■驚くべき選び
教会は、新しい歩みを始めようとしていました。福音を全世界に伝えようと決意します。それは、聖霊の呼びかけに促されてのことでした。
それにしても、一節から三節に名前をあげられている人々の顔ぶれは、興味深いものです。このときすでに、福音が世界のいたるところにまで、それもあらゆる階層の、すべての人々に告げ知らされていたかのようです。バルナバはキプロス出身のユダヤ人です。ルキオはキレネ出身。シメオンもユダヤ人ですが、ニゲルという呼び名は黒人を意味していましたから、 北アフリカの出身だったのかもしれません。マナエンは貴族で、宮廷に暮らしていました。サウロことパウロはキリキアのタルソス出身のユダヤ人であり、ラビ―律法を学ぶエリートとしての教育を受けていました。パウロの三度にも及ぶ伝道旅行の拠点となったアンティオキアのこの小さな群れには、様々な土地からやって来た、様々な背景を持つ人々が集まり、キリストの福音に触れ、この世のあらゆる隔てを越えて、平和と一致を見出していました。
しかしそれは、ここに名をあげられている人たちが、特別に優れた人たち、清廉潔白な人たちだったから、というのではありません。ニゲルと呼ばれるシメオンは、あのキレネ人シモンのことではないかと言われます。嫌々ながらもゴルゴダの丘で十字架を背負わされ、イエスさまの死へ道行の先導者となった人です。 パウロことサウロもまた、クリスチャンへの苛烈な迫害者でした。最初の殉教者となったステファノを死に追いやった当事者の一人でしたし、教会の人々もそのことをよく知っていたはずです。ヘロデという名も出てきます。ガリラヤの領主であったヘロデは洗礼者ヨハネを処刑したばかりか、イエスさまをも亡き者にしようとした人です。そのヘロデと一緒に育てられた人が、イエスをキリストと信じる人々の群れ、教会の中にいると言います。驚くべきことです。バルナバ、サウロ、シメオン、マナエン…神様は全く自由に人を用いられます。わたしたちの常識、人間の基準からは到底赦すことのできない、一緒にいることなどできない人を選び出されるのです。
■神の愛、神の自由
神の選びは、神の愛、神の自由そのものです。
わたしたちもまた、そのようにして選び出されました。わたしたちが、何か優れていたからでも、正しいものだからでもなく、とんでもなく惨めで、小さく弱かったからでもなく、ただ、神様の愛ゆえに、神様が自由にわたしたちを選び出し、捉えてくださいました。
ところが、わたしたちはときに「あの人はダメだ」と言ってしまうことがあります。「だって、あの人は以前こんなことをした、あんなことを言ったじゃないか」と、いつも人を過去からだけ見てしまいます。しかし神様は、わたしたちを過去からだけでなく、むしろ現在から、また将来からご覧になってくださいます。もし、わたしたちが過去だけにとらわれれば、人を裁き、非難するその言葉で、自分自身に向かって「わたしは駄目だ、わたしもどうしようもない人間だ」と言い続けることになるでしょう。そのことが分かっていても、それでも過去にばかり、罪にばかりとらわれて、人を非難し、そして自分をも卑下し続けてしまいます。それこそが、わたしたちの罪の姿です。
でも、そこでこそ神様の愛が、選びが、招きが心に沁みてきます。誰からも、自分からも愛されていないと思い込んでいるわたしも、あなたも、すべての人を、神様はかけがえのないものとして愛してくださっています。だからこそ、こんなにもいろいろな人々を、それぞれの賜物にふさわしい時とやり方で、神様は聖霊によって選び、招き、用いてくださるのです。
わたしたちは一人として同じ人間はいません。みんな違った名前と顔があり、一人ひとりの強さと弱さもそれぞれです。神様は、そんなわたしたちをひとっからげにしてではなく、一人ひとりをその名前で呼びかけ、神様がお選びになったそれぞれの特別な方法で、一人ひとりに触れてくださるのだ、と聖書は告げています。神様は、わたしたちをいつでも、どこでも、様々なやり方で、自由に招いてくださり、それぞれの賜物に応じて役割と使命を与え、用いてくださるお方なのです。
■聖霊によって
そして、わたしたちを自由に選び、用いてくださるために、神様はいつも、どこでも聖霊によって働きかけてくださいます。
春の桜や秋の紅葉が風に吹かれて、その花びらや葉っぱが一斉に踊るようにして舞うのを見ると、うっとりとします。夏、汗をいっぱいかきながら、自転車をこげば、顔に当たる風が暑さを吹き飛ばしてくれます。白い雪を運んでくる冬の風はとても冷たいけれど、身も心も引き締まるようです。誰も、その風を目で見ることも、手でつかむことも、鼻でにおいをかぐことも、口で味わうこともできません。でも、木の枝が揺れ、雲が流れ、花が舞い、葉がざわざわと音を立て、この頬に当たるのを感じれば、風が吹いているのだとわかります。不思議です。神様のようです。神様も、風のように目には見えませんし、手に触れることもできません。それでも、神様がいつも、わたしたちと一緒にいてくださり、どのようなときにもわたしたちを支え導いてくださっている、そう感じることができます。目には見えず、掴めもしないからこそ、いつでも、どこででも、わたしたちに吹いてくる、それが神の働き、神の霊、聖霊です。
ここにも、「聖霊が告げ」「聖霊によって送り出され」「聖霊に満ちて…言った」とあります。だからこそ、わたしたちは聖霊のもとに自由になり、自分自身を明け渡し、そして心をあわせて祈ることができます。このときも、「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げ」、「彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」とあります。断食とは、何も食べず、何もできなくなることです。わたしたちが空しくなったとき、無力になったとき、人間的なあらゆる可能性がすべて尽きてしまったようなとき、絶望しかないそのときにこそ、神様の力が、聖霊が働きます。
自分の力だけで走り抜こうとすると、必ず、途中で疲れ果てるものです。現代を生きるわたしたちはあまりにも多くのものを持ち過ぎています。持ち過ぎるばかりか、持つことがすべてに優先する目標となっています。自分の力で持つことができると過信しています。それで、断食なんてと言って笑います。でも、わたしたちが何も持たないところに、何もなくなった、すべてを失ったと思えるときに、神様は来られます。いえ、本当はいつも、神様は聖霊によって、わたしたちの傍らにいてくださるのですが、わたしたちは自分のことにとらわれて、そのことを、聖霊の働きを見過ごしてしまっているのです。
■手に取ることのできるもの
さて四節から一二節です。
「聖霊によって送り出され」たバルナバとサウロ、そしてヨハネは、三十時間ほど、海のとどろきや羊のメエメエという声の鳴り響く甲板でうずくまり、袋や荷物の間に横たわっていました。日が昇り、白い輝きの中にキプロスの絶壁が遠くに現れます。サラミスの港の家々は真っ白で、空のぎらぎらした青さにくっきりと浮かび上がっていたことでしょう。
ファマグスタと呼ばれる町の北には、今も、古代の町の大きさを思い起こさせる遺跡が残っています。共同浴場、体育場、ローマの劇場。バルナバたちもそんな街並みの中を歩いたことでしょう。キプロス島にあったユダヤ人の共同体は、特に大きなグループを形成していました。島の主な資源は鉱山から発掘される銅でした。権力を増し、財産を増やすことに執着していたヘロデ大王は皇帝アウグストゥスから、「キプロスの銅鉱からの収益の半分と、さらにあと半分の管理」を手に入れていた、と記録に残されています。キプロスは造船でも有名でした。幸福の島を意味する「マカリア」という名でも呼ばれていたのは、気候が温和で、様々な資源と生産物に恵まれていたこの島には、幸福に暮らして行くのに必要なものが何でもあったからです。人々は、目に見え、手に触れ、口にすることできる、そんな幸せだけを求め、それだけに縋(すが)りついて生きていました。
その人々に向かって、三人は語りかけます。ただ、それがどう受け入れられたのか、ここには何も記されません。他の場所と同じように、バルナバたちが語る言葉を聞いて、会堂にいた人々は怒り、神様を冒涜するペテン師だと叫んだのかも知れません。暴力沙汰になり、律法に定められていた鞭打ちや異端者への体罰、あるいはローマ独特の鞭打ち刑にまで至ったかもしれません。それでも、バルナバとサウロは歩み続けます。二人は、島の首都パフォスでも福音を宣べ伝えました。
パフォスは、愛の女神、享楽的で不道徳な代名詞ともいうべき、あのヴィーナス神の礼拝で知られた街でした。キプロス島の総督はセルギウス・パウルスという人物です。迷信深い時代です。多くの人々は、セルギウス・パウルスのような教養のある人までも、占いをし、未来を予言し、魔術や呪文を行う魔術師を抱えていました。今のわたしたちには、占いや魔術は非科学的で、何ら信じるに値しないものです。しかし古代の人々にとってはそうではありません。そうしたものを通して、自らの運命を知ることができ、そればかりか、自分の力と努力で災いを避け、幸せを呼び込むことができる、と信じていました。そうすることで、自分たちが自分たちの運命を、人生を、いのちをも、自分の自由にできる、自分で支配することができる、と信じていました。
実は、それは昔のことというのではなく、今も同じなのかもしれません。こんなことがありました。
あるとき、地区の牧師から電話があり、統一教会―「原理運動」から娘を救出してほしいという相談を受けたので協力してほしい、と言われました。その牧師の補助にでもなればということで引き受けましたが、あまり自信はありませんでした。初対面の挨拶をした時、二人の中年の女性と一緒に立ち上がった若い女性はかたい表情をし、少しつり上がった目をしていました。中年の女性のひとりは母親、もうひとりは親類の人でした。
「原理」に入って約六か月、原理のビデオセンターに通って、ビデオを約百本も見ているとのこと、中学校時代に父親を不慮の死で失い、心に深い傷を負っているということ、その父親の供養のために、結婚資金として溜めていた二百万円を献金したこと、「献身」のために家を離れる決意をしていること等々、彼女について、その牧師から聞いていました。
牧師の説得に耳を傾け、ときに問い返したり意見をはさんだりしている女性の表情の中に、素直なやさしい性格が少しずつ垣間見えてきました。彼女を突き動かしているものの中心には父親の死があるようでした。原理運動はそういう所を突くのが巧みです。午後1時から始めて、夕食をはさんで、終わったのが夜の8時。表情はずいぶんと柔らかくなり、笑顔を見せるようになりました。貸した本を、読んできますとは言いましたが、「やめます」の一言を聞くことはできませんでした。気が向いたら教会の礼拝に来てくださいと勧めましたが、数日後の礼拝の終わった数時間後に、菓子折をもって現れました。ひどく先を急いでいるような風でした。借りを返しに来た、そんな感じでした。無駄だったかと思いました。
彼女がビデオセンターで得ているものは、直接的な幸福感です。繰り返し視覚から入ってくる映像、そこに浸ることのできる温かい雰囲気、単純明快な答え、例えば二百万円での父親の「供養」など。彼女が今、持っているその直接的な幸福感に代わる直接的なものを与えること以外に、彼女を救出することはできないのではないか、そう思わされました。
■つまずきを越えて
教会にそういうものがないというのではありません。しかし教会にとって一番大切なもの、キリストの福音は直接には手渡しできないものです。説得し、納得させることのできない要素を含んでいます。聖書はそれを、福音の「つまずき」と呼んでいます。「わたしにつまずかない者は、さいわいである」。魚に骨があるように、バラに棘があるように、福音には「つまずき」が、たぶん本質的な要素として含まれています。
「愛は雑巾のようだ」と言った人がいます。それも汚れた雑巾です。真っ白なまだ使われていない雑巾と真黒な汚れにぬめっている雑巾を目の前に置かれて、わたしたちはどちらを手にするでしょうか。誰もが、汚れた雑巾はごみ箱に捨てて、真っ白いきれいな雑巾を手にすることでしょう。
しかし聖書は、その真っ黒に汚れた雑巾こそが、イエス・キリストだと言います。最後の晩餐の席で、弟子たちの足を洗い、腰にまとった手拭いでふかれたとき(ヨハネ一三・四~五)、粗末なサンダルで一日中歩き回って真黒に汚れ、すえた臭いのする弟子たちの足はきれいになり、一方、イエスさまの手ぬぐいは真黒に汚れていったことでしょう。弟子たちはきれいになりましたが、イエスさまは真黒に汚れました。雑巾のようにです。それこそ、十字架の上で傷だらけになって、血と糞尿を垂れ流すイエスさまの姿でした。弟子たちは、目をそむけたくなるほどの恥辱に満ちたその姿を、自分たちの汚れ、罪を拭い取ってくださった姿だと受け止めました。十字架に示されたキリストの愛です。
世がつまずくこの福音を、世に伝えるという困難が教会に託せられた使命です。福音が受け入れられない、とわたしたちはしばしば嘆きます。しかし、それは嘆くべきことではなく、あたりまえのことかもしれません。むしろ、福音が受け入れられる事実にこそ、わたしたちは驚かなければならないのではないでしょうか。そのときにこそ、教会は自らをこえた力、聖霊に支えられている、そう思わざるを得ません。 だから、何があろうと心配はいりません。わたしたちの神は、たとえどれほどの困難や苦難に遭おうとも、聖霊によっていつもわたしたちと共にいてくださるのです。聖霊によって乗り越えることができるはずです。今日のバルナバとサウロの出来事は、そのことをわたしたちに語り、教えてくれています。