【説 教】 牧師 沖村 裕史
■最悪のシナリオを考える
コヘレトの言葉一一章一節の「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」は、海上貿易をたとえている、と言われます。箴言三一章一四節の格言、「商人の船のように 遠くからパンを運んで来る」にとてもよく似ています。
古代パレスチナの地中海貿易は、ティルスやシドンといった港湾都市を拠点とする海洋民族フェニキア人が牛耳っていました。山地民族であったイスラエルもヤッファやガザなどで、フェニキア人の助けを得ながら海上交易をしていましたが、悪天候による船の遭難など、不慮の事故が起こる危険性を常に孕(はら)んでいました。せっかく船でワインやオリーヴ油などの農産物を遠くに送り出し、金や象牙、香料や宝石など高価な品物を手に入れようとしても、無事に港に到着して、利益をもたらすかどうかは、まったく不透明です。
それでも、パンを海上の人へ手渡せとコヘレトは勧めています。このことから、これは慈善行為を奨励することわざだ、と説明されることもあります。慈善行為も必ずしも報われるとは限りません。徒労に終わることがあります。けれども、「月日がたってから、それを見いだすだろう」と続く一節後半に記されているように、小さな愛の業はいつかどこかで実を結ぶことがあるのだ、とコヘレトは教えます。
一九五四年版『讃美歌』五三六番「むくいをのぞまで ひとにあたえよ」にある「水の上に落ちて、ながれしたねも、いずこのきしにか生(お)いたつものを」という歌詞を思い起こさせる言葉です。「パンを水に浮かべて流せ」は、この讃美歌の通り、積極的な行動、愛の業への勧めなのです。
続く二節も印象的です。「七人と、八人とすら、分かち合っておけ」と命じられるのは、なぜでしょうか。それは「国にどのような災いが起こるか 分かったものではない」からです。
事実、深刻な飢饉が発生した時など、イスラエルの人々は、エジプトからの穀物、パンの緊急輸入によってその危機を回避していました。日本でも、いつどこで地震が起きるか分かりません。どんな原発事故が再び起こるかわかったものではありません。そういう最悪のシナリオをコヘレトは考えています。
しかし、そのような将来への悲観的な予測はただ絶望するためではありません。今あるものを仲間たちと分かち合うという共生、共に生きることへの促しとなっています。コヘレトは最悪のシナリオを考えながら、しかしだからこそ、今をどう生きるのか、共に分かち合って生きるように、と教えるのです。
■最善を尽して、今を生きよ
コヘレトの発言はさらに続きます。三節から五節、コヘレトは「わからない」と疑念を繰り返し、否定的なことばかり言っているように受け取られそうです。けれども、よく読んでみましょう。雲が満ちれば雨が降りますし、樹木は吹く風によって倒れる方向が定まります。妊婦のお腹で胎児がどう育つか人間にわからないように、神がなさる業がわたしたちにわかるわけがありません。
確かにそうです。コヘレトの言葉によれば、結果、何をしても無駄だから流れに任せて生きるしかない、というネガティブな生き方になりそうです。しかしそこで、六節の種蒔きの発言に至ります。
「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれかそれとも両方なのか、分からないのだから」
雨季の始まる一〇月から一一月、農民は畑を耕し、種を蒔きます。古代の種蒔きは原始的です。畑を歩きながら、種を投げ散らすようにして蒔いたといいます。そんな時、風が強かったり、思わぬ方向から風が吹いてきたりすると、種がどこに飛んでいってしまうか分かりません。たくさんの種が無駄になり、実を結ぶ種は多くはありません。だからこそ、風の方角や強さに配慮する必要がありました。また、乾季が始まる四月から五月の収穫の時に、雨が降ってせっかく刈り取った麦などがびしょぬれになったりすれば、穂が腐って、すべてが無駄になってしまいかねません。雲行きに気をつけるのは当たり前のことでした。
今日読んでいただいたマルコによる福音書に記される種蒔きのたとえと似ていて、どの種が実を結ぶか皆目(かいもく)わかりません。まさしく「実を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からない」のです。いえ、どの種も実を結ばないかもしれません。とすれば、種蒔きなんて無駄だと言いたくなります。
ところが予想に反し、コヘレトは「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな」と勧めます。これは、朝から晩まで種を蒔け、夜も休まず徹底して種を蒔き続けよ、ということです。
驚くべき言葉です。一寸先は闇。これから最悪のシナリオを考えなければなりません。何をしても無駄かもしれないし、すべてが徒労に終わるかもしれないのです。もう諦めるしかないという悲観的な思いに押しつぶされそうになるその瀬戸際で、だからこそ最善を尽くし、徹底して生きなさい、とコヘレトは勧めるのです。
投げたボールが絶望という壁にぶつかって跳ね返って希望へと向かうように、コヘレトは最善を尽くして、今を生き抜けと命じるのです。空しいから投げ出すのではありません。先が見えないから諦めるのでもありません。空しく、先が見えないからこそ、今、最善を尽くす生き方をせよ、とコヘレトは教えます。
神ご自身だけが知っておられる天候について、わたしたち人間がこだわりすぎ、心配ばかりしていても、結局は何もできません。すべてを知っておられるのは神だけです。その神が芽を出させ、成長させてくださるのです。しかし、いつどの種がそうなるのかということは、天候が分からないのと同じように、わたしたち人間には分かりません。
だからこそ、怠らず、あきらめず、また心配しすぎることなく、大胆に神に信頼しながら、自分の手もとにある種を蒔き続けなさい、与えられた種—いのちを生きなさい。これが「コヘレトの言葉」がわたしたちに語ろうとする最も大切な教えです。
■自分の「種」を蒔く
マルコによる福音書にも、種蒔く人の話が出てきます。 その最初の言葉、
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」
当たり前のことです。「種を蒔く人」の仕事は「種蒔き」であり、「種蒔き」の仕事をするからこそ「種を蒔く人」と呼ばれます。その人は自分に与えられた、当たり前の仕事をするのです。
コヘレトの言葉にもあったように、たとえどんな厳しい状況や環境にあったとしても、その当たり前のことをし続ける人がいなければ、種が芽を出す可能性も、芽生え育つ可能性もありません。それと同じように、わたしたちが自分の手もとにある種を蒔き続けること、与えられた種—いのちをあるがままに生き続けることを引き受け、そのことを当たり前のこととしなければ、福音は伝えられることもなく、わたしたちのいのちが実ることもありません。
ここで、コヘレトの言葉やイエスさまのたとえに通じる、一つの物語をご紹介します。これは教区の同労者、戸田奈都子教師が二〇年前の『教師の友』に書いていたお話です。
一人の男の子がいました。
教会の礼拝から帰る途中で、その子が家族に言いました。
「お母さん。僕ね、これから礼拝の後、教会の隣りの病院で働きたいんだ。いつも教会で病気の人に親切にしなさいって聞くでしょう。病院には僕にもできることがあるはずだよ」
母親は言いました。
「だめよ坊や。お前はまだ小さくて、力も弱くて、何も知らないの。病院で働きたかったら、もっと大きくなってからにしなさい」
男の子は思いました。
「僕はまだ力も弱いし、体も小さい。それにお母さんがこんなにやめなさいって言うんだから、もう少し考えよう」
やがて男の子は大学に入り、今まで知らなかったことをたくさん学びました。たくさんの人が理由なく差別されていることも知りました。教会ではイエスさまが虐げられた人々と共に生きたという話を聞きました。そこで息子はお父さんに言いました。
「お父さん、僕は大学をやめようと思う。理由もなく差別されている人といろんな活動をしたいんだ」
するとお父さんは言いました。
「息子よ。お前が心を騒がせるのはよくわかる。確かに差別は悪い。けれども大学を途中でやめることはない。もう少し社会を知ってから、その後でやりたいことを始めたらいい」
そこで彼は考えました。
「確かに今、学校をやめても仕方がない。社会をもっと知るのもいいかな。お金がたくさん手に入れば、それだけいろんな活動ができるようになるかもしれない。それにこんなにお父さんが反対するんだから、もう少し考えよう」
何年かして彼は結婚し、子どもが生まれました。その頃、難民キャンプのニュースをよく見るようになりました。教会でも、貧しい者と共に生きよという話を聞きました。そこで彼は妻に相談しました。
「僕は会社をやめて、貧しい子どもたちのために働こうかと思うんだ」
すると妻は言いました。
「貧しい子どもたちのことを考えるのもいいけれど、わたしとあなたの子どものことも考えて。あなたは好きなことをして幸せかもしれませんが、それをわたしたちに押しつけないで。せめて、子どもが大きくなるまで待ってちょうだい」
そこで夫は考えました。
「確かに家族や会社に対して無責任かもしれない。それにこんなに妻が反対するんだし、もう少し考えよう」
それからまた何年もたちました。彼はすっかりおじいさんになり、病院のベッドに横たわっていました。そんなある日、ふと自分が幼い時に「病気の人のために働きたい」と願ったこと、青年の時に「差別されている人のために働きたい」と願ったこと、社会人になって「貧しい子どもたちのために働きたい」と願ったことを思い出しました。そして、何一つ自分がやらなかったことが悲しくなりました。その時々に神は語りかけてくださったのに、み言葉よりも周りの人の言葉にばかり耳を傾けてしまった自分が悲しくて、いつまでも涙を流しました。
このお話しは「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」、そういうことなのかもしれません。またこれは「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」、まさにそういうことなのでしょう。
種を蒔く人が種を蒔くために出て行かなければ、自分に与えられた種—いのちを精一杯生きていかなければ、たとえいくらその気があっても、結局その人は「種を蒔く人」ではありません。いのちの種は芽を出すことなく、育つこともありません。
わたしたちに与えられている種、神の言葉を、このかけがえのないいのちを、いつ、どのように蒔くか、生きるのかということは、わたしたち一人ひとりに与えられた課題です。振り返ってみれば、幼い時、青年だった時、社会人だった時、それぞれの時に、ほんの一瞬だったかもしれないけれど、わたしたちもまた神の語りかける声を聞いたということはなかったでしょうか。そしていつか、やがていつか、その声にお応えしようと思いながら、わたしたちはそのまま立ちつくしているということはないでしょうか。
早すぎるということも、遅すぎるということもありません。今が、その時です。わたしたちもまた、自分の「種」を蒔くとはどういうことなのか。いつどこでそうした「種」を蒔くことを神はわたしたちに望んでおられるのか。そのことを思いめぐらしながら、まさにこのわたしたち自身のために、神の導きを求める祈りをささげたいと思います。
