【説 教】 牧師 沖村 裕史
■息づかい
ある教会員の方から「エルサレムの旅は素晴らしかった。やはり『百聞は一見に如かず』ですね」と言われて、聖書の言葉と格闘し、苦しみ抜いた末にようやく書き上げた説教を通して、イエスさまと出会っていただきたいと願い続けている者として、「そうですね」とはすぐに頷(うなず)けない、少し拗(す)ねてみたいような心持ちになったことがあります。それでも少し心を静めて、「その通りですよ」と答えることができたのは、前島誠という旧約聖書学者がエルサレムを初めて旅したときの、こんな文章を読んだことがあるからかもしれません。
(長じて)司祭職を志したわたしは、神学校の門をたたいて八年間に及ぶ研修生活のスタートを切った。…前半の四年間は無事に過ぎる。だが後半期に入り、神学というものの輪郭が見えてくるにつれて、思わぬ壁にぶち当たった。神学に対するどうしようもない違和感がわたしを捉えたのだ。
内面の信仰をより豊かに肉付けするのが神学の役割―単純にそう思っていた。が、それは自分の単なる思い込みだった。
実際の講義内容は、自(宗)派の正当性をしきりに強調する護教論、最初から予定調和的にまとめようとする論法、人間の現実から掛け離れた倫理神学など、どれを取っても素直に馴染むことのできない自分がそこにいた。真っ向から反論して、スペイン人の教授から大目玉を食らった覚えもある。…
卒業後、下町の教会に配属されて五年間、怠け者は怠け者なりに働いたと思う。だがやはり、神学生時代のつけが回ってきた。教会の教えと組織の枠から、徐々にはみ出していく自分を感じていたのだ。それは日曜日の説教、週日の勉強会での発言、信徒の個人的相談の受け答えにも現われてきた。
…結局わたしは自ら職を退くことになる。以後、人の勧めに従って教職に就いたが、それで問題が解決したわけではない。ひとまず教会から距離を置くことはできても、心の中のイエスとの関わりはどうなるのか、いまだ未知数のままであった。(そのうち何か見つかるだろう)、そう考えていた矢先に、(前述の)聖地訪問の旅に出る次第となったのである。
そうして初めてエルサレムを訪ね、聖書学者として一度も訪れることもせず、聖書の言葉を現実のものとして何一つ知らずに来たことに、前島は大きな衝撃と悔恨を抱きます。そして続けます。
ダマスコ[の]門に立って初めて気付いた自分の無知、その自覚はエルサレムからサマリアを経てガリラヤに至った時点で、一層強まることとなる。これまで自分は人びとに何を語ってきたのか、ただ観念的な言葉をまき散らしていただけではないのか。それを思うと心が痛んだ。その一方で今後の進むべき道を、ガリラヤに吹く風が教えてくれたと肌で感じ取っていたのだった。
イエスはキリストである前に、われわれと同じように人間として生きた。正真正銘のユダヤ人としてガリラヤの野に立った。これだけは、まぎれもない事実である。その事実に基づいて、イエスの後ろ姿を追うことにした。彼の心に息吹いたものは何だったのか―わたしが頼みとしたのは、理論ではなく、観念でもなかった。できるかぎり体で感じ取ろうとした、かつてガリラヤの野でイエスを感じた時のように。
彼の服とサンダル、髪形とひげの生え具合い、目つきや声の響き、身のこなしや歩き方の癖、いったいどんな感じだったのか。飲み物は土地柄ぶどう酒一辺倒、好物は焼魚だったらしい。いずれも五感を総動員して、本人をあぶり出そうという試みである。
ちなみに今、街角でイエスに出逢ったら、「先生、一杯やりましょう」とお誘いするだろう。そこでハタと困惑する。
ユダヤ人は豚を始め、エビ、タコ、カニ、イカ、穴子類は駄目なのだ。これは彼らの律法に固く禁じられている(レビ11章)。中華や寿司、天ぷらやうなぎ店にはお連れできない。たぶん裏通りの、焼魚定食でも捜すことになるだろう。
冷や酒の杯(コップ)を傾けるイエス、その隣りに座って彼の息遣いを感じている自分―その思いはこれからも変わらないことだろう。
「すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができない…人から出て来るものこそ、人を汚す」(マルコ七章)と言われたイエスさまが、エビやタコを駄目だと言われたとは思いませんが、「好物は焼魚だったらしい」という前島の言葉は、さきほどお読みいただいたヨハネによる福音書の場面に触発されてのことでしょう。そして事実、今日のみ言葉は、その息づかいを感ずることができるほどすぐ傍に、イエスさまがわたしたちといつも一緒にいてくださるのだ、という驚くほどの恵みを告げてくれます。
■失望と落胆
場面は、イエスさま復活の出来事の第三幕です。ヨハネ福音書は、その第三幕の幕開けを次のように語り始めます。
「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである」
ティベリアス湖とは、ほかの福音書でガリラヤ湖と呼ばれている湖のことです。アウグストゥスを継いだローマ帝国第二代皇帝ティベリウスに因んでつけられた名です。
イエスさまの弟子たちは、この時、エルサレムからここに、つまりガリラヤに戻ってきていました。イエス・キリストの十字架による死、そして、その後の復活という出来事を体験したはずの弟子たちですが、それでもまだこの時の弟子たちには、何かぼんやりとした雰囲気、ある種の虚脱状態に陥っているような印象が見受けられます。数週間、あるいは数日間のうちに体験した大きな出来事の数々が、彼らを打ちのめし、これからどうしたらいいのか、何をなすべきなのか、考えがまとまらない。そんな雰囲気が感じられます。
「わたしは漁に行く」
そう言って、ペトロは立ち上がりました。もともとガリラヤ湖の漁師だったペトロです。彼が漁師に戻るつもりだったのかどうか、それは分かりません。いずれにしろ、人は何かを食べないわけにはいきません。とりあえず魚でも獲ってこようという気持ちだったのかもしれません。
ほかの弟子たちもペトロについて立ち上がり、「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。ゼベダイの子であるヤコブとヨハネは漁師でしたが、ほかの弟子たちはそうではありません。職業も違えば、生まれも育ちも違う、もちろん顔も性格も異なる。それでも彼らは皆、イエスさまの弟子として生きてきましたし、今も一緒に生きようとする仲間でした。
「わたしたちも一緒に行こう」
そう言って、ひとつの舟に乗り込みました。しかし「その夜は何もとれなかった」とあります。
どんなに頑張っても、何も獲れない夜があります。それは、わたしたちの人生の現実そのものです。現実とはそういうもの、思いどおりにいかないものです。「すべては空しい」と呟かざるを得ないようなことがあります。ペトロたちは皆、魚を取ろうと精一杯、頑張ったはずです。これまでも彼らなりに頑張って生きてきました。でも頑張れば頑張るほど、彼らの身も心も憔悴し、失望し、落胆したに違いありません。
■見守っていてくださる
何も獲れなかった夜。ところがそんなときにも、いえ、そんなときにこそ、その夜が明けるという、現実のもうひとつの面を、み言葉は伝えています。
「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」
夜明けの光の中で、イエス・キリストは弟子たちを見守っておられます。いえ、本当のことを言えば、夜が明ける前の暗闇の中から、すでにイエス・キリストはそこにおられて、弟子たちをじっと見守っておられたのです。何も獲れない夜の間も、弟子たちがそれと気づかない間にも、イエス・キリストは彼らを一晩中、見守っておられました。
「だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」
イエスさまが見守っていてくれることに気づかないでいるとき、わたしたちは下を向きながら呟いています。すべてが空しい、これほど労苦しても何も得るものはない、これほど頑張っても人生には実りがない、すべては空しい、と。
いえ、そう呟いて俯(うつむ)いてばかりいるために、目の前におられるイエスさまに気づくことができないでいるのでしょう。
しかし、ここで伝えられていることは、どんなときにも、イエスさまはわたしたちを見守っていてくださるのだ、という事実です。
わたしたちにとって、人生の中でどんなにすばらしいことが起ころうと、あるいはまた、どんなに悪いことが起ころうとも、一番大切なこと、見失ってならないことは、そうした出来事の背後に、いつもイエスさまが立っていて、見守ってくださるのだ、ということです。
パウロが、ローマの信徒への手紙八章二八節にこんな一句を記しています。
「神を愛する着たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」
文語訳聖書では「すべてのこと相働きて益となる」と訳されているこのパウロの言葉は、聞きようによっては、ずいぶん楽天的な言葉のように感じられかもしれません。
しかし、パウロという人がその伝道の生涯において味わった、数多くの苦しみ、精神的にも肉体的にも経験した苦しみのことを思うとき、そのような人がその生涯の終わり近い時期に記したであろう手紙の中に残したこの一句が、安易な気休めといったものであるはずはありません。
何も獲れなかった夜のような体験を何度も味わい尽くした後で、それでも、「神を愛する者たち(中略)には、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」と書き記すことのできたパウロの実感こそ、信仰によって生きるわたしたちが生涯を通して学ぶべき真実なのだと思えます。
それは、人生とは決して空しいものではない、ということを宣言する言葉であり、わたしたちが出会うこと、わたしたちが体験すること、そのすべてはつねに、神様にあって豊かな意味を持っているのだ、ということを教える言葉です。
■さあ、一緒に食事をしよう
続く今日のみ言葉に、そのことをもっとはっきりと示す出来事が描かれます。
イエスさまが、湖から上がってくる弟子たちのために、炭火を熾し、魚を焼き、パンを用意してくださっていた、といいます。
福音書の中には、イエスさまがいろいろな人々と食事をする場面が実に多く出てきますが、イエスさまご自身が火を熾(おこ)し、食べものを料理したことが記されているのは、この箇所だけです。
イエスさまはそのようにして手ずから整えられた食事を前にして、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と招かれました。
そしてパンを取り、弟子たちに与えられました。
ここでもまた、エマオでの食事や、最後の晩餐や、それ以前に何度も繰り返された食事のように、イエスさまはパンを取り、感謝の祈りをささげ、パンを裂き、それを弟子たちに分け与えられたのです。
一日を生きるために必要な糧を、イエスさまは弟子たちのために備えてくださいました。人生を生きるためのいのちの源を、イエスさまはいつもわたしたちのために備えてくださるのです。何も獲れない夜であっても、主ご自身がわたしたちのために「朝の食事」を備えていてくださいます。
今日ここに集うわたしたちもまた、この湖畔の弟子たちと同様、イエスさまに見守られています。イエスさまからいのちの糧をいただいています。わたしたちは、この礼拝の場でイエスさまに見守られていることを想い起こし、聖餐によって養われ、主に送り出されて、この世の旅路を歩むのです。
わたしたちの人生のあらゆるとき、あらゆる場面で、良いときにも悪いときにも、健康なときにも病んでいるときにも、喜んでいるときにも悲しんでいるときにも、わたしたちは計り知ることのできない神様の恵みと憐れみの中に置かれています。その恵みと憐れみの中で、わたしたちはそれぞれの人生を、主に従って歩んでいくのです。わたしたちは決してひとりではありません。
わたしたちは主と共に生きるのであり、主によって結ばれた仲間たちと共に生きるのです。
信仰によって生きるとき、わたしたちの人生は決して空しいものに終わることはない、というこの事実をはっきりと心に刻み、今日から始まる新しい復活節の週を、希望をもってご一緒に歩みたいと願う次第です。