小倉日明教会

『平和の神が共に』

フィリピの信徒への手紙 4章 4〜9節

2024年 8月11日 聖霊降臨節第13主日礼拝

フィリピの信徒への手紙 4章 4〜9節

『平和の神が共に』

【説教】 沖村 裕史 牧師

【説 教】                      牧師 沖村 裕史

 

■カタカナのヒロシマ

 これからお聞きいただくのは、広島の三人の少年のお話です。

今から七九年前、三人はともに国民学校の六年生で、避難していた疎開先からたまたま戻っていました。

 

広島は、ごぞんじのように水の都です。

七つの川にやさしく抱かれています。

水のおかげでおいしいお魚がとれます。

ここは四十三万人の大きな都会です。

 

またここは陸軍の都です。

鉄砲かついだ兵隊さんたちは、

みんなここから中国へ南方へと、

出かけて行きます。

 

そしてここは造船所の街です。

りっぱな軍艦をつくります。

客船も漁師の舟もつくります、

ここでつくれない船はありません。

 

その造船所には三万人もの朝鮮の人がいました。

ふるさとから無理やり連れて来られて、

いちにち六個のおにぎりと

わずかなお給金で船をつくっていました。

 

広島には空襲がありません。

「この広島からはの、アメリカヘ、えっと移民さんが行っとってじゃ。ほいで、みなアメリカ人になっちょるんよ。そいじゃけん、そのアメリカ人が生まれ故郷に爆弾をよう落とすわけがなあが」

みんなそういっています。

 

ちょうどそのころ、アメリカの大統領がイギリスの首相にこういっていました。

「原子爆弾の投下目標の都市は、広島、小倉、新潟、そして長崎です。一発の原爆にどれだけの威力があるかを知るために、そのときがくるまで、これらの四都市に空襲をしてはならぬと命じています。空襲の処女地で原爆の威力を見たいものですから。」

「それは正しい選択です」と、イギリス首相は言いました。

 

昭和二十年八月六日、

夏休みのさなかの月曜の朝。

空は青く、海は銀色、

比治山は緑で燃えています。

 

そのとき、比治山では蝉が鳴いていました。

 

比治山は大きな岡です。

広島駅から歩いて十五分の、

桜並木と松林の名所です。

広島のみんなが大好きな公園です。

 

そのとき、比治山では小鳥も鳴いていました。

 

比治山の東のふもとの

小さな家の小さな庭で

小さな女の子が数をかぞえています。

「ひとつ、ふたつ、みっつ…もうえーか」

 

かくれんぼうの相手は兄の英彦です。

英彦の両親は中学と女学校の先生です。

空襲で町が全部燃えてしまわないよう、ところどころに空き地をつくる建物疎開の指導をするために、学校へ出かけて行ったところです。

 

「よっつ、いつつ…もうえーか」

「まーだだよ」

英彦は縁側から家にあがって、

雨戸のうしろに隠れます。

 

そのとき、比治山をそよかぜが渡って行きました。

 

比治山の南のふもとの

下駄屋さんの店先で

正夫がおばあさんの肩を叩いています。

「…九十九、百。もうえーか」

「まあだだよ」

 

そのとき、比治山の松の小枝が揺れていました。

 

比治山の北のふもとの

澄んだ小川の流れの中で

勝利がお母さんとおイモを洗っています。

「勝利、あんまりねしこく洗いよると、しまいには、実がのうなってしまうがな」

「うん、もうえーよね」

 

そのとき、蝉や小鳥がふっとなきやみ、

風もぴたりとやみました。

…すると、ほら、あれは落下傘です。

B29と呼ばれる爆弾を積んだ飛行機が落下傘を落として行きました。

 

黒い土管のようなものをぶらさげた

その落下傘は、四十五秒もかけて

ゆっくりと降りてくると、

上空五百八十メートルのところで…

 

ピカッ、ドドーン。

 

…爆発から一秒あとの

火の玉の温度は、一万二千度でした。

太陽の表面の温度は六千度ですから、

街の上に太陽が二つ並んだことになります。

 

その熱で、地上のものは、

人間も鳥も虫も建物も、

一瞬のうちに溶けてしまいました。

火の泡を吹いて溶けてしまいました。

 

火の玉からは爆風が吹き出しました。

音の二倍の速さで、

畳一畳分あたり十トンの圧力をかけて、

地上のものを吹き飛ばしました。

 

火の玉は殺人光線も出していました。

内臓や血管や骨髄などの

人間の体のやわらかなところに、

殺人光線がこっそり潜り込んでいきました。

 

四倍にふくれあがった犬が死んでいます。

そのそばに、爆発の衝撃で異常出産した若いお母さんが坐りこんでいます。

 

燃える火をみて「あーきれい」と手を叩いている、美しい娘がいます。

彼女はもう、気が狂っています。

 

黒焦げの若いおかあさんの下には、きまったように赤ちゃんがいます。

赤ん坊ももう、息をしていません。

 

ひしゃげた水筒をひきずった女学生が声をかぎりに両親の名を呼んでいます。

彼女はもう、両足を砕かれて歩けません。

 

炸裂したのはリトルボーイ。

アメリカの言葉で「おちんちん」。

長さ四・三メートル、

直径一・二メートル、

重さ四・五トンの原子爆弾でした。

 

沖では漁船が同じところを狂ったようにぐるぐる回っています。

漁師さんはハンドルにもたれたまま死んでいます。

 

「みず、みず…」と訴えていた若い兵隊さんが地面に坐りこんで、しきりに指を吸っています。

指先から流れ出る血を吸っているのです。

 

火ぶくれで体が猛烈に熱いので、だれもが防火用の水を湛(たた)えた用水桶に飛び込みます。

用水桶に逆さに立った娘さんの白い足袋(たび)が燃えています。

 

倒れた家に腰から下を圧しつぶされて動けなくなったお父さんに火の手が迫ってきます。指の爪を剥がしながら死にものぐるいに材木を取りのけようとしている娘に、お父さんが声をかぎりに怒鳴りつけます。「早よう逃げんかい。なして親のいうことが聞けんのか。この親不孝もんが…!」

ついに娘は父親ととわの別れを告げます。

もう泣いてなどいません。彼女の髪の毛も燃えていて、涙はすでに出つくしています。

 

リトルボーイは、高性能火薬でいえば、

二万トン分の爆発力を貯えていました。

つまりB29一千機分の爆弾を抱えた、

リトルどころかとてつもない怪物でした。

 

歯茎から魚の腸(はらわた)のようなものを出しながらぶすぶすと燃えている女の子がいます。

その子は英彦の妹でした。

 

比治山の西のふもとの橋のたもとで、お母さんは、向こうからよろけながらやってくるお父さんを見つけていいました。「…あなた、腕の皮が剝()けて、だらんと垂れ下っちょってですよ。」すると、おとうさんがいいました。「おまえは、お腹から腸が出ちょる。」二人は力なく抱き合うと、わが子の名前を呼びながら、やがて息をするのを止めました。

二人は英彦の両親でした。

 

べろが真っ黒にふくれ出て、ちょうど茄子でもくわえたような格好で、屋根の梁(はり)の下敷きになっている下駄屋のおばあさんがいます。

彼女は正夫のおばあさんでした。

 

小川に飛び込んで、わが子に覆いかぶさったまま亡くなったお母さんがいます。

彼女は勝利のお母さんでした。

 

このようにして…

その日のうちに十二万人が亡くなって、

二十万の人びとが傷ついていました。

 

このときから、漢字の広島は、

カタカナのヒロシマになりました。

 

家族を亡くした三人の少年は、共に助け合いながら懸命に生きようとしましたが、原子爆弾のまき散らした放射能のために病気になり、次々と死んでしまいました。

 

■わたしたちの罪

このお話は、井上ひさしという人が書いた『少年口伝隊一九四五』という舞台劇の一場面に、分かりやすいようにと手を加えたものです。でも、これは決して絵空事ではありません。今から七九年前に現実にあったことです。わたしが以前いた広島の教会でも、教会員の三分の一の人が原爆によっていのちを失い、三分の一の人が放射能による原爆症に苦しむことになりました。言葉にならないほどの恐ろしくて、本当に悲しい出来事でした。

すべてのいのちを一瞬にして根こそぎ奪い、傷つける原子爆弾が、ヒロシマ、そしてナガサキに落とされたのはどうしてだったのでしょうか。

それは、戦争だったからです。戦争、それをどんなに勇ましく美しい言葉で表現しても、またそれをどんなに正しいことだと言い張っても、戦争は、人のいのちを傷つけ、いのちを奪うことを目的とする、一番大きな暴力です。

では、なぜ人は取り返しのつかない、そんな戦争をするのでしょうか。

それは、人間が自分のことばかり考え、自分だけが正しいと思うからです。人を信じることよりも疑うことを、人を愛することよりも憎むことを選んでしまい、赦し合うことによってではなく力によって、問題を解決しようと考えるからです。

そんな人間の愚かさを、聖書は「罪」と呼びます。

「罪」は、誰かの罪、特定の人の罪のことではなく、わたしたちみんなの罪のことを指しています。親子の間で、友だち同士で、となり近所で起こる悲惨な事件が毎日のようにニュースで伝えられています。人を憎み、人と争い、人を傷つけ、さらには人のいのちを奪ってしまう罪は、わたしたち自身の中にあります。

わたしたちは、七九年前に起きた出来事を知っているのですから、どのような戦争であろうと、もう二度と繰り返してはいけません。

そのために、わたしたちは、自分のことだけを考え、人を疑い、憎み、暴力に頼ろうとするわたしたちの中にある罪を見つめ、その罪を克服し、乗り越えていくために、互いに平和のために努力をしていかなければなりません。

 

■平和の神と共に

では、人と人とが平和に暮らすために、わたしたちはどうすればよいのでしょうか。どんな努力をすればよいのでしょうか。先ほどの聖書の言葉は、愛と赦しの神がいつもわたしたちと共にいてくださる、その安らぎと喜びを深く、深く味わいつつ生きるように、と教えます。

わたしたちは、穏やかな人間関係を保つためには気心の知れた人だけで集まっている方がいいと考えがちです。気まずい関係になってしまった人は交わりの中から出て行くのがお互いのためだ、とさえ考えます。しかし神は、御子キリストの十字架の下に、気心の知れた、多少なりとも自分に好意的な人間ではなく、自分に対して心を閉ざし、対立していた人々をも招いてくださいました。気まずい関係にあったわたしたちとの縁を断ち、追い出すのではなく、かえってわたしたちとの交わりを新たに求めて、わたしたちに手を差し伸べてくださいました。

わたしたちもまた、そのような生き方をわたしたちなりに試みるべきではないでしょうか。そんな努力など空しい、無意味だと思われることがあるかもしれません。しかし、愛と赦しの神がいつもわたしたちと共にいてくださるということを信じてさえいれば、どのような困難にも耐え、「ひとつ思いになって」努力することができるはずです。そこにこそ、本当の平和、本当の希望、本当の喜びが生まれるはずです。与えられた喜びは、また、そのようなわたしたちの生き方は、周囲の人々の間にも喜びの渦を巻き起こして行くはずです。

平和を祈り求め続けるわたしたちが、そんな真の平和を生きることによって、内には喜びが溢れ、外に向かっては福音の証を続けることができるよう、祈ってやみません。