【説 教】 牧師 沖村 裕史
■神を神とする
二〇節、「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。」
ヨブは次から次へともたらされる災いの報せに、言葉を発する暇(いとま)もなく坐ったまま聞いていたのでしょう。しかし、息子や娘たち、愛する家族を失うという最後の決定的な災いの報告を聞いて、彼はよろめきつつ立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とします。深い、深い悲しみの姿です。
そのようにして、ヨブは「地にひれ伏し」ました。
あまりの悲しみのために、打ちひしがれ、倒れるようにして「地に伏した」というのではありません。ヨブはすべてを失い、神のみ前に裸になって、そこで、神のみ手によってなされたことを受け入れるべく「神にひれ伏した」、神のみ前に己を捨て、神を神とし、その神に服従の意志を表わすべく「地にひれ伏した」のでした。そのことが、続く二一節前半に記されます。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」
当時、死ねば人間はすべて陰府の世界に行くと信じられていました。「人間本来無一物」とは仏教も説く教えですが、ヨブの違う所は、それを諦めや悟りとして受け止めるのではなく、神のみ業、神の意志として受け止め、自由に与え、また取り給う神の主権に対し、全身全霊をかけて服し、それを讃美します。二一節の後半、
「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
すべてを奪い去られ、愛する息子や娘たちまで失ってなお、ヨブは、神を神とし、自らはどこまでも僕(しもべ)の位置に留まります。そして、ヨブは栄光を神に帰したのでした。ヨブのこの信仰を、作者は最後の一句にまとめます。二二節、
「このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」
「非難する」とは、唾をかける、侮辱するということです。願いごとをする時や、恵まれている間は敬虔(けいけん)な、信仰深い態度を取っていた者が、願いがかなえられなかったり、逆に災いが及んできたりすると、一転して、神仏を罵るといった姿は、ご利益宗教に広く見られることですが、ヨブは事ここに至ってなお、そのような態度は取らなかった、どこまでも神をまことに神として拝した、と言います。
■神を賛美する
そうすることができたのは、なぜか。
冒頭一節にあるように、ヨブが「誠にして、神を畏れる」義人であったからでしょうか。そうだとも言えますが、これほどの苦難を前に、それだけであったとは到底思えません。よくこう説明されます。
次々と、それも突如襲い来る、悲報の数々を前にしてヨブは、裸の自分が神のみ前に立たされていることを自覚したのではないか。「裸」とは、人間の弱さ、惨めさを象徴するもの。そこに神と自分とのあるべき関係を痛切に知って、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(口語訳)と神を讃美したのではないか、と。
しかしこれは、いわば模範解答です。だれもがこう言えるとは限りません。いえ、言えないでしょう。そもそも、もしそれだけのことで済むのであれば、この後、三章から四二章までのヨブの苦悩を、ここに描く必要などなかったでしょう。三章以下の、彼の苦悩が単なる飾りや付け足しであるはずはありません。二一節後半の言葉に、もう一度注目してください。
「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
この言葉は、確かにヨブの信仰の輝かしい勝利です。彼は神を呪いませんでした。彼は「衣を裂き、髪をそり落とし」、非常に深い衝撃と悲しみに打ちのめされましたが、神を賛美する言葉を語ることができました。
しかしこの言葉を読んで思うことは、「主は与え、主は奪う」という言葉だけなら、神を信ずる者であれば、一応は語ることができるだろう。主なる神は、いのちと一切のものを、ただ一方的な恵みとしてお与えくださったのだから、それを奪い去る権利をもお持ちだということは、たとえ絶望感や悔しさの中にあっても、語ることができる。しかしその次の、「主の御名はほめたたえられよ」を語ることは容易ではない、ということです。
まだ年若い教会員の婦人がパートナーを亡くされました。非常に仲の良い夫婦であっただけに、悲しみは深まるばかりで、深い信仰に生きる女性ではありましたが、立ち直るのにとても長い時間が必要でした。その方が、二一節の最初の三行は自分でも語れるが、最後の一行、「主の御名はほむべきかな」はなかなか語れなかった、と胸の内を明かしてくださいました。
「主は与え、主は奪う」と「主の御名はほめたたえられよ」との間には、無限の距離がある、と言えるのではないでしょうか。少なくとも、こう言えるまでには、相当長い時間がかかることでしょう。
■神を呪う
わたしたちは、与えられたこの人生を六〇年、七〇年、八〇年、そして九〇年と生きてきて、クリスチャンならだれでも、死ぬときには自分の人生のすべてを神に感謝し、「主の御名はほむべきかな」と告白しながら死にたい、そう願うでしょう。そして、それこそがヨブ記のテーマではないか。であればこそ、作者は冒頭一章に、この模範解答のような告白を記しているのではないか、そう思われるかもしれません。
しかし三章以下は、そうはなっていません。ヨブは自分が生まれた日を呪ってさえいます。三章二節です。
「わたしの生まれた日は消え失せよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。」
直接、神を呪いはしませんが、自分を造り、いのち与えたのは神ですから、自分の誕生を呪うということは、神を呪うことにも等しい行為です。こんな言葉が、ヨブを見舞いにきた三人の友人たちとの間で、三章から終わり近くまで延々と続きます。そして、漸く終わりになって、ヨブは顔と顔とを合わせて神と相まみえることが許され、自分の浅はかだった罪を告白し、神をほめたたえて終わります。つまり、一章から二章で終わりではなく、三章から四二章こそが実に大切な意味を持つのだ、と申し上げてよいでしょう。
ある人は、ヨブ記は「魂の戯曲(ドラマ)」である、と言います。人間の魂が一生の間に経験するあらゆる事柄、特に様々な苦しみや悲しみ、死や病、不条理、神への深刻な疑いなど、それらとの戦いを経て、最後に神をほめたたえて死ぬまでの、すべてのドラマがここに描き込まれている、と言います。なるほどと思わずにはおれません。
人の一生には、実に様々な出来事があります。順境もあれば逆境もあります。詩人ゲーテは、「人生の本当の苦しみを経験していない人とは、共に語るに足りない」と言いました。しかし、ゲーテのある意味ありふれたこの言葉も、ただの気休めにしか思えないほど、ヨブのように、本当に自分の人生を呪い、神を呪いたくなるような経験をした人なら、一人静かにこのヨブ記を紐解いてみたくなるに違いありません。
■神の慰め
ではこのヨブ記が、苦しみや悲しみを味わった人、今も苦しみ、悲しんでいる人に与える、まことの「慰め」とは、どのようなものでしょう。
いくつか挙げることができますが、ヨブ記が与える最大の慰めは、天の神は苦しむ者の苦しみを決して放っておかれない、ということです。それこそが、ヨブ記の中心テーマです。
ヨブと友人たちとの対話は、人間にはなぜ苦しみがあるかを巡って行われました。しかしこの問いは、いつまでも平行線です。友人たちはどこまでも因果応報―罪ゆえの罰―を主張し、ヨブは決してそれを認めないからです。ですからヨブは、そこそこに友人たちとの対話を切り上げ、直接神に向かって、自分の苦しみの理由を問い詰めます。ヨブの論争の相手は神なのです。それは神への祈りですが、時には、神に対する激しい非難の言葉ともなります。
ここで、ヨブが最も深い苦しみの中から神に問い掛けている箇所の一つをお読みしたいと思います。ヨブ記が何を救いとしてわたしたちに告げているか、ご一緒に味わっていただきたいからです。七章一七節以下です。
「人間とは何なのか。
なぜあなたはこれを大いなるものとし/
これに心を向けられるのか。
朝ごとに訪れて確かめ/
いつまでもわたしから目をそらされない。
唾を飲み込む間すらも/
ほうっておいてはくださらない。
人を見張っている方よ/
わたしが過ちを犯したとしても
あなたにとってそれが何だというのでしょう。
なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。
なぜ、わたしを負担とされるのですか」
こんな言葉が延々と続きます。直前一六節には、「もうたくさんだ。いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください、わたしの一生は空しいのです」という言葉さえ記されます。
ヨブは、自分の上に置かれた神のみ手を非常に重く感じています。そして、わたしを苦しめるくらいなら、どうか早く死なせてくださいと言います。それは神のみ手と言うよりも、彼を苦しめているサタンの手と何の変わりもありません。神がまるでサタンのように、わずかな瞬間にも忍び込み、ヨブの傍らにきて、一瞬たりとも彼を離れず、彼を捕らえ苦しめている、そう彼は叫んでいます。そういう祈りを、全能の神に向かって叫ぶのです。
これほどまでに神を冒涜するような祈りが許されるのか、と思えるほどです。このヨブの叫びは、彼にのし掛かる全能の神を呪う、すれすれのところまで来ています。これほど激しい、まるで不信仰すれすれの祈りの言葉は、詩編にもありません。神を冒涜するヨブの言葉は、サタンの攻撃に敗れる寸前にまで来ています。神はなぜこれほどまでに、と疑問を抱かざるをえません。
しかし、ヨブ記の作者が言おうとしていることは、実はそれとはまるで正反対のことです。ヨブのこれらの祈りを、神は許しておられるのです。神はヨブの苦しみをつぶさにご存じなのです。そして神は一瞬たりとも彼を離れず、一ミリも離れずに、苦しむヨブの傍らに立っておられるのです。
この神は、彼を圧迫し、苦しめようとする神ではありません。神はサタンと同じように、あるいはサタンの手を借りて、彼を苦しめておられるのではありません。実に、彼を一ミリたりとも離れず、苦しむ彼の傍らにじっと立っておられるのは、慈しみ深い神なのです。神を冒涜し、呪うようなヨブの祈りにじっと耳を傾け、それを耐え忍んで聞いておられるのは、身を挺してサタンの執拗な攻撃から彼を守り、彼の苦しみに共に耐えておられる、慈しみ深い神なのです。
ヨブは試練にあっている間、そのことに気づくことができませんでした。しかし遂に、最後の最後、神が彼の前にみ姿を現されたとき、彼はそのことを知ることになります。そしてヨブは、自分が分かりもしないことを分かったように語っていたことを悟り、心から悔い改めると同時に、心から神を讃美する人となったのです。
■神の愛に応えて
そんなヨブの姿を心に留めつつ、ひとりの医師のお話をして、今日のメッセージを閉じさせていただきます。
震災後三〇年目を迎える阪神淡路でも、また二〇一一年の東日本大震災でも、突然、大きな災害に見舞われた多くの人が、ヨブと同じ体験をしました。人々は言いました、「神も仏もいないのか」と。そんな中、「あっぱれな被災者を見た 『ケセン語訳新約聖書』著した医師・山浦玄嗣(まるつぐ)さん」という記事が、朝日新聞二〇一一年五月一六日の夕刊に掲載されました。
「岩手県大船渡市の医師山浦玄嗣さん(七一)は、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙地方の言葉に翻訳した『ケセン語訳新約聖書』の著者として知られています。地元のカトリック教会に通う山浦さんは、東日本大震災の大津波が襲った三陸の診療室で、何を見たのでしょうか。
…三月一一日午後二時四六分。私が理事長の山浦医院の午後の診察が始まる時間でした。自宅のすぐ隣にある医院に入ると間もなく、大きな横揺れを感じました。揺れはいつまでも収まらず、船酔いみたいに吐き気がしてきたころ、ようやく静まりました。幸い自宅も医院も床上に浸水しただけで済みました。でも、津波でたくさんの友だちが死に、ふるさとは根こそぎ流されました。
…重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、一四日の月曜日から医院を開けました。津波の後には寒い日が続きました。患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。六〇人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり二時間かけ歩いてきたおじさんがいました。『遠いところ悪いが、五日分しか出せないよ』と言うと、ひとこと『ありがたい』。二時間かけて帰っていきました。もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも『薬はこれだけしかない』と諭すと、はっとした顔になり『おれの分を減らして、ほかの人に』と譲りあってくれました。『ががぁ(妻を)、死なせた』、目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。『助かってよかったなあ』と声をかけると、『おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない』と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり『なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ』と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。
人はみんな死にます。しかも、死はどれも理不尽なのです。でも、無駄な死はひとつもありません。死には必ず意味があります。診療室の人たちは不遇を嘆くのではなく、多くの死者が出た今回の出来事から何かを聞き取ろうとしていたのかもしれません。必要以上に持ち上げるつもりはありません。しかし、あの辛いなか、意味のない問いかけをすることなく、人のために何ができるか、本当に生き生きとした喜びを感じるには何をすればいいのかと、懸命に生きていました。あっぱれな人たちに、私は出会えたのです。」
すべてのことをおできになる全知全能の神に、ただ一つだけできないことがあります。それは、ひとりの人が神を求めて全身全霊で叫ぶとき、耳と心を閉ざしておくことです。全能の神にとって、それだけは不可能です。神が愛の神だからです。ですから、神はどんなことがあっても、わたしたちの祈りに心を開いておられます。そしてわたしたちに、御自身の独り子、神そのものである御子イエス・キリストをお遣わしになった神は、どこまでもヨブを愛し、ヨブと共におられたように、天に召された方も今ここに生かされている者も、わたしたちすべての者を愛し、どんな時にも共にいてくださるのです。
それゆえに、わたしたちが必ず、ヨブと共に「主の御名はほむべきかな」と神をほめたたえることができるようにしてくださるのです。感謝して祈ります。