■感染症対策薬「メクチザン」
クリスマスおめでとうございます。2015年のノーベル医学・生理学賞を受賞した北里大学の特別栄誉教授の大村智(おおむら さとし)先生という方がおられます。大村先生は、メクチザンという薬の開発に貢献した方です。1975年、大村先生は静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた新種の放線菌が、特殊な抗微生物活性を持つ「エバーメクチン」という物質を作り出すことを発見するのです。大村先生と共同研究を行っていた米国のメルク社は、この成分を元にイベルメクチンという薬品を作り、1981年に動物用の寄生虫対策薬として発売したのです。その後、メルク社の研究者とWHOの専門家によって、このイベルメクチンはアフリカの人々が数百年にわたって苦しんできた河川盲目症と呼ばれるオンコセルカ症に対して特効薬となることが証明されたのです。
この河川盲目症という病気はアフリカ、中南米の熱帯地域に蔓延していて、毎年1800万人が感染、そのうち約27万人が失明し、50万人が視覚障害になってしまうという恐ろしい感染症でした。ところがこの薬を飲むと一回で完全にその感染症を防ぐことができるのです。これにより、イベルメクチンは感染症対策薬「メクチザン」と名づけられ、人間の病気に対する薬として登録されるとすぐ、大村先生とメルク社は、河川盲目症が消滅するまで、感染地域の人々に無償でプレゼントし、当時は3億人の人々を失明の危機から救ったと言われました。
この大村先生がアフリカのガーナのある村に行き、子どもたちと話したことがありました。その村は、かつては河川盲目症が初めて大きな問題として指摘された村で、住民の大人のうち30%以上が失明しているという沈んだ村だったのです。そのときの様子を、大村先生は次のように語っています。
「村の小学校に行くと、メクチザンを飲んでいる子どもたちはとても元気な姿でした。子どもたちは日本や東京という地名も知らないし、聞いたこともないと言っていましたが、メクチザンという言葉を聞くと『メクチザン!知っている!飲んでいる!』と大興奮で話しかけてくれました。あのときは嬉しかった。」と、このように語っているのです。
通訳の人が「この人がメクチザンを造った先生です。」と紹介するとひときわ高く、叫び声が上がり、「メクチザン、メクチザン」と口々にはやし立てたそうです。子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようです。多くの人々の命を守る働きに貢献した人を称え、記念に覚えることは当然のことだと思います。
さて、私たちは、クリスマス・イヴを迎え、二千年間人々から覚え続けられ、称えられ、お祝いされ続けた主イエス・キリストのご降誕を記念する讃美礼拝を守っています。今日は、東方の博士たちの訪問の記事を通して、なぜ主イエスは神様でありながら、1人の人としてお生まれになったのかということを考えたいと思います。
■ユダヤのベツレヘムで
本日の聖書の箇所の東方の博士たちの訪問というクリスマスのエピソードは、みなさんもよくご存知の箇所かと思います。今日の話の初めに、このエピソードに至る流れを確認したいと思います。皇帝アウグストゥスが人口調査の勅令を出しました。そして、ガリラヤのナザレという小さな村にいたマリアとヨセフがベツレヘムという町に上って行きました。そして、ベツレヘムに滞在中にマリアが幼子を産みました。その幼子は、イエスと名付けられたのです。そして、幼子が生まれたという最初のニュースが伝えられたのが、羊飼いたちでした。羊飼いたちは、幼子の主イエスを礼拝しました。そして、主イエスの誕生から40日が経ったときに、マリアとユセフはエルサレムの神殿に上っています。
今日の聖書の箇所は、それからしばらく時間が経ったときに、博士たちが訪問して来たときの出来事なのです。それまでの出来事は、全てヨセフとマリアの一家の周辺に起こっていること、あるいは、羊飼いたちがニュースを伝えたにしても、未だイスラエルの中枢にいる人々には、この話は伝わっていないのです。博士たちがやってきて、いよいよ今日から主イエス誕生の知らせが、公に影響を持ち始めるのです。それが、今日の東方の博士たちの訪問というエピソードなのです。
■ヘロデ王の時代
さて、本日の聖書の箇所の1節を見ますと、『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、』とあります。ここには、今日の聖書の箇所に登場する人物が全て出てきています。まず、『ヘロデ王の時代』という言葉が出てきます。ヘロデ王の時代という時代がどういう時代なのかということを、始めに確認したいと思います。ヘロデという人物ですが、彼は純粋なユダヤ人ではないのです。イドマヤ人とユダヤ人との混血です。イドマヤ人というのは、エドム人とも言いますが、先祖はイサクの双子の兄のエサウです。イサクの双子の弟がヤコブです。主イエスもそうであるユダヤ人というのは、弟のヤコブから出てきているのです。ですから、本日の聖書の箇所というのは、お兄さんのエサウの家系と弟のヤコブの家系とが東方の博士たちを挟んで向き合っているのです。
ヘロデ大王は、イドマヤ人とユダヤ人との混血だということをお話ししましたが、ヘロデはユダヤ教に改宗するのです。ユダヤ教では、定義的にはユダヤ教徒になると、ユダヤ人なのです。ですから、ヘロデはユダヤ教に改宗して、定義の上では、ユダヤ人になっているのです。しかし、ヘロデは心からユダヤ教徒になった訳ではなくて、ヘロデの改宗は、どこまでも世渡りの上でのことであったのです。すなわち、ユダヤ人を支配するためには、ユダヤ人になっていた方が、都合が良かったからのです。しかし、だからといって、ユダヤ人たちは誰も本気で、ヘロデがユダヤ教に改宗したということは信じてはいなかったのです。しかし、ヘロデ大王は、ユダヤの王様となっているのです。王という称号を聞きますと、私たちは、何か、ヘロデが武力で戦って、ユダヤを制服したのではないかということを想像してしまいがちです。しかし、当時のユダヤは、ローマが支配している時代です。従って、ユダヤの王になるためには、ローマから認定を受ける必要があるのです。ヘロデは実際にローマまで行って、認定を受けて来ています。それが、紀元前37年のことです。本日の聖書の箇所の話は、おそらく紀元前6年くらいの話ですので、30年くらい前から、ヘロデはユダヤの王としての認定を受けて、ユダヤを支配して来ていたのです。それが、『ヘロデ王の時代』という言葉の意味なのです。もう少し、説明しますと、支配者であるローマが認定し、そして、ヘロデに出先のユダヤの王をさせるという関係は、一方的な関係ではなくて、相互扶助の関係なのです。つまり、ローマはヘロデを王にします。ヘロデはありがとうと言って、せっせと税金を集めて、ローマにお金を送るのです。ローマは自分で手を汚すことなく、ヘロデに税金を集めさせているという関係なのです。そして、ヘロデはローマに納める以上の税金を集めて、差額は自分の懐に入れられるから、ヘロデにとってもメリットがあるのです。一番苦しむのは、一般のユダヤ人の人々なのです。このような構図の中で、ユダヤの社会が営まれている時代が、『ヘロデ王の時代』なのです。
■東方の占星術の学者たち
その次に出てくる言葉が、『ユダヤのベツレヘム』という言葉です。ベツレヘムという地名は、『パンの家』という意味です。従って、ベツレヘムという町がある地方は、農業生産が非常に豊かな地であったことが分かります。同時に、この町は『ダビデの町』とも呼ばれていました。ダビデ王を生んだ町なのです。このベツレヘムで主イエスが生まれたのです。ここで、『ユダヤのベツレヘム』とあるのは、ガリラヤのベツレヘムという町があったからなのです。即ち、ガリラヤのベツレヘムという町と区別するために、『ユダヤのベツレヘム』と書いてあるのです。マタイによる福音書は、ユダヤ人信者に向けて書かれていますので、厳密に書いてあるのです。
ユダヤのベツレヘムという町で、主イエスがお生まれになった時に、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来たのです。占星術の学者たちと書かれていますが、「占星術の学者たち」と訳されているギリシア語は「マゴス」という言葉で、複数形は「マゴイ」となります。英語には、「マジシャン」という言葉があります。私たちは、「マジシャン」という言葉を、奇術師とか手品師といった、観客を楽しませるために魔法のような奇術を演じる人意味で使っていますが、元々は魔術師とか、妖術師といった、禍々しさや邪悪さを感じさせることもある、不思議な力や超自然的な力を駆使する技術を持った、少し怪しげな人のことについて使われていました。英語の「マジシャン」という言葉は、「マゴス」から来ています。本日の聖書の箇所の「占星術の学者たち」という訳語も、この「マゴス」から来ているのです。この人たちは何者かと言いますと、当時は自然科学と占いとが、まだ完全に分離していない時代なのです。そういう意味で、彼らは天文学者なのです。そして、同時に星占いをしている占星術師でもあるのです。さらに、同時にお医者さんでもあるのです。さらには、祭司でもあったのです。その上、賢い人という意味で、賢人あるいは智者と呼ばれていたのです。こういう人は、ペルシャとか、アラビアにはいたのです。ペルシャというのは、今のイランです。天文学者、占星術師、祭司、そして、賢人、このような複数の資質を持った人たちがこの「占星術の学者たち」と呼ばれている人たちなのです。
ダニエル書の2章48節を見てみますと、『王はダニエルを高い位につけ、多くのすばらしい贈り物を与え、バビロン全州を治めさせ、バビロンの知者すべての上に長官として立てた。』と書かれています。この聖書の箇所に出てくる「バビロンの知者すべて」、これが本日の聖書の箇所で取り上げられている「占星術の学者たち」、「マゴス」、あるいは、「マゴイ」のことです。そうしますと、ダニエルという人は、ペルシャに住んだイスラエルの預言者ですが、ダニエルはこの学者たちのトップになったということが分かります。ダニエルはイスラエルの神様だけを信じているので、占星術は行っていません。しかし、ダニエルは学者たちのトップに立ったということです。このダニエルの時代から、ペルシャには、あるいは、東方の国には、このような伝統があったのです。
■東方の学者たちのエルサレム訪問
次に、東方の占星術の学者たちが訪ねて行ったのは、エルサレムなのですが、この時代は、ヘロデによって神殿の拡張が行われています。現在のエルサレムには、ヘロデが拡張した神殿そのものはもうないので、見ることはできませんが、神殿の土台は見ることができます。2000年前のヘロデの建築を今もなお、見ることができるのです。同時に、ヘロデはエルサレムに素晴らしい王宮を建てています。そういう町が当時のエルサレムなのです。以上が、本日の聖書の箇所の1節が伝える登場人物と舞台設定なのです。
それでは、2節を見ますと、東方の「占星術の学者たち」が、エルサレムに着いて、ヘロデに何と言ったかといいますと、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言ったというのです。この学者たちが、なぜエルサレムまで来たかと言いますと、星に導かれたというのです。この星を東の方で見たと言いますので、ペルシャで星が上がるのを見たのです。星はそれこそ星の数ほど無数にあるわけですが、この学者たちはこの星は普通の星ではない、何か特別の星だということを認識したのです。この星は、動き方が普通の星ではないことから、超自然的な星だと言うことができます。ペルシャの方で見て、エルサレムに来たということであれば、位置関係で言えば、この星は東から西へ動いたということになります。そして、エルサレム付近まで来たら、消えたのです。だから、分からなくなったから、ヘロデの王宮に訪ねてきたのです。ところが、この後、再び星は現れるのです。星が現れて、今度は、ベツレヘムに向かうのです。それは、北から南に移動しているのです。東から西に来た星が、いったん消えて、また、現れたら今度は北から南へ動いたのです。そして、その星は、どこに留まったかと言うと、マリアとヨセフと主イエスがいた家の上に留まったのです。これは、特別な星だと言うことができます。ベツレヘムの星については、古くより諸説ありますが、天文学とは無関係の神様の栄光の光が星のように見え、その光によって、この学者たちは導かれて来たのだと思います。この学者たちは、星に導かれて来たのですが、それだけではありません。この学者たちは、その星がメシアの誕生を告げ知らせているのだということを理解するための背景となる情報を持っていたのです。それは、この学者たちがその情報に接することのできる地域と立場にいたからこそ理解できた2つの情報なのです。
その情報の一つは、ダニエル書9章24〜27節で、『お前の民と聖なる都に対して/七十週が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり/罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し/幻と預言は封じられ/最も聖なる者に油が注がれる。(後略)』とあります。この予言は、70週の予言と呼ばれています。この予言では、1日は1年とカウントします。従って、70週と言いますと、490日ありますので、490年を示しているのです。それを最初の69週と最後の1週に分割するのです。細かい解説は端折りますが、この予言は、メシアはいつ到来するかという、メシア到来のタイムテーブルを提供しているのです。この予言は、旧約聖書の予言の中で、最も解釈が難しい予言の一つとされている予言なのです。とにかく、ダニエル書のこの予言を基に、当時、ユダヤ人の間には、そろそろメシアが到来するに違いないという、メシア待望の雰囲気が満ち溢れて来ていたのです。それと同時に、ダニエルもペルシャにいましたので、このペルシャにいた「占星術の学者たち」も、ダニエル書のこの予言を知っていたのだと思います。そして、ダニエル書の一部は、当時の国際語であるアラム語で書かれています。だから、この学者たちは読むことができたと思います。だから、ペルシャにいたこの学者たちは、ダニエル書の予言から、そろそろメシアが誕生するに違いないという期待を、彼らも抱いていたのだと思います。
もう一つは、民数記24章17節の予言です。これは、異教の預言者のバラムという人が予言しているのです。彼は、バビロンの占星術師です。ということは、今、主イエスを訪ね求めている東方の占星術の学者たちの先祖です。本日の聖書の箇所に登場する学者たちは、バラムの後継者です。この学者たちの大先輩の預言者バラムがこのように言っているのです。『わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。』とあります。この予言が特徴的なのは、メシア誕生と星が出現することとを、関連付けていることです。「ひとつの星がヤコブから進み出る。」というのは、この星というのは、メシアのことです。そうすると、東の方にいた学者たちがなぜやって来たのか、一つは、ダニエル書の70週の予言で、時間的な期待感があったことと、2つ目が、バラムの予言を通して、メシア誕生と星が昇ることとが関連付けられていたこととがあったと思います。そして、3つ目に、実際に超自然的な星が現れ、彼らを導いたということです。それで、この東方の学者たちがやって来たのです。
■ヘロデと東方の占星術の学者たち
では、なぜ彼らは、直接、ベツレヘムには行かずに、エルサレムに来たのでしょうか。星が途中で消えたのだと思います。そして、この東方の学者たちは、メシアがベツレヘムに生まれるということを知らなかったのです。なぜ、この学者たちは知らなかったのでしょうか。それは、この学者たちは、ミカ書5章1節の予言を知らなかったのです。なぜかと言いますと、この学者たちは、ミカ書を持っていないということと、ミカ書がヘブライ語で書かれた、ユダヤ人の本だからです。従って、この学者たちは、ユダヤ人の王として生まれるのなら、当然、エルサレムだろうと考えたのだと思います。それで、ヘロデのところに来たのだと思います。それでは、この東方の学者たちの訪問をヘロデはどのように受け止めたかを、見てみたいと思います。
3節を見ますと、『これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。』とあります。「ヘロデ王は不安を抱いた。」という訳は、ヘロデの気持ちを表すには、弱い訳かと思います。文語訳聖書では、『ヘロデこれを聞きて悩みまどふ、』とあり、ヘロデが愕然として、より強い不安を抱いたことがよく分かります。なぜかと言いますと、ヘロデはそういう人なのです。ヘロデはものすごく猜疑心の強い人であるのに、だんだんと高齢になって来て、健康状態も悪くなってきて、少しのことに、過剰に反応するようになってきていたと思います。ヘロデは、ローマから王位を認定してもらったものの、ユダヤ人としては、正当性がなく、常に、ユダヤ人が王として正当性があると考える、ユダ族の誰かに自分の王位を奪われるのではないかという恐れにつきまとわれていたと思います。ヘロデは、自分はユダヤのトップの王である、しかし、これを聞いて、ヘロデはまずいと思ったのです。この東方の学者たちが言った言葉の何が問題だったのでしょうか?
この学者たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」と言ったのです。ヘロデ王としてみれば、このおれがユダヤ人の王だということです。その一方で、ヘロデは、自分がユダヤ人の王であることに、後ろめたさを感じているのです。もともとヘロデは、イドマヤ人で、無理にユダヤ教に改宗して、体裁だけは整えているけれど、予言的に言えば、イスラエルの王となるのは、ユダ族の家系の人だけなのです。ヘロデはユダ部族でないばかりか、そもそも純粋なユダヤ人ですらなかったのです。この学者たちが言った、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」という言葉自体が、もうヘロデの王としての正当性を否定しているのです。だから、この学者たちは、星の登場を喜んだのですが、ヘロデにとっては、この星は不吉の前兆であったのです。従って、ヘロデが強い不安を抱いたということは理解できますが、『エルサレムの人々も皆、同様であった。』というのは、理解が難しいかと思います。「同様であった。」というのは、どうしてなのでしょうか?なぜ、エルサレムの人々も不安を抱く必要があったのでしょうか?
エルサレムの人々を2つに分けて考えると、一つは指導者層です。指導者層は、ほとんどがヘロデによって、その地位を保証されている人たちです。ヘロデという人は、最高法院であるサンヘドリンの議員の半数くらいを殺している人なのです。ですから、ヘロデが王位から追われると、彼らもその地位から追われることになると考えたのです。それでは、一般民衆はどうなのでしょうか?一般民衆も恐れたのです。なぜかと言いますと、ヘロデが何をやらかすか、分からないからです。もう年老いて、病を患って、それまでも散々、残酷なことを行ってきたヘロデが、今度は別の王が現れたとなったら、追い詰められて、何をしでかすか分からないのです。ヘロデにしてみれば、自分が王位から追われるくらいなら、誰も彼も道連れに死んでやるくらいのことは、考えるのではないでしょうか。自分が悲劇に遭うぐらいだったら、みんな巻き込んでやるぞ、と考えたのではないでしょうか。エルサレムの指導者層が恐れたということの中に、主イエスのご生涯の最後の一週間に、ユダヤ人たちが主イエスを拒否してゆくことの予表があると思います。既にこの段階から、主イエスは指導者層に恐れられたということ、これが、ヘロデが恐れた理由だと思います。
■メシアはどこに生まれることになっているのか
それでは、恐れたヘロデはどうしたのでしょうか?本日の聖書の箇所の4〜6節には、『王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」』と記されています。ヘロデはどうしたのかと言うと、予言によれば、メシアはどこで生まれることになっているのか、と宗教的指導者たちに尋ねたのです。この問いから、ヘロデが真のユダヤ教の信者ではないことが分かります。なぜかと言いますと、1つ目に、ヘロデはメシアの誕生を喜んでいないということです。ユダヤ教の信者であれば、メシアの誕生を喜ぶはずなのです。2つ目に、ヘロデはミカ書の予言を知らないのです。メシア予言の中で、メシアがベツレヘムで生まれるということは、1丁目1番地のこと、イロハのイなのです。しかし、ヘロデはこんなことさえも、知らなかったのです。それで、ヘロデは専門家集団を呼び集めたのです。専門家集団として、2種類の名前が挙がっています。民の祭司長たちと律法学者たちです。民の祭司長というのは、洗礼者ヨハネの父親のザカリアはアビアの組の祭司長でしたが、祭司は24の組に分かれていました。そして、各組の長を祭司長と言ったのです。そして、次に律法学者たちですが、この人たちは、元々は書記なのです。公の記録や文書を作成して、保存していた人たちであったのです。それから、聖書本文も書き写して、写本を作っていた人たちなのです。その書記であった人たちは、やがて律法学者と呼ばれるようになるのです。この人たちは、主にファリサイ派ですが、中にはサドカイ派もいたのです。
従って、ヘロデが民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めたというのは、これは72人の議員からなるユダヤの最高法院、サンヘドリンを招集したということです。サンヘドリンの全員が集まったかどうかは、分かりませんが、直ぐに集まれるものは集まったのだと思います。サンヘドリンが招集できたということですが、これは、当時、ユダヤはローマが支配していましたが、ユダヤは支配が非常に難しいので、一部自治を認めていたということなのです。サンヘドリンは、ユダヤ人の市民生活と宗教生活に関して、統治する権利をもらっていたのです。そのサンヘドリンを招集したのです。福音書を読んでゆきますと、サンヘドリンの存在は問題となって行きます。また、使徒言行録に於いても、サンヘドリンの存在は問題となって来ます。いつも、ぶつかりあって来るのです。サンヘドリンの人たちを集めて尋ねたら、イロハのイですので、メシアがどこに生まれることになっているのか、直ぐに分かったのです。それは、ミカ書の5章の1節にありますよということなのです。
■決していちばん小さいものではない
メシアが生まれるのは、ユダヤのベツレヘムで、ミカは預言者で、5章の1節にあるという訳で、マタイはどう書かれているかを引用していますが、ミカが予言している通りに、マタイは書いていないのです。それはなぜかということを考えてみたいと思います。
旧約聖書のミカ書5章1節には、『エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。』と書かれています。
それに対して、マタイによる福音書2章6節には、『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』と記されているのです。
ミカ書5章1節とマタイの引用の中で、異なっている重要な点が3箇所あります。1つ目は、マタイの引用では、ミカ書にはない言葉が出てきています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。』という箇所の、「決して」という言葉です。ミカ書では、『エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。』と、「いと小さき者」と言っているのに、マタイは、「決していちばん小さいものではない。」と言っているのです。マタイは否定しているのです。
2つ目の違いは、マタイの引用では、「わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」と書かれています。「牧者」という言葉が出ています。しかし、ミカの予言には、「牧者」という言葉は出てこないのです。
3つ目の違いは、ミカの予言の一番最後、「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」という箇所を、マタイはそっくり省いています。
この3つの違い、1つ目、「決して」という言葉が入っている、2つ目、「牧者」という言葉が入っている、3つ目、最後の「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」という箇所が省かれている、この3つの違いは何なのでしょうか?マタイはなぜ、このような不正確な引用をしているのでしょうか?マタイが生きていた当時の認識からすると、これは不正確な引用ではないのです。そのことを見てゆきたいと思います。
まず、1つ目の「決していちばん小さいものではない。」と言っているのは、何かと言いますと、マタイはメシアがベツレヘムで既に生まれた、予言が成就したという観点から、この予言を引用しているのです。メシアが生まれる前は、「いと小さき者」、即ち、取るに足りない者であったのだということです。しかし、メシアが生まれた後は、この町は全人類に覚えられる、素晴らしい町になった。だから、「決していちばん小さいものではない。」という、言い方になっているのです。メシアがここで誕生したんだ、ということです。
2つ目、「イスラエルの牧者となる」、これはミカが予言していない言葉が入っています。この言葉の背景にあるのは、旧約聖書、エゼキエル書34章の「良き牧者」の予言です。ここには、主の僕ダビデという名前が書かれている箇所の予言です。主の僕ダビデという人物が、良き牧者となる。イスラエルの王たちは、良き牧者とならなければいけないのに、みんな失敗したのです。その為、終わりの時代に、真の牧者が現れる、真の牧者は羊を命がけで、守るのです。それが、ここの引用の内容なのです。つまり、ここでマタイは何を言っているのかといいますと、ベツレヘムという町が人類に覚えられる町になったということと、この方は、イスラエルの牧者として、働いて下さるということを、マタイはここで言っているのです。そして、最後に省略されている、「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」というのは、この文脈の中では必要のない情報だからです。
このような引用の仕方を、どう考えたら良いのかということですが、新約聖書はギリシア語で書かれていますので、普通は旧約聖書から引用するときは、ヘブライ語から直接は訳せないので、ギリシア語に翻訳された70人訳聖書から引用されるのですが、ここでは、マタイは、70人訳聖書は使用せずに、ヘブライ語聖書から、自分で意訳して、翻訳しているのです。従って、ミカ書5章1節のオリジナルを知って、マタイの引用を見れば、マタイがここで何を言いたいのかが分かるのです。マタイはここで、ミカ書の5章の予言なんだよね、メシアである主イエスが生まれたんだよね、ベツレヘムなんだよね、主イエスは良き牧者になったんだよね、と興奮して、書き記している、そのマタイの気持が非常に良く伝わって来ます。
■わたしも行って拝もう
さて、ヘロデはメシアがどこで生まれるかを知りました。ベツレヘムだということを知ったのです。ところが、ベツレヘムと言っても、その中のどこだか、まだ、分からないのです。ヘロデのそのときの気持ちは、非常に強い不安を抱いた、そして、どこで生まれたのかが分かった、だから、次にやることは、その子を王になる前に殺してしまえ、ということになるのです。しかし、東方の学者たちを、何食わぬ顔で、呼んだのです。本日の聖書の箇所の7〜8節には、『そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。』と書かれています。ヘロデは殺そうとしているのですが、このようなことをしれっと言える人なのです。ヘロデは東方の学者たちをひそかに呼んで、「星の現れた時期を確かめた」のです。なぜ、星が現れた時期が重要なのでしょうか?ヘロデは、メシアが誕生してから、最大、どれくらい経っているかを確認したのです。この問いが、本日の聖書の箇所のすぐ後に出てくる、2歳以下の男の子を、1人残らず殺すことに繋がってくるのです。そして、幼子を抹殺しようとしているのに、「わたしも行って拝もう」と言っているのです。もし、神様の介入がなければ、ヘロデが考えていた通りになっていたと思います。しかし、ここで神様は歴史に介入されたのです。
■東方の学者たちによる幼子への礼拝
次に、本日の聖書の箇所の9〜10節には、『彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。』とあります。神様の栄光の光が、再び現れて、学者たちを幼子のいる場所に導いたのです。町だけではなく、家にまで導いたのです。このときには、マリアとヨセフと主イエスは、家畜が飼われている洞窟から、家に移り住んでおり、時間の経過があることが分かります。再び星が現れた、そして、学者たちは喜んだ、どこへと導かれるかが分かったので、彼らは喜んだのです。しかし、それだけではなく、彼らは、今、自分たちが神様のみ心の内を歩んでいるという保証が与えられたということに喜んだのです。今日の聖書の箇所には、ヘロデの悪意と企みがありますが、学者たちはそのことを知らずに歩んでいるのです。遠い国から来て、いろいろな艱難を乗り越えて、ここに来ているのです。しかし、この学者たちの心の中に、一つだけしっかりとしているのは何かと言いますと、何のために生きているのかということです。そして、神様のみ心の内を歩んでいるという確信が、彼らに喜びを与えているのです。そのことが、この学者たちに、誰にも奪うことのできない、喜びを与えているのです。人間として生きる上で重要なことは、周りにどんな嵐が吹き荒れているときでも、神様のみ心に従って歩んでいる。それが、一つ星を見ながら歩んでいる、東方の学者たちの姿なのです。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」と、聖書は短く伝えていますが、この学者たちの心の動きが伝わってきます。
■家に入ってみると
次に、本日の聖書の箇所の11節には、『家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。』とあります。これが、異邦人による最初のメシア礼拝です。私たちは、今、主イエスを礼拝していますが、一番最初に誰がそれを行ったかと言いますと、東方の学者たちなのです。ユダヤ人で、最初にメシアを礼拝したのは、羊飼いたちでした。羊飼いたちのメシア礼拝と異邦人のメシア礼拝の間には、最大で2年間の時間の差があるのです。東方の学者たちは贈り物を持ってきましたが、敬意を表するために、贈り物を捧げるのは、東方の習慣です。これは、ユダヤ人の習慣でもあるのです。彼らは、黄金、乳香、没薬からなる、3つの贈り物を持ってきました。旧約聖書の伝統では、黄金というのは、王としての身分を象徴するものです。乳香は、神性、神様であることを表しています。そして、没薬は死んだときに、身体に塗るもので、死を象徴するものなのです。これが、旧約聖書の伝統なのです。従って、主イエスは、神であり、王である、そして、贖いの死を遂げるメシアであることを象徴しているのです。しかし、この学者たちが主イエスの死まで意識していたかと言うと、そうではなかったと思います。学者たちは、すべてをまとめて、ひとつの贈り物という認識で渡したのだと思います。そして、この贈り物は、この後、ヨセフの一家がエジプトに逃れるための資金となりました。もしも、この学者たちが、主イエスの誕生の直後に来て、この贈り物を渡していたら、マリアはエルサレムの神殿に行った時に、鳥ではなく、羊を捧げることができていたと思います。
そして、本日の聖書の箇所の12節には、『ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。』とあります。ここには、明らかにメシアを守る神様の御手が示されていると思います。真実な信仰を持つ者には、このような最後の段階になったときに、神様の守りと導きが与えられると思います。そして、ヘロデの意図は、打ち砕かれるのです。
■ユダヤ人の王
さて、ヘロデはユダヤの王です。主イエスは、ユダヤ人の王です。そして、ヘロデは、大王という称号をつけて呼ばれますが、これは偉大だという意味です。ヘロデはどういう意味で偉大かと言いますと、まず建築家として、非常に偉大です。現在、新約聖書の時代の目で見て、評価できる遺跡は、ほとんどヘロデが手掛けています。従って、ヘロデは2000年経っても遺跡を残すことができる程の優れた建築家であったのです。同時に、ヘロデは、ローマから王権を認定してもらうという交渉のできる優れた政治家であり、優れた外交官でもあったのです。そういう意味で、ヘロデは先を読むことに長けた、大いなる統治者であったのです。しかし、それだけではなかったのです。ヘロデは、偉大な罪人でもあったのです。まず、民衆にとっては、重税と労役に苦しめられるという点で、大変な支配者でした。そして、ヘロデは年を取るに従って、猜疑心が深くなって行ったのです。どのように猜疑心が深くなって行ったかというと、王座を追われることは、ヘロデにとって、最大の痛みなのです。その為、猜疑心が深くなるにつれて、次から、次からへと、家族や友人たち、それから、その周りの人々を殺して行くのです。愛妻のマリアムネという人がいますが、この人は純粋のユダヤ人で、ハスモン王朝の王女でもある人です。彼女と結婚して、非常に愛していたのですが、この愛妻のマリアムネが産んだ2人の息子、アレクサンドロスとアリストブロスを、ヘロデは殺しています。その後で、マリアムネも殺します。彼は複数の妻がいましたが、別の妻が産んだ息子アンティパトロスという人も殺しています。それから、マリアムネの兄弟とお母さんも殺しています。それから、マリアムネの祖父も殺しています。妻や子どもや親戚を、平気で殺すことができる神経というのは、かなり神経を病んでいたと思います。これくらいヘロデは残忍な人であったのです。これが、ユダヤの王なのです。それでは、ユダヤ人の王として誕生した主イエスはどうだったのでしょうか?ユダヤ人の王という言葉が、マタイによる福音書で次に登場するのは、どこか分かりますでしょうか?主イエスは、常にユダヤ人の王、ユダヤ人の王と言って、ふれ回ったのではないのです。マタイが次にユダヤ人の王という称号を主イエスに対して使うのは、十字架の場面なのです。ですから、誕生の時と十字架の場面だけ、主イエスは「ユダヤ人の王」という称号を与えられているのです。
ヘロデは、33歳で王となりました。主イエスは、30歳で公生涯に立ち、33歳で十字架に架かられたのです。ヘロデが王となった歳に、主イエスは十字架についているのです。主イエスの生涯は、王というよりは、羊飼いとしての生涯でした。福音記者マルコは、そのことを意識してか6章34節で、『イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。』と記しています。主イエスは良い羊飼いとしての働きをなしたのです。主イエスがユダヤ人の王というあり方は、良き羊飼いであり、自分の命を犠牲にすることによって、全ての人の救いを成就されたという生き方なのです。そして、最後に十字架につく、つまり、ゴルゴタに於いて、神様の弱さが現れたのです。このことを私たちは、非常に重く受け止めたいと思います。主イエスは、自己犠牲によって、王としての務めを果たして下さったのです。
ヘロデは常に王であることを主張し、権威を求め続けました。しかし、わたしたちが信じている主イエスは、そして、私たちが信じている父なる神様は、ゴルゴタに於いて、弱さを表して下さったのです。ヘロデは、自分が生きるために、周りの人に、お前は死ねと言った人です。主イエスは、十字架の上で、私が死ぬから、あなたたちは生きなさいと言われたのです。この主イエスこそが、良き羊飼いなのだと思います。
私たちが信じているお方は、天地万物をお造りになったお方であるのにもかかわらず、ゴルゴタの丘で、私たちを救うために、良き羊飼いとして、命を犠牲にして下さったのです。このことを、私たちは深く受け止めて、主イエスを信じ、主イエスが十字架の死による贖いによって、与えて下さった恵みに生きてゆきたいと思います。
それでは、お祈り致します。