【説 教】 牧師 沖村 裕史
■「三十八年」
舞台は「ベトザタ」と呼ばれる池の畔(ほとり)です。
「ベトザタ」とは「あわれみの家」または「恵みの家」という意味です。その場所にあった五つの回廊には、「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、身体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」とあり、その中に「三十八年も病気で苦しんでいる人がいた」とあります。
これは遙か昔の、どこか遠くの場所のお話というのではありません。わたしたちの周りにもこういう方々がおられます。施設に入っておられた一人の女性をお訪ねしたときのことです。「このホームに入られて何年になられますか?」と聞きますと、「十五年です」というご返事。同じ施設に入っておられたパートナーは、「脳出血で倒れてから、もう十年近くベッドに寝たきり」でした。
それにしても、「三十八年」とはずいぶんと長い年月です。古代ローマ人の平均寿命は、二〇歳から二五歳程度でした。乳幼児の死亡率が一五%から三五%程度と高かったせいもありますが、五歳以上まで無事に成長できた子どもでも、四〇歳代の寿命であったと言われています。その人が何歳なのか分かりませんが、人生の大半を病気と共に生きてきました。
その彼が何をしていたのか。三節の後に十字架のようなしるしがあって、よく見ると四節の言葉がありません。これは、もともとの聖書にはなかったと思われる言葉を示すしるしです。福音書の最後の頁に、「水が動くのを待っていたのである」と書かれています。「水が動く」とは、下から時々「ボコ、ボコ」と温泉のわき水が噴き出してくる間欠泉のことだろう、と言われます。水の表面が動くように見えました。しかも温泉ですから、病気に効くに違いないと考え、「これは天使が水を動かしている。だれでも真っ先に入った人はいやされる」という伝説が生まれました。病に苦しむ人々、身体の不自由な多くの人々が、水の面が動くのを毎日待っていました。一日か、一か月か、一年か、十年か、いつとも分からぬままに、ただじっと水の面を見つめ続け、水が動くのを待っている。そういう生活でした。
■孤独と絶望
そこにイエスさまが来られて、彼に尋ねます。
「良くなりたいか」
こう問われた彼は「治りたいのは当たり前でしょう」とは言いません。ただ、「主よ、水が動くとき、わたしを池に入れてくれる人がいないのです。わたしが入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と嘆き、訴えます。
「わたしには助けてくれる人がいないのです。だから、自分で這いずりながら前に行こうとしても、他の人が先に入ってしまうのです。悔しい。憎らしい。妬ましい。誰も助けてくれないのです。わたしを見て、立ち止まってくれる人などいません。だれも声ひとつかけてくれません。悲しい。寂しい。苦しいのです」
毎日水の表面を見ながら生きる人の深い虚しさと絶望が伝わってきます。だれも自分がここにいることにさえ気づいてくれない。親も、先生も、友だちも、隣人も、だれも自分のことなど考えてもくれない。
三十八年間、そんなふうに悩み苦しんでいた人のことが、ここに描かれています。福音書には、現実にいた人たちのことが書かれています。イギリスのボルンカムという聖書学者は、当時の情報は「人の噂」であった、その中でも信頼度が高いのは人の名前や具体的な地名が語られる噂であった、聖書の多くの記事はそのような噂、伝聞に基づくものだった、と言います。「ベトザタ」という具体的な地名。「あわれみの家」「恵み家」と呼ばれるその場所に、その名とは裏腹に、病人たちが我先に水の中に飛び込もうとお互いを敵視しているような情け容赦ない場所で、長きにわたって嘆きと悲しさ、虚しさと絶望、憎しみと妬みに明け暮らしている人が確かにいたのです。
■立つがよい
横たわっているその人をご覧になって、イエスさまは「良くなりたいか」と声をかけられます。
無神経な問いかけのように思えます。治りたいと願うのは当たり前のこと、そう思えるからです。一見無神経とも思われる問いを、イエスさまはなぜ発せられたのか。それは、諦めや絶望ではなく、恨みや妬みではなく、癒されたい、生きたいという願いを持つことが、今、生かされてあることへの感謝を持つことが何よりも大切だからです。
病気をした人であれば誰でも覚えがあるでしょう。病気をしている間は治りたい、痛みに悩んでいる間は痛みから解放されたいと願います。それは当然のことです。しかし、癒しから見放され、病が体と心に住みついてしまうと、本気で癒されることを願わず、自分で健やかになろうという強い願いを持つことができなくなることがあります。生かされ生きていることの不思議、恵みに感謝することができなくなります。癒しへの強い願いを失った人を、癒しへと励ますことは、とてもむずかしいことです。
悩みを心に抱えて苦しむ人もそうです。苦しいと訴える話を聞いて、「いやいや、あなたの苦しみなどは大したことはない」などと言えば、たいていの人は怒ります。「あなたの苦しみは思い込みに過ぎない」などと言っても、その言葉が受け入れられるはずもありません。
三十八年も病の中にあったのです。病気はそのままで彼の人生です。それなりに生きる形ができ、慣れてしまっていたとしてもおかしくはありません。だから彼は、癒される前に「良くなりたい」と言わず、癒された後も、特別喜んでいる様子も見せません。彼は病に安住していたのかもしれません。人間が孤独、諦め、絶望という罪の病に捕らわれると、それが当たり前のことだと思い込んでしまう。「どうせ…」とつぶやきながら、生きる希望を失い、ただ生きているだけということになる。イエスさまは、その絶望の壁に穴を開けてくださるのです。イエスさまは願いを、希望を持つよう促されます。
「立つがよい!」
■良い
「立つがよい!」、そして起き上がることができて、いろいろなやり取りがあって、また、この男に会ってくださったときに、イエスさまは一四節でこう言われます。
「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」
イエスさまは不幸や病と罪とは何の関係もないと言われ、因果応報などという考えは愚かなことだとはっきりと教えておられます。イエスさまは、その人が罪を犯して、また重い病になってしまうことを心配されているのではありません。むしろ逆に、病や苦難にとらわれて、絶望や諦めという罪にとらわれてしまうことのないようにしなさい、なぜなら、あなたはもう良くなったのだから、と言われるのです。
「あなたは良くなった」の「良い」という言葉は、病気が治ったと言うことに止まらないものです。創世記冒頭に「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と記されています。その「良かった」と同じ言葉です。神様は、いのちを与えられたすべてのものを「良し」とされました。「良い」ものであると宣言されたのです。
その宣言を見失って、絶望と諦めに心ふさがれ、それゆえに恨みと妬みにとらわれてしまうこと、それが罪です。イエスさまは、絶望と諦めに心ふさがれるわたしたちに、「わたしがあなたにいのちを与えた。だから、わたしにとって、あるがままのあなたこそ、良いもの、かけがえないもの。あなたがここにいることを、たとえ他のだれが知らなくても、わたしは知っている。わたしはあなたを見守っている。だから、絶望と諦めの闇の中から立ち上がりなさい」、そう励まし、力づけてくださったのです。
■わたしはここです
二千年のその人と同じように、今も、科学技術の発達した豊かな文明のただ中で、幸せに見えるたくさんの人々がいるただ中で、もう立ち上がることを諦めてしまっている、孤独に苦しんでいる人たちがいます。
ひとりの人のことを思い出します。彼は、神戸という街で暮らしていました。が、一九九五年一月一七日午前五時四六分に起きた阪神淡路大震災で、愛する妻を突然、失ってしまいました。彼は、悲しさと寂しさを紛らわすために酒におぼれ、アルコール依存症に苦しむようになります。関西学院大学に在籍している時、YMCA時代の友人が設立にかかわった、長田地区にある依存症患者のためのデイケアの施設で出会いました。
努力して何か月もお酒を飲まないで頑張っていても、どうしても飲んでしまっては、「なんて俺は弱くて、ダメな人間なんだ」とずっと苦しんでいました。彼は、小さい頃に洗礼を受けていましたが、いつのまにか教会へ行かなくなり、神様のことも信じなくなっていました。酒を飲むためにいろんな人から金を借りては、その金を返すこともせず、酒を飲んでは暴れ、家族にも暴力を振うようになりました。娘さんからも親戚からも友だちからも見放され、何もかも失ったその人はたったひとり、ほとんど何もない空っぽの部屋で線香を立て、亡くなった妻の写真に手を合わせては、死にたいと願うようになっていました。
そんな彼ですが、もう長く会っていない娘さんを、とても愛しているようでした。ただ娘さんは会いたがらなかったようです。誕生日にカードを出しても、返事は返って来ません。酒に溺れていた父との思い出があまりに悲しいものだったから、娘さんは許せなかったのでしょう。
ある日のこと、依存症の人たちの集まりで、めずらしく彼の方から声をかけて来ました。「教会に行ってきたよ」。日曜日の礼拝に行ったというのです。少し驚きながら、「お祈りしたの?」と聞くと、「祈ったりなんかしないよ!ひとこと言っただけ」とぶっきらぼうに答えます。
彼は、礼拝中に心の中でこう言った、と教えてくれました。
「わたしは、ここです……」
神様、イエスさま、と呼びかけることもなく、ただひとことだけ、心の中でそう言ったというのです。もし神様がいるのなら、名前で呼びかけなくても分かるはずだ、彼はそう言います。
「ああダメだ。俺のことなんかだれも見てくれない。相手にしてくれない。俺がいてもいなくなっても、誰も気にも止めやしない。ダメ人間だ」。そう思って絶望していた彼が、「わたしは、ここです……」と神様に呟きました。その姿が、その言葉が、ベトザタでイエスさまに声をかけられたときに、あの男が訴えた嘆きの言葉と重なってくるようです。
「わたしは、ここです…」、そう訴えた彼も、「さあ、立って、行こう!」というみ声を聞いたのでしょうか。しばらくして後、彼は、長く会えなかった娘さんと再会しました。ふたりは、お互い泣きながら、抱き合ったということです。
■立って、行こう!
どんなに苦しんできたか、どんなに口惜しい思いをしてきたか、だれにも理解してもらえない長い年月を過ごしてきた、そのひとりの男の前にイエスさまは立ち止まって、彼を見、その窮状を見つめられました。「良くなりたいか」と問われたとき、彼の悩み、痛みのすべてを、イエスさまは、ご自分の身に受けとめられたのです。イエスさまに見出していただいたわたしたちは、すでに癒しの時の中に生きています。
しかし、その人には、すぐにはそのことが分かりませんでした。隣人がどんなに冷たかったか、同じ病で苦しむ人たちがいかに思いやりのかけらもないふるまいをしてきたか、胸にたまったうらみつらみの泥水を彼は一気に吐き出します。屈折した情けない訴え、罪の声です。イエスさまはその声を黙って聞かれます。倒れ、朽ち果てている者の病を、罪をすべて受けとめ、担い、立ち上がらせるために、イエスさまはわたしたちの傍に近寄ってくださいます。
しかも、ただ一度だけ、気まぐれに来られるのではありません。イエスさまに見出していただいたわたしたちは、すでに癒しの時の中に生かされ生きています。一七節に「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とあるように、神様は「今もなお」働いておられます。安息の日にも、神様は働かれ、人は癒されます。
神様の癒しのみわざをしっかり受けとるために、今日この日、わたしたちも心の闇の中に握りしめていたものを手放しましょう。そうするとき、わたしたちもまた、新たに立ち上がることができるはずです。そして、互いに声をかけ合うことができるはずです、「さあ、一緒に立って、行こう!」と。