寝る自由。話す自由。歩く自由。そして、生きる自由さえも奪ったのです。しかしながら、ナチスが奪えなかった自由、それが人間の自由であった。』と書いています。そして、人間の自由とは、『諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して、自分のあり方を決める自由である』と書いています。つまり、死から自由になることはできないが、しかし、死というものに対して、自分がどう向き合って行くか、その自由をナチスは奪うことはできなかったということです。

 そして、フランクルは、『強制収容所での生活を送った私たちには、忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンのひと切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれたのだ。』と記しています。

■十字架を選ばれた主イエス

 考えてみますと、実は2000年前、主イエスが私たちに、この人間の自由というものを、十字架の上で、教えて下さったのです。ユダヤ人に捕らえられ、ローマ人兵士の鞭打ちや嘲りにも耐え、茨の冠をかぶせられ、衣服を剥ぎ取られ、すべての自由を失われた主イエスがご自分のあり方をはっきりと決める自由を、十字架の上にあってなお、失われなかったと思います。ローマの兵士たちやユダヤの群衆たちが、『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』(マタイ27章40節)と言ったのにもかかわらず、主イエスは、十字架から降りられることはなかったのです。主イエスを十字架につけていたのは、釘ではなくて、私たち人間への愛であったと思います。そして、人間たちが犯した罪を償うために、私たちを愛し、天の父なる神様の御旨を行うために、十字架から降りない自由を選ばれたのだと思います。十字架の上で、自分を十字架につけた人たちを赦す自由を選ばれたのだと思います。主イエスの十字架の上での7つの言葉が知られていますが、その一番、最初に言われた言葉は、父なる神様に向かって、『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』(ルカ23章34節)という赦しがたい人たちを赦す自由を選ばれた言葉であったのです。

 私たちがどんなに深い罪を犯している者であっても、清く正しい生活ができずに、汚れた思いと行いに陥ってしまっていても、そのような罪人のためにこそ、独り子主イエスを遣わし、十字架の死による救いを与えて下さった神様の意志は、決して変わることはないのです。また、私たちがどのような苦しみや悲しみに陥っていても、自分を取り巻く状況が絶望的で、何の希望も持てないと思うことがあっても、それでも、独り子主イエスの十字架の苦しみと死とによって私たちを愛して下さる神様の意志は決して揺らぐことはないのです。

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これが、主イエスにあって、神様が私たちに望んでおられることです。これが神様のみこころなのです。私たちの力ではこの神様のみこころを行うことはできません。それはただ主イエスにあってのみ可能なことなのです。この主イエスによって与えられた救いの恵み、聖霊の喜び、神が共におられることの感謝を、信仰によってささげて行きたいと思います。

 それでは、お祈り致します。